2017.2.23 1314 『今日は雪だった。雨だったか。雨だった。』

02 23, 2017 | 日記2017

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・今日は雪だった。雨だったか。雨だった。今こうして夜にその日の天気を書こうと思っても、よく思い出せない。今日猫は来なかった、昨日は車庫のシャッターを開けると、その音に反応してしれっとトラが入って来たので餌を出すと車の下に隠れながら餌を食べて玄関から出て行った、ちびトラと呼んでいた昨年の春に生まれたその猫はもう立派に、立派すぎるほどに丸々と大きくなって、誰かがいろんな所で餌をあげているのだろう、最近顔を見せてくれないから少し心配だった、もうちびトラではなく、トラ、二代目トラ、明日は来るだろうか?

・「音楽で世界は変えられない」と政治の世界に参入していく人もいる、あなたのいう「世界」はどの世界だろうか? といっても仕方がない。それはその人のたたかいだから。昨年末に観た「この世界の片隅に」という映画で示されたそれとは別のたたかいの表現を彼ら(彼らをフォローする人たち)はたたかいと認識するだろうか? どんな世界に包まれていようとそこで生きる人々の日常が在る、小さな日々が在る、小さな笑いが在る。これまで音楽は「日常」というものを本気で描いただろうか、「反——」を声高らかに歌うことがこれまでのたたかいであったかもしれないが、そうではない別のたたかいの在り方、ここ数年考えているのはそういうことだ。

2017.2.22 1313 『「聴く」というより「体験」というほうがいい』

02 22, 2017 | 日記2017

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・関東での三日間、そして帰ってからの仙台でのライブを含めた四日間の演奏で、何かを掴んだ気がするのだが、それを言葉に置き換えようとすれば、きっと全く別の何かを身体に刻んでしまうことになるだろう、「何か」を言葉にして刻んだ途端、その言葉に囚われて自由を奪われることになってしまえば、意味が無い

・人に褒められるために演奏をしているわけではないが、たまになるほどと思う言葉を頂くことがある、今回の四日間の中でも。

・音楽を愛し音楽と何十年も生きてきた初対面の先輩からの「いいね、君は変態だ、変態のぼくがいうのだから間違いない」、それから高円寺で演奏を初めて聴いてくれた同郷のいくつか年下の男性からの「松沢さんのライブは『聴く』というより『体験』というほうがいい」

2017.2.9 1312 『わたしの日々』

02 09, 2017 | 日記2017

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 本に付箋を貼る、特にグッときた箇所には色を変えて貼る、大切な本には付箋のセット一つでは足りなくて付箋ばかりがやたらと目立つ本が出来上がる、を、これまでしてきたが、最近は直接本に赤線を引くことにした、ちょうどいい太さで書きやすそうなものを無印良品で見つけてそれで書き込んでいる、最初は恐る恐る細い線で、最近はグッと来た箇所にはこちらもその文章に敬意を表して心を込めてグッと強く赤線を引く、「本は汚すものだ」との認識のもと、別にどこかに売るつもりも無いのだし。

 ということで、今日の付箋、ではなく、今日の赤線、買って手元にあった本を、年末のVORZ BARライブの時に、べっがーずの佐山あきが「春さん、おもしろい本ないですかね?」というから、鞄に入っていたそれをあげたのだが大阪にライブに行くときに持っていこうと買い直しに本屋に行ったらその本の値段にびっくりしたが買った、みすず書房の本の値段よ、、、

 【ピアニストにとってコンサートは日々弾くピアノの結び目のひとつにすぎず、ピアニストにとって主はコンサートではなく、日々ピアノを弾くことだ。コンサートに会わせて練習や体調を管理し、コンサートやリサイタルを何週間かの目標つまり一連の時間の収束とする考えは子供の発表会のもので、プロ、アマ、という雑な言葉を使うならプロというのは、コンサートを、特別な時間とするのでなく、日々弾くピアノに埋没させる。】p.8

 【ピアニストにとっては歴史的名演もまた日々ピアノを弾く行為に埋没してゆく。ピアニストが神がかり的な演奏をある晩したのだとしても、ピアニストにあったのは日々ピアノを弾く行為だけなのだし、演奏を終えたピアニストがいつまでもその演奏を反芻していてもしょうがない。というか、反芻したら彼は演奏者でなく聴衆になってしまう。】p.9 

 保坂和志「試行錯誤に漂う」より。

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 今日も明日も河原でギターを弾き、歌い、曲をつくる、雪景色の中で、雪の上の太陽の光に心舞わせて、鳥たちの歌の中で。わたしの日々の。

2017.1.29 1311 『そこに在った「動き」』

01 30, 2017 | 日記2017

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 Bar Tarjiの二人と、リー・テソンと蠣崎未来、の二組を通してほぼ同時期に知ることになった、優河のCD「tabiji」をずっと聴いている、車のデッキにいれているので、車での移動時はとにかくずっと聴いている、その声なのか、曲のつくりなのか、言葉の充てられていない部分の(母音による)メロディーがその曲において「補」でなく「主」になるような部分なのか、何かがこちらの記憶をつついてダイアン・バーチが思い出る、「思い出す」というより「思い出る」、それと共にダイアン・バーチ(ファーストアルバム)を聴いていた何年も前の記憶、

 映像記憶というものは、言葉より、音楽との方が結びつきが強いのだろうか、脳のそれらを管理する場所が近い云々、そんなことはわからないが、音楽と映像記憶は強く結びついていて、音楽を聴くとそれを聴いていた頃の映像がやってくる、

 エイモス・リーのセカンドアルバムを聴けば、当時同棲していた女性が住んでいたマンションで小火を起こして内装のリフォームが終るまで、近くに住んでいた彼女の弟の部屋に二人で居候することになったその部屋の間取りや、ドキドキしながらビニールを取りCDを入れたデッキの形状や、居づらくなって一人引っ越した先のマンションの台所から出てきたゴキブリの、

 メイシオ・パーカーのライブ盤を聴けば、働いていた居酒屋の忙しなさ(客が混んでバタバタしてくると気持ちを盛り上げるためによくこのCDをかけた)、冷蔵庫から冷えたジョッキをとってビールを注ぐ、その目の前にある棚にある酒のボトル、客のテーブルの上に乗っている酒や料理や客の笑い顔、服装、いろんなものにフォーカスできる、

 それは固定された写真的映像というよりは、そこに在った「動き」として思い出る、優河のことを書こうとしていたのだけれど、またいずれ。

2017.1.28 1310 『病み上がり』

01 28, 2017 | 日記2017

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「病み上がり」と言える状態にようやくなったのだと思う、年明け早々に体調を崩し、崩したといっても始まりはただの鼻風邪だったものが大阪ライブの計六日間を経て、最終的に胃腸炎に悪化した、大阪のライブ、演奏日としては最終の12日の夜は今思えば既に胃腸炎の兆しがあったのだろうと思うが、体調の悪いときに限って自分を自分で縛っている「箍(たが)」のようなものは外れやすいのか、四日間の中では一番いい演奏をした、というのは別に客の反応が良かったなどという評価とは全く関係ない、演奏の時間を経てどれだけ自分自身を更新することができたか、という自分の手応えの話で、だからこの感覚は聴いている側に伝わるものかどうかわからない、それに演奏時間なんてたかだか一時間半程度のもので、その短い時間の中でどれほど前に進むことができたものか、と問うても微々たるものに違いない、かもしれない(いや書きながら思う、この短い時間の中でもそれまでの自分を転覆させ得るものが生まれることがある!)が、客の反応ばかり伺って、お金を払ってもらったのだからそれに応えなくては、という考えに引っ張られ過ぎた演奏はとにかく自由さが殺される、自分で自分の首を締め上げて不自由で殺された響き、動き、そういう演奏をした日はどういうわけか逆に客の反応は良かったりすることもあって、こちら側の「一ミリも前に進めなかった」という手応えの無さとその反応のギャップに戸惑ったりする、「はあ、どうも」などとは一応言ってみる、「自分の好き勝手にやる」とか、「その時の自分の気分、身体に任せる」とか、「今までやったことのないことをあえてライブの場所でやる」とか、そういうのは結局ちょっとした「勇気」とかそんな問題で、簡単なようででも驚くほどそれができない、だからそれが達成できたときの手応えは忘れることができないのだ、そして今回においては最終日だったということ、誰が何といおうと、何と評価しようと、自分自身の手応え(いかに自分が更新されたか)以上に指針になるものはない、(映像では伝わらないだろう)

 ——何の話だったろうか? 大阪最終日、山形に帰る日の胃腸炎は朝からひどかった、三十分に一度は発作的に腹痛がやってくる、トイレに座って腹を抱え頭を揺らしながら声にならない悲鳴、飛行機は夕方六時発で時間もだいぶあったが、約束してた昼ご飯も食べられそうにないとTさんにメールで伝えると、「ほんなら岩盤浴でもいこか?」と連絡がきて、行けるわけがないじゃないか、何を考えているんだこの人はと思う、「胃腸炎で飯も食べられそうにない状態」と「岩盤浴」が「ほんなら」で繋がる思考が理解できないのだけれどTさんとはそういう人で、続いて「結構女の人ばっかりで、なんかええで」ともいうし、行ってみると良かった、とても、胃腸炎の発作は下腹部を暖めるとこない、というのが初の岩盤浴で得た学び、薬局でホッカイロを買って腹回りと腰に五枚べたべたと貼ったホッカイロのおかげで山形に帰ってこられた

 ——山形に戻ってからも胃腸炎で何日か苦しんだ、病み上がりかと思えたので虚弱体質をどうにかしようと筋トレのメニューを組んで、相撲の中継を見ながら、腕立て伏せ、と腹筋、と腹斜筋を鍛えるサイドベントというのと、何というのか両手でローラーを押さえて前に行ったり戻したりする運動やエアロバイクを必死にこなしたら、その夜から四十度の熱が出た、次の日は体中の筋肉痛と高熱で全く動けない、特に胸と脇腹の痛みがひどく笑えもしない、何事も急にやってはいけない、焦ってもろくなことがない、これも学び

 ——それでここ数日でようやくきちんと「病み上がり」と人に言える状態になった、少しずつ何かを書く、ここ最近ずっと聴いている優河「tabiji」のこと、何か他のこともあるような気がする、が実際に書くかどうかわからない、書きたいことがあってそれを書いたところでそれが「何か」になるわけではない。

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