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触発されてしまった夜に……

11 20, 2009 | 戯れ言2009 

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今日、何故か、むしょうにシャドーボクシングがしたくなって、結局やりすぎて、今、体中が痛い。一年に一度くらいの周期でシャドーボクシングがしたくなる衝動に駆られる。ボクシングなんてしたことないってのに。不思議でしょうがない。キーボードを打つ手がぴくぴくしている。

後ろで、トムウェイツが歌っている。
「酔ってるのは俺じゃねえ、ピアノの方が酔っちまったんだ、俺じゃねえ……」
ああ、なんて愛すべき人だろうか。

実は、ある人の文章に触発されてしまって、ぴくぴく震える手でキーボードを叩いている。とは言っても書くことが見あたらない。どうしましょ。

――僕はずっとヘッドフォンをつけていた時期があった。何年間も。周りからみたら「こいつ相当音楽が好きなんだな」と思われただろうけれど、僕にとってヘッドフォンで音楽を聴くことは「音楽を愛している」というよりも、「こんな話ききたくない」とか「こんな汚い世界を自分の中に入れたくない」という「拒絶」といったほうがいいようなものだった。音楽を聴いて、その世界に浸り、自分の世界の閉じこもることはそのころの僕にとって何よりも必要なことだった。

いま思えば「音楽を聴いていなければ」本当にぶっ壊れていたんじゃないか、と思う。

話は変わる。
僕は人間関係にはかなり「潔癖」だと思う。昔からずっと「俺が一緒にいたいのはこんな奴らじゃない」と思わされる出会いのほうがはるかに多かった。僕はだれとでも「上手く」付き合うことなんてできないし、むしろ「こいつらと一緒にいたい」という人間としか付き合わない。

「この社会ではそんなこと通用しない」とか「いやな人とも付き合わなくちゃ」とか「友達百人つくりましょ」とかいう人もいるかもしれないけれど、勝手にしやがれだ。つまんない奴らとつきあっている時間なんてない。

自分にとって本当に愛すべき人間にそうそう簡単に出会えるはずがない。だからこそ、そう思える人との出会いがいかに貴重で、嬉しいことか!! 「友達百人できるかな」なんて気にしなくていいんだよ、と子供に言える大人がいてもいいじゃないか。

何を書いているのか分からなくなったのでやめます。

最後に。
僕は、先に書いた「ある人」が今、「こいつらといたい」と思えるような人達と日々を過ごしていることを切に願うのです。

こんなことを書く夜は飲みすぎてしまう。
酔っているのは僕じゃなくて、キーボードのほうだと思いますが……。

2009.11.19

嗚呼、徒然。

11 13, 2009 | 戯れ言2009 

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嗚呼、徒然 2009.11.13に。

初めて入るビデオ屋さんで、僕が確認することは『男はつらいよ』シリーズが全巻DVD(VHSでしか置いてないところがあって、さすがにビデオデッキがないから見れない)でそろえてあるか? ということなのだけれど、それ以外には自分の好きなCDがレンタルで置いてあるか? ということもある。

『男はつらいよ』が全巻ならんでいるのを見ると、「うん、なかなかやるなあ」と思い、自分の好きなCDがレンタルで置いてあったりすると、なおさら「おお、何? 気が会いますねえ。」なんて思ってしまう。全国的に展開しているお店だけれど、フランチャイズだから、そのお店のスタッフの好みがどうしても反映されるのだろうし。

今日そんな風にしてその店に入って、ワゴンセール(新品)を見ていると結構内容が充実していて、嬉しくなった。結局、7枚CDを買ってきて、そのなかの一枚「MY BLUEBERRY NIGHTS」のサウンドトラックの中にOtis ReddingのTry a little tendernessが入っていて、今この文章を書きながらそのサウンドトラックを聴いている。

オーティスの歌を聴くと僕はいつも微笑んでしまう。寅さんを見ている時とおんなじように。何というか「本当に僕はこの人のことが好きなんだなあ」と思ってしまうのだと思う。じゃなきゃ、こんな風に一人で音楽を聴いてにやけたりしない。言葉では上手くいえないけれど、オーティスの歌を聴くたびに「いいなあ」とフニャっとなってしまう。毎日毎日聴くわけではないけれど、たまに聴いてみると、やっぱりどうしてもフニャっとなる。

突然だけれど、思いだしてしまったから書くほかないのだが、僕の好きなオーティスは26歳で飛行機墜落事故にあって死んでいる。そして、26歳というのは今の僕の年齢でもあって、今の僕の年齢で(というかレコーディングはそれ以前に済んでいるわけだから、僕よりもっと若くして)オーティスは「あの歌」を吹き込んだわけで、それを目の当たりにすると「こんなことしている場合じゃないよな」と思う。

ダニーハサウェイだって、同じくらいの歳であの「LIVE」を披露し、スティービーワンダーは「Songs In The Key Of Life」を完成させていたのだろうし、ディランももうすでに「Blonde On Blonde」を発表していた。

生まれた年代は違うかもしれないが、生まれてから26年の間に彼らはそのような作品を世に残し、オーティスに至ってはその年齢で死んだ。そして、オーティスが生きた年数と同じ時間を僕も――既に――生きている。密度でいえば比較のしようがないくらい薄っぺらいかもしれないが、こうして今、僕はオーティスの歌を聴いて、いつもと同じように「本当に僕はこの人のことが好きなんだなあ」と感じながら「こんなことしている場合じゃないよな」とも思っている。

『もうすぐ自分が死んでしまうとして――自分のやりたいことが、今現在の自分がやっていることと違うのだとしたら、今自分がやっていることは間違っている』というような内容の文章を何年か前に目にしたことがあるが、今の僕がいいたいのはそういう極論めいたことではない(かといって、こういう言葉に惹かれる時期は誰にでもあるのだと思うし、「そのころ」の自分を軽々しく「若い」などと否定するつもりもない……)。

が、オーティスを聴きながら、そして彼が26年という時を生きてきて、こういう音楽を残したことを思うと、なんだか「ああ、おれも頑張らなくちゃ」と思うし「ああ、前に進もう」と思うのもまた事実なのです。

2009.11.13

追記

かなり安かったのでついつい七枚も買ってしまって、そのうち一枚だけ邦楽のアルバムを買った。My Blueberry Nights サウンドトラックを三回くらい聴いて、今は「ちあきなおみ 全曲集」を聴いている。うん、これもいいなあ。

誰かの言葉達・1

10 30, 2009 | 戯れ言2009 

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エリッククラプトン、ブルースコレクションの解説より引用(日本人だったけれど、誰なのかは忘れた)

「――そんな事を言い出したら、すでに棺おけに片足を突っ込んでいる、多くのベテラン黒人ブルースマン達が、全盛期とは比較にならないほど寂しい演奏を聞かせていながら、それを「オリジナル」というだけで満足している事のほうがよほど問題なんじゃないかと思ってしまう。」

追記

クラプトンは別に好きじゃないけれど、解説の文章に惹かれたので書こうとおもう。

岡本太郎のどこが凄いって、いろいろあるけれど、今ここで書くならば、死ぬ前の作品が一番「激しい」ということだと思う。「全盛期」なんて言葉を寄せ付けないくらい前に前に進みつづけた人だ。

ジャンルとしてのブルースとかロックに憧れている人はたくさんいるけれど、「そこにあるものを乗り越えて進んでいく」という姿勢がなければ本当にただただ形骸化していく。

2009.10.29

Dan Penn あるいは、断片。

10 30, 2009 | 戯れ言2009 

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Dan Pennあるいは、断片。

Dan Penn のライブ盤を聴いている。

断片・1

the dark end of the street(dan penn)という曲は僕にとって忘れられない曲になるだろうと思う。dan penn本人ではなく「ザ・コミットメンツ」という映画でアンドリューストロングが歌っていたのを聴いて僕は何度も泣いた。19才の僕は夜中に一人でビデオをデッキに突っ込んで、ヘッドフォンで聴きながら何度も泣いた。アンドリューストロングの歌う顔はものすごく汚いけれど、こうやって歌っていいんだ、何もキレイに歌う必要はないじゃないかと思ったし、こういう表情でしか歌えない歌があるんだと思った。

断片・2

例えば、僕がこの曲をカバーしたとして、周りからどんな評価を得たとしても、あの時の思いいれがあるから、自分の中では、いつまでも「あの歌」は越えられないんだろうと思う。

2009.10.29

「アウラ」のこと。

10 30, 2009 | 戯れ言2009 

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今日もまた書くことが見当たらない。じゃ、書くなといわれてしまいそうだけれど、何か書くべきことがあってそれを書き記すのはやっぱりメモでしかなくて、僕がやりたいのは、メモではなくて書きながら何かを生み出すことだ、と前にも書いた。ライブというのが僕にとって発表会じゃない、ということも書いた。

「アウラ」という言葉がある。「崇高な」とか「一回きりの」とか「不気味な」とかいう意味らしい。僕がライブと呼ぶのはこの「アウラ」というものらしい(崇高なは余計だが)。その舞台でしか生み出せない何かを生み出すこと、もう二度と同じことはできないし、やるつもりもない、という姿勢で観衆の前に立つこと。

「用意されていたものを、ただなぞっていく」ようなもの、「練習の成果を見せる」とかいうものはやっぱり発表会でしかない。いろいろな意味でその用意していたものを(自分自身で)裏切っていくこと、もしくは予定などなにもなく、ただただ流れに身を任せることが僕にとってのライブであるらしい。

だから、ライブの告知で、「どうなるか自分でもわかりません」と僕は書くことにしている。まるっきり失敗するかもしれないし、何か今まで出てきたことのないようなものが出てくるかもしれない。どうなるかはわからないけれど、とにかく真っ暗闇に手を差し出すしかないじゃありませんか、と。

ソニーロリンズの「サキソフォンコロッサス」の特に一曲目なんかは「一回性」の極みだ、というように言われるけれど、聴けば納得できるところがある。彼に同じ演奏を求めたところで、彼はもう二度と同じようになんて吹けないだろうし、そうするつもりもないだろう。

2009.10.29

追記

最近の音楽はほとんど重ね録りばかりで、「一回性」なんてものは微塵も感じられない。だから、その音楽、演奏が持つはずの独特の「動き」がない。

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