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2014.3.19 627 『自分自身の言語においてよそ者のようであること』

03 19, 2014 | 日記2014

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・そのままの声で。身体のまま。

・BSで放送していたディランのライブは、「1」とタイトルがついていて、んじゃ、「2」もあるだろうと思いながら、観ていなくて、さっきちらっとみたら、みうらじゅんが出てきて、そのライブは92年のライブだったらしく、はじめに演奏したのが誰なのか知らないけど「ライク・ア・ローリング・ストーン」を演奏していて、コーラスの女の人(途中からメインでうたう)の顔があまりにこわくて(目が飛び出しそうだし、声がやたらでかい)驚きながら、なるほど、ディラン本人は最後の方に出てくるのか? と思った。次は? と思ったらスティービー・ワンダーで驚く。「風に吹かれて」。次は? と思ったらルー・リード。うおっ。と思いながら、移動して、これを書いている。だから、まだルー・リードは聴いていない。

・今日の付箋。ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ「カフカ マイナー文学のために」より。

【偉大で、革命的なのは、マイナーなものだけである。大作家たちのすべての文学を憎むこと。召使と使用人に対するカフカの傾注(プルーストにおいても召使と彼らのことばづかいに対する同様の傾注がある)。もっと興味があるのは、彼に固有の言語が独自なものであり、それが主要な言語であるか、かつてそうであったと仮定して、その言語についてマイナーな使用をする可能性である。自分の言語のなかで異邦人のようであるというのが、カフカの「偉大な水泳選手」の状況である。】「マイナー文学とは何か」p.48

【(原注)「偉大な水泳選手(小説題)」は、おそらくカフカの最も《ベケット的な》テクストのひとつである。《何よりもまず私は、自分がここでは自分の祖国にいるわけではなく、大いに努力したにもかかわらず、ここで話されていることを一語も理解できないということをはっきり申し上げておかねばなりません。》】「マイナー文学とは何か」原注p52

——————

とここまで書いて、【偉大で、革命的なのは、】ではじまる文章(元の文章)を、別の人が、その人個人のブログ内で訳した(のだろう)文章を見つけた。それを、勝手に貼ってみる。

【"Il n'y a de grand, et de révolutionnaire, que le mineur. Haïr toute littérature de maîtres. (...) Mais, ce qui est intéressant encore, c'est la possibilité de faire de sa propre langue, à supposer qu'elle soit unique, qu'elle soit une langue majeure ou l'ait été, un usage mineur. Être dans sa propre langue comme un étranger"
Gilles Deleuze/Félix Guattari "Kafka", Les éditions de minuit, 1975, p.48

(偉大で革新的なのはマイナーなものだけだ。巨匠の文学くそくらえ。特殊な言語であれ、メジャーなあるいはかつてメジャーだった言語であれ、自分自身の言語をマイナーなやり方で使用することができるかどうかが関心事なのだ。自分自身の言語においてよそ者のようであること)】

・こっちの方ががつっとくる。

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