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2014.1.4 556 『シーシュポスの笑み』

01 04, 2014 | 日記2014

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・矢内原伊作『ジャコメッティ』に「シジュホス」という言葉が出てきて。バラバラなカケラが繋がった。十年ほど前に読んでいたカミュ『シーシュポスの神話』を思い出した。シジュホスは、カミュの『シーシュポスの神話』のシーシュポス。矢内原はジャコメッティの創作に向かう姿勢をシーシュポスと重ねている。

・そこから何が繋がったか。というと、「歩いても歩いても」という曲はその世界だったんだ、と気づく。この曲がどういう意味として捉えられていようが興味がないけど、ぼくの書きたかったことは、「シーシュポスの笑み」だった。のだ。と気づいた。

・それで、「歩いても歩いても」という曲に、自分でつくった曲ながらずっと違和感を感じていて、それは「から」という言葉。「歩いても歩いても届かない場所があるから」の「あるから」が間違っている、というか、「から」ではないのであって、「から」もなにもなく、ただ「歩く」。けれど、それを今更変えるより、別のこれから生むだろう作品で書けばいい。ということにしよう。

・と書いておきながら。シーシュポスとジャコメッティは違うのではないか、とも思う。ジャコメッティはいつまでも途上にいる。ずっと頂上に至らない(岩が転がらずにすむ一点があるのだと信じている、あるいは信じていない。信じると同時に信じていない。信じていないと同時に信じている。同じレベルで)。シーシュポスは頂上を何度も経験している。何度も頂上に辿り着き、そこから何度も転げ落ちる。「終わりがない」というところは共通しているだろうか。

・多分。ジャコメッティは「あきらめるに足る可能性を汲み尽くしきれていない」と考えている。

・「出来る! と叫ぶことより、出来ない! と叫ぶいうことのほうが実はずっと難しい」。というようなことをいつか書いた。誰かの言葉の引用だったかどうか、忘れてしまったが。「出来ない」という言葉を発するためには「『出来る』可能性が全て否定され尽くすまで試さなければならない」のだから。出来ない、という言葉を発するのは簡単なことだと思われているかもしれないけど、逆だ。「出来ない!」と叫ぶためには出来る可能性を試し尽くさなければならないのだから。

・今日も青谷明日香『異端児の城』を聴いている。

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