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2013.9.15 445 『フェイスブックに溢れているのはほとんど全て』

09 15, 2013 | 日記2013

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・もう既に眠い。

・今日はセリ田の代かきをして、畔のわきに波板を設置する作業。土砂降りの中。

・少しずつ、棚やらを自作しながら、部屋の掃除。本棚の隣にCDのラックを作ろうとおもって、手元にあった木材で、笑点をみながら作業。メシをたべて、音楽も聴かず、テレビもつけず、切った材料を紙ヤスリで磨く。虫の音。ヤスリと木材の擦れる音。音楽もいらない。映像もいらない。ただ、ひたすらに何かの作業をしている、というそういう時にしかやってこない何かがある。そういう時間が必要。BGMにもくだらないテレビにも邪魔されず、「しん」とした時間。


・写真のことについて考えている。焦点のこと。大体の写真は「とろう」という対象があって、それにむけてピントが合わせられるのだけど、、、。と書いて、書こうとしていることをうまく自分でも掴めていない。

 どこにも焦点を合わせることが出来ず、その写真のどこからも「意図」というものを感じられない写真。そういうものに今興味がある。

 誰かを写そう。場所を写そう。etc、、、。フェイスブックに溢れているのはほとんど全て、何かに向けて焦点が設定されている写真で、それはもちろん、共有するためのものだからそういうものになるのは仕方ない。ぼくが思っているのは「写真をとる」ということの根っこに関わることと思う。それをいますぐに誰かと共有できる言葉にすることは出来ない。


・と書いたけど、実はそういう写真を撮る人の写真をたまにみている。というか、その人の写真をみて、そういうことを考えた。その人の写真には対象と呼べるもの、シャッターを押す人間の「意図」のようなもの、が感じられず、人が何気なく歩いている時に、ふと何かに焦点を合わせる、その一歩手前の景色、というかそういうものが写っている。そのことがぼくにはとてもおもしろい。

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2 Comments

写真の焦点。深いなあ。
ポストカードにして売ったことあるけど、撮った人と買う人で【その瞬間】にギャップが生まれて、売れる写真、売れない写真がてんでバラバラ。という経験を思い出した。

by ささ | 09 16, 2013 - URL [ edit ]

売れる、売れないはどうでもいいんだけど、そもそも写真というのが、なんで「焦点の定まったもの」なのだろう? という疑問があります。けど、あまりうまく言葉にできない。

「とろう」とおもったものを写すのが写真なのだろうけど、そうじゃなしに、「とろう」感のない写真というのはどういうんものだろう? という風におもう。

たとえば、「落書きをして」といわれたときに、本当の意味での「落書き」ができるか、という難しさ。とか。

それに似て、「とろうとせずにとってみて」といわれたら、人はどういう写真をとるのだろう? と思うのです。

そういうのが実は一番難しくて、そして、何よりその難しさが一番周りの人に伝わらない。

ま、いいや。
そのうち呑みにでもいこう。

by 春伸 | 09 18, 2013 - URL [ edit ]

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