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2013.9.11 441 『落語にとって「自分」というのは何か?』

09 12, 2013 | 日記2013

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・「わたしは真悟」に続いて「漂流教室」を読んだ。書いた時期もあるかもしれないけど、自分に残るのは「わたしは真悟」。何故か? を説明できるほど、ぼくには言葉がない。他に何冊か楳図かずおを買っているので、次はそれを読む。

・今日は落語の手伝いをしたけど、落語にとって「自分」というのは何か? 型と呼べるものがあって、それからはみ出した所に現れるのが「自分」なのか。どうか。元にある台詞をそのまま口に出すだけでは「笑い」はうまれない。受け継がれてきたものと、それを通す「自分」の身体の問題。

・今日は打ち上げで酒を呑んだので、よくわからないまま書いているけど、ここで書こうとしていることは、重要かもしれないという感じはあって、でも、酔っているので、それが言葉にならない。

・何にせよ、権威的になったものはつまらない。というか、権威に憧れている人間が、それを手にしたときにやる表現の空っぽさ、はひどい。まわりがもてはやすからたちが悪い。「お前つまんないよ」という人間がいない、というのはつまらない。

・誤解されるとわるいので書くけど、今日の落語の人はそういう人ではない。違う。ただ、そういうものに触発されて感じた、ことを書いている。だけ。

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