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2013.6.11 344 『世の中のことは、たいてい便宜的なことだけど、小説は便宜的なものではない』

06 11, 2013 | 日記2013

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・過去の付箋。『田中小実昌 エッセイコレクション5 コトバ(ちくま文庫)』より。

【小説でも雑文でも、ぼくは題名をつけないで、編集者にわたす。ニホンの作家の九割以上は、題名ができてから、小説を書きだすという。そういった作家たちは、題名はたいへんにだいじなことだろう。だいたい、なにを書くかきまってないで、小説を書きだす作家はいないようだ。つまり、ほとんどの作家はテーマをもって書いている。

 (略)でも、題名がないと、他の作品と区別がつかないで混乱する、と編集者たちは言う。だけど、そんな便宜的なことで、題名をつけられてはたまらない。世の中のことは、たいてい便宜的なことだけど、小説は便宜的なものではない。どうして、小説に題名がなければいけないのか、ぼくはごく素朴な疑問をずっともっていた。しかし、だれもそれにこたえてくれない。

 絵も題名があるのが、もとはふつうだった。しかし、いまは題名がない絵はいくらでもある。ほかと区別するためだったら、無意味な記号をつければいい。題名が意味をもつのが、ぼくはきらいなのだ。たいていぼくは意味のない小説を書いている。そんな小説に意味ありげな題名がつくなんて、くりかえすが、たいへんにじゃまになる。

 題名だけを見ないで、書いたもののはじめからしまいまで、とにかく目をとおしてほしい。そしたら、ああ、これは題名なんかいらないものだな、とわかるだろう。絵は絵であって、その絵がなにを意味しているのか、なんてことは、だれもおもわない。そんな絵にへたな題名をつけると、じゃまになるのだ。小説も題名がないのがふつう、というときがかならずやってくる。だって、ぼくみたいな小説書きは、ニホン以外にはたくさんいるはずだ】 「題名はない」 p47,48より。


【ぼくはニホンで生まれ、ニホンで育った。だから、ニホンのことはわからない、と言えば、けげんにおもう方があるかもしれないが、じつはそんなものなのだ。ニホンについて、はっきり定義したり、すらすらこたえられる人は、ニホンを客観化し対象として、自分の外に見ている、つまり外人だろう】 「わからなくなるたのしみ」 p52より。


・キュウリの一番果を収穫した。ついで、といって、二番果も。少し小さいうちに収穫するということらしい。ゴーヤはまだ花が咲かない。

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