2018.5.20 1325 『言葉が「音」ではなく「うた」になる』

05 20, 2018 | 日記2018

0

自分は言葉の人、とおもう、音楽よりも。

うたとしての言葉、は、心を伝えるというより、光景を現前させるもので、そこに起こるのは書いた「私」のではなく、うたをうけとるがわそれぞれの、あるいは遠く名前もしらないだれかの身体の動きや、その目に映るもの。だからこそ、うたとしての言葉は人のなかに刻まれる、光景として。

ただただ心情を吐露するようなものは、「私」から誰かへのメッセージにはなっても、人の内部に光景を起こさせない。これはとても重要なこと、と、こうして書きながらおもう。

うたうもの、聴くもの、お互いが意味としてあつかえない言葉(例えば英語)でうたわれれば、それは純粋に音であって、光景を現前させるようなものとしては機能しない。もちろんそれも音楽のひとつだけれど、うたはそれだけでない。

英語ができるわけでもないのに、どうしても日本語で曲をかけない、書き方がわからない、から英語で書く、という時期はどうやら乗りこえたようで、これからは音楽に、より言葉がはいっていく。言葉が「音」ではなく「うた」になるのだ。それは、うたによって可能なことが広がるということではないか。

言葉を音で包んだもの、うた。そして、それらを世界と出会わせるのは、声。それぞれをもっと先へ。

« 今宵のライブ。 2018.5.17. 1324 『叫ばずに』 »

0 Comments

管理者にだけ表示を許可する
0 Trackbacks


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

RSS
プロフィール

harunobiwonder

Author:harunobiwonder
松沢春伸の日記

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ