2017.1.29 1311 『そこに在った「動き」』

01 30, 2017 | 日記2017

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 Bar Tarjiの二人と、リー・テソンと蠣崎未来、の二組を通してほぼ同時期に知ることになった、優河のCD「tabiji」をずっと聴いている、車のデッキにいれているので、車での移動時はとにかくずっと聴いている、その声なのか、曲のつくりなのか、言葉の充てられていない部分の(母音による)メロディーがその曲において「補」でなく「主」になるような部分なのか、何かがこちらの記憶をつついてダイアン・バーチが思い出る、「思い出す」というより「思い出る」、それと共にダイアン・バーチ(ファーストアルバム)を聴いていた何年も前の記憶、

 映像記憶というものは、言葉より、音楽との方が結びつきが強いのだろうか、脳のそれらを管理する場所が近い云々、そんなことはわからないが、音楽と映像記憶は強く結びついていて、音楽を聴くとそれを聴いていた頃の映像がやってくる、

 エイモス・リーのセカンドアルバムを聴けば、当時同棲していた女性が住んでいたマンションで小火を起こして内装のリフォームが終るまで、近くに住んでいた彼女の弟の部屋に二人で居候することになったその部屋の間取りや、ドキドキしながらビニールを取りCDを入れたデッキの形状や、居づらくなって一人引っ越した先のマンションの台所から出てきたゴキブリの、

 メイシオ・パーカーのライブ盤を聴けば、働いていた居酒屋の忙しなさ(客が混んでバタバタしてくると気持ちを盛り上げるためによくこのCDをかけた)、冷蔵庫から冷えたジョッキをとってビールを注ぐ、その目の前にある棚にある酒のボトル、客のテーブルの上に乗っている酒や料理や客の笑い顔、服装、いろんなものにフォーカスできる、

 それは固定された写真的映像というよりは、そこに在った「動き」として思い出る、優河のことを書こうとしていたのだけれど、またいずれ。

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