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2016.3.8 1270 『「何もないことの眩暈」より』

03 09, 2016 | 日記2016

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・今日のコトバ、岡本太郎「沖縄文化論」、二章「何もないことの眩暈」より。

【しかし、琉球列島のどん尻まで来て、いよいよ何もないということを見きわめたとたんに、私の心は一つ大きく跳躍した。かなり以前から、私はこれを確かめる瞬間を待っていたのかもしれない。

 この無さは戦争とか津波とかいうアクシデントとは関係ない。もっと本質的な問題であり、この何もないところに、実は沖縄文化論のポイントがあるのではないか。とかく見失われる文化論の盲点がそこにのぞいている。

 ぶつかってくるものがないとはいった。しかしこの旅行をとおして、いつも奥深くひびいてくる手ごたえはあった。第一に、石垣。どこへ行っても住居を囲んで、島じゅうにめぐらされている。ごつごつした珊瑚礁の石を不細工に積みあげ、烈々と白い日ざしの下でそれは重く、けわしい。夕陽をうけると、異様に軽く、人肌のやさしさを想わせる。強烈な印象だ。

またハダシ。道を歩いている人たちの裸足はひどく魅力的だ。大地に生き、永劫に切りはなされない人間の運命。しなやかで、逞しいくるぶしだ。生命のひびきが大地とじかに通いあう。牛の皮だとかゴムなんてものでそれを遮断してしまい、そこから人間の誇るべき文化や文明が出発するなんて、公式文化論、どう考えても面白くない。】p.62,63


【——人間、石垣、籠、舟と区別なく並べたてたが、決して奇妙ではない。すべてがこの天地に息づく実存の多面性としてある。同価値であり、同質のエキスプレッションである。

 これらすべては美しい。意識された美、美のための美では勿論ない。生活の必要からのギリギリのライン。つまりそれ以上でもなければ以下でもない必然の中で、繰りかえし繰りかえされ、浮かび出たものである。

 特定な作者、だれが創った、はない。島全体が、歴史が結晶して、形づくったのだ。】p.64

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