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2015.2.16 991 『身体に刻まれた「身体性としての訛り」』

02 17, 2015 | 日記2015

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・どこに行っても大手企業の店舗が街の色を奪っていて、いったい今自分はどこにいるのだろう、と思うことがある。土地に根付くものを剥ぎ取って。人間だって、土地のものであって。棟方志功のいう青森は今も青森なのだろうか。

 その土地に生まれなければ育つことのない感覚がその人の仕事(芸術)の舵取りをしていく、というようなことが、どの土地をも画一化しようとする現代でも起こるだろうか。

 あえて言葉にすれば、「訛り」のようなものだろうか。言葉の訛り、というだけでなく、身体に刻まれた「身体性としての訛り」のようなもの。その土地で生れ、育ったからこそ、その身体に宿る何か。訛り。訛りを排除しようとする流れからは何も生まれない、ように思う。


・棟方志功記念館で流れていた映像「彫る——棟方志功の世界」で彼が話した内容を書き起して印刷した紙をもらってきた。その中から。

【青森ってとこは、みんなこう、暗くって寂しくって、なんだかこう、憂鬱なように、みんな日本全体の人がそう思っているけれども、そうじゃない。ねぇ。こう、非常にねちっこいっていうか、ねっとりしてるっていうか、、、。ねぇ。女の肌でいえばもち肌っていうような感じで、なんともいえない、例えることの出来ない、妙〜な、美しいものがこもってるところですよ。青森ってのはねぇ。】棟方志功

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