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2018.5.20 1325 『言葉が「音」ではなく「うた」になる』

05 20, 2018 | 日記2018

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自分は言葉の人、とおもう、音楽よりも。

うたとしての言葉、は、心を伝えるというより、光景を現前させるもので、そこに起こるのは書いた「私」のではなく、うたをうけとるがわそれぞれの、あるいは遠く名前もしらないだれかの身体の動きや、その目に映るもの。だからこそ、うたとしての言葉は人のなかに刻まれる、光景として。

ただただ心情を吐露するようなものは、「私」から誰かへのメッセージにはなっても、人の内部に光景を起こさせない。これはとても重要なこと、と、こうして書きながらおもう。

うたうもの、聴くもの、お互いが意味としてあつかえない言葉(例えば英語)でうたわれれば、それは純粋に音であって、光景を現前させるようなものとしては機能しない。もちろんそれも音楽のひとつだけれど、うたはそれだけでない。

英語ができるわけでもないのに、どうしても日本語で曲をかけない、書き方がわからない、から英語で書く、という時期はどうやら乗りこえたようで、これからは音楽に、より言葉がはいっていく。言葉が「音」ではなく「うた」になるのだ。それは、うたによって可能なことが広がるということではないか。

言葉を音で包んだもの、うた。そして、それらを世界と出会わせるのは、声。それぞれをもっと先へ。
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2018.5.17. 1324 『叫ばずに』

05 17, 2018 | 日記2018

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・人間の。人間と金との。サイクルの回る。ひと回りそのたびに。言葉をもたない木だけ。木だけが傷負って。するする回る輪のなかで。傷の癒えず死んでいく木。 叫ばずに。

・対象への期待のもてない怒りはたいへん。ひょい、と別の場所で別の価値をつくるほうがいい。

2018.5.2 1323 『樹木覚書 ・1』

05 02, 2018 | 日記2018

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・「剪定」とは、樹木の枝葉の量を人為的に管理し、光合成による糖の生産量を減らすことで、生長をコントロールする行為で、基本的なベクトルとして「抑制」であり、「抑制」でしかない。つまり、剪定する人間は、樹木の生長の流れを「増長」に向かわせることはできず、その流れを「抑制」せざるを得ない、その上で、せめて樹木が本来もっている自然樹形の美しさを失うことなく「健康」に育ってほしいと願う、そのための補助しかできない。生長を全く阻害されず、本来のありのままの姿で生きられるよう願うのであれば、その木は人の声の届かない場所に植えられるべきである。

・「剪定」とは、樹木にとっての外科手術であり、人間における手術も、患者の体調不良時には受けることが出来ない、と同じで、手術に耐えうる状態であるか、時期や方法は適切か、等、リスクを最小に抑えるために、それぞれの場面における最善手を選び出すこと、そのための知識と技術を得ることが必要なのは当然で、それらを持っていない人間に誰が自分の手術を任せるだろう?

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松沢春伸の日記

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