2016.3.30 1292 『ビジネスでもやればいい』

03 31, 2016 | 日記2016

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・受け手(ライブでいえば聴く人たち)が、どのようなものを求めていて、こちらがどのように提示すれば、受け手が満足するだろう? ということを考えることができて、しかもそれを実践することができて、自分自身もそのことに満足することができる、というような種類の人たちは表現じゃなくて、ビジネスでもやればいいのに、と。

・客のニーズに応えることこそがプロだ、というのであれば、芸術はそうではないのだから、

・ニーズだなんて卑しいものでなく、もっと大きな開かれ方をし、もっと大きな何かと対峙し、もっと大きな何かを支えている。

2016.3.29 1291 『去勢』

03 29, 2016 | 日記2016

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・「庭木というのは去勢されるもの」だ、というあたりまえのことを、今日ふと実感した。

・野、山林にある木々は、花を咲かせ、タネをつくり、その種(しゅ)を繋いでいくものだけれど(樹木に限らず生物の目的なのだろう)、庭木として植えられたものは、タネをつくらせないことを前提として剪定される、花を咲かせタネをつくることは樹木にとって、一番力を使う、だから樹勢を弱らせないために、タネをつくる前にそれを摘む。

・あたりまえのことを、今になって実感する、その仕事を、

2016.3.28 1290 『楽譜に起こされた音はもはや「高田渉」ではない』

03 29, 2016 | 日記2016

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・高田渉「系図」を聴く、というのは高田渉という身体を聴く、個性というものは、やはり身体に宿る、身体性。

・CDの音と一緒に口ずさもうとしても、それが出来ない、彼が弾くギターはリズムがあって、それに彼自身の歌が乗せられるわけだけれど、その「歌」のもつリズムがあまりに彼の身体の持つリズムに依っているから、こちらはそれに乗せられない、

・彼の有名な曲に関しては、数多くのカバーがある、が、それは曲から彼の身体性を引き算して、誰にでも演奏できるように楽譜に起こした結果であって、楽譜に起こされた音はもはや「高田渉」ではない。

・このあいだ彼のドキュメント映画「タカダワタル的ゼロ」を観たが、その中でも、他の演者が彼と一緒に歌ったりするのだけれど、誰も彼と一緒には歌えていなかった。

・おもしろいなあ、高田渉。

2016.3.27 1289 『龍』

03 28, 2016 | 日記2016

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・鳥の群れが龍だった。龍は見たことないけれど。あれは龍だ。

・初めてみた。何百メートルもの鳥の連なり。あれは雀なのだろうか。龍です。興奮した。あんなライブがしたい。「あんなライブがしたい」なんて意味が分からない。でもあんなライブがしたいなあ。龍みたいなやつ。

2016.3.26 1287 『「スーダラ節」が止まらない』

03 28, 2016 | 日記2016

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・クレイジーキャッツが凄い、もう「スーダラ節」が止まらない、涙が止まらないとか、痒みが治まらない、とかそういう意味での「止まらない」で、車の中でも、家でも、仕事中も、ずっと歌っている、頭の中でも植木等がずっと「スイスイスーダララッタ」と歌っていて、大勢の人前でも気を抜くと大声で歌ってしまいそうになって、それとたたかっている、

2016.3.25 1286 『こういうことを書くとカフカが』

03 28, 2016 | 日記2016

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・最近よく夢をみるが、夢は尿意と関係ある、という予想。

・昨日の記事のこと、はじめは自分の手慰みのように始まった何かも、外の評価に触れて徐々に目的が変化することはある、そういうつまらなさもよく見てきた、そうではなくはじめから目的が外にあるというか、外の評価にある人間もいるが、それに関してはもうどうでもいい、

 もちろん、外からの評価に晒させることも必要だけれど、とにかく自分の歩みを進める、深める。


・こういうことを書くとカフカがきょうだいに自分の書いたものを笑いながら読み聞かせをしていた、その光景が浮かんで、いいなあ、と思う。

2016.3.24 1285 『ニーズには応えない』

03 25, 2016 | 日記2016

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・表現をする上で、数に惑わされない、という場所にいるとき、自分を評価してくれる、千人と、誰か一人(憧れの人とでもいえばいいのか)は「等」ではない。その誰か一人の「よし」のコトバの方が、千に勝る。

・ニーズには応えない。

2016.3.23 1284 『わたしは何を知っているだろう』

03 23, 2016 | 日記2016

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・「草も腐ればいずれ土になる」例えばそんなことを、知識としてではなく、その経過を「見る」体験として身体がわかっていること、「知る」をコトバでなく、「身体」を通して知ること、その差が生むものは大きい、

・頂いたシングルモルトウイスキーを呑みながらこうして書いて「わたしは何を知っているだろう」と思う。

2016.3.22 1283 『今でもそいつが嫌いだ』

03 23, 2016 | 日記2016

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・最近よく夢をみる、今になれば思い出せない、壮大なものが多い気がする、夢日記でも書こう、

・夢といえば、子供の頃よく同じ夢を見た、その一つは、両親が戦争にいく夢で、ぼくの目はその戦いを遠くから眺めていて、目の前に側溝のような、小さな川のような流れがあって、そこに血が流れてくる、

 ある日、近所の床屋のおやじが、家に呑みにきていて(実家は新興住宅地で引っ越したばかりだったから、いろんな人が家に飲みにきたりしていたのだと思う)、その場で、ぼくはこんな悲しい夢をみた、と泣き出してしまった、酔った床屋のおやじは笑って、意に介さず、エロ話を始めたから、大人のその感じに吐き気がして、そいつのことが嫌いになって、今でもそいつが嫌いだ。

2016.3.21 1282 『再読。「わたしは真悟」』 

03 22, 2016 | 日記2016

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・楳図かずお「わたしは真悟」を再読、ひたすら感動している、けれど、「感動」というコトバではこの身体に起こった何か、その感じは全く表せていないのもよくよくわかっている、全く、コトバは追いついてくれない、いや、コトバを駆使できないワタシの技の無さ、

 「夜に一人、家から裸足で駆け出して、行き交う車の往来の中で踊り出したい気持ち」と書けば、この感情の異常な高ぶりが少しは伝わるだろうか、

2016.3.20 1281 『ツァ』

03 22, 2016 | 日記2016

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・昨日本屋で文芸誌(そんなもの買ったことがないけれど、どうしても読みたいものがあったので)と、漫画を二冊と、それから佐々木中が翻訳をしたニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」が出ていたのを知ったので、買う、同じタイトルの本を訳者の違いで何冊も読むというのは、ツァラトゥストラくらいか。

・と、こんなに短い文章を書くのに十分近くもかかってしまったのは、「ツァ」の出し方を忘れて、始まりが「T」なのか「C」なのか、三文字必要なのはわかっているが、二文字目は何なのか、わけがわからなくなったからで、「ツァ」が出てワッと喜んだら、今度は「トゥ」がわからない。

2016.3.19 1281 『本屋に歩く道で、』

03 22, 2016 | 日記2016

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・本屋に歩く道で、前を歩くおばあさんの2人組が通り沿いの店に並ぶ骨董品をガラス越しに眺めながら、「これ鑑定団さ出したら高い値段つぐのんねべが〜」といいながら通りを左に入っていく、鑑定団からはじまる病、なんでも金に換算してしまうような、これは一つの現代病かしら、「モノ」そのものや、その仕事をした「人」への敬意や愛なしに、単純に「モノ」=「金」の場所でしか見ることのできない素人がテレビに出ておおこけするのを見るのは、ばかばかしくておもしろいけれど、と書くぼくも毒されているのでしょう、

2016.3.18 1280 『こちらを眺めた茶トラの猫が』

03 20, 2016 | 日記2016

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・暖冬のせいか、今年は草の成長がはやい、成長が早いというより、活動を開始する時期が早まった、というのか、路肩のモクレンの蕾もだいぶ膨らんできたようだ、

・河原にいってギターを弾く、歌に反応して立ち止まり、こちらを眺めた茶トラの猫が車の脇を通り過ぎていった、

2016.3.17 1279 『マンサクやサンシュユの黄色』

03 20, 2016 | 日記2016

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・マンサクやサンシュユの黄色、があちこちで咲く、たくさん色の咲く季節が始まる、

2016.3.16 1278 『梅のつぼみの白い膨らみ』

03 17, 2016 | 日記2016

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・梅のつぼみの白い膨らみ。

 階段に腰掛けて、さっき近くで観察した梅の木からグラウンドをはさんだ先にある柳の木に十数羽の雀が飛び渡るのを眺める、春の初めの光に照らされて、今年初のアイスコーヒーを飲みながら休憩をとる。

2016.3.15 1277 『心情を吐露することしかやっていない歌詞』

03 17, 2016 | 日記2016

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・静止画の連続なのか、カメラのアングル、ズーム、等含めたとり方なのか、歌詞についてといったのも、散文的なものなのか、詩的なものか、の違いはあるだろうと思うが…

・どちらにしても、心情を吐露することしかやっていない歌詞のようなものはもうどうでもいい。

2016.3.14 1276 『受け手の身体(視覚や聴覚)が実際に稼働するような』

03 17, 2016 | 日記2016

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・歌詞に関して、よく「映像が浮かぶ」「小説のようだ」というような評価の仕方があるけれど、その映像というのが、結婚式とかで流れるスライドショーのようなもの(静止画の連続)なのか、映画のカメラで捉えられた一つのシーンのように、身体の動きが伴うものなのか、というのは質が全く違う、

 まだ、うまくコトバに出来ないのだけれど、それは全く違う、後者のほうは、受け手の身体(視覚や聴覚)が実際に稼働するような、読み手のそんな動きを生むものだが、前者はただイメージが流れていくに過ぎない、受け手は自分の身体を稼働させることなく、ただテレビのバラエティー番組を見るのと似たような、目で追う、ということをしているだけ、

 まだ、コトバにならないな、

2016.3.13 1275 『三月場所が始まった』

03 15, 2016 | 日記2016

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・いつも、とってもここ一、二年、相撲が始まる数日前からすこしそわそわする、そして三月場所が始まった、野菜の丸ごと煮をつくり、ビールを呑みながら、秋瀬山が新入幕したことに驚いた、あのでろっとした身体、表情の変化の乏しいぼそぼそとしたインタビュー、それでも新入幕の初日に白星、照ノ富士は初日から栃ノ心という山場をこえ、琴奨菊は先場所から相撲への入りかたを持続できている感じ、白鵬から初めて勝った宝富士の、少しでも油断すると溢れ出そうな笑顔を必死でこらえている表情がよかった、

2016.3.12 1274 『小麦粉と片栗粉のブレンド』

03 15, 2016 | 日記2016

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・なんとなしに要らなくなったものを整理しようと掃除をし始めたら、車輪が回転し始めてしまって、結局一日かけて掃除をした、これでまた僕の服はほとんどなくなってしまった、必要十分なのだが、掃除おつかれさまの意味を込めて呑みにでることにして、いつもの居酒屋で鳥の唐揚げを初めて頼んだがこれが美味かった、鳥の唐揚げなんて飲み屋で注文したのはいつぶりだろうか、掃除のご褒美か、あの衣は小麦粉と片栗粉のブレンドでしょう、きっと。

2016.3.11 1273 『記号』

03 15, 2016 | 日記2016

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・いつだったか、その日起こったこと(以降も含めて)が、「3.11(サンテンイチイチ)」という記号に押し込められるのではないか、という記事を書いた、その流れはこれからますます強くなるのでしょう、パッケージングされ、持ち運びやすいものとしての記号化。ぼくらがやることは、その圧縮されたものの中から、個を立ち上がらせ書くことなのだろう、と思う。

2016.3.10 1272 『服など』

03 15, 2016 | 日記2016

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・服などほとんど買うこともない、作業用のものを買うくらいだ、去年の末にダウンジャケットを買った、ダウンジャケットが必要なくなる季節にちょうどいい服というものがない、脱いだらいきなりTシャツというのではあまりに寒い、春を飛ばしてしまっている、ということでシャツを注文したりする、バッグが荷物が増えて小さく感じてきていたので、バッグも買った。

2016.3.9 1271 『本は買わなかった』

03 10, 2016 | 日記2016

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・買いたい本があったわけでもない、本屋に入ろうとしたら、白鳥の声が聞こえたので、見上げたら、大きなV字が見えて、形を変えながら北へ向かう群れを、その動きに惑わされながら数えたら十六羽で、十六羽だ、と思う、本は買わなかった。

・身体を信じる、を、ますます思う、自分の身体がつまらないと感じるものにつきあっている時間はない、商業的に思考されたことなど切り捨てて、やりたいことをやる。

2016.3.8 1270 『「何もないことの眩暈」より』

03 09, 2016 | 日記2016

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・今日のコトバ、岡本太郎「沖縄文化論」、二章「何もないことの眩暈」より。

【しかし、琉球列島のどん尻まで来て、いよいよ何もないということを見きわめたとたんに、私の心は一つ大きく跳躍した。かなり以前から、私はこれを確かめる瞬間を待っていたのかもしれない。

 この無さは戦争とか津波とかいうアクシデントとは関係ない。もっと本質的な問題であり、この何もないところに、実は沖縄文化論のポイントがあるのではないか。とかく見失われる文化論の盲点がそこにのぞいている。

 ぶつかってくるものがないとはいった。しかしこの旅行をとおして、いつも奥深くひびいてくる手ごたえはあった。第一に、石垣。どこへ行っても住居を囲んで、島じゅうにめぐらされている。ごつごつした珊瑚礁の石を不細工に積みあげ、烈々と白い日ざしの下でそれは重く、けわしい。夕陽をうけると、異様に軽く、人肌のやさしさを想わせる。強烈な印象だ。

またハダシ。道を歩いている人たちの裸足はひどく魅力的だ。大地に生き、永劫に切りはなされない人間の運命。しなやかで、逞しいくるぶしだ。生命のひびきが大地とじかに通いあう。牛の皮だとかゴムなんてものでそれを遮断してしまい、そこから人間の誇るべき文化や文明が出発するなんて、公式文化論、どう考えても面白くない。】p.62,63


【——人間、石垣、籠、舟と区別なく並べたてたが、決して奇妙ではない。すべてがこの天地に息づく実存の多面性としてある。同価値であり、同質のエキスプレッションである。

 これらすべては美しい。意識された美、美のための美では勿論ない。生活の必要からのギリギリのライン。つまりそれ以上でもなければ以下でもない必然の中で、繰りかえし繰りかえされ、浮かび出たものである。

 特定な作者、だれが創った、はない。島全体が、歴史が結晶して、形づくったのだ。】p.64

2016.3.7 1269 『岡本太郎と保坂和志の書くもの』

03 09, 2016 | 日記2016

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・整形外科の待ち時間に、読みかけたままにしていた岡本太郎「沖縄文化論」を読む、テレビの音に邪魔されないように、片耳イヤフォンでデレクベイリーを聴きながら、付箋の数が凄い、

・肉声を伴うものではない、印刷された文字の連なりから、読む側に起こるこの感情、感動、一体なんなのだろう、綺麗な文章、巧い文章、それらは腐る程あるのでしょうけれど、読み手の「行為」を起こす文章、読み手に思考させ、行為させ、このすぐにはコトバにならない感情をうむ、という点で、岡本太郎と保坂和志の書くものは似ている。

2016.3.6 1268 『店の片隅の暗がりの小さな灯りの照らす椅子に腰掛けてポロポロと歌う』

03 07, 2016 | 日記2016

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・これは明らかに浅川マキに影響されているというか、「浅川マキ」というコトバから喚起されるイメージに引っ張られた結果だろうけれど、

「店の片隅の暗がりの小さな灯りの照らす椅子に腰掛けてポロポロと歌う」というようなライブがしたい。声を張り上げて、こちらの何かを刻もうと切りかかるようなヒリヒリとしたライブではなく、ポロポロ溢れるライブがしたいのだ、今。

2016.3.5 1267 『何日も洗っていない自分の足の匂いを嗅いで』

03 07, 2016 | 日記2016

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・二日酔いにて、午前中をだらだらとやり過ごし、午後はチェーンソーの講習会にいく、でたらめな手入れを何度するより、きちんと理論立てて説明されたことを実践したほうが、こと道具の手入れに関しては、いい、ことを思い知る、コトバをこえたものに関しては、いくらコトバを尽くしても説明はできないが。

・録画していた探偵ナイトスクープの、何日も洗っていない自分の足の匂いを嗅いで、子供の頃に通っていた、今は閉店してしまった近所の食堂のラーメンを思い出してもう一度食べたい、という依頼、その物語よりも、その嗅覚と記憶の繋がりのほうを考える。

2016.3.4 1266 『想像力を全く使わない作業なんて』

03 07, 2016 | 日記2016

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・サクランボの剪定作業をする、初めてのことだが、やり方を聞きながら。果樹の剪定のおもしろさは、なんといっても、実の成る様子を想像しながら、どのようにすれば日当りが良く、いい果実をつけてくれるだろう、などと考えることで、想像力を全く使わない作業なんて、少しもおもしろくない。

2016.3.3 1265 『動詞は極力使わない』

03 07, 2016 | 日記2016

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・数日の間、浅川マキの画像、イギリスのレーベルから発売されたCDのジャケットの、彼女のイメージが頭から離れなくて、そのイメージ(写真)から曲をつくろうと思っている、

 日本語の曲の書き方が、いまだにわからないが、ある程度コンセプトを決めてつくる、ことにすれば、それが一つの課題になるだろうし、つくった後には何か得るものがあるのではないか、

 例えば今回は、イメージを喚起させるコトバだけを使ってみる、「動詞は極力使わない」ということを課題にしてみる、どうなるかわからないが、ただやみくもに曲作りをすすめていくより、難しいぶん、楽しいし、身になる、なりそう、だ。

2016.3.2 1264 『作業中のメモ』

03 03, 2016 | 日記2016

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・作業中のメモ、その前の段階で何を考えていたのか忘れてしまったので、唐突。前の部分を思い出したいのだが、

【——それらは、世を動かしているのは、政治家だ、と考えている奴らの論理だ】

【——そして、国が良くならない限り、自分たちは幸せになれない、などと考えている奴らの論理】

2016.3.1 1263 『二日連続でトム・ハーディーの日』

03 03, 2016 | 日記2016

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・三月初めの日は、雪の降る、それが南風に流されて、かぶった菅笠を揺らす、竹製の安い菅笠に少しずつ雪が浸みて重くなる、「マッドマックス——怒りのデスロード」を見ながらビールを呑んで、二日連続でトム・ハーディーの日になった。

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