2016.2.28 1261 『書く歓び』

02 29, 2016 | 日記2016

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・作業中にふと降りてきたコトバ。音楽をする、歌を歌う、という行為は自分にとってどのようなものなのか? を、別のイメージによって語るとき、それはこんな感じかもしれない、と。

【今現在書いているものが、今後一切、誰にも読まれることがない、ことを知りながらも、何年も、何十年も小説を書き続けている——】

 という小説家の行為、姿が思い浮かんだ。

 しかも、読まれることがない、知られることがない、ということに一切ネガティブな要素が含まれないのだ、何故か? 彼には「書くこと自体の歓び」があるからだ、誰かに知られたり、評価されたり、そんなこと以前に、対象、対価がなくとも、「書く歓び」が彼に書くことを続けさせる、

2016.2.27 1260 『以前つくった曲を仕立て直す、というような作業をしている』

02 29, 2016 | 日記2016

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・以前つくった曲を仕立て直す、というような作業をしている、歌詞の大枠をそのままに手直し、メロディーや、リズムも同時に修正。

 これは家のリフォームに近い、柱はそのまま残しながらも補強し、その他の直せる部分をかえていく、その曲の持つ骨格とか、志向する方向そのものを変えてしまえば、それは別の曲になってしまう、何年か前の自分には備わっていなかった技術を駆使して、曲の強度を高めていく作業。

・そんな作業を経て、物置の隅に放置されていたような曲が、一曲ぼくの近くにきた。放置されたといっても、それは使いようがなくて不要になったということではなくて、その時の自分には手に余るものだった、ということで、つくったのは自分なのだけれど、そういうことはよくある、時間が経って、ようやく自分自身がそれを扱う技術を手に入れた、ということかもしれない。

2016.2.26 1259 『大江健人さんとメールのやり取りをしていて』

02 29, 2016 | 日記2016

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・大江健人さんとメールのやり取りをしていて、彼の二枚目のアルバムの音の録り方(どんな録音の方法だとあの空気感がでるのか、とかマイクとの距離とか)をきいたら、スタジオに自前のBOSSの小さなMTRを持ち込んで、そのMTR本体にについている小さなコンデンサーマイクで一発録音した(ベース等は後で重ねて、そのあとマスタリングで補正)、というなんとも潔いというか、思い切ったというか、なるほどそんな録り方の選択肢もあったか、と驚いてしまった。

 大体はコンデンサーマイクを何本か用意して、プリアンプだのなんだの、とレコーディングにはそれ相応の機材が必要になる、ということ、その考え自体がいかに刷り込みの入った考えか、と思わざるをえなくなる、おもしろい、

 あくまで、自分がどんな音を記録したいか、で、何をどのように使うのかは、いろいろな選択肢が在って、しかも、その選択肢の中に本来ならばはじかれてしまうものを入れ込んで、最終的にはそれが採用される、という、勉強になります。


・そもそも何故大江さんの音の感じが気になったといえば、トム・ウェイツのオーファンズの二枚目、ぼくが欲している音の感じに似ていたからだ。

2016.2.25 1258 『その空間をいかに使うか』

02 26, 2016 | 日記2016

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・朝、車の運転中に、昨夜のライブを経た身体から、出てきた考えは、「ライブというのは、何をどのように演奏するか? より、自分が置かれているその空間をいかに使うか」ということ、でメモをした、

・と書くと、いかにも役を演じる、ようなことになってしまいそうだけれど、いいたいことはそれではない、まだまとまらないが。

2016.2.24 1257 『Bar Tarjiにてライブ。大江健人さんと』

02 26, 2016 | 日記2016

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・朝は公園にて、ギターを弾いて、歌う、曲作りをかねて、夜のライブには間に合わないが、

・ようやく自分の声の出し方がわかってきた気がする。

・夜は山形七日町Bar Tarjiにてライブ。大江健人さんと。

2016.2.23 1256 『暗がりの河原』

02 24, 2016 | 日記2016

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・朝八時には温泉に入った、そのあと城趾の公園の駐車場でギターを昼まで弾きながら作曲する、散歩する人のこちらを見下ろす視線をたまに感じながらも、そんなこと気にしない、街に出てコーヒーを飲みながらニーナの自伝を読み、そのコトバに揺さぶられて、夕方また車で河原に向かってギターを弾き歌う、太陽の光が落ちて、目に入る情報が少なくなる、仕事帰りの車のライトの連なり、その灯りがそこに川の流れがあることを教えてくれる、そんな暗がりの河原で歌う、のが好きだ、一番歌が歌になる時間、自分の中に潜っていける時間、

2016.2.22 1255 『残らないコトバで』

02 24, 2016 | 日記2016

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・ギターを弾き、歌詞を書き、本を読む日々、

・一曲の歌詞、を作り続けている、何度も反古にし、実際には歌詞として残らないコトバでノートが埋まっていく、つくれ、つくれ、つくれ、

2016.2.21 1254 『綺麗さよ! 整然さよ! 爪の無さよ!』

02 22, 2016 | 日記2016

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・キレイだとか、まとまっている、整っている、とか、聴きやすい、とか、それらは必ずしも褒め言葉にはならない、どちらかというと、それらの在り方を嫌っている人間にとってそれらのコトバは遠ざけたいものだ、

・ブラインド・ゲイリー・デイヴィスの演奏は、上に書いた表現にはどれも当てはまらない、むしろ、その別の極にあるようなもの、だが、そんな音がぼくの身体には響く、彼のあとに流れた音楽たちの綺麗さよ! 整然さよ! 爪の無さよ!

2016.2.20 1253 『いや、引き搔かれる』

02 22, 2016 | 日記2016

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・Bar Tarjiに呑みにいって、かかっていた音に「これ誰です?」と思わずきいたそれは、Blind Gary Davisで、名前の通り盲目で、黒人のブルースで、その演奏を聴く、というか、聴く気がこちらになくとも身体がその音に反応してしまう、というような、久々の感覚、それほどブルースに明るくない僕でも、ある程度聴いているし、有名どころは一応自分で買って聴いてみるものの、身体に響くものはそれほど多くはなく、のめり込むこともできず、けれど、彼の演奏は引っ掛かる、いや、引き搔かれる。

2016.2.19 1252 『same light』

02 21, 2016 | 日記2016

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・When I saw
 the sun is shinin’
 on the river

 I feel
 in my mind
 same light
 is shinin’

・川に揺れる太陽

 同じ光が
 わたしの中で
 輝いている

2016.2.18 1251 『ニーナ・シモン「自伝」はこう始まる』

02 21, 2016 | 日記2016

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・ニーナ・シモン「自伝」はこう始まる。

【1855年、ノース・カロライナの山かげに隠れていたインディアンの一団と白人入植者との間で最後の撃ち合いが繰り広げられた。この戦いに勝った白人はインディアンの酋長を捕らえ、近くの木に首をつるして殺した。その酋長の名はスキューカという。この撃ち合いは語り草となり、いつしか「ラウンド・マウンテンの戦い」と呼ばれるようになった。

 インディアンの姿が消えると、今度は鉄道会社がやって来てこの山に単線を引いた。ランドラムという小さな町から六キロ半ほど登ったところに退避駅が作られ、下り列車はそこに停車して登ってくる列車を通過させた。やがて退避駅の脇には何軒かの家が建ち、外には鉄道労働者たちがここに滞在して寒さをしのぐようになった。こうして次第に町が形成されてくると、この場所を何という名で呼ぶかという話が持ち上がってきた。

 かつてこの地で処刑されたインディアンの酋長にちなんでスキューカにしようという声もあった。しかし老人たちが、木につるした男の名前で自分の町を呼ぶのを嫌がったため、町のかなたにそびえる山、トライオン・ピークから名をとって、トライオン・シティと呼ぶことになった。1891年にはシティをとって、ただのトライオンとなった。これが私の故郷である。】p.12


・「インディアンの姿が」——以降の、その場所に流れた時間の書き方に感動した。

2016.2.17 1250 『ニーナ・シモン「自伝」を』

02 21, 2016 | 日記2016

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・市場にセリを運んで、そのまま軽トラックでカフェ、ニーナ・シモン「自伝」を読み始める、共著なのでどこまでニーナによる文章なのかわからないのだけれど、想像していたよりずっと文章そのものがおもしろい。それから歌詞づくり。

2016.2.16 1254 『敬意』

02 16, 2016 | 日記2016

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・誰かを崇めながら、自分がやっていることは、そのレベルとは一線を画した、何段も下のものだ、と思いながら、そこに追いつきたい、などと考えること自体が、頭のおかしいことだ、と思うのが大体ですが、どうせやるのなら、その崇める対象を、神のような座におくことなく、同じ人間としてみる、ほうがよほど敬意を払っている態度のように思うのですが、

・あのトムウェイツでさえ、憧れのジョニーキャッシュに自分の曲をカバーされた時に、「もう死んでもいいと思った」といったのだから、しかも、それは九十年代後半のことで、トムウェイツは既に四十代半ばを過ぎている、

・憧れというのは、凄い、その歴然とした差を思い知らされながらも、それでも、やるほかないから、やる、その先にどんな自分が生まれるかなど知らない、やり続けるほかない。

・ジミヘンに憧れている人が、ジミヘンのドキュメントをみて、「ああ、やっぱりこの人だからあの場所にいけたんだ」と思うのは当たり前で、その前に、ジミヘンは一日八時間はギターを弾いていた、ことを知って、自分は十時間ギターを弾こう、と思う人がいれば、それが本当の敬意なのだと思う。

2016.2.15 1253 『少なくとも手を伸ばす、日々』

02 15, 2016 | 日記2016

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・憧れを憧れのまま消化するのが、手の届かないものを手の届かないものとして崇めるのが、表現者の在り方なのだろうか、少なくとも手を伸ばす、日々、

・WOWOWでやっていたジミヘンのドキュメント番組を録画していたのを見る、見ながらギターを弾いて、その指に任せて、曲をつくってみる。

2016.2.14 1252 『立ち位置の多様さ』

02 15, 2016 | 日記2016

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・いちいち誰かのコトバや、金(売り上げ、ギャラ)を考えの先頭に在らせることのないような、在り方、自分を一喝しつづけることの出来る在り方、

・媚びない強さ、もあれば、媚びることができる強さ、もある、媚びることができない弱さ、もあれば、媚びることをできないままにしておくことのできる強さもある、立ち位置の多様さ。

2016.2.13 1251 『仙台Vorz Barにてライブ』

02 15, 2016 | 日記2016

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・仙台Vorz Barにてライブ。

・相変わらずこの場は演者側が、ライブとは何か? を考えるのを強いられる場所だ、ということを知る、だからこそ、おもしろい、いろんな意味で。

・この「場」と書いたが、それはこの「場」としか書きようのないもの。

2016.2.12 1250 『身体に委ねる』

02 15, 2016 | 日記2016

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・考えて、考えて、考えて、ぎりぎりで、身体に委ねる。

・コトバを放棄、身体の身体による思考に。それから、身体に刻まれている過去の運動に、委ねる。

2016.2.11 1249 『春が近いからじゃない?』

02 12, 2016 | 日記2016

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・なんだか最近色恋のニュースが絶えませんね、と言ったら、春が近いからじゃない? と一括、なるほど、いろいろなものが動き始める季節ですものね、春がやってきます。

2016.2.10 1248 『どうみても狸にしか見えないあれ、は猫だということです』

02 10, 2016 | 日記2016

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・どうみても狸にしか見えないあれ、は猫だということです。

・公園でギターを弾いて、本屋にいって西加奈子のごはんに関するエッセイの文庫本があったので買う、それで、この日記でも、週単位とかで、適当にテーマを決めて書いてみるのもいいかな、などと思いついて、テーマというか一つの単語から生まれる適当な文章、そのほうが修行になるのではないか。

・そのあと、カフェにいって、つくっている曲とまた向き合う作業、コトバは出来た、ここからは、身体の作業、

2016.2.9 1247 『ま、やってみましょう』

02 10, 2016 | 日記2016

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・名前の知られているイベントに誘われることもある、何年か前の自分なら「え、自分に何ができるだろう?」などと考えて、戸惑い、返事をするまで時間がかかっていたけれど、今の自分は「ま、やってみましょう」などと思うことができる、成長したのかどうか、今日そのイベントへの参加の返事をした。

・今向き合っている、つくっている曲は英語なので、時間がかかるのだけれど、こんな曲と向き合うことができるようになったのだな、と思う、やればやるほど、自分に課せられるものは大きくなる、それをひとつひとつクリアしていくこと、前に進むためには、

2016.2.8 1246 『八時半から公園の駐車場で』

02 10, 2016 | 日記2016

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・八時半から公園の駐車場で昼までギターを弾き、カフェにいって歌詞を書き、本を読み、また公園の駐車場に戻って、五時までカフェで書いた歌を、身体をつかって音にしてみる、一日という時間はあまりに短いと感じる、それほどまでに曲づくりは進まないが、こういう日があるのはあたりまえで、なければいい、などとも思わない。

2016.2.7 1245 『神話はそれを持つ種族の世界観あるいは人間観を反映する』

02 08, 2016 | 日記2016

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・今日の付箋。

【神話とは、もともと文字を持たない社会において、コトバと儀礼によってなされる一つの表現行為であり、教育行為でもあった。この世界がどのように創成されたか、人間はどのように出生したか、男女はいかにして出現したか、文化的事象はいかにして始まったか、それらはどんな事情・状況によって成立したのかを、その社会の構成員に向かって説明し、それを実際に儀礼として再現し、根拠づけて人々に示し、それを社会の規範として伝えて行くものである。だから、神話はそれを持つ種族の世界観あるいは人間観を反映する。】p.28 大野晋「日本の神」より

2016.2.6 1243 『Forever Young』

02 07, 2016 | 日記2016

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・ボブ・ディラン、74年のアルバム「プラネットウェイブス」より。

—————————

神の祝福がいつもあなたにありますように
願いがすべて叶いますように
いつも人のためになりますように
人があなたのためになりますように
星までつづく梯子をつくり
ひとつひとつその段をのぼり
あなたがいつまでも若くありますように
いつまでも若く いつまでも若く

——Forever Young

2016.2.5 1242 『ニーナ・シモン自伝 ひとりぼっちの闘い』

02 07, 2016 | 日記2016

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・ずっと何年も読みたかった、絶版「ニーナ・シモン自伝 ひとりぼっちの闘い」を頂いた、欲していた期間がながくて、読み始めるのも緊張を強いられる。

2016.2.4 1241 『「プラネットウェイブス」74年』

02 07, 2016 | 日記2016

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・ディランを聞いたことのない人間にどれを薦めるか、みうらじゅんはまずは現在の自分と同じ年齢のときの作品をきけばいい、というらしい。

・ということで、またひとつ年をとったのだが、この年齢のディランはといえば、「プラネットウェイブス」74年、だ、まじか——

2016.2.3 1240 『虚像』

02 06, 2016 | 日記2016

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・音楽をして、そのさきに、自分に対してどんな良い評価があったとしても、別にぼくは自分の中に、虚像(今ここにいる自分とは別の、誰かの目線を経ての理想の自分のような)を作らなくて済むのは、誰かの評価などにそれほど振り回されずに済む、という性格と、「今ここ」の自分をありのままに肯定できる環境の、——とはいえる、と思う。

 (済む、というより、誰しもその像は持っているのだろうけれど、その差異に苦しむほかないほど距離がある、ということにならずに済む、と)

・自分の中の虚像の持つヒーロー性との差異、を埋める。離れた家族との孤独、を耐えきれず——などと。

2016.2.2 1239 『山形へ』

02 04, 2016 | 日記2016

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・山形へ、夜十時半、駅についてタクシーでそのままBar Tarjiへ、いっきに山形になる、

・今回のツアー、何かを掴んだ気がするが、言葉に置き換えようとすると、どこかにいってしまう、

2016.2.1 1238 『Bar valineにてライブ』

02 04, 2016 | 日記2016

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・大阪四日目、

・東心斎橋そば屋るちんさんの二階、Bar valineにてライブ、清水明日香さんと。

・蠣崎未来ちゃんも駆けつけてくれたので、一緒に一曲歌う、彼女とうたうのはおもしろい。

2016.1.31 1237 『味園ビル100ラウンジにてライブ』

02 04, 2016 | 日記2016

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・大阪三日目、

・独房のような宿でギターを静かに爪弾く朝。

・夜は味園ビル100ラウンジにてライブ、鈍月さん、蠣崎未来さん、花岡さんのバンドと。

2016.1.30 1236 『ジャズどころではない』

02 04, 2016 | 日記2016

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・大阪二日目、オフ、西成に宿をとり、ゆっくり休むことにする。

・西成のおでん屋で、ジャズライブが始まったが、奥歯に挟まった牛すじが一向にとれず、ジャズどころではない。

・奥の方に座っていたので、演奏している姿がこちらからはみえず、帰り際にみたら、昼間飲んだ難波屋のおっさんがドラムで驚いて、ポケットに用意していた投げ銭では失礼かとおもい多めにかごに入れてきた。

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松沢春伸の日記

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