2016.1.29 1235 『大阪へ』

01 30, 2016 | 日記2016

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・大阪へ。

・味園ビル「大きな輪」さんにて、ライブ。青木拓人さんと。

・言葉は身体から、

大阪で。

01 28, 2016 | Liveのお知らせ

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・大阪に。
書きたいのだけれど、この間キーボードに酒をこぼしてキーボードの使えない字があって、大変。
だから引用、と大体で。

1/29(金)
「松沢春伸×青木拓人 acoustic session 」
Open 20:00 Start 21:00
Charge Add\2000 Door\2500(1d別)

1/31(日)
味園ビル100ラウンジ

2月1日( 月)
和bar valine
1st stage 19時〜
2nd stage 20時半頃〜
charge 3000円(別途飲食代)
大阪市中央区東心斎橋1-13-23-2F

2016.1.28 1234 『音楽家にとって音楽をやることが生きることなのだから、』

01 28, 2016 | 日記2016

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・音楽家にとって音楽をやることが生きることなのだから、曲作りや、ライブや、それらを経て自分自身が成長できるものでなければならない、その過程で生まれたものの出来具合や、評価は副次的なことでしかない、音楽を思考し、そのただ中にい続けること。

・彼の言葉を借りて、

・曲作りや、それに付随して、歌がまたいよいよ変わってきている、その歓び。

2016.1.27 1232 『つくった曲を忘れる』

01 27, 2016 | 日記2016

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・つくった曲を忘れる、何年も前につくっていて放置していた曲をファイルしていたものを今日、改めてみたら、コードが添えられていないものがたくさんあって、その曲がどういうものだったのか忘れていて、完全に忘れていたものはどうしようもないけれど、身体が覚えていた曲もあって、自分で自分の曲の発掘作業をするような時間だった、それらは、必死につくったという過去の自分の痕跡がありありと感じられて、愛おしく思える、それらを発掘した人間の責任として加筆修正を加えて、歌うことにする、今現在ライブで歌っているものよりもずっと濃い歌もある、振り返るな、という思いもあるが、それでも、もう一度やる、

2016.1.26 1231 『「お風呂がわきました」の音をきく』

01 26, 2016 | 日記2016

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・川の流れの中に置かれた石の上にこんもりと丸く積もる雪の点々とする繋がり、とその石の脇をすり抜ける水が太陽に照らされて光る光景、を見ながらギターを弾く、

・一階と二階を遮っている引き戸はガラスで、いつも通るその引き戸の鳴る音がこんな音だったのかとハッとするときの耳の感覚、いつもそこに在るはずのものが全く新しいなにかに感じるときのおもしろさ、

・トイレで小便をしている最中に、窓越しに二階の屋根の雪の溶けて、隣の一階の屋根に滴る水の音、をききながら、今日の夜は気温が高いのか、と、思いながら、同時に隣の家の「お風呂がわきました」の音をきく、

2015.1.25 1230 『小説家にとって小説を書くことが、』

01 26, 2016 | 日記2016

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【小説家にとって小説を書くことが、人生を生きることなのだから、小説とは書きながら自分自身が成長することのできるものでなければならない。出来具合なんて、副次的な問題でしかない。】保坂和志

・言葉は、自分の中からやってくるのか、誰かの言葉が自分の中にあって、それが自分の言葉のように、語るのか、

2016.1.24 1229 『相撲』

01 25, 2016 | 日記2016

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・琴奨菊の相撲を正座しながら見る。

・嘉風もそうなのだけれど、30歳をこえたベテランといわれる関取が、どのようなきっかけからかわからないけれど、本当に戦うマインドになった時の、こちらに強いられる緊張感、日本出身の力士の十年ぶりの優勝、というニュース的なことは別にどうでもよくて、とにかくその姿勢、思考、

2016.1.23 1228 『通りの雪を蹴り飛ばしている』

01 24, 2016 | 日記2016

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・七日町の中の、一つの通りの拡幅工事が何年か後に始まる、それで、その通り沿いの古い店並みも消える、という話を聞いて、しかもそれは市の金が余っているから、とか、そんな事情を聞いて、呆れながら、腹が立って、本当に腹が立って、とこうして書く僕より、妻が腹を立てていて、通りの雪を蹴り飛ばしている、

・消費の螺旋、人の暮らしにとって、本当に必要な物、とは別の、消費のサイクル、根っこを問うとすると、ほとんど全ての仕事はいらなくなってしまう、

・経済成長、というのは、人の生活に本来必要のないものを、いかに必要か、を人に説き伏せて、消費させ、金を回すか、のことなのだ、きっと。

2016.1.22 1227 『琴奨菊と豊ノ島』

01 24, 2016 | 日記2016

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・テレビで仙台のセリ鍋が取り上げられてから、セリの需要が大幅に増えて、いつもの年なら考えられないほど、この時期にしては忙しくて、相撲をテレビで見たかったけれど間に合わずに、ラジオで琴奨菊と豊ノ島の試合の中継を聞きながら、仕事帰りの車で渋滞する信号を待つ、

2016.1.21 1226 『商(あきない)』

01 24, 2016 | 日記2016

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・自分は東北の、血、人、を改めて思う、この頃、「商(あきない)」とは根っこの異なる場所、

2016.1.20 1225 『危険を孕むのが遊びでしょうに』

01 20, 2016 | 日記2016

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・セキレイが可愛くてたまらない。

・雪があまりに多くて、いつもの河原にも入れず、そうなると、歌う場所探しに大変で、歌を歌うにも苦労する、なんだか北国の野球部員と似たような感じで、彼らはグランドが使えず、室内とか、といっても狭いピロティーで練習したり、雪の積もる期間は、ウエイトトレーニングで筋力の強化に費やす、北国でも金のある私立高校の野球部は、広い室内練習場を持っているのだろうから、それほど困らないのかもしれないが、僕は雪があるから室内で練習をしようか、などという金持ち高校のような風には思えないし、そんな場所もないし、できることなら雪の降る中外でその景色の中で歌いたい、から、この事態には困ってしまうけれど、それでもあまり困らない、何を言っているかわからない、が、僕は場所を探して外で歌います。

・雪が降る、ようやく山形の冬景色、小学生の頃、五百円で買ったプラスチックの小さなスキーをランドセルに背負って登り坂を登校して、下校の下り坂を、長靴にそのスキーを履いて、滑って帰った、そんな遊びを、今の小学生は禁止されているのだろうと思うと、馬鹿らしい、危険を孕むのが遊びでしょうに

2016.1.19 1224 『私の歌を川は聴いてくれているし、雪を纏った木々たちも聴いてくれている』

01 19, 2016 | 日記2016

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・誰に知られるためにでもなく、日々なされる行為、の例えとして、民芸と呼ばれるもの、人々の行為、のことを先日書いた、歌を歌うという行為も、私にとってそれに近い行為なのだと思っている、誰か聴く人があるからそれをやるのではなく、その行為自体が自分にとって何か、であり、同時に聴くものがなくとも世界に開かれている、というようなことで、

 ーー今、聴くものがないと書いたが、私の歌を川は聴いてくれているし、雪を纏った木々たちも聴いてくれている、という気がしてならない、


・人にしか向けられない歌、そんなものより遥か、歌や何かは、もっと大きな開かれ方をしているのだと思う。

2016.1.18 1223 『ようやく山形らしい冬に』

01 19, 2016 | 日記2016

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・ようやく山形らしい冬になった、雪が降る、水気の多い重たい雪がどっと降る、あまりに急なドカ雪に、除雪車も追いつかずに、車はのそのそと轍を走る、

・セキレイという鳥には縄張りがあるのだろうか、いつも見るセキレイは、いつも同じ場所にいる、背中に斑点のあるセキレイは、だいぶ人に慣れてきたのか、日々徐々に人との距離を近づけて、手を伸ばせば触れることができるような距離まで近づくようになった、軽い足取りでセリの上を歩きながら、あの鳥は何を啄ばんでいるのか、セリの花がらなのか、何なのだろうか、

2016.1.17 1222  『終わり良ければすべて良し、などという』

01 18, 2016 | 日記2016

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・終わり良ければすべて良し、などという誰が言い始めたのか、嘘くさい言葉には騙されない、

・ライブにおいても、小説においても、終わり方が良ければいい、なんてことは絶対にない、終わり方などどうでもいい、人の生も、終わり方を設定することもできずに、終わりを告げられることもある、ことを、知る機会、がこういう日に、生きている側は思い知る、を、

2016.1.16 1221 『little song』

01 17, 2016 | 日記2016

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・河原に行く、ギターを弾くより先に買った本を読んでいると、目が慣れている車の往来とは別の動きが目に入ったので、そちらを見ると、シラサギがバサバサと滝の上に舞い降りる、の姿を見るだけで、幸せに、そこからシラサギは一歩も動かない、その後にアオサギも来た、からまた、

・適当に鳴らしたギターの感じが良くて、形の定まっていなかった曲に、根本から違う曲になってしまうけれど、それでもいいと、思って、それをはめたら、あっ、これだ、となって、それにする、ことにした。「little song」。

2016.1.15 1220 『「別の在り方」を提示するのは、誰?』

01 15, 2016 | 日記2016

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・昨年は何年かぶりにこの国の自殺者が二万五千人を切った、という報道で、「それでも一日に換算すれば、六十から七十の人が自殺している、この非常事態は続いている、官民一体となってその事態の改善を早急に講じたい」とインタビューされたNPOの職員が話していたが、そもそもその「官」と「民」の協力した改善策というやり方自体が間違っているのではないか、という考えは彼らには生まれないのだろうか? 

・「官」がその対策として出すのは、ラジオで国会中継を聞いていれば分かるけれど、国の経済を活性化させて雇用を増やす、とか、国民が総活躍できる社会、とか、そんなことばかりで、そこから生まれる圧迫がこそ、生きることから降りてしまう人を生む、という考えは生まれないのか、その「官」の考えを共有する側の「民」も、基本それと違わない考えなのだから、「官民一体」などと言う立場の「民」の語る言葉、結局それは「官」の側の思考に過ぎない、本当の意味での「民」はそこにはない。

・「官」にも「民」にも根っこを結ばず、属せず、それらとは根本的に「別の在り方」を提示するのは、誰?

2016.1.14 1219 『鳥の歌の聞こえない場所で』

01 14, 2016 | 日記2016

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・土と交わることで人は変わる、土を知らない人間の言葉を信用しない、と、以前書いたが、その思いはより強くなってくる、神話や民話はそこから生まれるもので、そこにモラルの規範があるのは、「人」とそれらを区分けしていないから。

・自然と呼ぶにはあまりに人工的なものもあるが、とにかくそれらの動きを感じること、鳥の歌の聞こえない場所で、人は何を歌えばいいのだろうか。

2016.1.13 1218 『金とは違う場所、などと書くと』

01 14, 2016 | 日記2016

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・金とは違う場所、などと書くと、いやいやそれでも本当は金でしょとか、金でないにしても知られたりしたいのでしょ、とかいう奴は必ず出てくるが、誰かも言っていたけれど、そんなことが目的なのであれば、もっと別の手っ取り早い手段がある、というか、金で考えることができたらもっと楽だろう、とすら思う、

2016.1.12 1217 『優しく強く 土門拳 左手』

01 12, 2016 | 日記2016

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・「優しく強く」というのは土門拳の言葉で彼が左手で描いた、その文字に心打たれたのは、僕が高校生で、野球部で、遠征で酒田に行ったのだけれど、確か雨で練習試合がなくなって、どこか観光できるところを、ということで土門拳記念館に部員全員で行って、そこで彼がリハビリ中に左手で書いた(描いた)という解説付きの書を見たときだったと思う、その後にも何度かその記念館に行ったけれど、企画展示だったのか高校生のその時以降その書を見た記憶がない、

・と、書いて、それが本当にリハビリ中に左手で書いたものだったのかわからなくなったので、調べようと、「優しく強く 土門拳 左手」と検索したら、何件か出てきたので、見るとそれは三年前に自分が書いた記事だった、ので笑ってしまった、今。

2016.1.11 1216 『器を買いに』

01 11, 2016 | 日記2016

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・器を買いに仙台に出向く、料理の器を幾つか、鍋も欲しかったのだけれど、目当ての7号の鍋はもう売れてしまっていて、6号しかなかったので諦めて、山形の本屋では見つけられなかった本を見つけたので、横尾忠則、保坂和志、磯崎憲一郎の対談集「アトリエ会議」を買って、帰りの電車の中でビールを飲みながら読む、芸術をする人間のきちんとした芸術話はそれでいいけれど、このとりとめのなさ、が面白い、一両目に座った僕らのその先頭で、電車の行く先を立ち見で眺めながらワイワイと話す子供達の声の溢れる中でそれを読む時間、が素晴らしかった、途中で寝てしまったけど。

2016.1.10 1215 『例えば、民芸品と呼ばれる、それら収集されたものたちは』

01 11, 2016 | 日記2016

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・雪の降る田んぼの中でふと浮かんだ言葉、思わずメモを取る。

・『ーー例えば、民芸品と呼ばれる、それら収集されたものたちは、収集家によって「発見された」から、それらが「在る」のではなく、たとえ誰に発見されることがなくとも「在った」、そこに生きた人々の生活と共に。』

 と、いうようなことで、どのような文脈からこの言葉が浮かんだのかわからないが、ただただそこに在るもの、ということが僕にとって大事なことなのだと思う、誰かに認められるためにでもなく、彼らの生活の中で生まれ出た形、僕の「歌」の考えも、そのようなものに近い、

2016.1.9 1214 『イギリスから遊びに来ている』

01 10, 2016 | 日記2016

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・イギリスから遊びに来ている妻の友達が、ラーメンを食べたいというので、初めて行く有名な行列のできるラーメン屋に、何十人もの列に並んで、後ろのカップルは二人揃ってそれぞれの携帯で、その後ろの家族は親も小さな二人の兄弟もそれぞれ個人の端末で、皆ゲームばっかりしていて、会話といえば点数がどうのこうのと、結局金のサイクルはこうやって人に浸透して、続いていくのですね、などと呆れながら、40分ほど待たされて席に着いたらすぐでてきた、ラーメンが美味い。

・「最近の子供はゲームばかりしている」などという大人はバカだ、どの世代がそのゲームを作り、彼らに与えている? 金の回るシステムを作っているのは子供ではない。

2016.1.8 1213 『言葉を持たないものとの対話』

01 10, 2016 | 日記2016

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・言葉を持たないものとの対話、

・言葉を持たないものとの対話に歓ぶ、ことのできる人は豊かだ。金とは別の場所にいる。

2016.1.7 1212 『擦り合せ』

01 10, 2016 | 日記2016

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・誰かの音楽であれ、言葉であれ、その人そのものであれ、それに惚れる時に、他の誰かの評価など関係ない、と僕は言い切るが、そうでない人もたくさんいて、誰かに既に評価されているもの、評価の確立されているもの、と自分の価値観が合っている(擦り合せる)ことに安堵する人もいる、不思議なもの。

・を実感した日。

2016.1.6 1211 『あの光(そのもの、あるいは別の光)を』

01 08, 2016 | 日記2016

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・何年か前に書いた「光」、水面に揺れる光、「水面の光」という光景を、意味を伝えるのではなく、あの光(そのもの、あるいは別の光)を誰かの心にもたらす、音楽、

・一つの本を読み終えた心に仄かに残る灯り火、

2016.1.5 1210 『意味の伝達を』

01 08, 2016 | 日記2016

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・(光景や 心象や) 地に向けられた目線の一気の空への転化 あるいは近撮から一気の俯瞰される視点 視点すらも離れてそれが誰か別の目に映るものになる 

 --など 意味の伝達を主の目的として「書く」のではなくて 言葉によって身体の機能が働かされる という言葉であり歌詞を

2016.1.4 1209 『酔いながらのなぐり書き。眠い。とても。』

01 04, 2016 | 日記2016

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・いつも仕事中に聞くラジオが今日からまた始まって、聴きながら思ったけれど、それはインタビューの部分で、僕は生理で好き嫌いを決める人なのだと改めて感じた、インタビューされた人の話す内容とか、功績とか、そんなことよりもその人の声に、声が、話し方とか、文字に起こしたらわからないことかもしれない、が、そういうものが生理的に好きになれるかどうか、だ、音楽もそうで、「あ、こいつ合わない」という判断は僕の身体で瞬時に起こる、音とはそういうものだ。

・例えば、居酒屋とかバーでたまたま隣に座った知らない人の声とか、話し方とかだ。たまにそういう初対面の印象を覆してくれる出会いもあるにはあるけれど、だいたいそうだ、勝手な話だけれど、去年の年の瀬に一緒にライブをした蠣崎未来という人もそうで、彼女は好き嫌いを判断するときに自分の身体の生理に任せていて、それがとても面白い、と書きながら、なぜ今彼女の名前が出てきたのだろう? ついさっき、彼女のお姉さんから年賀状のような素敵なメールをもらったからだろう。

・何を書いているのだろう、酔いながらのなぐり書き。眠い。とても。

2016.1.3 1208 『玄関のドアを開けて、外に出ると』

01 04, 2016 | 日記2016

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・玄関のドアを開けて、外に出ると、家の中から母親が「蛇だ!」と叫んで、確認する間もなく蛇に腕を噛まれた、蛇はなかなか腕を離れずに、ぶら下がっている、振りほどいて周りを見ると、蛇は三匹いて、どの蛇が腕を噛んだのかわからない、そのうちの一匹の写真を撮ろうとしたのだけれどうまくピントが合わない、母親が「医者が来た」と叫んだので、家に入ると、その医者は蛇に噛まれた腕を見るより先に「だいぶ顔の肌が荒れてますね」と言って、そんなことより僕は血清を打って欲しくて、蛇の写真を医者に見せようとしたのだけれど、写真が見つからない、血清の注射を持ちながら医者は泣き出しそうだったーー

ーーハッと起きて、血清を探そうとしたけれど、そんなことに意味がないことに気づくまで時間がかかった、僕は布団の中にいて、夢なのだもの。

初夢の話。

2016.1.2 1207 『猿、より、人間と近い』

01 04, 2016 | 日記2016

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・3羽のセキレイが今日もやってきて、見ると、灰色のといつも一緒にいる細身の背黒セキレイの背にはまだらな黒の紋様が入っていて、セキレイこの背中の模様は一羽ずつ違うのだろうか、と思うがわからない。

・ラジオで猿に詳しい劇作家が出ていて、類人猿と猿は英語では違う言葉が当てられていて、類人猿の研究をしている学者は、類人猿と猿を一緒にされると「あんな下等な猿と一緒にするな」と、本気で怒るそうで、学者さんがそう怒鳴っているところを想像して笑ってしまった、ゴリラやチンパンジーは猿、より、人間と近い。

2016.1.1 1206 『雪のない正月になるのかと』

01 04, 2016 | 日記2016

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・雪のない正月になるのかと、31日には思っていたけれど、元旦に玄関のドアを開けると、うっすらと白い雪の層があって(積もっているとは言えないほどだけれど)、それでも10時頃には陽が射して気温も上がり、雪は草木や地面にその重さを伝える前に消えてしまったようだった。

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