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2015.10.27 1240 『書くという行為は、そうはいかない』

10 28, 2015 | 日記2015

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・ケヤキの葉が舞う中に色味の違う、別の木の葉。ああ、これはなんの葉だったろうか、「色味の違う葉、別の木の葉」などと書かずに、確信を持って、「ケヤキの葉が舞う中にーーの葉」と書くことが出来れば、その方が文章としてはスマートだが、書くという行為は、そうはいかない。

・書く、ということを、書く中で起こるプロセスを省略して、結果だけを記述することだと考えてしまったら、おもしろくない。

・それらの葉がビルの間を吹く風に秩序よく、道路端に集まっていく、様子を眺めておもしろい、と感じている。

・ケヤキの葉の色づきを書いたのはいつだったろうか、、、
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2015.10.26 1239 『雪の降った山から』

10 28, 2015 | 日記2015

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・雪の降った山から吹き下りてくる強風に朝から手がかじかむ、太陽の温かさも風の冷たさに消されて。

2015.10.25 1238 『自分のことを受け入れてくれる人間の前でだけ』

10 27, 2015 | 日記2015

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・自分のことを受け入れてくれる人間の前でだけ表現する人間、のそれは内輪ノリ。誰もたたかわない。そこに強度はいらないのだから。

・そういう種類の人間にこちらの言葉は届かない。

2015.10.24 1237 『Vorz Barにてライブ』

10 27, 2015 | 日記2015

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・仙台Vorz Barにてライブ。佐藤翼くんと。学びの多い夜。

・ぼくの音楽を胎教として聴いて育った一才半の子、と初対面。なついてはくれなかったが。

2015.10.23 1236 『完全に形の定まるまで披露しない、のは逃げのマインドで』

10 23, 2015 | 日記2015

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・曲作り、に対する姿勢の変化、が自分でもわかる。これまでの自分なら、そこで終えていただろう地点、それを今は中間地点に据えることができる。「とにかく完成させたい」とあせる自分を少し脇に寄せて、そこから何度もつくる。文章のライブ感というのと違って、曲は演奏される時にライブ感が出るものだから、つくる時には時間がかかっていいものだと、今は思うようになっている。

・明日はライブ。つくりかけの曲をその場所で演奏しながらつくろうと思う。それはこわいことでもあるけれど、つくった曲というのは、ライブの場所でどんどん変化するものだから、それを体験できるのは同時に歓びでもある。こわいからといって、完全に形の定まるまで披露しない、のは逃げのマインドで、ライブは完成されて、形の定まった曲を披露する場所ではない。

2015.10.22 1235 『つくる歓び』

10 23, 2015 | 日記2015

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・以前の自分であればつくることは出来なかっただろう強度を持つ、曲たち。少しずつ、立ち上がりつつある。

・つくる歓び。自分がそれまでの自分には出来なかったものを生むこと。つくることにおいても、演奏においても、書くことにおいても、

2015.10.21 1234 『「つくる人」の身体、思考の下地』

10 23, 2015 | 日記2015

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・毎日河原で夕暮れから夜。曲や歌詩、文章でも、降りてくるのを待つ、という資格を持つのは、日々それらに働きかけている、考え続けている人間で、ぼくはつくることはそういうことだと思う、文章が散らかっているが、とにかく日々、何か生まれても、生まれなくても、予感だけの時も、何一つ進まない時も、いろいろあるが、そういうもんだ、と思えたら、きっと「つくる人」の身体、思考の下地が出来ている、ということだろうか。

2015.10.20 1233 『世界について、語る言葉を持たずに』

10 21, 2015 | 日記2015

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・世界について、語る言葉を持たずに、それでも言葉に表すことの出来る人より遥かに豊かに、世界を感じる事が出来る、そのような人間の内側にある豊かさは、言葉にするという行為を持たないために、共有されないのだろうか。言葉を持つ人々によって言葉にされた世界が、彼らの内側に起こるものより豊かだとは限らない。

2015.10.19 1232 『頂いている』

10 20, 2015 | 日記2015

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・菊をたくさんもらったので、ニュースを見ながら花びらをとって、お浸しにして、三杯酢、それから土曜日に居酒屋で出してもらったのを真似て納豆と和える。菊を食べる文化は、どのあたりまであるのだろうか。今回は、黄色の菊。「もってのほか」はまだみない、そちらは紫の菊。

・人間の都合で植えられた木々の手入れをするのを生業にしているから、生きている木を家の人の都合で倒すこともある、その度に考える、いくら職業だとしても、「木を倒す」などといえば聞こえはいいけれど、それは生きているものを殺す、ことに他ならない。

・と書いて、それは菊も一緒か、、、。頂いている、ということを忘れずに。

2015.10.18 1231 『「セッション」「シェフ」』

10 20, 2015 | 日記2015

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・映画「セッション」を観る。いろいろと感じることはあるけれど、しごく側も、しごかれる側も、そしてこの映画をつくる側も、そこに音楽への愛はあるだろうか。「男の論理」に満ちているように感じる。

・同時に借りた「シェフ」が単純でありながらもいい映画と感じたのは、「負」を感じさせる要素を排していることだと思う。映画の演出上、そうやってつくる方(負の要素を入れること)が、その後の展開をつくりやすいのかもしれないけれど、この映画はそうはならない(ならないというか、観る側があまりそう感じない)、それはそういう状況(物語的に負の場面)を、流れる南米の音楽がことごとく救っていくからだ。人々は音楽を愛し、音楽に救われる。この映画をつくった人間も音楽への愛があることがわかる。

・「セッション」を近くにおいて何度もみたいとは思わない、「シェフ」はまたみたくなるだろう、というのが感想というより、身体の反応。

2015.10.17 1230 『人に灯ともす人  人の灯明に灯をともす人』

10 20, 2015 | 日記2015

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・友人が北海道への移住を決めたので久しぶりに会って酒をのむ。

・言葉。河井寛次郎「火の誓い」より。

【みにくいもの見えないめくら
 美しいものしか見えない眼

 人に灯ともす人
 人の灯明に灯をともす人

 道を歩かない人
 歩いたあとが道になる人】「柳(宗悦)にささぐ」p.74より。

10 16, 2015 | Liveのお知らせ

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今週末は仙台VORZ BARにて歌います。

10/24(土) 松沢 春伸
O.A.:佐藤 翼
start:20:30  admission:1,500yen + drink order

vorz bar

2015.10.16 1229 『自分自身の恥辱として感じることが出来る心』

10 16, 2015 | 日記2015

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・夜の戯れ言。

・岡本太郎が人生相談の本だったか、結婚についての質問で——いや、思い出せないことを書くのは、ためたう、とにかく「全ての子どもを自分の子どものように」思うこと、というようなことを言っていて、

・脱線、——十年近く前にニューヨークに一人旅に行った時に、知り合った関西の女性に岡本太郎のことを話したら「あー、あの頭おかしいおっさんやろ?」と言われたのを思い出す。

・その頭おかしいおっさんの言葉、が、今必要なのではないか。

—————————

・これから先に生れ来る人たちを、自分の子どものように思うこと、未だここに存在しない存在に優しくお休みをいえるような心。世の中に大きな決定があった時に、それをお偉い人の決定だから、というのではなく、自分自身の恥辱として感じることが出来る心。

・夜の酔い戯れ言、はどこまでも戯れ言。

2015.10.15 1228 『曲は完成しない』

10 16, 2015 | 日記2015

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・メモ書き。

・曲は完成しない 形を留めない かりそめの輪郭 演奏者の身体を通される度に別のものとして生まれる 流動する プロセスのみが在る

2015.10.14 1227 『曲作り』

10 15, 2015 | 日記2015

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・曲作り。何をしていても言葉を考えている。最近は朝方早く起きてそれをやる。この時間帯が一番言葉が溢れる。5曲くらい一度につくるからとっちらかるけれど、これらの曲にひとまずの形を与えること、言葉を与えること、そればかり考えている。今つくっている曲たちはこれからの一つの指針になる。つくることの喜び、生む苦難を感じながら、日々。

2015.10.13 1226 『沈黙もたえずうごいている』

10 15, 2015 | 日記2015

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・言葉。高橋悠治HPより。2015,9月号。

【ゆったりと呼吸でき うごきまわれる空間があれば 先の読めない流れのなかでひらけた空間に いままで見えなかったものが現れ 見えていたものは隠れる メロディーが自然に移りかわり ただすぎていくばかりだった時間のなかにも めぐりながら変化する季節の風景が浮かぶ 作曲や作品の演奏だけでなく 即興でも ありきたりのパターンのくりかえしや組み換えだけでなく 流れのなかに移ろうかたちが見え隠れするのが感じられるかもしれない 音楽家はもともと音楽の三つのやりかた 即興と作曲と演奏のあいだを行き来するあそびができる人たちだった

種子を風がばらまくと そのうちに隠れていた花があらわれる 待つ時間は 何も起こらなくても たいくつはしない 音楽を運んでいくのは 音だけではない 沈黙もたえずうごいている 

時間順序のなかで 不ぞろいでそれぞれの顔を持った瞬間をどうやって折り合いをつけるのか】

2015.10.12 1225 『いうこときくんだ〜』

10 13, 2015 | 日記2015

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・酒屋で、三、四歳の女の子が「いうこときくんだ」「いうこときくんだ〜」と、歌うように繰りかえしながら店中を踊り歩いて、買い物カゴを持ってうろうろするぼくの脇を通り過ぎていく、その可愛さにゲラゲラ笑ってしまう、歌いながら酒瓶を眺めたり、手に取ったり、遊ぶ女の子に、お兄ちゃんが走り寄って、女の子は「きゃー」と笑いながら脇を抱えられて両親のもとへ連れ去られていく、「お店ではおとなしくしてね」とか、何か両親のいうことを聞いてお買い物ができたらお菓子でも買ってもらえるというようなことだろうか、どのビールを呑もうか選び迷うことを忘れて笑ってしまう。

・ムヒカ前大統領のことばが、彼の話す時の身体の動きの映像が、離れない。

2015.10.11 1224 『コントの番組をみた』

10 11, 2015 | 日記2015

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・コントの番組をみた、コントも人がやることだから、生身でやることだから、身体にかかっている、ネタの良さのようなものを追求することを教え込まれたあまりに身体を忘れてしまう、これは曲でも同じ、カバーというのは曲をやることじゃ無しに、身体を通すこと、もしお笑いの「学校」というものを肯定的に捉えたとして、そこで伝えるべきなのは、

・——書いていて、ばかばかしくなった、落語の名人のような人は、身体の使い方を知っている、それは、金を払って学びにいく学校などではきっと会得できないことで、若い人らがその人の弟子になって修行するというのはそれを知るためにあって、

・その後に見たムヒカ前大統領の映像に感動した。自分の立ち位置に関わらず、こういう人がいる、こういう人が大統領に選ばれる国がある、ということを知る必要がある。

2015.10.10 1223 『呆れ』

10 11, 2015 | 日記2015

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・街中でいろいろイベントがあって、そこに組み込まれていろいろしらない山形の人たちのライブもあったので、昼で仕事を終えて、街へ出向く、ある意味こわいものみたさに、予感は的中して、

・呆れながら居酒屋で呑み直し。思いを、言葉を共有出来た。

——————

・メモ書き。

・山の背から生まれる月 歌溶かし流れる川 一羽のシラサギだけが時を停めている 

2015.10.9 1222 『その踊りが朝を連れてくる』

10 10, 2015 | 日記2015

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・メモ書き。

・生きるもの これから生れ来るもの 死んだもの 言葉を持たぬもの 形を持たぬもの 全てひとつになって 夜に踊る その踊りが朝を連れてくる 

2015.10.8 1221 『まだ存在せぬ人々を、この問題の大切な関係者として召喚すること』

10 09, 2015 | 日記2015

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・言葉。高橋源一郎「ぼくらの民主主義なんだぜ」(非正規の思考)より。

【震災と原発事故のニュースを、カリフォルニアで聞いた加藤典洋は「これまでに経験したことのない、未知の」「自責の気持ちも混じった」「悲哀の感情」を抱いた。その理由は「大鎌を肩にかけた死に神がお前は関係ない、退け、とばかり私を突きのけ、若い人々、生まれたばかりの幼児、これから生まれ出る人々を追いかけ、走り去っていく。その姿を、もう先の長くない人間個体として、呆然と見送る思いがあった」からだ。

 同じような、強い自責に似た思いと感情がわたしにもある。たとえば原発問題を、心の中では気にかけていたのに、結局、何もしなかった。そして、そのツケは、もっと若い誰かに回されるのだ。】p.14


【「ずっと先の世代」とは、加藤のいう「これから生まれ出る人々」のことだ。わたしたちが議論の外に置いてきた、まだ存在せぬ人々を、この問題の大切な関係者として召喚すること。これもまた、「正規の思考」にはなかったことだ、とわたしは感じるのである。】p.15.16

2015.10.7 1220 『誰かが「地球儀を俯瞰する外交」といったけれど』

10 07, 2015 | 日記2015

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・誰かが「地球儀を俯瞰する外交」といったけれど、「俯瞰する」という言葉が戦略として出て来ること自体おかしい、というか、戦略として使う言葉としても間違っているのではないかと思う。俯瞰するって、そこにいる人を見ず、地に足つけずにやりますよ、と宣言しているようなもので、外交に限らず、この国にいる人間(彼らが国民と呼ぶ人たち)すら俯瞰で見ますよ、ということで、彼が欲しいのは神の視座のようなもので、結局、その地に足つけて生きている人々を上の視点から見ますよ、あなた方の言葉はこの高い位置にいる私には届きませんよ、と公言しているようなもの、そう考えると、あの人の態度がそういうものであることが理解出来る。

・これは別にぼくの政治的な発言ということではなく、言葉を扱うものとして、戦略的にもおかしい、というだけのこと。

・例えば学校の先生が「このクラスを俯瞰的にみます」といったら、違和感を持たないか。おいおい、生徒それぞれ、個人と向き合う、地に足附ける目線は?

—————————

・表現者は、創作するときにはその視点(俯瞰)にいることが出来ない、自分のやっていることを俯瞰することは出来ずに、ただその只中にいるしか出来ない、だから、足踏みするし、反古するし、迷う。俯瞰出来る位置にいるということは、創ることの「外」にいることで、そういう人の創ったものにぼくは興味が持てない。

2015.10.6 1219 『「プロセス」とは別の言葉が』

10 07, 2015 | 日記2015

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・絵画や陶芸のように品として一応の完成(形として残る)をみるものではない、音楽。音楽はそのつどそのつど人の身体を通して演奏される。

・特に自分のようなタイプの人間にとって、曲はいつまでも完成をみず、ライブにおいて提示されるのは、プロセスのみ——いや、そもそも完了を目的としないのならば、「プロセス」とは別の言葉があるのかもしれない。

2015.10.5 1218 『曲に完成はない』

10 07, 2015 | 日記2015

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・曲に完成はない。ライブの場所でうたうことも、一つの在り方を切り取ったものであって、完成したものを披露するのではない。完成という目標が在って、そこから逆算したプロセスではなく、完成を終りとして捉えない、プロセスの続く、プロセスだけが在る——

2015.10.4 1217 『Bar Tarjiにてライブ。ヤスムロコウイチさんと』

10 06, 2015 | 日記2015

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・Bar Tarjiにてライブ。ヤスムロコウイチさんと。素晴らしいギターだった。

2015.10.3 1216 『ただそれだけ、のことです。』

10 04, 2015 | 日記2015

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・私には誰かに何かを伝えたくて歌にするということはない、ないのか? いや、きっとある、だろう。とにかく、この場所にいて歌を紡ぐ、その歌があなたにとって「何か」になれば素晴らしいことだし、「何にも」ならなくともそれも素晴らしい、私に深く刻まれた音楽や、言葉や、それらこの身体をつくってくれたものに深く感謝しながら、出来ることは、ただ、歌う、この身体を通して音を発すること、辿り着く場所がない、としてもそれを続ける、何故? という問いは意味を成さない、意味などなくとも行為する、「何故?」と問われても、「そうとしか生きられないから」、という、ただそれだけ、のことです。

2015.10.2 1215 『世界と無邪気に解ける』

10 03, 2015 | 日記2015

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・「歌の自由」、「自由な歌」、「自由の歌」、メッセージとして伝える「自由」のための、ではなく、歌そのものが、自由、言葉の束縛を受けず、型のない踊り。もはや「歌」というより「発された声」。世界と無邪気に解ける——

・「自由に」、という言葉は実に束縛を含む。「自由に」、と言われることで、「自由」に束縛される。人は驚くほどその言葉に縛られる、誰も気づかない、だから、もはやいちいち「自由」などといわなくてもいい。

2015.10.1 1214 『語らないものの声を』

10 01, 2015 | 日記2015

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・今日ずっと頭に——いずれにせよ、愛、がその行為にの中にあるか、木々を相手にしながら、自分の手入れに、それら木々に対する愛があるかどうか、ただ金の生まれる作業としてハサミを入れること、それではいつまでたっても木々の声は聴こえない、それはジャンルを問わず何でも一緒でしょう、対峙するものに対する思いがあるか、「私」というものをひけらかす声だかな主張はもういらない、語らないものの声をきちんと聴き取る、という姿勢。

・ファスト的思考、とか、志向、を自分の中から排する。これから先、いよいよもっと二極化する時代。において、自分がどの立ち位置にいるのか、どういう人たちと一緒にいて、どんなものを身につけ、どんな仕事を応援していくのか。ファスト的なものがあるのは時代の要請だし、それはそれでいい、必要とする人がいるのなら。ただ、自分はどう在るか。どう志向、思考するのか。

2015.9.30 1213 『忍ぶように、気づいたら』

10 01, 2015 | 日記2015

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・忍ぶように、気づいたらそこにいた、セイタカアワダチソウ。既に一メートルほどに背丈を伸ばして、花が色づきつつある。ススキの隣に。

・隣のリンゴ畑のフジの、少しずつ赤くなるのを眺めて、黒松の手入れをする、黒松の葉の先端が服越しに太ももに刺さって痛い。

・ここ数日、毎日仕事帰りに河原に寄ってギターを弾く。練習というより、曲をつくる、というより、その前段階の遊ぶ身体、その状態が数日続いて、おもしろい、

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松沢春伸の日記

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