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2015.8.29 1181 『郷鳴祭にてライブ』

08 31, 2015 | 日記2015

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・鳴子の郷鳴祭にてライブ。今年で五度目。だいぶ自分の音に飽きてきている、中でのライブ。

・後ろを振り返って、或る地点に戻るために、チューニングしていたら、いつまでも抜け出せない、迷路。捨てること、過去にかつて在った場所、眼は前に、予感だけを、

・脱皮した皮は捨て置け。
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2015.8.28 1180 『別に盗みやしないよ、と思った』

08 31, 2015 | 日記2015

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・ラジオ「子ども科学電話相談」で言っていた、四葉のクローバーは一万から十万に一本らしい、ときいて、探偵ナイトスクープに出てきた、四葉のクローバーの声が聞こえる女の子はやっぱり声が聞こえていたのだな、今も声は聞こえているだろうか。

・河原でギターを弾きながら、カゴを持って歩く人の姿が多いのが不思議だった、目の前の木から何かが落ちて、その木はクルミの木だったのでそれはクルミの実で、カゴを持って歩く人たちはクルミの実を拾いにきていたのだ、コンテナにクルミの実をたくさん入れて川の方に降りていったおじさんが戻ってくる時には、コンテナを持っていなかったので、たぶんクルミの実を銀杏みたく腐らせて種のじょうたいにする為に川の水に浸しておくのでしょう、何度も不審そうにをこちらを見るから、別に盗みやしないよ、と思った。

2015.8.27 1179 『不意打ち』

08 28, 2015 | 日記2015

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・不意打ちのように訪れた季節の変化に身体がまだ馴染まない。

・チューニングの狂ったギターのような身体、一旦バラバラになったものを組み立て直す作業、集中力も散り散り。あらゆるが呆けている。歌でさえ。待つしかない、ものか。それとも、それまでのまとまりを「取り戻す」という意識を捨てて、別の何かを立ち上げる、意識を持つべきか。

2015.8.26 1178 『いろいろがいちいちおもしろい』

08 28, 2015 | 日記2015

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・岡本太郎「沖縄文化論」から、昨日まであえて風景の描写箇所を。書かれた言葉。話した言葉を編纂した本では触れられない。

・独特の風景の描写があったり、内田百閒の紀行文のようなユーモアとか、熱っぽい文章とか、いろいろだ、いろいろがいちいちおもしろい。

2015.8.25 1177 『p.17,18』

08 27, 2015 | 日記2015

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【夜更けての帰り途、車は大きく迂回して、小高い丘陵にのぼった。首里城跡である。(今は戦火に破壊しつくされて、後かたもとどめない。そのあとに小ぢんまりしたモダン建築の琉球大学が建てられている。)

 この高みからは島をとりまく広大な海とともに、きらめく那覇全市が見わたせる。中空には宵のうちに見た赤い月が、いまは涼しく輝いている。風はあたたかく、そして爽やかだった。月光を浴びて、のびのびとした山肌が幾重にもひろがり、その一つの稜線からテレビ塔が黒いシルエットを描いてのびている。

 水底のように透明で、すべてが不思議にやわらかい。南国の自然は永劫にめぐみ深く人間を包んでいるようだ。——幸せな天地。】p.17,18 岡本太郎「沖縄文化論」より。

2015.8.24 1176 『p.10』

08 27, 2015 | 日記2015

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・言葉。

【ふと見ると、正面に低く大きな赤い月がのぼっていた。十六夜くらいだろうか。ふしぎに温かい月だ。その光が那覇港のゆるやかな波のうねりにはえている。いかにも南国の夜だ。】p.10 岡本太郎「沖縄文化論」より。

2015.8.23 1175 『岡本太郎「沖縄文化論——忘れられた日本」』

08 24, 2015 | 日記2015

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・読もうと思ってから何年も経ったが、本屋での沖縄特集で見つけてようやく購入した。岡本太郎「沖縄文化論——忘れられた日本」をカフェで読む。この人の言葉は、いろいろな形で本にされているけれど、話したことを文章として起すものでなく、彼自身が文章として書いた、この本のような本こそおもしろい。凄い、、、。

・付箋が手もとになく、ページを折る、が、多すぎて、近くの本屋に付箋ではなく、蛍光ペンを買いにいく、公園でビールを呑みながら、折ったページを読み直しながら蛍光ペンで線を引く、本のページほとんどが光る黄色で埋まった。

2015.8.22 1174 『逸脱する自由』

08 24, 2015 | 日記2015

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・矯正された形の先へ、逸脱する自由。

・山下清の言葉に触れていると、「間違い」とか「間違いじゃない」とかどうでもいい、とおもう。教育という重しをかけられて矯正された感覚を解く。

・例えば方言。中央の言葉を「正しい」もの、という考え、上書きされたその「正しさ」からみれば「正しくない」、といわれるものも、それとは別の場所からみれば、ただ別の言葉として在る。「正しい」もくそもない。

2015.8.21 1173 『何故こんなことを今日思い出したのだろうか、』

08 24, 2015 | 日記2015

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・「夏休みの宿題」というと小学生のことみたいだけれど、高校生にもなれば、宿題というより課題と呼ばれるもので、ぼくの高校は一応進学校だったから、休み明けに課題を提出しないことなんてありえない、けれど、ぼくは提出しなかった、できなかったというより、提出する気もなく、ごまかした。

 ごまかし通すことに労力を使った気もするけれど、どうごまかしたか、は覚えていない、ごまかすことに成功した、というより、先生方が呆れて追求する気が失せてしまったのかもしれない——何故こんなことを今日思い出したのだろうか、

—————————

・昨日書いた山下清の言葉は、「方法としてそうした」ではなく、「そうなった」ということで、それが重要、と思う。

・「方法としてそうした」とか「技術的に」とか、そうじゃない場所で書かれるからこそ、受け手の身体がよじれるような表現ができるのだろう、方法としてそれをやっても、それは受け手にばれるし、それは誰の芯も揺らさない。

2015.8.20 1172 『行為の中に生まれた思考、運動、軌跡』

08 21, 2015 | 日記2015

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・山下清の「いつも急に雨が降ってくるので 今日は珍しく降らなかった」というような文章。接続詞のない、普通であれば繋がりに違和感を感じるような文章。

 後ろの文章(今日は——)の置き方によって、先に書いた文章が書き換えられる(例えば、「今日は珍しく降らなかった」と書いた後に、「降ってくるので」を「降ってくるのだけど」に書き換える)、というようなことは普通ならばよくあるけれど、山下清のような人はそれをしない。

 先に書かれた文章は、先に書かれたものとして、後に書かれる文章に影響を与えるけれど、書くという行為を前に進めるためには、文章のまとまりの良さのために先の文章に変更を加えない。文章として読み手に違和感を与えるものだとしても、それがその人の書くという行為の中に生まれた思考、運動、軌跡だから。


・山下清の文章はそんなことを考えることができて面白い、と書きながら考えて、そしてこれって、文章だけに限らず音楽にあてはめて考えることも出来ると思う。

2015.8.19 1171 『いつも急に雨が降ってくるので 今日は珍しく降らなかった』

08 21, 2015 | 日記2015

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・言葉の並びが気持ちよい。山下清「裸の大将放浪記 第二巻」より。

【日が暮れそうになると いつも急に雨が降ってくるので 今日は珍しく降らなかった あしたになって 皆で庭に麦を干して 昼から僕はよその畠の草取りの手伝いに行く】p,211

2015.8.18 1170 『「歌が上手くなりたい」などと思っていたのは』

08 18, 2015 | 日記2015

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・「仕事は何?」 と聞かれたら一応「植木屋」と答えることにしているけれど、どちらかというと植木屋は趣味なので、ぼくは趣味でお金を稼いで、食べている。それを職場の人間にも公言しているし、それで結構。「じゃあ音楽は?」 と聞かれれば、それは趣味でも、食うための手段でもない。

・「歌が上手くなりたい」などと思っていたのは、二十代の初めまでのことで、それ以降は「『上手さ』などというものにいかに関わらずに表現するか」の場所にいる。

2015.8.17 1169 『こんなことしか書けない男の日記』

08 17, 2015 | 日記2015

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・録画していた谷川俊太郎の「情熱大陸」をみて感動する。

・テレビで観る甲子園の球児たちの顔つきにいちいち感動する(彼らの物語にではない)。「若いうち」などと、大人ぶって、自分の十代を振り返って郷愁に浸る大人たちも馬鹿らしい。三十代でも、四十代でも、そういう顔(怪しくとも)を見せることが、彼らへの大人側の回答でしょうに。

・今日は酔うた。酔うたらこんなことを書く、こんなことしか書けない男の日記。

2015.8.16 1168 『バケモノの子』

08 17, 2015 | 日記2015

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・「バケモノの子」を観にいく。

・宮崎駿のように、自分でも終わり方を知らない状態で書き進めていく(物語の終り方を決めないままに、映像を作る作業を進めていく)作家と違って、始めから終りまで物語としてしっかり成立させた後で、映像をつくる人なのだろうか。

・物語、映像の両方に気がいく。分散する。させる。意図的? それらを分散する、ということは「多」に向ける行為としては成功する、と思う。が、そうなると濃さとしてはどうだろうか。

・単純に映像を楽しんだ、物語とは別に。

2015.8.15 1167 『祖父の新盆の一日』

08 16, 2015 | 日記2015

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・蝉の声は少なく、日暮れも早くなり、朝方の空気は涼しいのでようやく冷房に頼らず眠れる、など、夏真っ盛りという言葉は八月のことかと思っていたけれど、徐々に季節は秋に向っていくのだ、と実感する、祖父の新盆の一日。

2015.8.14 1166 『曇り空に花火』

08 15, 2015 | 日記2015

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・降り止みを繰り返して小雨、曇り空を登る一つの螺旋、一瞬の沈黙の後に霞み花火、追って鳴る轟音に揺れる身体——

・何年かぶりに花火をみにいく、曇り空に花火、もまたいい。

2015.8.13 1165 『墓参りの途中でウドの花を知る』

08 15, 2015 | 日記2015

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・タラの木の小さな白い花が咲いているのを眺めていたら、足元に咲いている花を指差して、伯父が「これ何の花だがわがっかや?」「知らね」「ウド」。墓参りの途中でウドの花を知る。

・春の山菜として新芽を食べるものは、お盆の時期に花を咲かせるものが多いらしい。

2015.8.12 1164 『甲子園をずっとラジオできいている』

08 13, 2015 | 日記2015

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・最近あまり頭を使わない、と思っていて、きっと仕事中に甲子園をずっとラジオできいているからだ、と勝手にこじつけた。ラジオの野球中継って、テレビのバラエティーと似ていて、ただ耳とか眼とか動かしているだけで情報が入ってくるもので、こちら側の働きかけはほとんど必要がない、頭を使う必要がない。

 甲子園とくだらないバラエティー番組の内容が一緒だ、というのではなく、こちらの働きかけ(集中して何かを汲もうとする)が必要なく、言葉や映像を浴びていれば事足りる、という部分が似ている。甲子園のラジオ中継は実況の人がうまければうまいほど、言葉からイメージは容易に喚起されるのだし、なおさらこちらの想像力は必要なくなる。

 だから何だ、ということはないけれど、普段のラジオ番組であれば、「聴く」という行為にもう少し頭を使う。本を読もう。甲子園も聴こう。

——————

・そうか、技術が高くなればなるほど、受け手の「想像力」は失われていく(必要なくなる)のか、と書きながら思う。技術の進歩と想像力の危機。望んでいたものが実現していくことによって奪われてしまうもの。

2015.8.11 1163 『規範の外に漏れ出ていく』

08 13, 2015 | 日記2015

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・演者の頭が身体を制御する立場にない時、「間違い」や「ミス」と感じることが聴き手側に起こったとしても、それはそれらを含めて、全て表現なので、進もうとする身体の舞踏。それらは規範の外に漏れ出ていくものなのだから、それらを規範に依って縛ることは出来ない。規範に則って論じることも出来ない。

・それは音楽に限らず、言葉を扱うジャンルにおいても。

・頭、身体とわけるのはおかしいといわれるだろうけれど。身体がそれまでの身体を更新していく最中に起こること。

2015.8.10 1162 『「間違い」などというものはない』

08 13, 2015 | 日記2015

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・ライブ後、たまに「間違った」と悔しがる人がいるけれど、それは発表会的に考えて(譜面をなぞる)いる人の中で起こる「間違い」であって、そういう人たちは、自分の知らない音を自分が奏でてしまう現象の起こる歓びを知らない。それは発表会的発想の先には生まれない、それとは別の思考(それまでの自分には出来るはずのないことを身体が体現する歓びを知る)の先にしか生まれないのだし、身体が好きに動いている状態において、「間違い」などというものはないし、或る意味それはより高く飛ぶための助走の一部。

・ジャンルにもよることなのだろうけれど、譜面ありきの音楽でない、なぞるものでないのならば特に。

2015.8.9 1161 『他者の 言葉』

08 10, 2015 | 日記2015

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・言葉を伝えるため の音楽ではない にせよ その思考を支えるは他者の 言葉

・言葉によって 歩いて 歩いて 歩いて ギリギリで 放棄する 身体に 指揮を委ねる

2015.8.8 1160 『一定の輪郭を与える』

08 09, 2015 | 日記2015

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・言葉。武満徹対談集「音楽の庭」より。

【音楽が、言葉とは違ったところから出て来ることは確かだね。幾らぼくが言葉を書いても、その言葉とは全く違ったところから出て来る。けれども、出て来るまでに、音楽的な、言葉にならない、もやもやしたものがいっぱいあるわけ。それを言葉と自分が或る交渉をもつことで、もやもやした対象に、一定の輪郭を与えるんだ。】p,120 武満徹

2015.8.7 1159 『デレク・ベイリーの音楽は夢を見ている人の頭の中のようだ』

08 08, 2015 | 日記2015

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・デレク・ベイリーの音楽は夢を見ている人の頭の中のようだ。

・拙い言葉だけど、聴く度にそんな風に感じる。

・何故かしらないけれど、デレク・ベイリーを聴いていると「考える」行為が進む。進むというか、言葉が流動して、固まらずに、色々なことと結びついて飛び跳ねる。

2015.8.6 1158 『祭り囃子に誘われて』

08 08, 2015 | 日記2015

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・花笠祭り。二日目。

・祭り囃子に誘われて外へ。逆らう人並みの中には小さな子どもも歩く。その視線を想像する。こわくないものだろうか。派手な色の服を着た大きな人間がぞろぞろと、かき分けてもかき分けてもまだ押しよせる。子どもの頃のぼくはその光景(視線)に泣いたりしなかったのだろうか。

2015.8.5 1157 『影』

08 08, 2015 | 日記2015

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・振り払えない影みたいに 音楽を考え演奏する それからどうしても離れられないのだから ずっと一緒にいる 夢や目的とは違う地平で紡がれる行為

2015.8.4 1156 『音そのもの、声そのもの』

08 08, 2015 | 日記2015

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・それは日本語であるから伝わる、ということか、どうか。

・言葉以前というのか、言葉を越えたものというのか、あるいは音楽言語というのか、わからないが、(意味の媒介を目的としない)音そのもの、声そのもの、を受け、起こるもの。

2015.8.3 1155 『世間に居着かないでもいい』

08 05, 2015 | 日記2015

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・言葉。

【少数のともだちがいて 無名とは言えないが 都会の片隅でひっそり暮し 食べていける程度の低い収入と 自由に使える時間があり 経験や技術にしばられず すこしずつあれこれのことをためしてみることができれば 世間に居着かないでもいい】高橋悠治

・この人の言葉にぼくはいちいち感動する。

2015.8.2 1154 『手慰みに ギターを弾く』

08 03, 2015 | 日記2015

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・ここ一週間の暑さで体調を崩して、いや、それが原因かどうかはわからないじゃないか、とにかく、体調を崩して身体が——

・横になって 天上を見上げ 手慰みに ギターを弾く

2015.8.1 1153 『その瞬間的な存在』

08 03, 2015 | 日記2015

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・言葉。

【インプロヴィゼーションの反対者であるか支持者であるかは、インプロヴィゼーションがその一回限りという性質をもっている、いやほめたたえさえしているという事実にたいしてしめす態度で、はっきり区別できる。多くの人が即興演奏に熱中しているからには、即興演奏の変わらぬ魅力のひとつはその瞬間的な存在、すなわち後に記録がいっさい残らないということになるだろう】デレク・ベイリー

2015.7.31 1152 『いつまでも「意味以前」で聴くことが出来ること』

08 03, 2015 | 日記2015

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・NIna Simoneを 言語の違う国に生まれたことで 言葉が意味として成り立たない 歌をそのまま音として聴くことが出来ること いつまでも「意味以前」で聴くことが出来ること

・ラジオからニーナ・シモンのトリビュートアルバムでローリン・ヒルが歌う「Feeling good」が流れて聴いた。ローリンがほぼ原曲のまま、カバーというより、色づけしたコピーのように歌う。ことに驚いた。

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