2015.7.30 1151 『わかるから引用するというものでもないでしょう』

07 31, 2015 | 日記2015

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・言葉。

【風がきっかけとなり 水の分子運動がさざなみとなり 同時に立ち上がって水面を区切る 弱く小さなうごきが 大きな関節でも末端でも同時に起こり それぞれの方向にかってにうごく 中心も軸もなく 全体と要素にも分かれていない】高橋悠治

・何を言ってるかなんてわからない、わかるから引用するというものでもないでしょう。

2015.7.29 1150 『音を媒介にして言葉を伝える のではなく 出音すること そのものが』

07 29, 2015 | 日記2015

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・音を媒介にして言葉を伝える のではなく 出音すること そのものが一つの目的であるような音楽の 歌の 考え方。

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・それまで停まっていた木から飛び立った蝉が、寺の御堂の入り口に張られた蜘蛛の巣にかかって、バタバタと羽を動かしているとすぐさま、サクランボ大の腹を持つ、今まで見たことのない大きさの黒い蜘蛛が蝉に近づいてきて何かしたあと(どうやら毒を射して)、またすぐに離れて、蝉のバタバタが静かになっていく様子をじっと見あげている、のは休憩中お茶を飲んでいる私。

 それは昨日のことで今朝、蜘蛛の巣を見上げたら、蝉の身体はそこにはなくて、蝉の暴れた部分だけ糸がちぎれていて、ちょうど巣の下の地面に蝉の死骸が落ちている、見ると、身体の外側はそのままだったけれど、腹の部分は空っぽだった。いつまでも巣に絡ませていたら、他の餌になる虫にとっては、警戒する原因になるから、巣の外に落とすのだろうか?


・死んだ蝉の羽が急に動く。一匹の蟻が、自分より遥かに大きな蝉の羽を運ぼうとしている——。

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・連鎖を眺める。スケッチ。

2015.7.28 1149 『ピーター・バラカンは「音楽」の話しをしていて、「業界」のことなど歯牙にも掛けない』

07 28, 2015 | 日記2015

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・車の中でずっと、届いたデレク・ベイリー「Miracles」ばかり聴いている。

・何度聴いても、曲を少しも覚えることができない、という凄さ。毎回初めて聴くように音を追うしかない。

・「CDの売れ行きが以前に比べて少なすぎる」などということが、音楽業界の低迷、というのならば、そんな業界はすぐにでも終わればいい。そこだけを論じる業界そのものがおかしいのだから。そもそもCDが異常に売れた時代の音楽にまともな音楽が在ったのかどうか。フォーマットがCDからダウンロードへ移行していく様を憂いているのは、結局その時代の恩恵を受けた人ばかりで、それは「業界」の話しであって、「音楽」そのものの話しを誰もしていない。

・ピーター・バラカンは「音楽」の話しをしていて、「業界」のことなど歯牙にも掛けない。

2015.7.27 1148 『とにかく書く。という日記』

07 28, 2015 | 日記2015

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・読む人がどう思う、かどうかはまず、どうでもよくて、とにかく日々書く、修行のように書く、ということ、けれど、日々書くことに迫られて、書けないはずのことを書く修行にならないこともある、けれど、とにかく書く。という日記。

・ミンミンゼミの「必死」さ、あれが不意に自分にめがけて飛んでくる恐怖。

2015.7.26 1147 『記述するということの目的と対立し』

07 27, 2015 | 日記2015

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・客の長居を阻止する手段なのだろうか? とすら思うような、冷房の効きすぎる、半袖では震える店で、アイスコーヒーを飲みながら、読む。

・言葉。デレク・ベイリー「インプロヴィゼーション 即興演奏の彼方へ」より。

【インプロヴィゼーションはけっしてとどまることなく、つねに変化し状況に合わせて姿を変えているので、分析や精密な説明をするにはあまりにとらえどころがない。本質的に非アカデミックなのである。そして、それ以上に、インプロヴィゼーションを説明しようとするどのような試みも、ある観点からすれば不誠実にならざるをえない。というのも、進んでインプロヴィゼーションをやろうとする精神の中核には、記述するということの目的と対立し、またその観念と相容れないなにかがあるからなのだ。】p,8

2015.7.25 1146 『一人は山形に、一人は神戸に』

07 25, 2015 | 日記2015

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・【誰かのライブを体験しながら 「あ、この人は昨日もこれと同じ演奏をして同じMCをしたんだな」と感じた瞬間 飽きる ぼくの中で それは「ライブ」でなく 「営業」】

・と一昨日酔いながらツイートした、自分の書いたことだけれど、そうだよな、と思う。

・音楽でメシを食う、ということがその人(音源を売る手段としてライブをしている人)にとって一番大事なのかもしれないが、食べるために、音源を売るために——という、その地点からなされるライブほどつまらないものはない。ライブを馬鹿にしてますよ。

・「音源なんて、そんなものはつくらへん」と、ある人は、神戸で呑みながら言った。そこが凄いと思う。切望されているにも関わらず、彼はそれをやろうとしない。もし今後、彼が音源というものをつくるとしても「言うてること違うじゃないですか」などとぼくは言わない。彼の根っこにあるのがそういう考えだということを知っているから、きっとぼくは歓ぶと思う。

・いろいろとライブを見てきたけれど、見てきたなかで、自分と同じような考えを持ってライブに向き合う人を、今のところ二人しか知らない。一人は山形に、一人は神戸に。二人とも、思考だけでなく、音そのものがスペシャルだ。いや、その思考があるからこその。紡ぐ音にそれが現れる。

2015.7.24 1145 『今はミンミンゼミの』

07 25, 2015 | 日記2015

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・デレク・ベイリー「インプロヴィゼーション 即興演奏の彼方へ」が序文の部分で既におもしろい。

・ニイニイゼミの鳴く声を聴き取って、それに驚いた、ことを書いた日からどれくらい日がたったか、二十日ほどか、ほどなのに、今はミンミンゼミの盛大な泣き声が響く中で、二日酔いを抱えて、背の高い松の手入れをする。視線を下にやるとコンクリートで、怯える。想像力があるということはこわい。

2015.7.23 1144 『皆が悲しい顔をして、涙を見せるようなことが葬儀の在り方、死者の弔い方だと思うことは、ドラマの見過ぎじゃないか、』

07 23, 2015 | 日記2015

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・母方の親戚が集まるのは自分が成人してから初めてのことで(多分そうだと思う)、ゲラゲラと笑いながら、通夜も本葬も過ごして、他の人たちの葬儀はどういう状態なのか知らないけれど、わたしの祖父母の葬儀の場合は大抵そうなる、というかそうなった。皆が悲しい顔をして、涙を見せるようなことが葬儀の在り方、死者の弔い方だと思うことは、ドラマの見過ぎじゃないか、とすら思う。

・「ほらまたじいちゃん来た」と葬儀の最後の会食の時に飛び回る蠅をみて、皆が言う。妹の言葉は広がって、共有された。じいさんは、妹のところにばかりいく、喧嘩ばかりしていたぼくのところには全然こない、というのがいかにもあの頑固なじいさんらしい。

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・「ライブ」というのが 自分の日々の練習の成果を「間違えず」「ミスすることなく」見せるものだとすれば それは小学生のピアノの発表会で事足りる 子どもを馬鹿にするわけではなく むしろ大人側の 演奏する側の 聴く側の「ライブ」というものの考え方のレベルを問われる 「ライブは発表会じゃない」

2015.7.22 1143 『妹が「その蠅、じいちゃんだから、叩かないで」と言った』

07 22, 2015 | 日記2015

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・寺の手入れをしている最中に祖父(親方)が死んだので、中断していた手入れを今日再開したが、その寺は祖父の家の墓がある寺で、自分の入る墓がある寺の手入れの途中で死ぬなんて、なかなか粋じゃないか、と思った。

 僕以外の親戚が法要する最中に手入れをしたのだけれど、いつもより丁寧に仕事をしよう、などと思うことが出来なかったのは、今日の強烈な暑さのせいかもしれなかった。


・「受けとることが出来ない人は、渡すこともできない。」と、いう言葉が浮かんで、それを仕事中ずっと反芻していた。

・もっとちゃんと言葉にすれば、「誰かから受けとることのできない人間は、誰かに渡すことは出来ない。」

・表現する、ということも、自分が何かを「する」という行為ではなくて、前提は「受けとる」というという行為。「聴く」ことが出来ない人間に「演奏」することは出来ない、とか、「読む」ことの出来ない人間に「書く」ことが出来ないという、ようなこと。

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・死んだ祖父は、蠅になって、通夜に出された料理をつついたり、孫娘の髪を撫でたりしている、親戚の誰かが料理にたかる蠅を叩こうとした時、妹が「その蠅、じいちゃんだから、叩かないで」と言った。

2015.7.21 1142 『祖父の本葬は、朝からじりじりと暑い日だった』

07 22, 2015 | 日記2015

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・祖父の本葬は、朝からじりじりと暑い日だった。

・祖父が死んだ。というより仕事の親方が死んだ。という事実からくる感情の方が大きい。何年もの間、月曜から土曜まで一緒に仕事をした、日々の動きを共にした人が死ぬ、ということを初めて経験した。父方の祖父も、祖母も亡くなったけれど、離れて暮らしていたので、それは「祖父母の死」だったけれど、今回はまた別の死の在り方だった。悲しい、という感情ではないけれど、日々の仕事の様子を知っていた人が死ぬ、ということはこういうことか、と。

・誰かの「死」に起こる感情は、血の繋がり、続柄というよりも、時間を共に過ごした人の方が強い、という言い方はおかしいだろうか? 全然おかしくはないだろう。と思う。

2015.7.20 1141 『祖父の通夜』

07 21, 2015 | 日記2015

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・祖父の通夜。

・一匹の蠅が飛び回って、通夜の料理に止まったりするのをみて、「あらやんだ、蠅だ」と親戚の誰かが払おうとしたれど、妹が「その蠅じいちゃんだがもしんねがら、そのままにしとぐべ〜」といって、ぼくら兄妹はそういう思考するらしく、それで、じいちゃんはこの夜蠅になって、自由に飛んでいた。

2015.7.19 1140 『わたしの中で祖父は急に死んだ』

07 21, 2015 | 日記2015

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・朝四時過ぎに、母親から入った電話は、ケアハウスに入っていた祖父の死の知らせで、「夜容態が急変、一時意識なし、けれど、今は安定しているから、他の人は返した、長いたたかいになるかも、、、」と夜中の二時頃に入っていた母親からのメールは、眠りで気がつかずに電話の知らせのあとに確認したから、わたしの中で祖父は急に死んだ。

・昼前に葬儀場に顔を出して、祖父の死に顔をみて、仮通夜の手伝いをし、夜は山形タージにてライブ。その場で生まれる、その場でしか生まれない音が生まれた。こういうライブがしたい、というライブ(理想の形というより、理想を持たない、形を持たない、というライブ)ができたように思う。それに祖父の死が関連しているとは思わないが、、、。自分の成長を感じることができる場所だった。

2015.7.18 1139 『クマバチ』

07 21, 2015 | 日記2015

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・白いムクゲの花 

 から飛び出した花粉まみれのクマバチ 

 を見送る先に広がる梅雨の曇り空。

2015.7.17 1138 『固まる糸を解くように、言葉の意図を解くように』

07 17, 2015 | 日記2015

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・固まる糸を解くように、言葉の意図を解くように、知らない誰かが操る身体を、指のあそびにまかせて、辿り着くことのない城へ、壁の周りをうろつく、ただ歩く、ことで生まれる音。 

・「国」という単位 だけを愛す人は その国に生きる「人々」に向ける愛を知らない。

・酋長。諸星大二郎「マッドメン」の主人公の一人、未開の土地の酋長になる人間が、混血である、ことはおもしろい。声を聴くものは?

2015.7.16 1137 『かためないで あそばせておく』

07 17, 2015 | 日記2015

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・言葉。

【その瞬間のからだのなかのちいさな変化を見ようとすると からだ全体がゆるんでくる ピアノの練習も細かい変化が指で感じられたら その感覚を かためないで あそばせておく】高橋悠治

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・孤高ゆえの優しさ。

2015.7.15 1136 『対決しているものがあるとしたら、その瞬間以前に僕が演奏した音楽の全てだろう』

07 15, 2015 | 日記2015

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・言葉。ベン・ワトソン「デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語」『老いることと即興者でありつづけること』より。

【(等分のテンポをカップとスプーンでたたきながら。考え込んでいるときは、どういうわけかリズムが止まる)音楽で聴衆と対決していると感じたことはまったくない。対決しているものがあるとしたら、その瞬間以前に僕が演奏した音楽の全てだろう。これはますます大きな問題になってきている気がする。いや、問題にしなければならないし、そして、たしかに問題だ。はっきりとした解決策を探しているのだが、それが聴衆の前で演奏していると、どうもボカされてしまう。この年齢になると、今の問題、つまり、かつて演奏してきた音楽でない音楽、という難問が実に面白い。】p,536,537

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・なんてシビれる言葉。

2015.7.14 1135 『38度近い』

07 15, 2015 | 日記2015

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・最高気温が38度近い一日。

・いくら言葉で情景を書いても、眼で見たそのものを起すことは出来ない、それは眼で見るしかない、音を聴いて、言葉にしてもそれが音楽には成らない。

・けれど、磯崎憲一郎の言葉で書かれた文章によって生まれた感覚は、言葉によってしかうまれないもので、書くことが実際見るという行為を上回る、———

2015.7.13 1134 『小さな鳥の骨を含めての糞を』

07 13, 2015 | 日記2015

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・最高気温が37度を越えたけれど、それは百葉箱の中の話で、手入れする庭の家主が自ら計った庭の温度は43度を越えていた。午前中の、まだ最高気温に至るずっと前の時刻から、既に、緑のTシャツの色は胸の部分からじっとり濡れ初めて、ずっと濃い緑に移る、———

・飽きる、自分の音楽に。久しぶりに河原で歌った。それで、自分に飽きる。自分に飽きたからといって、お客さんも同様に飽きる、とは限らないけれど、自分に飽きているのにそれを変わらず人前に提示することなんて、できない。くだらない。策を練る、なんて小手先のことではなく、もっと根本的に変わらなければならない時期なのだろう、きっと。

——————

・肉食動物の糞の中に、小さな鳥の骨が、それはどうみても小さな鳥の骨だ、と認識出来るような形で在って、その糞を、小さな鳥の骨を含めての糞を、無数の蟻たちが巣へと持ち去ろうと、動いている。

・(言葉による景色のスケッチ。)

2015.7.12 1133 『冷房のないラーメン屋で、辛い担々麺を食うと、とても暑い、のでもうしない』

07 13, 2015 | 日記2015

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・冷房のないラーメン屋で、辛い担々麺を食うと、とても暑い、のでもうしない。

・カフカの書く、垂直方向への動き(馬が壁を突き向けていく様)を、保坂和志「カフカ式練習帳」のあとがきで磯崎憲一郎が書いていて、かれの小説「肝心の子供」の終りの、子どもが虎に追われて、それから逃れるためにヒマラヤ杉かなにかを、登っていく描写で、読む側の視線がその動きにつられて垂直方向に伸びていく感覚が生まれた箇所、あれは、カフカへの憧れから生まれた文章なのか、そうかもしれないと思って感動する。あの描写は凄い。その文章から生まれる視線の動きは凄まじかった。

・小説の中の「言葉」が残るのではなく、その文章から起こる「感覚(視線の運動)」がありありと読む側の身体に刻まれる、という経験はなかなか出来ない。その感覚が小説を読み終えて何年か経過してもいまだに残っている。

2015.7.11 1132 『矛盾を豊かに秘めて』

07 12, 2015 | 日記2015

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・言葉。本棚から。岡本太郎『一平かの子』より。

【岡本かの子の生身にふれた多くの人たちが、その特異で猛烈な性格にかなり面喰らったようだ。人によってはそれを、たいへん美化するし、またひどく嫌悪してもいる。 いずれにしても、岡本かの子は普通ではなかった。私の幼心にやきついた母親のイメージとしても。 彼女は大母性といわれたり童女といわれたり、また人によっては古代の巫女のようだなどと言ったりする。 まことに神秘なほど複雑な面と、ひどく無邪気、むしろ幼稚な面が、異様な形で彼女の中に存在していた。それがとかく大人ぶった同時代の知識人たちには、不可解であり、そのナマな肌ざわりが、どうも、やりきれなかったらしい。 しかし本当の芸術家というのは決して「大人」ではなく、そういう矛盾を豊かに秘めているものではないだろうか。】p,232「童女の呪術」。

2010.7.10 1131 『そろそろ口をゆすいで眠ることにする』

07 10, 2015 | 日記2015

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・梅雨、と季節はいうものの、雨は降らずに、三十度を越して、太陽の光はアスファルトを媒介に熱を返す、腹部の汗は薄いTシャツの色を濃す、仕事帰りにスーパーに寄って、赤札のついた豚タンを買って、シャワーを浴びて、豚タンを串に刺して塩をふり、キャベツの芋どこの浅漬けをしこんでから、少しだけ腹筋や背筋のトレーニングをしたら、豚タンを焼いて、ビールを呑んでみる、うまい、という、のが、今日の流れ、というのを、歯磨きしながら書いているから、文字打つ指がたどたどしい、し、先に何を書いたのかよくわからない、ライブのようだ、そろそろ口をゆすいで眠ることにする。

2015.7.9 1130 『木槿が咲くと、そろそろ夏だな、』

07 10, 2015 | 日記2015

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・信号の右折待ちで、初心者マークのつく車が反対の車線から直進して信号を通りすぎる、髪の黒い若い女性が暑さから窓を全開にして、肘を外に出して運転していて、その女性の顔と、肘の出し方と、初心者マークが不釣り合いで、感動した。

・木槿が咲き始めている、木槿が咲くと、そろそろ夏だな、と思うようになった、のは最近ことで、何年か前にはそんなこと思わなかったのに、と思う。

『好かない場所では歌わない』

07 08, 2015 | Liveのお知らせ

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久々に地元山形で歌います。
なぜ地元山形はこんなにも歌う場所がないのだろう。
知らないだけでしょうか?

とはいえ好かない場所では歌わない。
それは前提。
そんなことしてまで知られたい、などとは微塵も思わない。

7/19(日) Tarji Night
出演 島津田四郎(香川) / 松沢春伸 / 渋谷トシアキ
Open 19:00 Start 19:30 チャージ ¥1500(ドリンク別)

Bar Tarji

2015.7.8 1129 『そんなの「弾き語り」といわないじゃないか』

07 08, 2015 | 日記2015

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・今宵はBob Dylan「Shadows In The Night」を聴く。全曲バンドの一発録音。今やいろんな録音方法がある中で、例えば「弾き語り」といってる録音でも、ギターとボーカルを別々に録ったりする人もいる。とりあえず拍のきちんととれたギターを録音して、それから納得のいくテイクが録れるまでボーカルを録り直したり、もっといえばその中から継ぎ接ぎしたりする。

 そんなの「弾き語り」といわないじゃないか、というのは時代遅れの人間の戯れ言、として片づけられるものだろうか?

 ディランに関しては、ずっとそれ(一発同時録音)をしているのだから、今回のアルバムもその思考の先にあるので、彼にとっては当たり前かもしれないけれど、いろんな録り方ができるよ、というこの時代にそれをあえてやる(しかも一人の弾き語りでなく、バンドの!)という、その様に、その選択に、その音楽との、録音との向き合い方に、どうしても惚れる。

・誰かの音楽を好きだと思うとき、ぼくはその人自身の考え方を含めて、というか、むしろ音として残されたものより、その思考、姿勢に惚れることが多い、ので、基本的にたくさんを好きにはなれない。けれど、単に音だけを好きになるのではないから、好きになった音楽家はずっと好きということが多い。

・音楽はやはり残された音に、その人の選択、思考が現れてしまうものだから、音楽以前のその人の音との、世界との向き合い方、——何を言いたいかわからないが、自分もそうありたい。と願う、願うというより、そうでしかいられないのだが。

・殴り書き。

2015.7.7 1128 『寝るなよ、ヘビがいるから』

07 08, 2015 | 日記2015

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・言葉。ダニエル・L・エヴェレット「ピダハン」より。

【ピダハンは夜わたしの小屋から立ち去るとき、いろいろな言い方でお休みの挨拶をする。たんに「行くよ」と言うだけのこともある。けれども彼らがよく使う表現で、はじめは驚かされたもののわたしがすっかり気に入った言い方があって、それは「寝るなよ、ヘビがいるから」というものだ。】p,5 プロローグより。

2015.7.6 1127 『私は歌うたいだ』

07 06, 2015 | 日記2015

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・崩れるぞ、
 ほら、
 空を覆う、
 あの高くそびえる壁が。
 土煙と轟音、
 喚き叫ぶ人々の声を包む。

 砂埃の隙間から
 遮られていた太陽の仄かに光。

 草木がなぎ倒され、
 瓦礫に埋もれて、
 静かに死んでゆく最中、
 名もない汽車の汽笛の鳴る——

 その汽笛の歌を消すものは、
 もう何もない。

—————————

・言いたいことは、ない、ただ「崩れるぞ」と始めた、だけ。

—————————

・また始めよう、始めなければならない。私は歌うたいだ。
 

2015.7.5 1126 『紅花の生花を買ったけれど、花を生ける器などないので』

07 06, 2015 | 日記2015

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・紅花の生花を買ったけれど、花を生ける器などないので、どうしようか、結局、空いた安スコッチの瓶が紅花を——。全ての花が咲ききったら吊るしてドライフラワーにするといいですよ、とお店のお姉さんが教えてくれた。

・寺の境内にある大きなけやきをみようと近づいている途中に「あっー」と大きな声で叫んでしまったのは、蝉が鳴いているのに気づいたからで、気づく前から蝉は鳴いていたらしく、一度蝉の声を認識すると、蝉は何匹も鳴いていた。ニイニイゼミ。

2015.7.4 1125 『田んぼの中にサギの群れ』

07 04, 2015 | 日記2015

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・田んぼの中にサギの群れ、二、三羽程度の群れを見かけるようになった。サギは単体で見ることが多かった。

 あの小さなサギたちは今年生まれたものだろうか、そうかもしれない。去年、の六月に、くも膜下出血で入院していた祖母の見舞いの帰りによった、名前を忘れた神社の背の高い木々、あれは杉だろうか、の、てっぺんにたくさんのシラサギが子育てをしていて(サギは団体で子育てすることによって外敵から身を守る)、そのギャーギャー鳴く声や、糞の匂いに、サギの生態を知って、けれど、祖母の容態に落ち込んでいて、それほどしっかり観察出来なかったことを思い出す。

 だから、それが六月の半ばだったのだから、今、この時期にシラサギの雛たちが巣立って、田んぼで狩りの仕方を母サギに教わっていてもおかしくはない、とこうして書きながら納得して、きっとあの小さなサギを連れた群れは親子サギだ、と思うことにしてみる、その推測が当っているか、は全然知らずに。


・日記の滞納。

2015.7.3 1124 『身体の遊戯』

07 04, 2015 | 日記2015

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・思惑を越えていく。それは他人のということよりも、自らの。そもそも思惑など設定しない、という場所に。身体の遊戯。

・言葉。

【楽譜や音符は眼のためのもの それがいけないということもないが 抽象的な図式や操作よりは 楽器という硬い表面をさする手ざわりや うごきかたが 似た ような跡をなぞりながら すこしずつ範囲をひろげて ちがうところをためしたり 手を遊ばせているうちにできてくるなにかのほうが 発見のおもしろさがあ るような気がする 
】高橋悠治

2015.7.2 1123 『根拠はそのつど自分で作り出すこと』

07 04, 2015 | 日記2015

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・言葉。保坂和志「カフカ式練習帳(文庫版)」より。もしかしたら単行本を読んだ時に付箋していて、ここでも一度書いたかもしれないが。何度でも。

【芸術に接するときに根拠を求めてはならない。根拠はそのつど自分で作り出すこと。社会で流通している妥当性を求めないこと。芸術から見放された人間がこの社会を作ったのだから、社会は芸術に対するルサンチマンに満ちている。彼らは自分が理解できないものを執拗に攻撃する。自分の直感だけを信じること。もし、】p,413

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