2015.6.29 1120 『ディランだって、孫を抱く』

06 29, 2015 | 日記2015

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・ホワイトホースのハイボールを呑みながら、洗濯完了の音が鳴ったので、それが聞こえたので、洗濯物を干す。梅雨入り宣言がなされた山形には、明日、雨が降るだろうか、夜中に干された洗濯物は乾いてくれるだろうか、などと思いながら、こうして文字を打つ。

・表現する側の人間の「日常」が排除される、というか、そういう「生活」を感じさせないのが表現者の在り方、だった時代は在って、けれど、ぼくは、自分の尊敬する表現者が、彼も、同じように「日常」を生きているのだな、と思える瞬間、が好きで、ぼくも頑張ろうと思えた、ことを思い出している。

・二日酔いもするし、洗濯もするし(いや、そんなこと人に任せてしない人もきっといただろうけれど)、恋文を書いたり、ふられて落ち込んだり、スーパーのレジに並んだりする。そういう彼ら(表現する人間)の日常を、極力表に出さないで、カッコつけることもできるだろうけれど、ぼくは彼らにも彼らの「日常」の風景がある、ことを感じることが出来た方がいい。ディランだって、孫を抱く。

2015.6.28 1119 『改めて』

06 28, 2015 | 日記2015

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・「『べき』思考には気をつけなさいよ、人を許せなくなりますからね」と、言われて、そうですね、柔らかく、ある程度は、柔らかく生きようと、改めて思いました。

・子どもの頃の写真をみて、自分の過去を懐かしむだけでなく、周りの人たちが自分のことをどれほどかわいがってくれていたのかを確認する、改めて。

2015.6.27 1118 『雨が降りますよ、今日はずっと』

06 28, 2015 | 日記2015

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・雨が降りますよ、今日はずっと雨ですよ、という予報に反して、それほど雨は降らなかったので、長靴しか用意していなかった先輩はずっと「蒸す、暑い、暑い」を言い繰り返していた、足袋を持ってきていたもう一人の先輩のじいさんは、空の様子を見て、長靴から足袋にすぐさま履き替えて、長靴を履き続けながら「暑い」と言い続ける方の先輩の様子を眺めて、笑っている。

2015.6.26 1117 『山下澄人のような書き手でも』

06 28, 2015 | 日記2015

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・言葉。Twitterより。

【又吉さんがアメトークでコルバトントリをおすすめしてくれてた。ほんとうにありがたいです。】山下澄人

・山下澄人のような書き手でも、こういうことを気にするのだな、ということ、がとても面白い。

2015.6.25 1116 『紅葉の葉のつくる影に眠る柴犬』

06 25, 2015 | 日記2015

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・自分の言葉、などというものは存在するだろうか。「わたし」というのはどう成るのか。

・「自分らしく」という言葉が自分のみの「オリジナル」の、ということならば、その考えは、あまりに安い。

・他者の言葉。を、身体、生理によって、振り分け。後、に生まれる身体。わたし、わたしだけの、などというものは、ない。

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・強い太陽光をさけて、紅葉の葉のつくる影に眠る柴犬。の横には青い花を咲かせるアジサイ。

2015.6.24 1115 『その一回性ゆえに』

06 25, 2015 | 日記2015

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・言葉。ベン・ワトソン「デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語」より。

【テレク・ベイリーのフリー・インプロヴィゼーションの思想は、ヘラクレイトスの思想と合致する——同じ川に二度脚を浸すことはできない。水は変わる、自分も変わる、なにもかも変わる。ファースト・テイクはその一回性ゆえにベストなのだ。】

2015.6.23 1114 『昼過ぎには雷が鳴るらしい』

06 24, 2015 | 日記2015

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・寺の参道の松を手入れしながらラジオから聞こえてきたのは、「自分らしく生きよう〜、それが一番だよね〜」とかいう歌詞のついた曲で、それは子ども向けの「みんなのうた」に使用されているらしいのだけれど、前から思っていたことだけど「自分らしく生きよう」という言葉は、何かを言っていそうで実のところ何も言ってないに等しい、と、また思って馬鹿馬鹿しくなって、こういうことを歌う人は以外に多くて(大人向けの音楽でも)、それが何か素敵なメッセージソングだと思っている人がたくさんいるのは、なんかださい、そんなの何も言ってないのと同じで、「自分らしく生きる」という言葉が、大体にしてもう既に多数の側からの罠、呪いのようなもので、「自分らしく生きる」という言葉に囚われながら探した先に見える「自分らしい」生き方をしているのが「自分」なのか? ぼくにはわからない。昼過ぎには雷が鳴るらしい。

2015.6.22 1113 『どうしてもというのなら』

06 23, 2015 | 日記2015

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【子どもたちに、わかりきった道を示すのはよしてくれ。どうしてもというのなら、人生の魅力だけを教えてほしいんだ。】ジョルジョ・ガーベル

・お寺の境内を自転車で走り回る小学一年生の孫娘。の声を聞きながら梅割りの作業をする住職。境内の日陰であくびをする柴犬。良天。

2015.6.21 1112 『ヤニを出すより先に、雨に濡れていく』

06 22, 2015 | 日記2015

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・通り雨というにはながく、強く降る雨を、玄関先に立って眺めている。枝を払った松の切り口が、ヤニを出すより先に、雨に濡れていく。

・暑さに喘ぎながら作業する途中に頂いたお茶。お昼に頂いた釜飯と漬け物。濡れた身体を拭くために、とバスタオル。ありがとう。

2015.6.20 1111 『約束して下さい』

06 22, 2015 | 日記2015

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今日も。保坂和志「カフカ式練習帳」より。

【約束して下さい。 ここでは、(嫌なら)出ていけ、(嫌なら)やめろ、死ね、死んでやる、別れる、見捨てる、などの、将来を断ち切る類いの言葉は使わないでください。 また、堪えがたい、我慢できない、無惨な、など、工夫なく形だけ激しい形容詞も使わないでください。 約束はそれだけです。理由はいずれわかると思います。】p,280

2015.6.19 1110 『逆算の思考をしないとき、人の考えは子どもっぽさを獲得する』

06 21, 2015 | 日記2015

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・文庫版が出たので六月六日に買っていた保坂和志「カフカ式練習帳」より。(本を買った日は最後のページにメモするようにしている)

【因果関係というとき出来事は必然の色を帯び、必然の拘束の中にあり、息苦しく、とてもつまらない。それはミステリー小説のことであり、大半の純文学のことでもあり、人の最も通俗な思考の様式のことでもある。社会の出来事を必然と捉える怠惰。

 カフカは逆算の思考をしない。カフカの思考は原因特定でなく、ただ無闇に前へ進む。カフカが難解とされる理由はそこにあるのかもしれない。それは「不条理」などでなく、逆算の思考でないということだけだ。逆算の思考をしないとき、人の考えは子どもっぽさを獲得する。】p,138

2015.6.18 1109 『過去の自分からのカウンター』

06 19, 2015 | 日記2015

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・たまに日記を読み返したりする。すると過去の自分からのカウンター。現在の自分では越えられないものとして、既にそこにあるように思えて不思議。

・実家にて夕飯をたべ、酒を呑む。生まれた時に伯父が買ってくれた大きなライオンのぬいぐるみの話しになって、そのライオンのぬいぐるみをはっきり思い出す。触れた感触も。

2015.6.17 1108 『オレンジの灯りに照らされて待ち人』

06 19, 2015 | 日記2015

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・蚊に刺された腕を掻きながらベンチで缶チューハイを呑む。夜。敷き詰められたタイルの隙間を蟻やらゴキブリやら虫たちの往来。オレンジの灯りに照らされて待ち人。

2015.6.16 1107 『フリークライミングの、次にどこに手をのばすべきか』

06 17, 2015 | 日記2015

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・言葉。

【僕が小説を書くとき自分に課しているのは、「時間がかかることを書く」。「書きにくいことを書く」。フリークライミングの、次にどこに手をのばすべきか、とっかかりを捜している状態に近い。】保坂和志

・音を発する、もそう在りたいと、おもう。

2015.6.15 1106 『血が必要というのであれば』

06 15, 2015 | 日記2015

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・血が必要というのであれば、こちらとしてはあなた方が必要な分だけ差し上げる心持ちでいるのですから、何もこれほど痒い思いをさせることはないだろう、と苛立ったりもするわけで、あなたのその毒を放棄して下されば、もっとお互い平和的に解決できる問題だと、思っています。——蚊様へ。

・本が棚から溢れてきているので、昨日本棚をつくった、買った本は売らない、という意固地。

2015.6.14 1106 『不過視のものが可視』

06 15, 2015 | 日記2015

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・不過視のものが可視。「見える」時代。

・例えば頭皮の細密な画像を見せることで、あなたの頭皮はこんなふうに汚れています、などと。そんなものが「見えない」時代には、そんな商法は通じなかった。そういう金のまわり方があって、それに対してそんなの知らんよ、と真っ正面からいえる人が増えない限り、このサイクルは続くのだろう、などと思う。いや、いくら増えたとしてもそれは止まらないのかもしれないけど。

・「授業中に前の席の女の子の頭からシラミが出てくるのなんかあだりまえだっけず」と七十代の先輩方はいう。その時代に戻ろう、などというつもりはない、ただ別の在り方はあるだろう。人は科学を抱き込んだ商法にのせられ過ぎですよね、とも思ってみる。

2015.6.13 1106 『昼、弁当のミニトマトを食べる』

06 15, 2015 | 日記2015

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・昼、弁当のミニトマトを食べる、そのヘタがそのままの姿勢でみそ汁の器に落ちて、駐車場に吹き込んでくる風に揺れている。

・お金じゃない場所で物事を考える、ということを取り戻す必要。取り戻すというより——

2015.6.12 1105 『手入れをすることを放棄された大きな庭には』

06 13, 2015 | 日記2015

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・手入れをすることを放棄された大きな庭には虫が住み鳥が巣を作り鳴いている。手入れをする側の人間としてはボサボサの庭木を見るのは悲しくもあるけれどそれらの生活が始まる様子をみることは、それ以前の人として嬉しくも思う、という職業放棄の感覚。

・買う本ばかりが増えて、読む時間がとれない、という日々が続いているけれど、どうしても買うことをやめることができない、言葉に触れたい。

2015.6.11 1104 『小さな光が見えるなら』

06 11, 2015 | 日記2015

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辿る道もなく
握る手もなく
知る顔もなく
それでも歩かなければならない
小さな光が見えるなら

・表現とはきっとそういう場所。それでも歩く、という「行為」の連続。軌跡。残した「もの」ではなく、「歩きつづける」という「行為」の。

2015.6.10 1103 『タチアオイの花が咲く。は昨日も書いたが』

06 11, 2015 | 日記2015

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・タチアオイの花が咲く。は昨日も書いたが、昨日より今日みるタチアオイの花の多さ。タチアオイの花が終われば梅雨も終わる、という言葉があるらしい、山形はまだ梅雨に入らない。同時に終りを迎える二つの内、タチアオイの花が雨に先行して咲いている。アジサイの花がもたらす色、もちらほら。

2015.6.9 1102 『タチアオイの花が咲く。と書きながら』

06 11, 2015 | 日記2015

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・タチアオイの花が咲く。と書きながら、タチアオイという言葉を知ったのはいつだったろうか、と思う。前々から知っているかのように書く、この——

・誰か、読む人を想定したら、書けないこと、想定したとしても、それが自分を知る人ではない、どこか遠くへ、あるいは、自分自身の手なぐさみ、として、書かれる文章。を書く、ということ、

・コメントをもらったりすると、あ、これは外に開かれているのだ、と改めて実感する。けれど、それはそれ。あくまでここは僕の個人練習の場所。

ブログへのコメントを下さった大阪の皆様へ。

06 09, 2015 | 未分類

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ブログへのコメントを下さった大阪の皆様へ。

非公開のコメントだと本ブログへの表示がなく、管理画面でしか確認できないため(というか、そもそもこのブログにコメントしてくれる人など珍しいので確認がおそくなってしまい)、実はたった今読みました。

次、そちらに遊びにいく時には、また違う何かを提示できるよう精進致します。
またいい酒を呑めますように。

2015.6.8 1101 『なので当然「自分に飽きる」感覚をもっていない人の表現にも飽きる』

06 09, 2015 | 日記2015

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・先日のvorz barライブの時に、福家さんがいらして、東京のライブで二人で演奏した結果自分の中で見えてきたことを話した。それは以前書いた「ドラムをリズムをつくる楽器(歌の支え)としてだけでなく、音色を持つ一つの楽器(歌と対等の)として考えること」で、とっちらかるぼくの話しをそれでも福家さんは理解してくれたようだった。それを上手くここで文章にすることはまだ出来ないけれど、それは演奏で語ればいい。具体的な形は見えないが、微かな裂け目からこぼれる光、のような存在を感じることは出来ている。

・自分に対して「飽きる」という感覚は必要。少なくともぼくにとっては。

・なので当然「自分に飽きる」感覚をもっていない人の表現にも飽きる。

2015.6.7 1100 『ホセ・フェリシアーノを聴きながら』

06 08, 2015 | 日記2015

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・ホセ・フェリシアーノを聴きながら掃除をする。苦手なことも音楽の力を借りて。

・自転車をのってたらたら。小さな川の流れる水に夕日の反射。それを横目に通りすぎる、けれどもう一度見たくて引き返す。まさに、こういう光景。光。この光を人の中に生む、そんな表現。

2015.6.6 1099 『全体とか多数とかに向かって出版されるのではなく』

06 08, 2015 | 日記2015

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・最近買った本。から。

【本というのは、全体とか多数とかに向かって出版されるのではなく、同じ志向、関心、危惧を持っている一部の人に向って書かれる。そういう人が手にするまで本屋の棚の隅にある。】

 保坂和志『いつまでも考える、ひたすら考える(「三十歳までなんか生きるな」と思っていた)改題」』文庫版まえがきより。

2015.6.5 1098 『VORZ BARの九周年ライブ』

06 06, 2015 | 日記2015

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・仙台VORZ BARの九周年ライブにて演奏。佐藤翼くん、佐々木龍大さんと。福家さんがサプライズで遊びにきてくれたのでドラムを叩いてもらって、初めましての加藤一誠さんがギターを。

・龍大さんは、「歌」の人なのだ、と改めて思う。単位が「歌」なのだ、だから「共有」が起こりやすい。

2015.6.4 1097 『次に何が起こるかを』

06 05, 2015 | 日記2015

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・今日の言葉。久々に厚い本を買った。の、帯の文章より。

【次に何が起こるかを正確に知っていることほどつまらなく、退屈なことはない。】デレク・ベイリー

2015.6.3 1096 『という気が、ずっとしている』

06 05, 2015 | 日記2015

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・この身体を置いている場所、そこからの要請、としての表現、「どこにいるか」ということは直接的に表現されたものに現れる。

・山形にいることで生まれるもの、は、東京にいて生まれるものと違って当然で、それは人が選択しているというより、自然の側からの要請という気が、ずっとしている。

2015.6.2 1095 『奇をてらう』

06 03, 2015 | 日記2015

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・ラジオを聴いて、改めておもう。

・「奇をてらう」ことを表現の核にしてる人間に興味ない。

・興味あるのはどう足掻いても「奇」になってしまう人々の。

2015.6.1 1094 『優しさの始まり』

06 02, 2015 | 日記2015

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・昨年手入れした松の、同じ場所をまた今年も手入れすると、昨年とは、自分の技量が違っていることがよく見える。音楽だとあまり実感できないこと(自分で振り返るために、聞かないし、見ないから)も、木と向き合うことで、一年分の成長を感じとることが出来る、というのは嬉しいことだ。

・「わたし」というものを、世界から区切られた個と思うより、その一部、と思えることは優しさの始まりの気がする。

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松沢春伸の日記

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