2015.4.28 1060 『吉祥寺バオバブさんにてライブ』

04 29, 2015 | 日記2015

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・吉祥寺バオバブさんにてライブ。松本敏将さんと共演。ドラムに福家さん。

・集中して拡散する。拡散することに集中する。というようなライブになった。これが聴く側の人にどう伝わるかはわからない。

2015.4.27 1059 『一人でいい。それで充分。なのですよ。』

04 28, 2015 | 日記2015

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・ライブなし。休みの日。昼前からビールを呑んで、昼寝をし、夕方からは近所の商店街を散歩。

・媚びない、という単純でありながら、それを維持することの難しさ。

というか、別にお客がいるから私が歌う、という発想が違う。

歌を歌うのは、そうであるほかないからだ。

客に合わせていたら、やれるものもやれなくなる、客の根っこをグラグラと揺らす、ぐらいの心持ちでいい。

自分のやっていること、やろうとしていること、それを「そのままいきなさい」と認めてくれる人は、誰か大切な人、一人でいい。それで充分。なのですよ。

2015.4.26 1058 『蠣崎未来を聴きに高円寺に。』

04 28, 2015 | 日記2015

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・昼。蠣崎未来を聴きに高円寺に。

・夜。原宿ソロモンズさんにてライブ。ドラムに福家さん、ブルースハープにヒロキングさん。前日と同じメンバーで。

・やりながら考える、ということが現れていれば、それでいい。既に出来ていたものを、そのままどうぞこれが私の音楽です、ではライブにならない。

2015.4.25 1057 『Bar Chit Chatの11周年』

04 27, 2015 | 日記2015

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・Bar Chit Chatの11周年アニバーサリー、横浜サムズアップにてライブ。ドラムに福家さん、ブルースハープにヒロキングさん。

・自分の知らない何かが出てきた。その尾を掴む。

・名前は知っていても実際にみたことのなかった人のライブをたくさんみれた。なるほど。

2015.4.24 1056 『しかし小説は意外なほど自由に書けない。』

04 25, 2015 | 日記2015

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・音楽も同様に。

【小説なんて何をどう書こうが自由だ。これを書けもなければ、あれを書いていけないもない。しかし小説は意外なほど自由に書けない。】保坂和志

2015.4.23 1055 『あらゆる落葉樹が新しい葉を』

04 24, 2015 | 日記2015

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・半袖で作業することになった。一日中。あらゆる落葉樹が新しい葉を芽吹かせて、この小さな、たくさんの緑の生まれる——

・ニーナ・シモンのアルバム、「Pastel Blues」、特にSinnerman。何なんでしょう、あれは一体。デイヴィッド・リンチの「インランド・エンパイア」のラストにこの曲がかかるらしいので、観たい、けれど、観るのがこわい。も同時にある。

2015.4.22 1054 『かれらが文法を勉強する必要がなかったからです』

04 24, 2015 | 日記2015

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・付箋。田中克彦「ことばと国家」より。

【文法の知識は、それが母語である場合、いい文章を書くための助けになるどころか、実際の使用をだめにする。なぜか。母語にあっては、文法は話し手の外にあるのではなくて、話し手が内から作っていくものであるからだ。知らない言語や古語の文法は、我々にとって一方的に受けとるものであり、ただひたすらにその支配に服するためにそれを学ぶ。しかし母語の文法は、話し手みずからがその主人であり、かれはそれを絶え間なく創造し発展させているのである。だから、古い規範からみて破格だの誤りだのと読んでいるものは、じつはかれの文法の内的進化に他ならないのである。】p.68

【パスカル、ラフォンテーヌ、ボスュエ、ヴォルテールに、あれほどすばらしいフランス語が書けたのは、かれらが文法を勉強する必要がなかったからです】p.69

関東方面のライブです。

04 21, 2015 | Liveのお知らせ

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4.25(sat)

Bar chit chat 11th anniversary live
At Yokohama THUMBS UP

open 15:00
start 16:20 ~ 4:20

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4.26(sun)

tutti frutti @ 原宿Solomons

☆Live☆
HOMARE
Mamimor a.k.a PAPICO

opening act
松沢春伸

☆DJ☆
EZ(BOOGIE SHACK)
MICHIO

☆Poledance☆
NEO
NOEMI

☆FRUIT CATERING☆
フタバフルーツ
https://www.facebook.com/FutabaFruits

OPEN17:00
START18:00

予約¥3000(1D & FRUIT BUFFE)
当日¥3500(1D & FRUIT BUFFE)

@原宿Solomons(ソロモンズ)
info:03 6434 9201
東京都渋谷区神宮前2-31-20アコルデ神宮前 B1F

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4.28(tue)

投げ銭 ライブ @ 吉祥寺 baobab
松本敏将(tabacojuice)

2015.4.21 1053 『桜の花びらで全体を覆われた車が走っていく』

04 21, 2015 | 日記2015

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・桜の花びらで全体を覆われた車が走っていく。昨日の風は強く、夜、寝床で想像していた通り、今日一気に桜の木の色は、ピンクが占めていた割合が緑に変わった。というと言い過ぎかもいれない。けれど、木々の葉が少しずつ大きくなる、季節。

・市議会の選挙運動が始まって、家の近所にもポスターが貼ってある、ぼくはまだ住所を移していないから、この場所の選挙権はないけれど、なんでポスターはああも頼りない顔が並ぶのだろう、などと思う。ポスターに印刷されたスローガンというのかわからないが、横文字で、見た人のほとんどがわからない言葉を掲げている人がいて、意味のわからないの言葉をここで使うなよ、と思う。そのことばを知っている自分に浸っているようにしか見えない。どうでもいいけど。

2015.4.20 1052 『たやすく、他に、多に、なびく』

04 21, 2015 | 日記2015

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・自分が前に進んでいる、ことを感じるのは、ライブをする場所が増えることでも、聴いてくれる人が増えることでも、名が知れることでもない。そんなものは外の評価だ。そんなこととは全く別の自分にしかわからないもの、自分の身体がそれまでの自分を少しでも越えた瞬間。あるいは、それまでの縛りから逸脱して、自由に、、、。

・その評価を外にばかり求めている人は、たやすく、他に、多に、なびく。

・褒められることが、認められることが、その人にとっての最上の歓び。だ、などと、そんなところからは離れて、別の場所に立とう。そこにはいかない。

2015.4.19 1051 『「文字の技術」すなわち我々が「文法」と訳しているもの』

04 20, 2015 | 日記2015

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・付箋。田中克彦「ことばと国家」より。

【文字を用いて書くことばは、それを使うためにはかならず、そのために特別の訓練をしなければならない。それは、学ばなくとも自然に話せることばとはまったく別物である。ところが、自分がふだん話していることばには文字がない——そんなふうな時代がごく最近までつづいていた。「書きことば」「話しことば」と言い、その二つには同じく「ことば」という共通項があてがわれてはいるけれども、それは近代になってからの新しい発見と言わなければならない。 

 だから、中世ヨーロッパにおいて書かれる唯一のことばであるラテン語は、ギリシャの伝統にしたがって「文字(グラムマ)の技術(ティケー)」と呼ばれたのである。「文字の技術」すなわち我々が「文法」と訳しているものは、その根本において自然ではなく、つくりものである。文法=書きことばは、我々の日常言語の外にあって、それをはるかに超越した別世界を形づくっている。

 つくりものの文字術言語は、誰にとっても母語ではないから、かならず、日常とはきりはなされた特別の勉強を必要とする。そのための莫大な時間を手に入れることのできる人は当時の社会では最上層の人だけであった。その人たちの支配的地位を確実にし、いつまでも安泰な状態を保つには、この文字の技術が、なるべく複雑であればあるほどそれだけ都合がよく、文字そのものの習得に時間がかかればなおいっそう好もしいものになる。

 したがって、文字の術=母語によらない書きことばの術は、知識と情報の階級的独占が必要なところでは、いつでも頑固に保守されてきたのである。】p.54.55

2015.4.18 1050 『ユザーンのタブラ、新井孝弘のサントゥール』

04 20, 2015 | 日記2015

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・ユザーンのタブラ、新井孝弘のサントゥール、二人のライブを聴きにいく。

・演奏がどうのというより、聴いているあいだにいろんな考えが浮かんで、消えて、また別の何かが浮かんで、と、それがよかった。

・一曲が三十分くらいあるのだけれど、彼らのいう「曲」というのは、どこまでが曲なのだろうか? ポップミュージックについて「曲」という時の「曲」とは、違う気がするし。あの場所で演奏されたものの、展開、リズム、メロディー全部が楽器の手ほどきを受けた師匠から継いだものなのか? 個人の身体性はその「曲」にどれだけ含まれるのか? インド音楽に対してある程度知識を持って聴いたほうがよりおもしろさがわかるのだろう。きっと。

2015.4.17 1049 『わっあわんだふぉぅわー』

04 18, 2015 | 日記2015

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・ルイ・アームストロング「what a wonderful world」。最近はこの歌ばかり口ずさんでいる。ベトナム戦争への反戦歌として書かれたとしても、この歌は一般的な意味でのメッセージソングではないように思う。誰か、訴える対象を持った言葉(メッセージ)というより、一人の人間の、小さな言葉、こぼれた言葉。独り言の歌のよう。

 世界を歓ぶ時に特別に大きなことはいらず、ただ緑の木々をみて、青く拡がる空をみて、白い雲の流れるのをみて、人々が言葉を交わし、子供の泣き声を聞き、その子供の成長していく様をみつめる。ただ、ただそれだけで、そこに歓びがある。独り言のように、口から思わず「ああ、なんて素晴らしい世界なのだ」とこぼれる言葉。

 直接的に叫ばれた大きな言葉だけが誰かのもとに届き、何かを変えることができるのではなく、独り言のようにこぼれでた歌が、それこそが誰かの心に静かに染み渡ること、がある。そしてそれを受けとる人の小さな変化が、音楽によって革命を、という意志で歌われた歌以上に、何かを少しずつ変えていく。少しずつ。


・メッセージソング、誰かに直接的に怒りをぶつけたり、社会を嘆いたりする歌より、よほど、この口からこぼれた、こぼれてしまった小さな言葉で紡がれた歌のほうが、もともと歌詞、歌詞に込められた意味にそれほど興味を持てないぼくのような人間には、響く。

・こんな偉大な歌を引き合いにだすのは気が引けるけれど、「歌にもならない溢れた日々の」で歌いたいこともそういうこと。だった。ということを最近考えて、だから、だからではないが、最近この歌ばかり歩きながら口ずさんでいる。あまりに大きな声で「わっあわんだふぉぅわー」と歌いながら街中を歩くものだから、すれ違う人々が変な顔をしてこちらを見る。そんなもん関係ない。

2015.4.16 1048 『それを考えるのが表現する人間の宿題』

04 17, 2015 | 日記2015

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・山形市内の桜の満開宣言が出た。

・例えば桜が風に揺れるのをみてそれを言葉にしてみるが、それは大体定型を出ない。ラジオからの「時計の針は八時をまわったところです。」という言葉も定型で、定型だからこそ多数に届く。

 わざわざ誰も別の言葉で、誰も使っていないような言い方でそれをいったりしない。けれど、それを考えるのが表現する人間の宿題であって、もう既に文法として確立されてあることを使って書かれた言葉には、「言葉」そのものを揺らす力は宿らない。

 何を言いたいのか、わからないが、いや、わかる。書き言葉にしようとすると、つまる、だけ。


・お笑いにおいても、既に「笑いの文法」が確立されていて、それを学校に学びにいったところで新しい何かは生まれず、それは結局自分から進んで枠にはまりにいくだけだ。ということをなんでお笑いの道を志す人たちはわからないのだろう? ダウンタウンは一期生だったのだから。

2015.4.15 1047 『「この声には何かがある」と聴く人に感じさせるものは一体何か?』

04 17, 2015 | 日記2015

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・全ての人にわかる、受け入れてもらうことのできる歌などに興味はないが、聴く人が一度は振り返ってしまう歌、には何かがあるように思う。そこを考えることは音楽に繋がる。(それはもちろん生の声が届く環境で、ということ。)

・「この声には何かがある」と聴く人に感じさせるものは一体何か?

2015.4.14 1046 『母語の歌』

04 14, 2015 | 日記2015

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・学ばなければ習得できない言葉、それに時間のかけることを許された身分の人たちの言葉。母語とは異なる、母語しか持たない者たちへ、自分との差を知らしめるための言葉。体制側の。

・それとは別の言葉の歌。母語の歌。をこそ。

・表現について書かれた本で、いい本だと思うものは、例えばそれが小説について書かれた本であったとして、その「小説」という言葉を「音楽」に置き換えても考えることが出来るもの。それは表現の根本について考えながら書かれた言葉だからだ。それが単に小説についての作法、ハウツー本でしかなければ、そうはならない。音楽についていくら方法を考えたところで音楽は生まれない。

2015.4.13 1045 『俗語の文学は愛によってのみ生まれた』

04 14, 2015 | 日記2015

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・付箋。田中克彦「ことばと国家」より。

【生まれてはじめて出会い、それなしには人となることができない、またひとたび身につけてしまえばそれから離れることのできない、このような根源のことばは、ふつう母から受けとるのであるから、「母のことば」、短く言って「母語」と呼ぶことにする。】p.29

【(ダンテ以降)その後の俗語の旗手たち、母語をさらに乳と結びつけ、詩が俗語で書かれる必然性を説いてやまなかった。ホメロスのような「古代の詩人はみな、乳の中に吸いとったことばで書いたのじゃ」とドン・キホーテに熱弁をふるわせたのはセルバンデスであった。

 規則も文法も必要とせず、生理の一部として母から受けとったこの自然のことばを、ダンテは、ラテン語にくらべて高貴なものだと言う。なぜなら、それは金や地位を得るためのことばではないからだ。ダンテにとって俗語はまた愛のためのことばでもある。「詩人は、ラテン語を知らない女にもわかってもらおうとしたから、俗語の文学は愛によってのみ生まれたのである」と。】p.36.37

2015.4.12 1044 『猫は置き石の上から』

04 13, 2015 | 日記2015

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・城の桜はまだ三分咲きほど。たくさんの人が桜を見ながら歩く。猫は置き石の上からそれを見る。あるいは見ない。

・乳を介して子供に授けられることば。「母語」。

2015.4.11 1043 『乳とことば』

04 13, 2015 | 日記2015

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・田中克彦「ことばと国家」がとてもおもしろい。

【乳を吸わせる母親と乳を吸う子供とのあいだには、同時にことばを話しかける母親と聞く子供との関係が必ずあった。こどもが全身の力をつくして乳を吸いとると同時に、かならず耳にし全身にしみとおるものは、またこの母のことばであった。】p.28

【母から流れ出す乳とことばという、この二つの切りはなしがたい最初の世界との出会いの時点に眼をこらすことによって、ことばの本質に深くわけ入っていく手がかりが得られる。】p.28

2015.4.10 1042 『演奏する時には、まず』

04 12, 2015 | 日記2015

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・演奏する時には、まず、手が演奏する。意識が手に命令をして「このように動け」と動くのではなく、そういう縛りを手は容易に無視して、まるで自分の手ではないように、誰か別の、何処か別の「何か」の命に反応するように動く。「わたし」の意識はそこに関わることができずに、ただその動きを後追いする。

2015.4.9 1041 『北野武がテレビで「ボケ防止のために落語をやる」というようなことを』

04 09, 2015 | 日記2015

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・死んでいるのかと思うような体勢で眠っていた老犬は、今日は昨日とは違う場所で、死んでいるのか? と思うように眠っていた。

・北野武がテレビで「ボケ防止のために落語をやる」というようなことをいっていて、そういうことをするから、ぼくはこの人をあまりおもしろいと思えないのだと思ったことを、今何故か思い出した。

 一度、彼がテレビで落語を披露したのを見たことがあった、それが全くおもしろくない(ただ記憶したものを、発表しているという印象だったから)。落語を生で見る機会が増えて、その世界に人生をかけている人の様を見ているから余計にそう思ったのかもしれない。「ボケ防止」のために「覚えた」落語を披露したところで、それは、その程度のものでしかなく、その土俵でずっと勝負している人からしたら、「落語なめんなよ」といわれても仕方ないだろう。

 名のある人がいろんなことに興味を持って、他ジャンルに手をつけるのはその人の勝手だけれど、その行為によって、ずっとそれに従事してきた人たちの場を荒らすことにならなければ、と思う。

 いや、そのことによってそのジャンルに新しい何かを持ち込むことの出来る人もいるから、それは素晴らしいけれど、それを「ボケ防止」なんていわれてやられても、と思う。だけ。大御所だから、それに関して「つまらん」といえる人がいないのだろう、というのは、わかるけど、そんなのは趣味でやったらいい。

2015.4.8 1040 『死んでいるのかと思うような体勢で老犬が眠っている』

04 09, 2015 | 日記2015

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・信号が青になるのを待ちながら、寒さに肩を揺らす母親と、その手を握る真新しいランドセルを背負う新一年生の女の子。入学式。

・新しい日々のしきりに、寒さが戻ってくる。何年か後に思い出として「あなたの入学式はとても寒い日だった」と語る、だろうか。

・死んでいるのかと思うような体勢で老犬が眠っている。

2015.4.7 1039 『ジョニー・キャッシュの弾き語りアルバム』

04 08, 2015 | 日記2015

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・白木蓮の花が開きかけている。しだれ桜の蕾は赤みを増した。肌寒い夕暮れ。ダウンジャケットを着て歩く。コーヒーを注文して、カバーのための曲を書き出そうと紙を出したけれど、携帯を家に忘れて歌詞のサイトを見ることが出来ず、作詞することに切り替え。別の店でビールを二杯だけ呑んだ。店に流れていたジョニー・キャッシュの弾き語りアルバムが素晴らしかった。ああいう風に歌を歌うには。上手いとか、下手とか関係ない境地にいる。

2015.4.6 1038 『上手さを捨てきれない』

04 07, 2015 | 日記2015

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・上手い、などということに興味はない。上手い人より、上手さを削って表現することのできる人のほうが凄い。もっと凄いのは、、

・どうしても人は上手さを捨てきれない。

2015.4.5 1037 『アフリカ(グロ族)のお面』

04 05, 2015 | 日記2015

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・仙台でアフリカ(グロ族)のお面を買った。どうしても連れて帰りたいと思ってしまったので。

・コンビニで一本だけ酒を買って、近くの公園のベンチで呑む。しだれ桜の蕾は赤く膨らんで、ケヤキも葉の芽をつけている。紅梅の花は満開。木蘭の花はもうすぐ咲くだろう。

・たたかいは、あくまで個人のもので、共有しようとした時に何か別のものに変わってしまうようだ。自分のすべきことをただやる。共有できないことを嘆いていても仕方がない。

2015.4.4 1036 『周りの評価などその身体に入る余地がない』

04 05, 2015 | 日記2015

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・じいさん、ばあさんになると、人はその人自身がひとつの作品のようになる。好き勝手に自分の話をし、好き勝手に歩く。周りの評価などその身体に入る余地がない。その境地に若くしていけるものだろうか。

・切った枝を貰ってきた白梅をビール瓶に生けて、それがちょうど満開になりつつある。

2015.4.3 1035 『Nina Simone「Pastel Blues」』

04 04, 2015 | 日記2015

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・Nina Simone「Pastel Blues」が届いたので聴く。何故こんなにもニーナ・シモンが好きなのだろう、と思う。わからない。書こうと思えば、いくつか書き出すことも出来るかもしれないけれど、書いたところできっと届かないだろう。好き、を説明できたら、そんなもん「好き」といえない。言葉で説明できるものなど、本当の好きではない。相手に伝えるために言葉を尽くす、ということはあるとしても。

・ボブ・ディラン。トム・ウェイツ。ニーナ・シモン。

2015.4.2 1034 『転がれ』

04 04, 2015 | 日記2015

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・転がれ
 転がれ
 ひとつ転がるたびに
 初めて転がるように
 つまずき
 歪に
 転がれ

 決して転がり方を
 覚えてはならない

2015.4.1 1033 『なおさら厄介』

04 01, 2015 | 日記2015

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・ピーター・バラカンの流す音楽、トークを聴いていて、音楽には「ワタシ」というものを表明するために行為するものと、自然そのものを音に置き換える行為とがあることを改めて思った。

・当たり前のことだけれど、音楽は、「ワタシ」がどういう人間で、どういう感情を抱いていて、その吐露のためだけにあるのではない。

 いかに「ワタシ」というものを他に理解してもらうか、というところで言葉を使い、それを音に当てはめている、そういう類いの音楽がありふれている。そんなことでは音楽がつまらないものになるのは当然だ。

 つまらない、といっても、それはぼくがつまらないと思っているだけのこと、といって終わらせていいことだろうか。「ワタシ」を表明する、そういうことをしている人自身は「それこそが音楽であり、表現だ」と思っているのだろうから、なおさら厄介だ。

 と書いて、これは誰かに伝わるだろうか、、、。

2015.3.30 1032 『瞼がヒリヒリと痛む』

04 01, 2015 | 日記2015

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・瞼がヒリヒリと痛む。
 おでこに皺を寄せるとまた痛む。
 暑い一日で。
 日焼けした。
 今年初めて半袖で作業する日。
 福寿草が咲いている。
 鯉が濁る水に泳ぐ。
 ウコギが芽吹こうとしていて、トゲトゲの枝に小さい緑の生まれるのが見える。

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松沢春伸の日記

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