・考えるより先に書いてしまいよ。検閲のシステム。自分自身への。その目が働く前に。跳び跳ねるように。踊るように。言葉が言葉になる手前の動きを失っていない音。
・ドアを開ける。
長く暗い廊下。
灯りが見える。
それは灯り?
俯瞰の視線。
一歩足を進めるたびに。
廊下は伸びていく。
男にはそれがわからない。
いやわかっている。
終わりない足音。
それはかりそめの音楽。
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・フタエの。福家さんのドラムの音。どう叩くという以前に、空間にどういう音を響かせるか、ドラムの音のセッティングの段階からつめていく。作業。場所が変われば、作業内容も変わる。人の側から考えるのではなく、場所(空間)の側から提示される制約。
制約を課されたうえで、どう音を創り出していくか。
時間をかけてセッティングされたドラムの音を、ライブ本番で聴いた時には、感動した。ああいう響きをするドラムを聴いたことがなかった。紡がれるリズムの前に、ドラムそのものの音自体。ドラムの知識がない自分でも、「違い」は歴然とあるのを感じる。
・自分ももっと精進せねば。レベルの高いものに触れることが何よりの勉強です。
・ボーズバーにてライブ。フタエさんと。ドラムの福家敏雄さん、サックス(フルート、ピアニカ)のヤマカミヒトミさんの二人バンド。
・今までのじぶんではやれるはずのないことを、やれるようになってくる。予定調和ではなく、わからないものに、ビビりながらも、挑めているからだと、思う。
・温泉につかる男。湯船のへりに座る男。みな猿に見える。温泉から出ると雨はみぞれに。車のフロントガラスに積もる雪。
・ライブという行為は、プレス作業ではない。同じ型の製品をつくるためのものではない。
・たとえばひとつの音を出す。その音を聴き、次にどのような音を繋ぐのか。身体の思考。結果としての形は始まりの時点では見えていない。
・昨日。朝十時からNHKで流れた番組をたまたまみて、日記を朝に書いたことを少し後悔する。自閉症を抱える東田さんのドキュメント。驚いた。「The Reason I Jump」
・受けたものをどう言葉にできるかは、知らん。
・驚きを与えてくれた対象を、すんなり言葉に変換できるとしたら、それは驚いていないことと一緒。それは何も動かさない。
・朝起きて。寒い空気の中。九時に満たない時間。に今日の日付の日記を書いてみる。それはそれでいい。一日の出来事を記すことがこの日記の目的ではないのだし。昨夜心に触れた言葉を、、、。
・高橋悠治「カフカ 夜の時間 メモランダム」。あとがきからはいる。
・【よみかえすことは、かきかえることだ。メモをかき、かきうつし、かきなおす。自分に必要なのはそれだけだ。本のかたちになったことばは失われたメモ、他人にひろわれた紙片、もうかきなおすことはないが、どっちみち最終的なかたちにたどりつくことは決してない未完の断片なのだ。】p,186 あとがき。より。
・ホテルの喫茶店でコーヒーを飲みながら、うとうとして、頭を垂れ、腕も垂れ、どこか別の地方のなまり言葉を話すおばあさん達の夢をみる、頭がカクッと揺れたはずみで起きると、それは夢ではなく、隣の席に座る三人のおばあさんたちの声で、なまりが強くて何を話しているのかわからなかった。
・テーブルにコーヒー。その脇に食べかけのケーキ。おばあさんの顔。なまり言葉。一つのシーン。
・昼過ぎにダウンを着て歩くと暑く、夕方にはダウンなしには震えてしまう日。
・十五度をこえる陽気。にヤッケを脱ぎ、ネックウォーマーを脱ぎ、フリースを脱ぎ、ロンTを脱ぎ、結局半袖になって作業する。ラジオからディランが流れ、マデリン・ペルーが流れる。川沿いの細い道を軽トラックが走っていく。太陽の光の中で。
・テレビをつけると「千と千尋の神隠し」。を観る。数ヶ月前に観たときよりおもしろく感じた。おもしろいというか、すごい。観る回数が増えれば増えるほどそれを感じる。
・ひとつひとつの画面それ自体がおもしろい。いちいちおもしろい。ストーリーがどうのこうのというレベルではない。映像でしかできないことをやっている。(宮崎駿の息子が監督をやった何とかという映画は、画面がいちいちおもしろい、というその感覚が起こらなかった。)
・ストーリーを裏読みしたがる連中(いちいち何かに意味付けしないと気がすまない人)など放っておいて、ただただ画面のおもしろさに酔い、ひとつひとつの画にどきどきする。そういう見方。を選ぶ。選ぶというかそういう見方しかできない。
・宮崎駿は他の誰とも違う場所で、ただひとり闘っているように思える。
・仕事着のまま映画館に向い「ジャージーボーイズ」を観る。松ヤニの香りのついたヤッケは席に着く時に脱いだ。
・清須会議のような映画を観て(観てといっても、観ていないけれど。最後まで観ることはきっとない。)、映画はストーリー云々じゃないことを再確認。それは小説でも。ストーリーを提示するだけでいいのなら何も映画でなくていいのだし。この監督さんは、やはり舞台の人なのだな、と実感する。
・数日前に届いていた高橋悠治「カフカ 夜の時間」を読みたいけれど、軽い気持ちで本を開くのが失礼に思えて、「よし、読むぞ」という態勢、時間がとれたときに読もう。と思う。
・山形で昭和から続く飲食街主催の文学賞の冊子を読む。小説を勉強しています、という作品が多く、しらけながらも、企画自体は楽しい。
・小説を書こうとする人がどうしてああいう書き方になってしまうのか、は、単に小説ってそういう風に書くものだ、という刷り込みみたいなもので、小説教室や、文章を書き方を習えば書ける、と思っているからなのだろう。選考員にしたって、同じようなもの。
・清須会議を見ようとして、序盤で飽きて断念、眠る。
・練習ノート。落書きノート。として、の日記が書けていないな、と。
・干し柿の様子を見に実家による。数日分の色、質感の変化、柿一つ(柿の木ではなく)のもつ時間より、一応人間ひとりのもつ時間の方がながい(?)のだから、変化が目に見えてわかるのだろうか、人間よりながい時間を与えられたものから見れば、人間の日々の変化も、人間が柿を見るときのようにはっきりと感じとれるものだろうか? と、「干し柿の様子を——」と書きながら思う。
・『自分が知覚しているから世界がある」とか、「自分が見ていない時に世界が存在しているかどうしてわかる?」とか、学問としてならいいけど、そういう立ち位置で言葉をつむぐ人たちが、芸術をやっても、きっと自分は興味が持てないだろうな、と、ラジオをききながら思う。つまらないというか繋ぐものがない。
・暇つぶし、という言葉がよくわからない、何もすることがなくとも、その状態を別に暇だと思わない。何をしようとするわけでもなく、何かおもしろいことを探そうとするわけでもなく、それでもいちいち何かしらをおもしろいと思える、というマインド、そしたらわけのわからないものの依存症になりようがない。
ギャンブル依存症の人を家族に持つ人のドキュメントを見ていてそう思った、ぼくは何もすることがなくとも暇ではない、何もしなくて、ダラダラしていても、それを暇だと思わずダラダラすることをしているから、その外に暇つぶしの場所を探す必要が全くない。
・日々、ただ日々、ただただ日々。その中にある名づけようのない事柄、イベントではなく、他の誰かに話せば「だから何?」といわれてしまいそうな、極小の歓び、それを共有すること、の積み重ね。
・「パルプフィクション」を観て、寝る。
・最低気温も零度に近い日が続くようになる、冬支度として梱包用のプチプチを家中の窓ガラスに貼る作業をする、初めてのことだけれど、おもしろい、効果があるといいのだけれど。
・ケヤキの木もほとんど葉を落とし、幹の近くに立って見上げると、夏にはほとんど見えなかった夜空がそこに拡がる。
・今日の言葉。
【考えるってのは、人からセットで与えられるものを持ち歩くことじゃなくて、色々バラバラにあるものを自分の中で作り直す、それを一つの集合体にしていくっていうようなことですから。】保坂和志
・tarjiにてライブ。佐藤ヒロキと。いよいよ冬と呼ばざるをえない気温と雨の夜に。
・考えながらすすむ指。歌。演奏と共に。その場所はみえるようになる。なった。これからはその先を見据えて。いく。
・考えることもしない、「考え」というたがを解く、事前には何の用意もなく、身体のゆくままに、展開ではなく、ひとつひとつの音の強度、、、
・誰かの言葉に反応する。それは、その言葉を受け取る下地が自分にあるということだけど、だからといって同様の強度の言葉を自分が書くことが出来るか、ということは別。もどかしい。
・文章をなぞる、書き写す、という行為は言葉を写す作業というより、その文章を書いた人間を動きをなぞることだと思う。日記に誰かの文章を引用する機会が多いのは、その言葉を共有したい、という思いもあるけれど、それ以上に実際に手を動かして、その誰かの文章を書き起こしてみる(手書きではなくキーボードではあるけれど)という作業が自分にとって必要だからやる。
・城址を歩いていて、ふと思ったのは、自分の踏み出した足の、その足跡の一つが、過去何百年も前に同じ場所を歩いた誰かの一歩と一致することもあるのだろう、ということだった。
・刻まれる言葉。引っ掻く言葉。何度でも引用する。
・高橋悠治「きっかけの音楽」より。
【作家をうごかして、作品をつくらせる力は、ある作品の完成することにつきるものではない。作家の技術的完成度にかれの関心が集中している場合でも、創造行為は、おそらくかれの意識を超えて、とぎれることなく継続する活動であり、作品とよばれるものは、その連続過程の一段階をしめすにすぎない。】p,302
・久しぶりに気になって高橋悠治のHPをのぞいた。この人の紡ぐ言葉。
【答えのない問だけでいい。断片が中断され、別な断片が介入する。中断された断片の続きは、逸れてちがう方向へ曲がる。多くのものはいらない。意味や理解を押しつける音楽ではなく、問いの歩みに引き込む音楽。】高橋悠治HPより。
・それから久しぶりに「きっかけの音楽」の付箋を貼った場所を読み返してみる。彼の言葉を読んでもらいたい、そう思う、友人の顔が浮かぶ。
・今日の言葉。「武満徹対談集 音楽の庭」高橋悠治との対談より。
【高橋悠治——閉じた場所でどんどん回転していく。回転していけば、深い穴は掘れていく。だけど、だれにもそこへは入れないような、かたい何かができしまう】p,45
【高橋悠治——インドネシアに行っても、と言って、行ったわけじゃないからね、推定していってるんだけれども、あの音楽から学ぶべきものは、音楽の形態というより、あのよどみのない自由さじゃないのかな。それは、日本の中を幾ら見詰めてっても、もうほとんどないものだと思うのね。】p,49
【武満徹——ぼくは実際(インドネシアに)行ってみて、その音楽の中に入っちゃって、すごいショックを受けた。そのショックというのは、何とも言えない魂の高揚感みたいなものを感じたわけね。それは、日本の音楽に幾ら触れてもなかったものだよね。日本の伝統的な音楽にはね、魂を高揚するどころか、魂はどんどん中へ入っていっちゃって、暗い穴を見なきゃならないという気がしたわけ。ぼくはどうしてあんなに明るく、みんなが空へ飛んでいくような高揚感を、あの音楽から受けたのか。そういう意味で、非常に鋭い批評だと思ったんだけどね。】p,49
・最初の高橋悠治の言葉が、ぐるぐるまわっている。とても強い言葉。
・盛岡。城址に残る巨石。築城の時に見つけられた。災厄が起こると、人々は集まってこの巨石に祈りを捧げたらしい。何百年も経過したその場所を通り過ぎる私。巨石を取り囲み祈りを捧げる人々の動きを想像する。
・城址近くの古本屋で武満徹と金子光晴を買う。
・どこまで生活に依り
どこまでそこから離れるか
その距離のバランスを
表現の内にみる
・突発的に盛岡へ。
小さな旅のような。
空には雲が垂れ込めて光があたらない。
川。
川のつくりのちがい。
川原を歩きながら生まれる思いも
変わる。
・スノーボードチームBig TimeのDVD「BANZAI」リリースツアー、in山形。上映とライブ。hobo trainを使ってもらった縁で。いい夜。
・干し柿が日々どう変化していくか。
干し柿に流れる時間。
を見る。
・干し柿用に柿をもらったので、皮を剥く。多い。皮剥きハイ、のような状態。干し柿をつくる自分なんて、何年か前の自分に想像できたろうか?
【立ち去る、立ち去るのだ。私たちは夜を衝いて、馬を走らせた。夜は暗く、そらには月も星も出ていなかったのだが、通常、月も星もない夜がそうである以上に、それははるかに暗かった。】カフカ・セレクション1 p,12
・作業用の手袋をとった瞬間に視界に入ってきたのは、白鳥の群れの飛行で、数えると七羽だった。ちょうど真上を通ったとき、七羽のうちの一羽が鳴いた。低く飛び、鳴く白鳥の群れ。
・表現がデザイン化されている、という言葉。を考える。その言葉に込められた全てをわかったわけではないけれど。
・洗練することを意識し過ぎて、心を、身体を忘れている、ような。ほとんどのものが、表面的すぎて、心(身体)に響く動きを忘れているようにおもう。心に刻まれるものは、きっと洗練作業の先に生まれるのではない。
・日曜の朝、テレビをみていたら「東京原発」だとかいう映画があったらしい。震災の前に。東京に原発を誘致すると宣言した都知事の話。皮肉。
・同時にそのテレビ番組で。原発再稼働の是非を地元住民に問うた時、「原発が無くなって町が廃れてしまったから、再稼働してもらいたい」というばあさん、「働く場所ができて町が潤うのなら賛成」というじいさん。いっては悪いが、結局のところこういう人達が原発が置かれた場所の地元住民で、上の言葉が全員の言葉ではないにしても、賛成の割合からみて、ほとんどの人が「未だ見ぬ子どもたち」をおもって是非の決定などしていない、ということだ。
・馬鹿にされているに等しい。ということに気づかないものだろうか。上に書いたようなことが、地元住民の民意なのだとしたら、そりゃ中央はやりやすいでしょうに。大きな決定に、目先の餌で済むのだから。根っこを問う人はそこにはいない。
・「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観る。
・映画の途中、アルゲリッチがベッドの上でカメラマンである三女に向けて発した言葉。身体に刻んでおこう。
・ドラマ的要素は、どうでもいいけど、言葉、動き、舞台前の葛藤が映ることの。
・急に降り出した大粒の雨が、服に跡を残す、その黒い染みが急速に増えていく様を見ながら、急いで自転車をこぐ。
・雨と同時に強まった風が、紅葉した葉を散らせただろう。
【僕は信じる。反対こそ、人生で唯一つ立派なことだと。反対こそ、生きてることだ。反対こそ、じぶんをつかむことだ。】金子光晴
・抗い。踏み鳴らす。