スポンサーサイト

-- --, -- | スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014.9.30 852 『どんな環境でも、同じクオリティーを強いられる、それは』

09 30, 2014 | 日記2014

0

・【小説には本当のところ、形になる以前のプロセスや胎動しかない。】というのは保坂和志の言葉だが、最初の「小説」を音楽やライブに替えてもよくて、ライブが、もし、事前に用意していたものを提示するものでしかないとしたら馬鹿らしい。

・そして、大体のミュージシャンが事前に用意していたものを「いかにそのまま提示するか」を、ライブだと思っている、そのことがつまらない。

・言葉の定義は人それぞれ違って当然で、これはぼくの「ライブ」という言葉に与える意味ということだけれど、上に書いたことは、ぼくにとって「ライブ」ではなくて、「ショウ」だ。

・どんな環境でも、同じクオリティーを強いられる、それは「ライブ」ではなく「ショウ」だ。
スポンサーサイト

2014.9.29 851 『男の論理の働く、求道的芸術感、は大体』

09 30, 2014 | 日記2014

0

・男の論理の働く、求道的芸術感、は大体似たようなものになる、ことがわかってきた。外国人がとったドキュメンタリー映画「二郎は鮨の夢を見る」でもそう。

・最近はそういうものと違う場所に興味がある。

・例えば、日常で使われる「もの」、民芸品を産み出すときの、女性の手仕事など。

2014.9.28 850 『そういう奴ら。嫌い。』

09 29, 2014 | 日記2014

0

・体制があって、それに対しての反体制が体制化することへの危惧。

・なんでも二項対立のように論じて、誰かに「こちら」と「あちら」どちらか一方を強制的に、圧力的に決めさせようというような奴ら。嫌い。

・どっちでもいい、とか、どちらでもない、と声に出してどちら側にもつかない、という権利は誰にだってある。それをどちらか一方だけに絞らなければならないかのように強制して、相手が選んだ答えが自分と反対の立場だということがわかると、排除する、あるいは自分の側に取り込もうとする。そういう奴ら。嫌い。

2014.9.27 849 『全ては始めてから、始まる』

09 28, 2014 | 日記2014

0

・福島県いわき市、何必釜「陶と音」にてライブ。昨年からスタートして今年二度目。素晴らしい人たち、場所。ライブ人生の中でライブ中一番喋ったと思う。通常のライブ(といっていいのかわからないが)とは全く違うものが出てくる。初のPAなし完全生音ライブ。

・いろんな動きがその場所で生まれた。身体も音も。あぐらをかいて歌ったり、正座して歌ったり、立って歌ったり、突然のセッションが始まったり。筆に任せて、その筆の軌跡をみながらまた筆が進んでいく絵のようなもの。事前のイメージはない。全ては始めてから、始まる。

・自分にとってライブというものがどういうものか、その問いへのあたらしいアプローチ法のヒントを得た気がする。パッケージングされたものを人前に出すのがライブではない。

2014.9.26 848 『「原曲」という概念の解体!』

09 28, 2014 | 日記2014

0

・仙台ボーズバーにてライブ。持田浩嗣さん、カッパサイトさん、オガックスさん、サノクミさん、ざ・べっがーず、と。

・またライブの表現が変わりつつある。それが自分でわかる。自分にしかわからない? とにかくまた何かが変わる。

・「原曲」という概念の解体! 曲は形の定まったものではない。

2014.9.25 847 『それが、そのままで、そうでしかなく、素晴らしい』

09 26, 2014 | 日記2014

0

・へたもくそもない。あなたと世界の戯れによって紡がれたものは、それが、そのままで、そうでしかなく、素晴らしい。

・何かやろうとすると、誰かの、あるいは社会の基準化されたものさしで点数化や評価されることを強いられる。そういう場所に自分を置かない。

・評価のために身体を動かす(つくる、うたう)のではなく、身体をつかう「行為」自体に歓びを見出すこと。

2014.9.24 846 『量産的思考など必要ないのだし』

09 25, 2014 | 日記2014

0

・河原でギターをひきうたう。散歩の人、ジョギングの人、橋の上をいく車、今日の場所は人の往来がおおいところ。おっさん化なのかどうか、そういう場所で人目に晒されてギターを弾くことに対する恥ずかしさもだいぶ消えた。他の人は他の人なりの河原との繋がりがある、ぼくはぼくなりにさせてもらう。できれば河原の光景の一部となって。


・三時間くらい歌うというか曲作りをしようと時間の見積もりをしてはじめると、大体二時間五十分は指とギターが遊んでいて、歌がついていくような時間を繰り返して、これが練習と呼べるものわからないけど、そういう時間。

 最後の十分くらいになって初めてあたらしい曲のかけらがふと流れてきたりする。だからそれを鮮度を落とさぬようにつかまえようとする。結局三時間では足りず、つかまえるための時間はそこから始まる。それがあるとき(あたらしい曲のかけらがすっとやってくるとき)もあれば最後まで何もないときもある。ないからといって、やらないわけにもいかない。

 わかっているのは、最後の十分だけが都合良く最初にやってきてはくれないし、そんな期待もしてはいけないということ、前の段階の二時間五十分の経過があるから最後の十分がやってくるということ。あとはそういうことに慣れるしかない。焦ってもしょうがない。量産的思考など必要ないのだし。

2014.9.23 845 『限られた場所だけど息がつける』

09 24, 2014 | 日記2014

0

・稲刈りが始まる。また日々少しずつ眼に映る色が変化していくのだろう。

・誰かの言葉。アルテスvol.1高橋悠治インタビューより。

【(略)脱力。ほっとする。ここには権力もない。限られた場所だけど息がつける。そういう場所が少しずつ増えていけば、もうちょっと生きやすい。】p.117 

2014.9.22 845 『猫のように生きられればいいと思うんだけどね』

09 23, 2014 | 日記2014

0

・新潮2014.9号、横尾忠則、保坂和志対談「猫が死んだ」より。

【人間というのは何か目的がないと遊ばないじゃないですか。一方彼らは目的も手段もなく、その場で自分の状況を利用して遊んでしまう。これは芸術家のお手本ですよ。猫のように生きられればいいと思うんだけどね。】横尾忠則 p.137

2014.9.21 844 『子どものような眼。それでいて大人の眼』

09 22, 2014 | 日記2014

0

・何もない、何もない、何もない。同時に全てある。

・何に対しても、いちいち歓びの対象を見出せる子どものような眼。それでいて大人の眼。

2014.9.20 843 『命が納得するところまでやっていくっていうのが職人ですよ』

09 22, 2014 | 日記2014

0

・海外の観光客を呼ぶための、地方の創生て、馬鹿か。

・今日の誰かの言葉。

【職人の芸っていうのはね、私はなんとなくね、「うまいですね」って言葉とちょっと違ってね。底辺にどうしても自分がやらなければ、自分の命が納得しないから、命が納得するところまでやっていくっていうのが職人ですよ。】大野一雄

2014.9.19 842 『蚊が一匹左腕をめがけて飛んできたのを見て』

09 20, 2014 | 日記2014

0

・西日を映してキラキラ揺れる川の水面、一定の方角からではなく渦を巻くように吹く夕風に人の背丈ほどの葦の群れがガサガサとなびく、五時をまわり小さな虫たちがあたりを飛び回るようになり、蚊が一匹左腕をめがけて飛んできたのを見て、ギターを弾くのをやめて家に帰ることにした。

・アケビをもらったので、味噌炒めにしようと思いつくってみると、初めてにしては出来がよく、自分に対する御世辞でもなく、「うまい」といえた。

2014.9.18 841 『緑とはもはやいえない、一面黄色の』

09 19, 2014 | 日記2014

0

・緑とはもはやいえない、一面黄色の田んぼ、その脇を小学生たちが列をつくって学校に向う。

・夏から、秋への移行。誰にでもわかるような、線引きがされているわけでもなく、扉を開ければそこが秋でしたというようなはっきりした区切りのようなものもなく、田んぼの稲が日々少しずつ色を変化させるように移る。夏、秋の境がはっきりと定義できずに、夏でもあり、秋でもあるような時期があるように、「わたし」というものも、「わたし」と「他」を単純に、はっきりと区切ることが出来ないもののように思えて、けれど、それを言葉にするのは難しい。

2014.9.17 840 『いつのまにか、風呂上がりに濡れた身体が』

09 18, 2014 | 日記2014

0

・家と駐車場との境のブロック塀の脇を歩くと、何かが視界にぶわっと溢れて、ピントがその何かに合ったあと目に映ったのは、数匹の赤とんぼ。通り過ぎて振り返ると、人が近づいて飛び上がった数匹の赤とんぼはまたゆっくりとブロック塀に着地した。

・いつのまにか、風呂上がりに濡れた身体が浴室の外の空気に触れると「さむっ」と声が漏れるような季節になっていて、夕食は湯豆腐にした。

2014.9.16 839 『芸術家(行為者)の幸福は』

09 17, 2014 | 日記2014

0

・今日の身体が反応した言葉。

【人はやりたいこと表現したいことがとめどなくあふれ出てくる状態を芸術家(行為者)の幸福だと考えがちだが、芸術家(行為者)の幸福はそんなものがもう何も出てこないと思われるその先にある。】保坂和志

2014.9.15 838 『ゆっくりでいい』

09 15, 2014 | 日記2014

0

・NHK「プロフェッショナル」をみる。「磨く」職人。研磨職人の話。「職人」というものがどういうものか、「どう在るべき」か、どういう人間のことを「職人」と呼べるのか。そして、その後に続く人間をそう育てていくのか。それを見せつけられる。

・「ゆっくりでいい。諦めるな」と七十一歳の研磨職人が弟子に向っていう。直接本人に話すわけではないけれど。「早さ」だけが求められ、それが、それこそが求められる時代で、「ゆっくり」時間をかけてしか、得ることの出来ない技術があって、本当はそういうもの、身体に刻まれた技術こそ重要なものであることを、再確認する。

・ジャンルは何にせよ、本物を、本当のことを掴むには「fast的思考」では至れなくて、「試行錯誤」「長い時間がかかる」ことを自覚、覚悟した上で、自分の身体に時間をかけて刻む、という以外、道はない。

2014.9.14 837 『それ以上のなにごとでなくても、それだけでも充分すぎるではないか』

09 15, 2014 | 日記2014

0

・金子光晴『若葉のうた』。「一対」より。前半省略。

【——それでも、心配していたほど老年は、さびしいものではない。
 
 五十年つれそふといふことは、なみたいていとはおもはれない。
 
 この一対をみるたびに僕がおもひだすのは馬来の旅で
 雨霧にうすれる梢で、身をよせあひなきかはしていた二匹の老猿のことだ。
 
 愛情とは、からだとからだをよせてさむさをあたためあふことなのだ。
 
 それ以上のなにごとでなくても、それだけでも充分すぎるではないか。】p107.108

2014.9.13 836 『名刺一枚、手拭一本ありはしない』

09 14, 2014 | 日記2014

0

・言葉。

【時間ほど、ふるくて、また、新しいものはない。過ぎ去つたむかしの僕は、いまの僕とは、まつたく別人。それほどはるばると何人分も生きのびながら 僕はまだ、いつでも現在でしかありえない『時間』とよりつもたれつしてゐるが、さて、僕には百年あとにのこすものなど、名刺一枚、手拭一本ありはしない。】金子光晴

2014.9.12 835 『伝説? とんでもない。Still Rolling!』

09 13, 2014 | 日記2014

0

・ボブ・ディラン「テンペスト」をようやく買った。その帯にあった言葉を。

【伝説? とんでもない。Still Rolling!】

・舞台を降りず、現役のまま、転がり続ける、摩擦は減らない。

2014.9.11 834 『身体と戯れる』

09 12, 2014 | 日記2014

0

・夜にひとり。ポロポロとギターを奏で、歌う。対象など持たず。ただただ自分の身体と戯れる。

・ライブでもそれをやる、やるべき、と自己確認。客との「盛り上がっていこう」「いえ〜い」は、それをやれる人々に、それをおもしろいと思える人々に任せていればいい。そういう歌の在り方とは別の場所で歌を紡ぐ。遠くの誰かに。あるいは夜そのものに。

2014.9.10 833 『川の流れの生むうねりのひとつひとつ、木々の揺らめきのひとつひとつが』

09 10, 2014 | 日記2014

0

・誰かによって、いちいち「月」になんたらと「名前」をつけられないと、人は月を見上げないようになったのだろうか。

・レスポンスのないもの。例えば川に向けて歌うような。そういう場所で歌っていると、人に向けて歌うことのいかに簡単なことか、と思う。良くも悪くも反応が起こるということの容易さ。川に向けて、木々に向けて歌う、そこには「媚びる」思考など生まれようがない。ただただ歌う。それだけ。

・と書きながら、川の流れの生むうねりのひとつひとつ、木々の揺らめきのひとつひとつが、自分の歌への反応のように感じてしまうのだから、人間の思考というものの単純さを思い知って、同時にそこに向けて歌うことの歓びを知る。

・今日もニーナ・シモンの歌を聴きながら。

2014.9.9 832 『また理性抜きの直感だけで物を作るというのは、ちょっとガキっぽいんですよね』

09 10, 2014 | 日記2014

0

・横尾忠則。保坂和志。二人の対談。途中からだけれど、引用。「新潮」九月号。対談「猫が死んだ」より。

【横尾——夢の内容を判断する必要はないですよ。座禅時の雑念と同じで、去来した雑念が目の前を通り過ぎても、追いかける必要はない。むしろ言語化することによって意識化すればいい。観念と直感、あるいは直感と理性が一つになる瞬間だと思うんですよね。それがないと、観念や知識だけで物をつくろうとする。悪いことじゃないけどね。また理性抜きの直感だけで物を作るというのは、ちょっとガキっぽいんですよね。

 保坂——はい。

 横尾——直感というのはときどき襲ってきますよね。そのとき「あ、これだ」と判断もしないでやっちゃうというのは、子どもが絵を描いたりするのとそう変わらないですよね。そのとき、あわてないで、理性で直感と取引というか、交渉させることで確信を得て初めて、絵にするんです。】p.140

——————

・本当にそう思う。方法として「こども」をインストールしていては、進めやしない。

2014.9.8 831 『抽象的で貧困の極致みたいな言語を積み重ねていくんだけども、そこから生々しいものが立ち上がってくる』

09 08, 2014 | 日記2014

0

・「新潮」2014.9月号。中沢新一、東浩紀対談「原発事故のあと、哲学は可能か」より。

【(中沢)とても抽象的な語彙を使っても、それがものすごく生々しいものを立ち上げてくるということはあり得ると信じています。

(東)ハイデガーなんかですね。

(中沢)東さんが書く小説にも影響を与えているミシェル・ウェルベック、彼はなかなか曲者でね。フィリップ・ソレルスだって騙しちゃうぐらいだから相当なものなんだけど、あの人は農業学校の出なんですよ。フランス文学を先導したふたりの人間が同じ農業学校(国立パリーグリニョン高等農業学校)から出ている。もう一人はアラン・ロブ=グリエです。この二人の使う言葉は抽象的なんだけど、ものすごく生々しい。ことにアラン・ロブ=グリエの場合はヌーヴォー・ロマンですから、普通の小説みたいな豊穣な言語、比喩なんていうのは出てこない。抽象的で貧困の極致みたいな言語を積み重ねていくんだけども、そこから生々しいものが立ち上がってくる。

 つまり抽象的な概念を使ってもハイデガーのように生々しい世界表現というのは可能なんだと僕は思っていますし、自分の表現の目標点は、それです。僕は小説は書くまいと思っていますが、抽象的な言語を使いながら、最も生々しい世界を立ち顕わすことに賭けています。】

2014.9.7 830 『雨風よ。若葉をよけてゆけ。』

09 08, 2014 | 日記2014

0

・夕方。コーヒーを飲みながら読む。金子光晴「若葉のうた」。

——————

「さくらふぶき」

 夢でみた若葉は、さくらふぶきのなかに、
花嫁の振り袖すがたで立っていたが
 顔をのぞくと、やっと立ちあがる、まだあかん坊のままの顔だ。

 あたりはしずかで、もの哀しいことしの春のかたわれどき
 しあわせなんだねとたずねると、
娘らしくその顔を袖にかくしてはにかんだ。

 パパやママが若葉のしあわせを見送るさびしさの、
その日はいつ先のこと、
 その日にあえるすべもない祖父は、
うば車を押しながらそっと祈る。
 雨風よ。若葉をよけてゆけ。

 うば車がしずかにうごくと、若葉は、まぶたを閉じる。
 そのまぶたのうえに、一もとのうこんざくらが、
とめどもなしに散りかかる。


金子光晴「若葉のうた」p14.15より。

2014.9.6 829 『その先にある濃さ。強度』

09 07, 2014 | 日記2014

0

・「わたし」にこだわることが「個性」なのではなく、「わたし」をこえた場所「わたしら」「世界」、「わたし」をその中のひとつとして考えている人間の表現のほうに、ぼくはより「個」を感じる。

・薄めたゆえの、その先にある濃さ。強度。

2014.9.5 828 『「歌う」ことは、「聴く」ことからしか始まらない』

09 06, 2014 | 日記2014

0

・いい音楽について語られた言葉をどれだけ寄せ集めたとしても、そこからいい音楽は起こらない。

・評価する、という立場でなく、ただただ聴く。きちんと受け取る人間になる、ことからしか、表現する立場にはいけない。

・音楽をする人間であるまえに、音楽を「きちんと」聴く人間であること。きちんと「評価」できる人間じゃなく。「歌う」ことは、「聴く」ことからしか始まらない。

2014.9.4 827 『少しずつ』

09 04, 2014 | 日記2014

0

・煙草の煙。蚊取り線香。虫の音。行き交う車。ギターを奏でながら酒を。何かが生まれそうで、その何かを掴み損ねる夜。公園のベンチにて。

・ニーナシモンが携帯の小さなスピーカーから優しく歌い、犬を連れて歩く人を眺める、少しずつ、少しずつ、夜は更けて、少しずつ、少しずつ、酔いは進み、少しずつ、少しずつ、灯りは消えてゆく。

2014.9.3 826 『科学される対象はいつも科学に先行している』

09 04, 2014 | 日記2014

0

・科学的に証明されることが多くなる世の中だが、結局のところ、それは、後追いでしかない。

・音楽をいくら科学的に分析できたとしても、音楽があることが前提で、科学される対象はいつも科学に先行している。

・科学的証明、裏付け、エビデンス。「母親とのスキンシップ不足で育った子供は、、、」などという記事、スキンシップを十分に受けるとIQが高くなるだの、何だの、、、。別にそれはいいとして、そんなことをいちいち誰かに科学的に説明されないと子供とスキンシップとらないとでもいうのだろうか。ああ、そうなんだ、スキンシップとらないと子供のIQがなんたらかんたら、などと考えて母親は子供を抱きしめるのではないだろうに。科学的証明番組をみていたり、フェイスブック等で流布される記事を見ていていつも疑問。ま、どうでもいいけど。

——————

bっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっh

(眠気との格闘の痕跡)

2014.9.2 825 『シラサギが三羽、首をたたみながら』

09 03, 2014 | 日記2014

0

・シラサギが三羽、首をたたみながら、穂を垂れた稲の上を、ゆっくり飛んでいく、その身体はそれほど大きく見えず、巣立って間もないのだろうか、と思いながら車を走らせる、朝。

・スーパーにいって、何を買おうとしたのか思い出せず、うろうろとカートを押し歩いて、いくつかの商品をかごに入れ、あっ、と思い出したのは、ゴーヤと和えるためのツナ缶だった、夜。

2014.9.1 824 『いい音はなつかしい』

09 02, 2014 | 日記2014

0

【いい音はなつかしい。どこかで聴いたことがあるような気がする。それは、絵でも文章でもそうだ。ステキな人に出会った時もそうだ。しかしどこかで聴いたのではない。どこかで見たのでも、触れたのでもない。かつてどこかで会ったのでもない。会いたかった人なのだ。求めていたものなのだ。表したかったものなのだ。ずうっと心の中にしまってあったものなのだ。】早川義夫「たましいの場所」p.25.26

・誰かに出会うとき。あなたに出会いたくて、出会った、という言い方だって、あっていい。

Next Page »

RSS
プロフィール

harunobiwonder

Author:harunobiwonder
松沢春伸の日記

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。