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2014.8.30 822 『媚びる事なかれ』

08 31, 2014 | 日記2014

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・鳴子「郷鳴祭」にてライブ。四度目の祭り。四度目の出演。始まりからずっと関わらせてもらっている、唯一の祭り。呼んでもらえる限りずっと出演しつづけたい。

・同じ祭りに出演していると、自分の変化が感じとりやすい。進んでいるはず。前に。前に。

・どこまでいっても
 媚びる事なかれ
 いつまでも
 媚びる事なかれ
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2014.8.29 821 『解かれることを知らない問いとして』

08 30, 2014 | 日記2014

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・踊るほかないから踊る。言葉でないから踊る。

・「歌」というもののもつ「言葉と共にある」というさだめ、そこからいかに切り離してみるか。

・言葉をうたいながら、言葉に囚われないという歌の場所。これは解かれることを知らない問いとして、わたしの中に居続ける。

2014.8.28 820 『トオクへ、トドク、アシオト。』

08 29, 2014 | 日記2014

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・サイキンハ、ヤタラト、コノヒトノコトバニハンノウシテシマウ。

・トオクへ、トドク、アシオト。

【おまえの踊りがいま認められなくなって、千年万年経て誰かひとりでもいいから、認めることがあるとすれば、それは成立する。しかし、永久に誰とも関係のない踊りはだめだ。】大野一雄

ーーー

・前にも引用したかもしれないが、何度も、何度でも…

2014.8.27 819 『シャワーのお湯を暖かくてありがたいとすら感じる』

08 28, 2014 | 日記2014

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・週末には真夏日近い気温の中汗だくになりながら仕事をしていたのが、今日、一気に最高気温が20度近くまでおちて、雨に濡れると寒く、家に戻って浴びたシャワーのお湯を暖かくてありがたいとすら感じる、この差。

・言葉。

【怠けることも、新しいことをするのに必要だ。だから決して怠けてはいないのだ。】横尾忠則

2014.8.26 818 『「書く」という行為によってしか、身体に刻むことの出来ない言葉があることにも気づく』

08 27, 2014 | 日記2014

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・即興演奏。といいながらも、事前に用意された、いくつかのパターンの組み合わせ、配置を組み替えることしかしない人もいれば、本当に目の前の闇を切り裂いて歩くように進む人もいる。大体が前者だが、後者に出会えた時の歓び。

・ここ数日、久しぶりに日記と向き合う時間が取れている。「書く」ことに向き合うことが自分にとってどれだけ重要で、やはり「書く」という行為によってしか、身体に刻むことの出来ない言葉があることにも気づく。

・と書きながら、今日も途中で眠ってしまったのだけど、、、。さて、もう真夜中。眠ろう。

2014.8.25 817 『それは全然「日々」ではなくて、「イベント」じゃないか、と思って』

08 26, 2014 | 日記2014

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・数日前にAMのNHKラジオで流れた、何とかという2人組の歌手の「日々」という曲は、全然日々を歌っていなくて、聞く人を感動させたいという意図がみえみえで、「結婚した日」とか「子供が生まれた日」とか、そんなことばかりいっていて、それは全然「日々」ではなくて、「イベント」じゃないか、と思って、しらけてしまった。

 という経緯があって、古本屋に入って本を見ている時に、金子光晴が孫娘に送った詩はたぶんそういうイベントじゃなく、本当の日々のことを書いたのじゃないだろうか、という思いになって、中身はほとんど確認しなかったけれど買った。ぼくにとって「日々」というのは、売れるために書かれたものでなく、人を感動させるために書かれたものでなく、本当にただただ「日々」だ。イベントごとではなく、こんなことを歌にしていいのだろうか? と思えるほど、他の誰かにとってはなんでもない(それでも自分にとってはこれ以上何もいらないと思えるような)些細な、本当に些細なこと。ぼくはそれを書きたい。


・ここ数日の、昼間は暑くて汗を流しながら仕事をして、夕方になると、雨がドシャドシャと降るような天候の中での仕事はやはり身体に堪える。それで、今日は、というか今日も異常に眠い。

・——と、書いて、横になってみたら、寝ていた。眠ろう。

2014.8.24 816 『森の若葉』

08 25, 2014 | 日記2014

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・初めて入った古本屋で、本を眺め、何冊か欲しい本があったけれど、全てを買う金もなかったので、一冊だけ、金子光晴「詩集 若葉のうた——孫娘・その名は若葉」を買った。孫娘が生れ「若葉」と名付けられたその子の成長を見つめながら、老詩人が綴った詩集。


【——森の若葉——
 
 なつめにしまっておきたいほど
 いたいけな孫むすめがうまれた
 
 新緑のころにうまれてきたので
 「わかば」という 名をつけた

 へたにさわったらこわれそうだ
 神も 悪魔も手がつけようない

 小さなあくびと 小さなくさめ
 それに小さなしゃっくりもする

 君が 年ごろといわれる頃には
 も少しいいにほんだったらいいが

 なにしろいまの日本といったら
 あんぽんたんとくるまばかりだ

 しょうひちりきで泣きわめいて
 それから 小さなおならもする

 森の若葉よ 小さなまごむすめ
 生れたからはのびずばなるまい】

金子光晴「詩集 若葉のうた――孫娘・その名は若葉」p4.5 序詩「森の若葉」より。


・「くさめ」とはなんだろう、と思って調べる。「くしゃみ」。

2014.8.23 816 『脱ぎ換える衣がなくなったのに、それでもなお』

08 24, 2014 | 日記2014

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・また反応する身体。意味においてはよくわからなくとも。頷く身体。

【羽織っている衣を脱ぎ換え、脱ぎ換え、脱ぎ換える。脱ぎ換える衣がなくなったのに、それでもなお脱ぎ換えようとする執念……】大野一雄

2014.8.22 815 『ほんの一粒の砂のような微細なものでもいいから私は伝えたい』

08 23, 2014 | 日記2014

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・言葉にぐっと反応する。わたしのチューニング。その時々のわたしの。

【ほんの一粒の砂のような微細なものでもいいから私は伝えたい。それならできるかもしれない。】大野一雄

2014.8.21 814 『独りで在りながら。同時に。全てと繋がっている場所』

08 22, 2014 | 日記2014

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・行為自体。そこに歓びがあるか。

・ただただその中に。いること。

・いつでも。その場所に戻って、立ち位置を確認。

・独りで在りながら。同時に。全てと繋がっている場所。

2014.8.20 813 『表現する行為それ自体から遠ざける』

08 21, 2014 | 日記2014

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【作品が広く流布するとかしないとか、百年後にも存在するとかしないとか、それら物を数え上げるような考え方が、書く者、描く者、演奏する者つまり何かを 表現しようとする者を表現する行為それ自体から遠ざける。】保坂和志

・心に底があるかわからないが、心の底から、そう、と、思う。この言葉がどこまで届くかわからない、けれど。この言葉に反応してくれる人がどれだけいるかわからない、けれど。こういう言葉は誰かが何度でも反芻していわなければならない、とも思う。

2014.8.19 812 『「オレについてくるな」は誠実な声』

08 19, 2014 | 日記2014

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・崇める対象にならず、生活の中に溶け込んで、大衆の伝承歌のようで在りながらも、あくまで独りで立っている。——というような矛盾ともいえる全て引き受けて、音楽を、表現をする場所、はどこにあるのか。あり得るのか。そんなことをずっとずっと考えている。頭でというより、身体で考えている。

・コンセプトではなく、もっとも原初的な、ひとつの声の響きで、、、。ということをやろうとしていると、どうしても、そういうことを考えざるを得ない。そこをきちんと見据えていないと、大体が変な方向に向かっていってしまう、、、。

・大勢のフォロワーを前にして「オレについてこい」はアホでもいえる。「オレについてくるな」は誠実な声。

2014.8.18 811 『あらゆる社会集団によって伝承される音楽文化は光り輝いてくる』

08 19, 2014 | 日記2014

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・鶴岡にある古書店「阿部久古書店」で買った、もう一冊の「ラテンアメリカの音楽と楽器」より。

【伝統的な文化をよく残しているアマゾン地域の人びとは大地を足で踏みならし、身につけた飾りもので音をだし、さらに叫び声をあげて踊る。(ブラジル・アマゾン シングー川国立公園 ワウラ族)】p.4 本冒頭の写真の解説としての文章より。


【音楽や絵画などは、いわゆる芸術として位置づけられ、一般的には洗練された文化として広く理解され、むしろ人々の生活から切り離された高度ないとなみの所産としてのみ考えられる傾向が少なくなかった。これらの教養や趣味として考えられる範囲にとどまらず、まさに人間が人間として生きる糧として音楽は存在し、人間のいとなみの一つとして音楽は機能している。神への祈り、豊作への願い、悲しみや喜びなど、様々な生活の局面に応じて表現される音楽は、まさに人々の営み、すなわち文化としてはぐくまれてきたのである。

 このような視点に立つとき、ヨーロッパ芸術音楽すなわちクラシック音楽のみに価値を認める傾向とは異なり、地球上に生活するあらゆる社会集団によって伝承される全ての音楽に価値を見出すことが可能になってくる。クラシック音楽とは異なった音のシステムや楽器、それぞれ異なった歌い方や演奏方法などをもつ諸民族の音楽は、きわめて貴重な文化といえよう。クラシック音楽を規範とし、あるいは尺度として諸民族の音楽を比較し、未発達な音楽として区別したり序列することなく、それぞれの音楽に価値と意味を認めるいわば文化相対主義の立場に立つとき、あらゆる社会集団によって伝承される音楽文化は光り輝いてくる。】p.10 藤井知昭「民族と音楽」より。 

2014.8.17 810 『山形七日街「Bar Tarji」にてライブ』

08 18, 2014 | 日記2014

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・山形七日街「Bar Tarji」にてライブ。ひとまず一回目のツアーは終了。この場所で自分の名前がつくライブができたことに感謝して…また始まる。

・この夜を刻む。身体に。打ち上げの後にポロポロうたった「歌にもならないあふれた日々の」を忘れない。刻む。

2014.8.16 809 『「わたし」の遥か前から在って、「わたし」の遥か後にも在るものたち』

08 17, 2014 | 日記2014

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・神社に生きる大木。「わたし」の遥か前から在って、「わたし」の遥か後にも在るものたち。

・人間だけを相手にしていたら得られない感覚。自然に寄り添って、その一部として生きている人々にとっては、言葉にせずとも身体に染み込んだ感覚なのだろうか? 

・コンセプト。ではなく。ただひとつの声で。揺さぶる。プリミティブ。

2014.8.15 808 『わたしたちはこの町に来たくなかったのですが、道路が、連れてきたのです』

08 16, 2014 | 日記2014

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・鶴岡の古書店、阿部久書店にてエイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」を発見。購入。

・酒田へ移動。酒田北港周辺にて就寝。

——————

・適当に開いた箇所から引用。

・【——王様との間には、次のような対話が交わされた。——「どこから来たのか」という質問に、わたしは、「地球から来ました」と答えた。「どうやってこの町に来られたのか」という質問に、「わたしたちはこの町に来たくなかったのですが、道路が、連れてきたのです」と答え、「どこへ行くつもりなのか」と訊くので、「しばらく前わたしの町で死んだやし酒造りのいる町へ行くつもりです」と答えた。王様の質問に全部答えてからわたしは、この町にまちがって入ってきた者に対する、この未知の生物たちの残虐な仕打ちについて王様に直訴した。】エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」p63より

2014.8.14 807 『三瀬海岸にて就寝』

08 15, 2014 | 日記2014

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・新潟へ抜けて笹川流れを通り、山形県三瀬海岸にて就寝。

・言葉。

【意味よりも優先するだけではない。それに加えて、自我よりも優先する。世界の構造のなかで、夢は個的存在性を虫歯のようにぐらつかせる。『シュルレアリスム』】ヴァルター・ベンヤミン

2014.8.13 806 『墓参り』

08 14, 2014 | 日記2014

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・稲穂が黄色く色づきはじめた田んぼを脇に見ながら広域農道を通り抜けて、墓参り。ばあちゃんの部屋に大事に保管されていたファイルの写真をめくりながら、時間を戻す。じいちゃんがいて、ばあちゃんがいて、それからそこには小さなぼくと、妹。

・棚から物が落ちてきたのをみて、伯父ちゃんが「ばあさんがいだずらしてんだじゅ〜」といった。

ライブ告知 『その軌跡に  名前を与えるならば?』

08 13, 2014 | 日記2014

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松沢春伸 1stアルバムリリース LIVE

8.17(日) Bar Tarji
出演 松沢春伸
Open 19:00 Start 19:30 
チャージ1500円(ドリンク別)

さて。いよいよ。この場所にて、自分のライブ。

—————————

・どこまで歩いても
 どこにも辿り着くことはできない
 わたしが歩くその場所は
 どこまでも過程であり
 どこまでも途上であり

 その軌跡に
 名前を与えるならば?

2014.8.12 805 『名もなきものたちの歌を繋ぐ橋として』

08 13, 2014 | 日記2014

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・糸は繋がる
 その糸は切れない
 誰かの糸をわたしが繋ぎ
 わたしの糸を誰かが紡ぐ

・自分が憧れた音楽を残した演奏者の名前くらいならば知っているけれど、それを遡って、その演奏者が憧れた人の名前、もっと遡って、その前の前の、となれば名前すら知らないところにいく。自分に先行して存在した名前も知らない誰か。その繋がりは絶えていない。その繋がりの大きな流れの中のほんの小さな点としての「わたし」。そういうことを強烈に実感する瞬間がある。

・そして、時間を遡る方向ではなく、未だ見ぬ未来にいる名前も知らないものたちへ、大きな流れを繋ぐ役目を持つものとして、名もなきものたちの歌を繋ぐ橋として、、、

2014.8.11 804 『余すことなく身体に刻んでいくしかない』

08 12, 2014 | 日記2014

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・仙台から山形へ。今回の盛岡、北上、仙台の三つのライブはどれも色の違うライブになった。予定していたものを発表するのがライブだと考えているならばこうはならない。三つが三つともそれぞれおもしろかった。とはいっても初日の盛岡はだいぶ固く、自由に遊べていなかった気もするけど。

・勉強というのは頭でなく、身体を使って、身体に刻む、染み込ませることであって、ライブというのもそういう性質のものだから、いくら言葉でそれを構築しようとしても無理で、自分がどういうライブをしていくのか、という問いも含めて、とにかくライブをしている時間の中でしか体感できないことを余すことなく身体に刻んでいくしかない。

・けれど、いいたいのは、どうやったらお客さんを盛り上げることができるか? とかいう類いの方法論的なものでは全然なく、そんな問いはライブの中の一つの小さな問題でしかない。そんなことより、考えるべき、深い場所にあるものをこそ問う。

2014.8.10 803 『大地に静かに染みて』

08 11, 2014 | 日記2014

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・岩手から仙台へ。仙台のホーム「VORZ BAR」にて、一度目のツアーのセミファイナルライブ。昨夜に引き続き、金佑龍さんと。ドラムに菊池カツシさん。それから、前日にVORZ BARにてライブをしていたショウ441さんも参戦。

—————————

・事実。激しい雨は意外と地面に染み込まない。

・大地に静かに染みて、他の命を育む、そんな雨、のような歌。人に。

2014.8.9 802 『何かを繋ぐことは、』

08 10, 2014 | 日記2014

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・岩手県北上市「CHUP」にてライブ。金佑龍さんと。

・5歳のぶんちゃんと即席バンドを結成して演奏した。素晴らしい夜。何かを繋ぐことは、できたろうか…

2014.8.8 801 『岩手県盛岡市「OOD」さんにてライブ』

08 09, 2014 | 日記2014

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・岩手県盛岡市「OOD」さんにてライブ。佐々木龍大さんと。カホンで菊池カツシさん。

・きちんと馬鹿になること。たがを外すこと。「頭大丈夫?」といわれるくらいまでいく。

2014.8.7 800 『熟知していることをくり返すことでなく、未知の道を』

08 08, 2014 | 日記2014

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・暗がりの道
 未知の道
 震えながら
 それでも差し出す足
 その足音

——————

・今日の言葉。

【小説を書くという行為は、熟知していることをくり返すことでなく、未知の道を切り開いていくことで、風景を書く(または広く「視覚を書く」)という行為は、そのまま小説を書く本質が圧縮されたものだ。】保坂和志

2014.8.6 799 『69年』

08 07, 2014 | 日記2014

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・69年。想像すること。名も知らない人々の。そこにあった生。

【夕べの鐘に応えるようにあなたの命が震える。まるで鐘と一つになってしまったように鳴り響く。あなたは鐘だ。指先からだって伝わってくる。】大野一雄

2014.8.5 798 『自由という言葉に囚われ不自由』

08 06, 2014 | 日記2014

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・世界と戯れる子供
 誰にともなく
 ただ踊る

・自由という言葉に囚われ不自由
 言葉の鎖から解かれて
 本当の場所を知る

2014.8.4 797 『考えられたままに表現された真理ほど、貧しいものはない』

08 06, 2014 | 日記2014

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・付箋。

【考えられたままに表現された真理ほど、貧しいものはない。そうした場合、真理を書きとめても、それは下手な写真にすらなっていない。】『一方通行路』

2014.8.3 796 『民衆の声である音楽』

08 04, 2014 | 日記2014

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・過去の付箋。高橋悠治「高橋悠治コレクション1970年代」より。

【民衆の声である音楽、ぜいたくな文化ではなく、生活のなかで必要なものになるような音楽表現への欲求は、ただ日本独自の音楽をつくるというような、排外的なものではありえない。そこでは、アジア音楽に対する個人的関心のなかにまでしのびこむ経済=政治機構の支配を自覚し、そのような関心を反転して、支配的機構に対抗する文化戦線の一部としてのあたらしい役割をあたえることはたいへん重要なきっかけになる。必要なのは「近代」との正面からの対決と批判を通じて、あたらしい技術概念と方法論をつくりだし、そこに近代やそれ以前の伝統文化のなかの有効な要素を機能転換してとりいれる作業だ。】p.255 

2014.8.2 795 『相も変わらず、いまだに、ネクタイの結び方、は知らない』

08 03, 2014 | 日記2014

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・知られること。名が世に広まること。自分がやっていることに確信が持てること。それらが広まって金が生まれること。——どうでもいい。

・何度も書くが。そんなことを抜きにして、そんなこととは別の場所に始まりをもつこと。そこに始まりを持つ人間は強い。ブレることがない。ブレることがあったとしても、一度その場所に戻って軌道を修正する。

・明日はばあちゃんの四十九日で、納骨の日。普段着ることがない礼服というものを着る。相も変わらず、いまだに、ネクタイの結び方、は知らない。

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