2014.7.30 792 『朝7時40分発の仙台空港行きの飛行機に乗るために』

07 31, 2014 | 日記2014

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・朝7時40分発の仙台空港行きの飛行機に乗るためにカプセルホテルにて仮眠。三宮駅からバスで関西空港へ。途中で工場の煙突からのぼる炎を眺め、新しい朝日に包まれて。

・仙台駅に着いたのは10時前で、腹が減っているから飯を食べたいおっさん二人は家族連れをさしおいてエスパルのオープンを最前列で待ち、松田さんがその日最初にエスパルに足を踏み入れたお客さんになった。店の前に並ぶ店員たちが丁寧に頭を下げて(彼らにとって、その日の最初のいらっしゃいませだ…)、その様子を見て「具合悪いすね」といったぼくに「うん…」と松田さんがいう。

・山形に戻ったのは12時をまわったくらいで、なんにも目立つところのない街をみて、これくらいがちょうどいい、とも思って、おちついた。市内中心部100円循環バスに乗ると幼稚園児がたくさん乗っていて、三人の女の先生に連れられてバスを各自のスピードで降りていく様子をみて笑い、隣に座る二人組のおばあちゃんが「めんこいごど〜」といった。

2014.7.29 791 『神戸三宮「チェルシーデルンバ」にてライブ』

07 30, 2014 | 日記2014

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・神戸三宮「チェルシーデルンバ」にてライブ。今西淳さんと。

・またまた素敵な夜でした。おおきに。

・濃かった関西ツアーもひとまず納め。山形にもどって少しずつ、体験したことをほどいていこう。

2014.7.28 790 『裏なんばの夜は濃く、宴は新しい朝を迎えても終わらない』

07 29, 2014 | 日記2014

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・裏なんばの夜は濃く、宴は新しい朝を迎えても終わらない。27日ライブ後の打ち上げ。

・28オフ日。「大きな輪」の田村さん、イク君らと過ごして、夜、ほぼ毎日ライブをやっているという新世界「難波屋」さんへ。これまた濃い。蕁麻疹がでて体調不良のため別れて神戸へ移動。カプセルホテルにて就寝。

・場所がどこであれ、やはり重要なのは音楽の強度であって、そこがぶれずにあれば、誰かに届けること、響かせることができるということを再確認。いちいち媚びる必要はない。音楽というのは、やはり根源的なもの。ぼくはその(根源的なものを感じさせるような)場所にいたい。

2014.7.27 789 『大阪千日前味園ビル「大きな輪」にてライブ』

07 28, 2014 | 日記2014

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・大阪千日前味園ビル「大きな輪」にてライブ。イクくんと。

・また素晴らしい夜。

・お客さんにミュージシャンが多い中で演奏することに、以前は緊張したりもしていたけれど、最近はない。別にやることは変わらないのだし。それに、いいライブだと思ってくれたときのレスポンスは大きいし。

2014.7.26 788 『大阪北堀江「IRIE CAFE」にてライブ』

07 27, 2014 | 日記2014

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・大阪北堀江「IRIE CAFE」にてライブ。リーベンさんと。

・トランペットで道下かつみさんに急遽一緒に演奏してもらう。昨日神戸のライブをみにいったときにしりあったばかりだけれど。素晴らしい。

・それから、バイオリンで王生雄貴イクくんが参加してくれて、一切打ち合わせなしの三人の即席バンド。素晴らしい。

・濃い、暑い、大阪。まだ続く。

2014.7.25 787 『リー・テソン』

07 26, 2014 | 日記2014

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・神戸へライブをみに。誰かのライブをみて震えたのはだいぶ久しい。素晴らしい。リー・テソン。

・大事なことを再確認。

2014.7.24 786 『暑いから体壊さんように気いつけてな』

07 25, 2014 | 日記2014

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・関西遠征初日。飛行機で大阪へ。堀江にあるダイビングショップ「海の家SORA」さんにてライブ。本当にいい夜だった。

・店の近くの公園でギターの弦を張り替えているぼくに幼稚園児がものめずらしそうに近づいてきていった「こんにちはぁ」、鯖の塩焼き定食を食べて店を出るときにお母さんがかけてくれた「おおきに」、喫茶店のお母さんがコーヒーの会計をしているときに「暑いから体壊さんように気いつけてな」といってくれるそれらの言葉。大阪の言葉。あたたかい。

2014.7.23 785 『金の絡む余地のない場所にある歓びを』

07 24, 2014 | 日記2014

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・金と無縁のところに始まりをもつものを。その場所。何か大事なことを見失いそうになるとき。その場所へかえる。

・音楽をやめる、という言葉がずっとわからない。音楽をやめる、という人の、それは、結局、音楽を金と結びつけること、をやめる、ということで、そもそも音楽の始まりがそんな場所にない人間には、全く関係ない言葉。

・金の絡む余地のない場所にある歓びを。

・音楽を「やめる」ことはできない。生きても。死んでも。

2014.7.22 784 『何が無くなっても、その場所が失われることは、ない』

07 23, 2014 | 日記2014

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・充足する。している。することができる。

・ギターがあって、弾いて、歌う。なるべく、自然の中で。それだけ。ただ、それだけで満ちる心がある。それ以外のことはオプション(ライブや録音などのことは…)に近いかもしれないけれど、それはそれで大切。けれど、帰るところは、心を置いてきたところは、ギターと歌とそれを包み込むものがある、そんな場所。いつでもその場所にぼくは戻る。そこから始まったのだから。何が無くなっても、その場所が失われることは、ない。

2014.7.21 783 『サム・クックを大声で歌いながら』

07 22, 2014 | 日記2014

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・ホテルのバイキングで朝食。ツアーの中で一番適切な時間に、一番適切な栄養を身体に取り入れた気がする。食事はやはり重要だ。

・4号線を福島まで走り、13号線に入って山形へ。朝飯効果か、体調がよく、車内に流れるサム・クックを大声で歌いながら。

・次は関西遠征。どうなることやら。

2014.7.20 782 『「MOAI」にてライブ』

07 21, 2014 | 日記2014

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・郡山から宇都宮へと移動。レストランバー「MOAI」にてライブ。小久保淳平さんと。とてもいい夜だった。

・宇都宮。いい街だ。まずコンビニが少ない、それがいい。

・ホテルを用意してもらっていたので、宿泊。

2014.7.19 781 『郡山に。温泉の駐車場で眠る』

07 20, 2014 | 日記2014

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・新潟へと戻り「燕三条軽音楽祭」にてライブ。会場に着いたのが出番の五分前くらいで、トイレにいって、ギターケースをあける、前日弦を二回切って、そのままにしていたのを忘れていて愕然として、急遽前の出番の人にギターを借りて演奏、演奏後に自分がトリだったこと、ゲスト的なものだったのを知ってまた愕然、もっといろいろしときゃ良かった、などと反省することはないにしても、それにしても怒濤だった。

・宇都宮への移動を途中であきらめて、郡山に。温泉の駐車場で眠る。

・夜の移動は極力さけよう。特に山道は。心、身体どちらも消耗が激しい。

2014.7.18 780 『吐き気がする』

07 19, 2014 | 日記2014

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・福島市「re.acoustic」にてライブ。

・うちわでワイワイやって満足してる「学芸会」的なもののどこがおもしろいのか? 学生のサークル気分から一歩も抜け出していないような人。吐き気がする。

2014.7.17 779 『「ワタシ」の野生化』

07 18, 2014 | 日記2014

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・新潟三条市「gallery bar veronica」にてライブ。

・今回は車の旅。2011年、石巻で二ヶ月近く車で生活していた頃の感覚が少しずつ戻ってくる。

・「ワタシ」の野生化。

2014.7.16 778 『車に轢かれた道路上の猫の死骸を、これ以上轢かれないように、と』

07 16, 2014 | 日記2014

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・車に轢かれた道路上の猫の死骸を、これ以上轢かれないように、と、道路脇に寄せてあげる人がいる。それはぼくの友達だけれど、その話を聞いたときには本当に感動した。何故かその話を今思いだしているところ。

・明日からは、また歌旅にでる。たくさんのものを享受できますよう。

2014.7.15 777 『先日の大雨で混濁した川の流れに反射して揺れる太陽の光、などに、、、。』

07 15, 2014 | 日記2014

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・「幸せというのは大きいもの」「大きなものが幸せ」という類いの刷り込み。「幸せになりたい」という言葉を発する人々はたぶんそういう刷り込みに毒されている。そういう刷り込みへの反抗。小さなもの、こと、に歓ぶ、その感じ方を持っていれば、いちいち「経済成長」なんて声高に叫ぶ必要は、ない。

・青空を二羽の白い鳥が飛び交う、初めてつくった豆腐の薬味が思いのほか美味しかった、コンクリート壁の脇に咲く手入れのされていないムクゲの紫色の花が夕方の風に揺れる、先日の大雨で混濁した川の流れに反射して揺れる太陽の光、などに、、、。

2014.7.14 776 『それでも辿り着けないような場所だからこそ、人は』

07 14, 2014 | 日記2014

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・ディランのライブを思い出す。風のように歌うディラン。自然の側にいるディラン。自然の中で紡がれる音楽が流行り、そういう音楽を聴くと自然の情景が起こされるような音楽。例えば波の光景。ぼくが感じたディランは自然の光景を思い起こさせるのでは、なく、自然そのものの側にいっているように感じた。これは、この感じは文章に起こすのが難しい。「聴けば自然を思い起こさせる音楽、と、自然そのものの側にあるような音楽」似ているようで、全然違う。ぼくが河原で歌っているときに目に映る光景そのものの側にいる、人、あるいは音楽。やはり書くのが難しい。ひとつ、進むべき道の手がかりがあるとすれば、自然を感じさせる音楽では、なく、自然そのものの側に至るような、そんな、考えても方法が全く見つからないような、そんな途方もない歩み。けれど、その場所なんだ、きっと。

・わけがわからないや。書いている自分自身も。けれど、わかっているのならば、やっぱり、そもそも、それをやる必要もなく、そこにこれからの時間を捧げる必要もない。

・自分の持つだろう時間を捧げても、それでも辿り着けないような場所だからこそ、人はその行為に駆り立てられる。

・今日は勢いで、書く。読み返すこともない。

2014.7.13 775 『ほんとうの意味の感動はないわけですね』

07 14, 2014 | 日記2014

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・過去の付箋。

【——だけどみんな勘定ずくだからね。だいたい、ああこれは結構だと思うってことは、自分がそれを理解した、何か得をしたんだと思うように、全部勘定ずくで考えるから。そんな判断じゃないんだ。判断を越えた自己発見なんで、だから自分とそれが一体になったような気持ちになっていて強烈な責任を感じるわけだな。そうすると、つまりそれを乗り超えなければ意味がないと思う。乗り超えなければ、それから受けてくるエネルギーもないし、ほんとうの意味の感動はないわけですね。】p.107.108 岡本太郎「ピカソ——ピカソ講義」より。

2014.7.12 774 『関東最終日』

07 13, 2014 | 日記2014

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・関東最終日。渋谷bar moon palaceにてライブ。マスターの元さん、同郷山形。愛のあふるる人。

【「ストーリー」じゃなくて、小島信夫さん曰く、「そのつどそのつどおもしろい」というか、ずーっと何だかおもしろいっていう書き方が、いちばん、いいんじゃないかと。】保坂和志

2014.7.11 773 『会話は言葉でするものだけれど』

07 12, 2014 | 日記2014

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・朝起きて。持田浩嗣さんとふたりで話した時間は、素晴らしかった。会話は言葉でするものだけれど、言葉以上のものでやりとりをしていた気がする。話しをしていて、持田さんが「なんか、嬉しいからビール呑もか」といったので朝からビールを呑んだ。

・持田さんに紹介してもらって、横浜のアースリー・パラダイスで、「かずま」くんのライブの前に数曲うたって、高円寺へ向かう。

・今回の出会いの濃さに、まだ全然心と身体がついてこない。ま、そらそうだ。それだけ大きい体験をしてるのだし。あと、呑んでるし。

2014.7.10 772 『身体と心を整理』

07 11, 2014 | 日記2014

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・新百合ヶ丘チットチャット。金佑龍さんと。吉祥寺バオバブ。持田浩嗣さんと。

・二日とも濃すぎるほど、いい夜で、書くことが追いつかない。身体と心を整理。

2014.7.9 771 『脱皮するうたうたい』

07 09, 2014 | 日記2014

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聴こえる?
子どもたちの泣き声が
橋の燃え崩れる音が
名もなき者たちの祈りの歌が
響き渡る
希望なき街と呼ばれる場所で

・バスに揺られ、いざ新百合ヶ丘chit chatへ。快適。バス嫌いも少しは改善しそう。

・置いてくる。殻を。脱皮するうたうたい。

2014.7.8 770 『その人を、そのままを受け入れよう、と思える。その場所。』

07 08, 2014 | 日記2014

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・誰かの奏でた音
 それは場所を超えて、時間を超えて(時には逆にすら流れて…)
 わたしに辿りつき
 また別の形となって
 名も知らない誰かのもとへ
 繋がれてゆく
 幾人もの身体を通して
 終われない
 終わらない
 終わることができない
 
・全部を。丸ごと。受け入れよう、と思える。自分の尺度でどうのこうのではなく、違和感も違和感に感じなく、その人を、そのままを受け入れよう、と思える。その場所。

2014.7.7 769 『踊る女が  踊る身体で』

07 08, 2014 | 日記2014

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・わたしの身体を通して
 音楽として
 世界を
 翻訳する
 
 踊る女が
 踊る身体で
 言葉を超えて
 世界を
 翻訳するように

2014.7.6 768 『彼には掴む手がない』

07 07, 2014 | 日記2014

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・根を揺らせ
 揺れれば
 葉も揺れる
 
・わたしにうたを
 うたわせるもの
 その誰かについてゆこうとしても
 彼には掴む手がない

2014.7.5 767 『おまえには知ることの出来ない場所』

07 06, 2014 | 日記2014

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・向かうべき場所の名前
 そこにはこう記されている
「おまえには決して知ることの出来ない場所」

・雨に踊る
 子供みたいに
 踏み鳴らす足音

2014.7.4 766 『どんな些細なかかわりも、全世界を——』

07 06, 2014 | 日記2014

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・今日の言葉。

【どんな些細なかかわりも、全世界を破壊し尽くすような、そんなかかわりが石ころ一つのなかにもあるんだから、大事にしたまえ。】 大野一雄「稽古の言葉」。

2014.7.3 765 『昨日の夜に部屋に出たゴキブリのことを思い出したりする』

07 03, 2014 | 日記2014

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・妹が震える声で弔辞を読み上げる、耳の聞こえない伯父(喪主)はどんな風に受け取っただろう、棺に釘を打つ時に左手で打つのを知らず、右手で打ってしまって、伯父から「おまえ、それ右手だべや〜」と笑いながらからかわれる、火葬場の待ち番をひとりでしながら、持ってきた本の過去に付箋を貼っていた箇所を読み返す、ばあちゃんの骨を拾い上げながら、昨日の夜に部屋に出たゴキブリのことを思い出したりする。

・葬儀場の部屋の二階で勉強していた弟が、勉強道具の一式を持って、「ゴキブリがでた、、、」と小さな声で笑いながら一階に降りてきたので、耳の聞こえない伯父にそれを紙に書いて伝えたら、「わがた」といってスリッパを持って、ドシドシと二階に上がっていくのを、弟を連れて見にいって、伯父が「このやろ、このやろ」といいながら、ゴキブリを、つぶすわけではなく、「甘叩き」しながらゴキブリをつまんで、窓を開けて外に出すのをみて、弟がまた小さく笑いながら「すげえ」と呟いた様子がおもしろくて、ゲラゲラと笑って、それを妹に伝えたら妹もまた、ゲラゲラと笑った。

・「死」というものの捉え方は、歳を重ねるたびに変わるのか、それとも、考え方の変化によって変わるのか。よくわからないけれど。

・神妙な顔つきで、おいおいと泣きながら、死んだ誰かを見送るような、そんな在り方だけが全てではもちろんなくて、ぼくの家系の人たちのように、ケラケラと笑いながら、見送る人間たちだってきっといて、そういう人たちは決して「場をわきまえていない」のではなくて、誰かが死んだときに「悲しい顔をする」「悲しい顔以外の表情をしてはならない」のが常識だというような考え方の人間たちのほうが、なんというか、ぼくからすると浅いよなと思えて、いやもちろん悲しいのはわかるけれど、それはきっと、何か(例えばありきたりのことしかいわないドラマのようなもの)からの刷り込みのようなもので、別にどうでもいいけれど、自分でこんなことを書くのも変かもしれないけれど、ぼくの周りにいる親戚たちは、本当に愛すべき人間たちだと、思って、感動に近い思いをもっている、こうして家に帰って書きながらも、その思いは薄れない。

・ばあちゃんの身内だけによる、密葬のような形でばあちゃんを見送ったので、ますます親戚のじじばば(ばあちゃんの兄妹)たちの濃さが際立ってみえる。

2014.7.2 764 『ばあちゃんの顔を、拭いて、装束(というのか)を着せる、』

07 02, 2014 | 日記2014

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・ばあちゃんの顔を、拭いて、装束(というのか)を着せる、納棺師の役の人(本当の納棺師ではない)が「縦結びで結んでください」という、その紐の結び方に皆が戸惑い、皆が笑う、入棺が終わって、ばあちゃんの兄妹達と食事しながら話して、またゲラゲラ笑う、ばあちゃんの三番目の妹(83)が、ばあちゃんの形見としてストールが欲しいといって、皆でそれをばあちゃんの家にとりにいっているから、今、ぼくはひとり(弟は二階で明日の試験のための勉強をして、ばあちゃんの二番目の妹(85)は、疲れて眠っている)棺の隣で、ウイスキーを飲みながら文字を打っているところ、と書いていたら、二番目の妹が寝ながら咳をしている。

・と、書いていたら、その二番目の妹(85)が「蚊取り線香でむせってダメだ」といいながら起きてきて、トイレに入った、煙草を吸うために外へでようとしたら、あまりに虫が多くて、蚊取り線香のもう一方の端にもぼくが火を点けてしまったから、必要以上に煙がたかれて、その煙でどうやらむせったらしい、可愛らしくてしょうがなくて、またゲラゲラわらった、「むせて、むせて、わがらね〜」といいながらトイレから戻ってくる二番目の妹(85)と一緒に、部屋をのぞいたら、蚊取り線香の煙で真っ白で、またゲラゲラと笑った、こりゃ、むせるわ、と思う。

2014.7.1 763 『繋げ  ひとつの橋を  灯せ  夜を射る光を』

07 02, 2014 | 日記2014

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・ばあちゃんが逝きました。と母親からメールを受けたのが朝五時近くのことで、布団の中から慌てて母親に電話をいれる、母親だけがその場所に立ち会えたようだ、外では鳥が鳴いている。

・二週間前に、入院先の病院に会いにいった時には、手を握っても、ぼくの手を握り返すことができないばあちゃんだったけれど、見開いた目から、ぼくが会いにきたことはなんとなく理解しているようだった、その夜、ホルモン屋に行った時に、隣の席には何組かの親子連れが一緒に食事をしていて、一才に満たない赤ん坊が母親の腕に抱かれて、他の何人かの子供たちは、はしゃぎ踊るように遊び、笑っていて、彼らが食事を終えて、店を出る時に子供を抱かせてもらったりした、その時に感じたことは、ばあちゃんに対する悲しみの感情ではなくて、「ばあちゃん、だいじょうぶだよ」というような自分でもわけのわからない感情で、ぼくは別に輪廻のことをいいたいわけでなくて、ただ、消えゆく命と、生まれたばかりの命の、繋がりのようなものを感じた、お互い直接には何の繋がりも持たない、名前も知らない者どうしの命も、きっと繋がっていて、その糸は切れない、「ばあちゃん、だいじょうぶだよ」、名も知らない子供たちにあなたの命は繋がるからね……

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・繋げ
 ひとつの橋を
 灯せ
 夜を射る光を
 未だ見ぬ来たりし友のために

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Author:harunobiwonder
松沢春伸の日記

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