2014.6.29 761 『雨に濡れるのも悪くない』

06 30, 2014 | 日記2014

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・曇り空。河原に腰掛けてコーヒーを。反射する光の少ない川面を眺める。風が強い。

 大人になってから、小学生や中学生の頃に通った道をもう一度歩いてみた経験を思い出す。ほとんど変わっていない景色の中に新しいものを見た記憶。それは新しいものではなく、小さい頃にもそこに変わらず在って、小さかった頃の自分には「見えて」いても、「見ようとするものではなかった」景色。

 河原を取り囲む山々を見ながら、そんなことを思い出していると雨が降り始めて、けれど、焦らず、ゆっくり、歩いて家に帰る。雨に濡れるのも悪くない。

2014.6.28 760 『ワタシはワタシの知らないワタシに』

06 29, 2014 | 日記2014

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・秋田県由利本荘「Answer」にてライブ。withちんねんず。

源泉のない場所から
何かを絞りだすのではなく
ただ内側から
湧き上がるものの道を塞ぐことなく
外へ繋げる
ワタシはワタシの知らないワタシに
身を委ねる

2014.6.27 759 『公園の檜を揺らす風の中で』

06 28, 2014 | 日記2014

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・暑い一日の終りに。ながい一日の終りに。公園の檜を揺らす風の中で。ビールをのみ。ギターを弾く。星の少ない夜に。

・過去の付箋。

【ゆっくりと、だけど決して停まらずに進むタクシーがずいぶんと道路にはみ出した看板と自転車をどうして引っかけてしまわないのか、感心して眺めていた。羊羹みたいに黒く光る車体には、さっきまでいた店の看板の白と青のライトが映って流れていった。なんの音が、というわけではないのに騒々しくて、夜の東心斎橋の感じだと思った。エアコンで冷え切った店から出てきたばかりなのに、もう肌には汗が滲みかけている。】柴崎友香「その街の今は」冒頭の文章。

『忘れていました。ライブの告知で候。』

06 27, 2014 | 日記2014

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今時点で決まっているもの。
どうなることやら。
さっぱりわかりません。
何度もいうけど、わかってはおもしろくない。
わかっているのならやらなくていい。

6/28(土) 秋田由利本荘 Answer
7/09(水) 新百合ヶ丘 BAR Chit Chat
7/10(木) 吉祥寺 BAOBAB
7/12(土) 渋谷 Bar Moon Palace
7/17(木) 新潟三条 Gallery Bar Veronika
7/18(金) 福島 Re-Acoustic
7/20(日) 宇都宮 Restarurant Bar MOAI
7/24(木) 大阪 海の家 SORA
7/26(土) 大阪 IRIE CAFE
7/27(日) 大阪 大きな輪
8/08(金) 岩手盛岡 調整中
8/09(土) 岩手北上 Cafe&Bar CHUP

2014.6.26 758 『今も尚、除草剤に頼ることはしない』

06 26, 2014 | 日記2014

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・走らせる車の上空をぎこちない飛び方で、二羽の小ぶりな鴨が飛んでいく夕方。畑仕事を終えた腰を垂直に曲げたおばあさんが手押し車にもたれ歩く夕方。目での記憶。の小さなスケッチ。

・何年か前に書いた日記。の、おばあさんが、今日もゴミ処理場近くの三角形の空き地で草むしりをしていて、その時の光景、日記に書いた文章が流れてくる。立ちながら、腰を叩くおばあさん。今も尚、除草剤に頼ることはしない。草と、土と、照る太陽に身体で向き合い、利便には向き合わず、無視。

・消えゆく小さな灯り
 生まれたばかりの小さな灯り
 誰かが去っても
 別の誰かがやってくる
 死というものの
 別の感触
 を知る

2014.6.25 757 『より多くの者たちの方へ赴くこと』

06 26, 2014 | 日記2014

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・今日の引用。ヴァルター・ベンヤミン「この道、一方通行」より。

【——「より多くの者たちの方へ赴くこと」、ラテン語を話すひとびとはかつて死のことをそう呼んだ。】p150 

2014.6.24 756 『栗の花。南天の花』

06 25, 2014 | 日記2014

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・栗の花。南天の花。白く、小さく咲くものたち。

・田の水面に眠る月
 を揺らす風
 を受け止める君の手

2014.6.23 755 『初めてつくる時に、毎度立ち戻って、たどたどしく、踏み迷いながらつくるような人間でありたい』

06 23, 2014 | 日記2014

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・悪夢。それが襲ってくる。のは大抵、朝方に何度寝かしている時。起きても、その感覚が身体に刻まれていて、現実の世界が悪夢の中にあるように感じる、おそろしい。小島信夫がカフカの小説を「悪夢の中にいるようだ」と評したのを思い出す。

・玄関先にラグを敷いた。その人が初めてつくったラグ。初めて織るときの、たどたどしい動き、つまずきながら織った身体の動きがそこに刻まれているように思えておもしろい。技術が上達すれば、そこから(完成した作品としてのラグから)、そのたどたどしい動きの痕跡は消えていくのだろう。いつまでもたどたどしく、初めて織るときのように織る、そういう場所にい続けることは難しい。けれど、音楽をつくるときには、そのような初めてつくる時に、毎度立ち戻って、たどたどしく、踏み迷いながらつくるような人間でありたい。

・テレビをみていたら、元オリンピック選手がエンターテイメントショーのような番組(演者のショーをみた観客ひとりひとりが、そのショーの対価としていくらなら払えるか? をその場で決める、その総額が演者のギャラになる)にでていて、ひとつひとつの演技を繰り出したあとに見せる笑顔が気持ち悪くて、吐きそうになってしまって、テレビを消した。

 現役の選手として演技をしている時代には、決してあんな誰かに媚びた笑顔を見せなかったはずで、もっと純粋に自分の演技をやりきった、というような表情になるのではないか。

 競技という場所を離れて、演技が直接「金」に結びつくようなものになってしまった時、人はあんなくだらない笑顔を見せるようになるのだろうか? そこで見せた笑顔は客に、あるいは「金」そのものに媚びたものだとすらいえるような、あの顔。ああ具合が悪い。自分はそんな場所にいたくはない。

2014.6.22 754 『同時に演者が演者自身に風穴をあける』

06 22, 2014 | 日記2014

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・常にアウェイという状態はいい。ライブを聴きにきた人が全員その演者のファンで予定調和なことしか起こらないような(そして、そういうものを演者自身も望んでいるような場所)なんてつまらない。いつまでもアウェイ。風穴をあける。新しい風。

・同時に演者が演者自身に風穴をあける。あるいは、左手の一撃。

・たがをはずす、というか、はずれる体験。人前に晒される(たとえばライブ)という機会はそういうことを体験しやすいのだろうか。もちろん、人前で何かを表現することを「発表会」だと思っている人間にこんなことをいっても伝わらないだろうけれど、、、。

2014.6.21 753 『棘』

06 22, 2014 | 日記2014

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・ライブ。サーフショップ二十周年パーティー。keisonさんとkazzさん(side-slide)の前座として。

・withサックス。サノクミさん。

・抜けない棘を刺す。不意打ち。

2014.6.20 752 『あやつり人形劇場』

06 21, 2014 | 日記2014

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「あやつり人形劇場」

あやつられていることをしっているから
きみはそんなにふざけるのだ

いとはたるみ
いとははり
いとはもつれ

あやつるわたしのゆびさきへと
いとをつたっておくられてくる
きみのいのち

あやつられているとしっているから
きみはよるそんなにもふかくねむる

谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」p76.77

2014.6.19 751 『太陽にさらされた吸血鬼』

06 19, 2014 | 日記2014

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・本棚から適当に。パラパラとページをめくって。

【ぼくは自分にとてもデリケートな
 手術をしなきゃなんない
 って歌ったのはベリマンでしたっけ自殺した
 うろ覚えですが他の何もかもと同じように
 
 さらけ出そうとするんですが
 さらけ出した瞬間に別物になってしまいます
 太陽にさらされた吸血鬼といったところ
 魂の中の言葉は空気にふれた言葉とは
 似ても似つかないもののようです
 
 おぼえがありませんか
 絶句したときの身の充実
 できればのべつ絶句していたい
 でなければ単に唖然としているだけでもいい
 指にきれいな指環なんかはめて
 我を忘れて】p34.35 

 谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」『14 金閣寿夫に』

2014.6.18 750 『空豆ってよ、上さむがってなるんだじぇ』

06 19, 2014 | 日記2014

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・「空豆ってよ、上さむがってなるんだじぇ」とえっちゃんがいって、店の裏にある空豆のコンテナを「ほれ、見でみろ」と指差したから、のぞいたら、空豆の房は下にさがるのでなく、ほんとうに上に向ってなっていて驚いた。「んだがら、空豆っていうんだべがね?」とえっちゃんがいった。

2014.6.17 749 『刻まれる言葉たち』

06 18, 2014 | 日記2014

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・欠けた月。湿る芝生。揺れる木々。本と煙草とビール。刻まれる言葉たち。

・歌にもならない
 溢れた日々の
 小さな小さな幸せを
 たくさんたくさん紡ぎましょう
 この世界を誰かが愛せるように…… 

 「歌にもならない溢れた日々の」


・小さな小さな日々の歌。それを共有できることの歓び。

2014.6.16 748 『おちつくから』

06 17, 2014 | 日記2014

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・犬飼ともは、作品をつくるきっかけのようなことを問われて「まだこれという答えはないけど、いまのところはね、、、おちつくから」といった。「きっと春もそうでしょ?」と犬飼ともがいった。

・生理によるもの。つくる最中にいるときにしか起こらない何か。ギターを弾き、うたうときにしか起こらない何か。に触れるため。「おちつくから」単純で優しくていい答え。

・展示会だからもちろん作品も見るのだけれど、それよりなにより、子供たちのつくる「ワタノハスマイル」の作品の自由さに触れて、自分の作品がつくれなくなった時期を経て、それでもやりきった、ということだけで偉い。凄い。

2014.6.15 747 『新庄へ』

06 16, 2014 | 日記2014

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・新庄へ。犬飼ともの作品展へ。そしてばあちゃんに会いに。

・今日の言葉。過去の付箋。

【——とにかくそんなこともあって、「死」というものに出会うと私は過剰に反応してしまい、伯母と伯父に触発されて「死」のことをまた考えているときに田中小実昌さんがなくなった。追悼文といったら普通、四百字で六、七枚程度のものだけれど、その程度の分量では田中小実昌さんに対する私の感謝の気持ちは伝えられない。感謝の気持ちを伝えるために、私は、まずは一目でわかる“量”で表現することにした。中身の出来不出来よりも何よりも“量”が大事だった。感謝の気持ちを「言葉では尽くせない」とかなんとか言うのは、もちろん言葉に頼ったありきたりな表現なわけで、「尽くせる」も「尽くせない」も、まずはとにかく言葉にしようとしなければ言葉はどんどん風化していく。そして言葉も気持ちも、相手に対しても自分自身に対してもその信頼性を支えるのは、つまるところそれに投入した時間と労力なのだ……。】p,153 保坂和志「生きる歓び」あとがきより。

2014.6.14 746 『たまらなく世界を抱きしめたくなる』

06 15, 2014 | 日記2014

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・風景や光景。に歓ぶ。ただただ歓ぶ。

 太陽の光が田んぼの水に反射して光る、そこに飛び込む一羽の鴨、その脇の道をそれらの光景に包まれながら自転車を走らせる女。

 キラキラ揺れ踊る光と同様に。自分も風景や光景の一部なのだと感じる瞬間。たまらなく世界を抱きしめたくなる。

——————

・いい夜。話したいことを話すことができる。ことの歓び。自分を余すことなく伝えることのできる歓び。

2014.6.13 745 『暴徒と呼ばれる彼らの行動は暴動なのか?』

06 13, 2014 | 日記2014

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・ブラジルのワールドカップのデモに参加する人々を「暴徒」と報道するこの国のメディア。暴徒と呼ばれる彼らの行動は暴動なのか? 「オリンピックは儲かるから」といった前都知事。一体誰が儲かるのか? 自分たちの国でも同じような自体は起こる? 起こらない?

・アマノウズメ。この世界に「光」を取り戻すために夜通し踊りつづけた女。の曲。をつくる。

・何かを生むことができるのは女性で、男どもはそれを忘れてはいけない。生むことが出来ないから、創ることに向うのかもしれない、、、。

・【何かを産み出そうとする信念など、不毛である。】「殿方用」と題された、たった一行の文章。ベンヤミンの言葉。

2014.6.12 744 『あなたが振り向いた時。わたしはもうそこにはいない。』

06 12, 2014 | 日記2014

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・ガラス。ガラスという物体が「割れる可能性を孕んでいるもの」だ、ということを皆知っている。けれど。割れたガラスの破片が自分を傷つける可能性があることを実感しているわけではない。

 ガラスはどこか自分とほど遠い場所で割れ散って、誰かを傷つけることがあったとしても、そこで血を流すのは自分ではない。ガラスは道の奥の奥の何処か、名も知らない場所で割れるもの。(そのような認識。)

——————

・あなたは何処に向っているの?
 などと尋ねないでほしい。

 あなたの目的地はどこなの?
 などと尋ねないでほしい。

 わたしすら分からない場所に向けて。
 わたしはただ足を繰り出すだけなのだから。

 あなたが振り向いた時。
 わたしはもうそこにはいない。

2014.6.11 743 『金の絡む余地のない場所で紡がれる行為』

06 11, 2014 | 日記2014

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・うたうたう「行為」は「商売」ではないし、うたうたう「わたし」は「商品」ではない。

・ひとつ。受け取る人間(聴く、見る、読むなど)がいなければ、表現をする側の人間は、つくる行為に向かわないのか? そんなことはない。何かをつくったり、歌ったりする行為は、もっとその人の生理によるものだろう。違ういい方をすれば、「金の絡む余地のない場所で紡がれる行為」。ということ。誰ひとり、受け取る人間がいなくとも続く行為の軌跡。

 うたで考えれば、聴いてくれる人がいるから歌うのではなく、歌うという行為そのものがその人にとって「何ものか」であるから、たとえ誰ひとり受け取る人がいなくとも、それを続けていく。すくなくともぼくはそうだ。


・曇る。日。それでも紫外線は届いて、シャワーのお湯で鼻先がヒリヒリと痛む。

2014.6.10 742 『自分がスノーボーダーだと想像してみる』

06 10, 2014 | 日記2014

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・ある人がいう「お客を大事にしろ」。「客を大事にする」というのはどういうことだろう。と考える。考えている。考えてきた。また別の人がいう「ライブは発表会じゃない」。それも考える。考えてきた。「金」はどこから発生するのか? 「客」であり「聴衆」である、とする。音楽というジャンルだけじゃなしに、小説や、スポーツの分野でも。「食う」ことに依って考えれば「いかに客を喜ばせるか」という場所か。

 けれど、本当にそう? 例えば、自分がスノーボーダーだと想像してみる。それで「食う」という場所にいるとする。その時に「客を大事にする」というのはどういう行為をいうのか。を想像してみる。

 自分のベストを尽くそうとする姿勢。自分のパフォーマンスを見ている人たちに媚びるということじゃなしに、ただただ自分をひたすら更新していこうとする姿勢。本当の意味で「客を大事にする」という、その行為は、客が求めることを提示することじゃ無しに、自分が自分を更新していく様を、見せること、その「試行錯誤」や「たたかい」にこそあるんじゃないだろうか?

 現在の自分が確実に実行出来る(ある程度の成功〈「こなす」とでもいえばいいのか、、、〉を計算の出来る)演技を披露して起こる感動より、その人がその場所で、現在の自分自身に抗して自分を乗り越えようともがく「在りよう」のほうにこそ、誰かの心は揺さぶられるのではないだろうか?

 そこで失敗しようが、破綻しようが、出来ることをただ淡々と「綺麗」にこなすことよりも、自分を更新しようともがく、在りようの方が「美しい」のではないだろうか。失敗して、失敗して、破綻して、破綻しつづけて、それでも前に進むことをやめない行為のすえに起こった、ほんの一瞬の、「自分がそれまでの自分が超えていく」瞬間の体験。本当の意味で客を大事にするというのは、その瞬間を共有することじゃないか。

 そして、表現者(ジャンルは何であっても)の歓びというのは、その瞬間にこそあるんじゃないだろうか? (もはやそこには「客」という存在さえ消えているのだろうけれど、、、)

—————————

・このまえの。六日の演奏中に起こったことを、整理するために書く。

・というか、ぼくが見たいのはそういうタイプの表現者の行為や、葛藤や、たたかいであって。何度も何度も書くけれど「発表会」なんかみたくもない。

・なにがいいたのか、自分でもわからない。ただ、自分にとって「客を大事にする」ということは、客を盛り上げるために自分の表現の敷居を下げることではなく、とにかく前に進もうとする、無様といってもいい姿を見せること。さらすこと。その先に一瞬だけ生まれおちる「何か」。客にとっても、すぐに言葉に還元できないような体験を共有すること。そう思う。けれど、こんな風に書いてもなんの説明にもならず、いおうとしていることのほんの少しも書けていない気もする、、、。

—————————

・何を書いているのか。わからん。寝よう。

2014.6.9 741 『ひとつの静かなたたかい』

06 10, 2014 | 日記2014

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・サム・クック。オーティス・レディング。ニーナ・シモン。ボブ・ディラン。トム・ウェイツ。スライ&ザ・ファミリーストーン。順不同。

・身体が歓ぶ音楽。言語は追いつかない場所。

・自分自身をも置き去りにして進むような在りかた。ひとつの静かなたたかい。

2014.6.8 740 『その散文が構想される音楽的段階』

06 09, 2014 | 日記2014

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・今日の引用。ヴァルター・ベンヤミン「この道、一方通行」より。

【よい散文を仕上げるのには三つの段階が必要だ。その散文が構想される音楽的段階、それが組み上げられる建築術的段階、最後にそれが織り上げられる織物的段階。】p45 「注意、段差あり!」

松沢春伸 「MEMO」

06 08, 2014 | 日記2014

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・CDのこと。

『VORZ MUSIC』

・基本的にはVorz Musicのサイト、Vorz Bar、ライブ会場での販売になります。ぼくも少し分けてもらっているので直接欲しい方がいれば連絡ください。

—————————

「memo」

泥水に踊る月
星を射る弓
その傍ら
夜を
引き掻く
型なき舞踏
大地と足の戯れ音
あるいはひとつの結目
これまで続いてきた日々の
これから続いてゆく日々の一片
ほとんどメモのように
刻み記された
八つの
うた

——アルバムの最後に置いた文章より。

2014.6.7 739 『だからこそ芸術は一生の仕事に値する』

06 08, 2014 | 日記2014

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・一番のライブだったというのが、予定していたことをうまくこなせたとか、出来がよかったとか、お客さんの受けが良かったとか、ミスが少なかったとか、そんなレベルのことじゃない、ということをぼくは何度も書いているから、伝わる人には伝わるだろう。

・どういうことか?

 保坂和志が【美術でも音楽でも、作者の事前の設計図どおりに収まるようなものはたいしたものではない。優れた芸術作品はすべて、作者の意図を超える。だからこそ芸術は一生の仕事に値する。】というそれを、あのライブの場所で体感した。

 わたし(ライブ前のわたし)を、わたし(演奏中のわたし)が、超えていくのをありありと実感して驚きながら歓び震えているわたし(このわたしはどこに位置するのか、なんともわからない)。


・この瞬間。【だからこそ芸術は一生の仕事に値する。】

2014.6.6 738 『お疲れさま迎え酒』

06 07, 2014 | 日記2014

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・VORZ BAR八周年ライブ。二日目。持田浩嗣さん。ざ・べっがーず。と

・なんと書けばいいものか。追い求める「何か」にライブ人生の中で一番近づけたのではないだろうか。もちろん掴めてはいないのだけれど。

・つまり、この日、ボーズバー八周年ライブの2日目、は、自分にとってこれまでで一番のライブだった。

・ライブ後にこれほどまでに抜け殻状態になったことはない。

・さて。ここからだ。ここから、また、前に。を求める。

・八時の仙山線にのって山形に戻る。なにやらサッカーしてる。大久保が決めた。「お疲れさま迎え酒」をしているところ。濃い二日間だった。

2014.6.5 737 『足の運びに身を委ねること』

06 06, 2014 | 日記2014

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・vorz bar8周年LIVE初日。ショウ441さんと。

・朝のテレビの占いで「今日の最下位は2月生まれの人」といっていて、それはどうでもいいけど、内容が「思い通りに行かない1日でしょう」。って、最高じゃないか。思い通りにいくことなんて全てつまらない。ライブにしても。ま、どうでもいいけど。

・事前に予定していた軌道からはずれてしまった時に。重要なのは、軌道修正して初めの軌道に戻ることではなく、そのまま足の運びに身を委ねること(自分が作成した設計図を破棄して)。結果、目の前に生まれたものが事前の設計図と全く違っていたら、それを歓ぶべきで、それが自分の身体を通して「生む」ということでしょうし。

2014.6.4 736 『今日はスライが全ての出来事に上書きをした』

06 05, 2014 | 日記2014

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・河原でギターを弾く。歌う。少年が立ち小便する脇で。キジが鳴いてバタバタ羽を踊らせる脇で。

・軽くのみにいこう、と思って飲んでいたら、スライの「Stand!」の中の『Sex Machine』がかっこいいよと隣に座ったお客さんが教えてくれて、かけてもらったら、あまりに凄くて。こないだ注文していて封をあけていなかった五枚組のセットに入っていたのを思い出して、家に帰ってきて。今それを聴きながら。書く。

・明日、というか今日か。は。ライブ。どうなることやら全然わからん。

・寝る。とか書いて、眠りたい気もするが、スライに興奮しているから眠れるものかどうか、、、。

・何か書こうと思っていたことがあるような気もするけれど、思い出せない。ま、どうでもいい。今日はスライが全ての出来事に上書きをしたのだから。

2014.6.3 735 『見上げるとあまりに星が綺麗だ』

06 03, 2014 | 日記2014

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・母方のばあちゃんと本当に久しぶりに二人きりで道を歩いた。夜の道。ばあちゃんの家まで。ばあちゃんは遅かった。ゆっくり。ゆっくり。一緒に歩く。四、五歳のころにたくさん一緒に歩いた、ばあちゃんの家までの百メートルもない短い一本道。周りは田んぼに囲まれて。蛙が鳴いている。自分の家と比較にならない大きさで蛙の鳴く声。聞こえるのは蛙の声だけ。本当に、それだけ。ゆっくり歩く。ばあちゃんの家の網戸には蛙がたくさんひっついていたなあ、と思い出す。ゆっくり歩く。ばあちゃんも歳をとり、同様にぼくも歳をとった。こんなにゆっくり歩いたことはなかったけれど。ばあちゃんとゆっくり、家まで歩く。見上げるとあまりに星が綺麗だ。

・父方のばあちゃんの容態は安定している。母方のばあちゃんが家までの道を歩きながら「会いにいがねど」といって、それが嬉しかった。

・さて眠ろう。

2014.6.2 734 『ソウイエバ』

06 02, 2014 | 日記2014

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・ソウイエバ。CDヲツクッタ。ソレガデル。タイトルハ「memo」。

・このタイミングでいうことではないかもしれないが。あえて。イウ。「私」という、ひとつの「もの」は、何かを残すために音楽をしているのではない。まして、誰かに「私」という存在を知ってもらうために、知らしめるために、音楽をしているのでもない。そこに「残ってしまった音」は、「たまたま形として残ったもの」ということで、桜の花びらの一片のように。舞う花びらを手ですくいあげた時のひとつの花びらのよう。

・そこに「残された」音は、そこに収まらなかった音の「別の在り方のひとつ」であって。要は「ベスト」ではない。

・「もっとも出来の良いもの」「もっとも多くの人と共有しうるもの」という場所でなく。自分自身すら「なんだこれは?」と感じるほどに、知らない自分に出会うこと。そして、それを歓ぶこと。

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