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2014.5.30 731 『黒い何かが視界に触れる』

05 30, 2014 | 日記2014

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・Nina Simone「And Piano」を聴いている。やっぱり好き。好きすぎて困る。

・久しぶりにAmazonをチェックする。ニーナ・シモンとスライのCDを注文。CD買うのは久しぶり。レイ・ラモンターニュが新譜を出したらしく一瞬興奮したけれど、手を出すのがこわい。変な方向に走ってないといいのだけれど。

・CDはある程度の数があって、棚の前にいっていろいろ聴きたいものを探すけれど、どうも手が伸びない。そりゃそうだ。手当たりしだいに聴き漁った時代の音は聴けなくなる。それでも残るものもある。大事なものは別に少なくていい。大事に大事にずっと聴く。

・今日のラジオ。「月刊高橋源一郎」のコーナーで涙腺がガバガバに緩んでしまって焦った。どうしようと思った。いいコーナーだった。

————————————

・黒い何かが視界に触れる。それはカラスで、太陽の光を反射してきらめく田んぼの水に飛び込んだかとおもった次の瞬間には水面を離れた。その口先にカエルをくわえて。
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2014.5.29 730 『そこにノスタルジーの匂いはない』

05 29, 2014 | 日記2014

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・レコードでビリーホリデイ。「サマータイム」を歌うビリー。

・一昨日ラジオで津田大介がいっていた言葉を思い出している。日本にくる海外ミュージシャンのほとんどがノスタルジーに走るというか、ミュージシャンだけじゃなしに、聴衆がそこに浸っているわけじゃないですか、というようなことをいっていて、本当にそうだし、そういうミュージシャンも聴衆も「現役感」がない。彼が例にあげたのがベンチャーズだったけれど、ノスタルジー的な音楽しかやっていないミュージシャンは他にもたくさんいて、歳をとっても現役で疾走していく人たちは極端に少ない。

 というか、「当時の聴衆を魅了した音楽をやりつづけていればとりあえず食うことには困らない」というミュージシャンの姿勢がくだらない。ディランのライブにいって、彼の音を浴びて感じたのは、彼はそんな場所にいない。常に前に進んでいて、聴衆がノスタルジーに浸る隙を与えない。「ディランは変わってしまった」とか「あの頃のディランがみたい」なんていう奴らを置き去りにして前に進む彼は今も「現役バリバリ」なのだ。

 何年か前にも書いたけれど、ベンチャーズの「テケテケテケテケ節(なんというのか知らんけれど)」を、やる側も、聞く側も「やっぱりこの曲でしょ、やっぱりこのフレーズでしょ、これが欲しかったんでしょ?」とか、そんなんで盛り上がる場所を想像するだけで具合が悪くなる。そんな奴らをディランは哄笑するだろう。いや、声も出さずに一瞥か、、、。


・とにかくそういうのは本当にありふれていて、それが六十代の人たちが二十代の頃にきいてきた音楽だからそうなる、というのならまだしも、新しくCDを出した最近のミュージシャンがそれをやりだしたら、いっそうたちが悪い。「ほら、あなたたちが欲しい音はこれでしょ? これがCDに入っている音ですよ」というような。それを「客に媚びる」といわずになんというのだろう? 他に言葉があるのかどうか、ぼくは知らない。

 それを意識して演奏する(ある程度観客の要請に応える)としても、ディランなら六十年代に奏でた音をそのまま演奏したりはしない。同じ曲(例えば「風に吹かれて」をアンコールの場所で)を演奏したとしてもそれは、今の自分(現役バリバリでやっている最先端の自分)の演奏になるし、そこにノスタルジーの匂いはない。
 

2014.5.28 729 『そういうくだらない奴らと違う場所で』

05 28, 2014 | 日記2014

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・東北六魂祭。パレードは見てないし、ただただ昼から飲んだくれていただけだったけれど、フィナーレ的なライブは見にいった。あんなに山形の中心街に人が集まったこともないんじゃないだろうか。二日間で二十六万人らしい。けれど、それをいちいち経済効果とかそんなことでしか換算できないのはあほらしい。儲かるから、とか。何事も金で換算するしか能のないやつはいる。そういうくだらない奴らと違う場所で何かを受け取る、という人が増えれば何かは変わるだろうに。

・今年初の真夏日。昨日もらったワラビを一本漬けにして食べる。酒のつまみは漬け物で十分。な夜。漬け物を勉強しよう。

・なんだか日記っぽい日記だ。

——————

・言葉で揺すられる心
 言葉に依らず揺すられる心
 その場所の深淵に刻まれるのは
 言葉?
 それとも?

 言葉をこえた場所
 言葉以前の場所
 そこに至る
 橋は?

ライブ。です。

05 27, 2014 | Liveのお知らせ

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・二夜連続。

6/05(木)
VORZ BAR 8周年記念ライブ
show441 / 松沢春伸
start:21:00  admission:2,000yen

6/06(金) 
VORZ BAR 8周年記念ライブ
持田浩嗣 / 松沢春伸 / ざ・べっがーず
start:21:00  admission:2,000yen

Vorz Bar

2014.5.27 728 『コウモリさん、是非蚊をたくさん食べてください』

05 27, 2014 | 日記2014

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・ソーダがなくてコンビニに買いにいってついでにビールを買って広場のベンチで呑んだら、蚊に刺されて痒い。でもまだたやすい痒さ。蚊のでる季節になったらしい。コウモリさん、是非蚊をたくさん食べてください。

・いろいろ書きたいことがあるけれど、眠い。非常に眠い。同時に暑い。

・自分には「悲しい」という感情が欠落しているのだろうか、と思うことがある。けれど、何か深刻なことが起こった時に「悲しい」か「悲しくないか」なんて「1」か「0」のような単純なものでは絶対にいえないよな、とも思う。ああ、眠い。

2014.5.26 727 『二等に乗っている人の顔附きは嫌いである』

05 27, 2014 | 日記2014

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・今日の引用。

【阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。

 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかもしれない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである。】

・内田百閒『第一阿房列車』p.7 「特別阿房列車」より。

——————

・おもしろいな〜。こういう文章。

2014.5.25 726 『私はそこから抜け出したいとは思わなかった』

05 26, 2014 | 日記2014

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・付箋。中沢新一「カイエソバージュ5」第七章「ホモサピエンスの幸福」より。

【芸術自身が対称性無意識の働きと強く結びついていることを、強く意識するようになってきました。このことは、非対称性の原理によって作動する経済や科学的思考の影響力がしだいに支配的になってくる社会の中では、芸術家の探求を苦痛にみちた反抗的冒険へと、駆り立てていくことになったのです。芸術家は社会的通念と闘うことがなければ、自分自身のなかに眠っている流動的知性=無意識を、おもてに引っ張り出してくることはできません。その時代のシュールレアリストたちの書いた勇ましい『宣言集』に、そのことはみごとに表現されています。

それはときには耐え難い苦痛を、芸術家にもたらすことになりますが、「それでもこの法外な苦痛の快さのために、私はそこから抜け出したいとは思わなかった。」という聖女テレジアの言葉は、そのまま冒険的な芸術家たちの合い言葉でもありました。彼らは日常生活のもたらす快感を否定してでも、内奥の無意識からわきあがってくる悦楽に触れようとしていました。芸術はそのとき間違いなく、「ホモサピエンスの幸福」の源泉の場所に近づいていたのです。】p224.225

2014.5.24 725 『意識はなくとも夢はみるだろう』

05 25, 2014 | 日記2014

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・ばあちゃんがくも膜下出血で倒れたと連絡を受けて夜病院に向かう。意識はない。治療も施せずに脳内に溜まる血を外に逃がす処置手術しかできなかったらしい。「ばあちゃん、孫だぢきたぞ〜」と手を握ったり、膝をこちょこちょしたりしてみる。ばあちゃんの肌はすべすべしていて触ると気持ちがいい。ぼくの指を握りながらたまに身体を揺らして反応する。意識はなくとも夢はみるだろう。弟はソファーで眠っている。

2014.5.23 724 『昇ったばかりの太陽の光に包まれながら戯れる』

05 23, 2014 | 日記2014

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・まだ田植えの終わらない田んぼの水の上でじゃれあう二羽の鴨。昇ったばかりの太陽の光に包まれながら戯れる。じゃれあう二羽の鴨が生んだ小さな波が、田んぼの端まで届いては消滅。繰り返す波。

・夕方には。田んぼのなかでシラサギの直立不動。をみる。サギという鳥の存在はなぜあんなにも景色のなかで映えるのだろう。心が静かに揺さぶられる。一羽でいる、ことがそう思わせるのか。サギ独特の「動かなさ」がそう感じさせるのか。動きを止めないあらゆる景色の中でサギだけが不動を保っている。不思議な鳥だ。

・毎回毎回サギをみるたびにはっとする。そして毎回毎回この小説の一節を思い出す。

【——川岸近くの葦のなかに、一羽の白いサギがいた。馬が立ち止まって見ているので、ブッダも気になって、しばらくの間ふたりでそちらを見ていた。動かない静かなそれは、冬枯れの色のない背景に同化して、固まってしまったようにも見えたが、すると一瞬、するどく首を回して、くちばしを百八十度まで開いた、桃色の口腔の奥まで見せつけるというひとつのつながりの動作だけで、焦点とそのまわりの背景を反転させてしまった。もちろんありえないことなのだが、一羽の鳥の口の中に、冬の朝の渓谷というこの空間ぜんたいが入り込んでしまったかのような、そんな馬鹿げた印象をブッダに与えた。】 磯崎憲一郎「肝心の子供」p.5より。

2014.5.22 その2 723 『引用した谷川俊太郎の言葉を読みなおしていて、【そして言葉にならない「詩」は】の部分に反応する』

05 22, 2014 | 日記2014

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・引用した谷川俊太郎の言葉を読みなおしていて、【そして言葉にならない「詩」は】の部分に反応する。言葉で書かれたはずの「詩」を「言葉にならない」ものと書く谷川俊太郎。ここがおもしろい。とてもおもしろい。

・言葉で書かれていながら、言葉では収まらない、捉えきれない場所で言葉を紡ぐこと。言葉以前の「無意識」の領域からの「何か」を、言葉によって書くこと。

・言葉に制御される以前の段階にあるはずの音楽。「——はずの音楽」だ。それが言葉によって制御されてしまうこと。そこからの逸脱。「言葉以前」によるものにするには? 

・課題としてのメモ——。

2014.5.22 722 『その場所に言葉は追いつかない』

05 22, 2014 | 日記2014

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・谷川俊太郎のいう「詩」が、中沢新一のいうところの「流動的知性=対称性無意識」と同じものであることに驚く(驚く、は違うか、そうだよねと思う)。たまたま開いたページに書いてある文章が、今現在読んでいる本と高いレベルでリンク。買い物をした後、コーヒーを飲みながら中沢新一「カイエソバージュ5 対称性人類学」第七章「ホモサピエンスの幸福」に興奮する。

・言葉として受け取ったものを自分の言葉に書き直す作業。なかなかその時間がとれない。引用だけ、言葉をなぞるだけではなく、自分の言葉に置き換えること。

・言葉で上書きされた世界。
 それ以前の世界からの啓示。
 その場所に言葉は追いつかない。

2014.5.21 721 『そこに吹く風はこの世とあの世をむすぶ風かもしれない』

05 22, 2014 | 日記2014

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・ふと手に取った本の言葉。

【——よく詩は作者の自己表現だとか、メッセージだとか言われるけれど、そしてそういう一面もたしかにあるけれど、ぼくはどちらかと言うと詩を、言葉を組み合わせてていねいに造られた工芸品のように考えるほうが好きだ。詩はまず第一に美しい一個の物なんだ。意味を正確に伝達するだけなら詩は散文にはかなわない、メロディやリズムということになると詩は音楽にかなわない、イメージのもつ情報量を比べれば詩は映像にかなわない。

 でも詩にはそのすべてを総合できる強みがある。それはやはり言葉のもつ力だね。実際には存在しないものを幻のように出現させる力、心のもっとも深いところを揺り動かすことのできる力。そういう言葉はぼくの考えでは、意識からは出てこない、理詰めでは出てこない、言語のない世界、人間の意識下の世界から出てくる。そこにも詩のわかりにくさのひとつの原因がある。】 p.119.120


【——詩には歌も絵も理屈もばかばかしさも内蔵されてるんだ。そして言葉にならない「詩」は、私たちの心の深みに、そして日々の生活のいたるところにひそんでいる。詩は地球上のさまざまな言語の違いさえ超えて、私たちの意識に風穴をあけてくれるものだと思う。そこに吹く風はこの世とあの世をむすぶ風かもしれない。】p.121

・谷川俊太郎『風穴をあける』のなかの「風穴をあける」より。

2014.5.20 720 『他に何が必要?』

05 21, 2014 | 日記2014

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・表もない
 裏もない
 表であり
 裏でもある場所
 私であり
 同時に世界であり
 一(いち)でない
 ただただ流れゆく大きなものの一片
 かりそめの
 形

——————
 
・カサカサと音をたてて風に流れるハナミズキ。を眺めながら自転車を停めて、初めての蕎麦屋に入る。「肉そばが売り切れちゃったんですよ」といわれたので肉中華とビール。公園のベンチに横たわって太陽を浴びながら昼寝。向かいのベンチでノートに何かを書き込む男。すぐ脇を通り過ぎてゆく人の話し声。遠くで聴こえる歩くことを覚えたばかりだろう子どもの足音。それを見守る女たち(母親、祖母)。他に何が必要?

2014.5.19 719 『ヘビのチエ』

05 20, 2014 | 日記2014

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・過去の付箋。高橋悠治『高橋悠治 コレクション1970年代』より。

【バッハはおなじ曲が二度演奏されるよりは、あたらしい曲をかいた方が多かったにちがいない。このやり方では、作曲はとても即興に近い。いつも未完成だ。この意味で、かれは完全な作品をつくることができずに失敗したが、それはよいことでもある。完全な作品はとじたへやのようなもので、きき手の想像力にはたらきかけない。未完成にのこすのは、全体に風をあてる窓をあけるようなもので、その方がよいのだ。】 p.96 「失敗者としてのバッハ」

【永遠にかわらないものにしたがって
 何になる
 そこからはなれ
 まだないものにたどりつく
 出発点
 古びた皮をぬぎすてて生まれかわる
 ヘビのチエ】 p112「ベートーヴェンの魂の審判 死者調査・人民の反芸術活動委員会における」

2014.5.18 718 『私の文章のなかの引用文は』

05 19, 2014 | 日記2014

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・今日の付箋。

【私の文章のなかの引用文は、道ばたに現れる盗賊のようなもの。武器を手に不意に飛び出しては、ぼんやり者から確信を奪いとるのだ。「裁縫用品」】 ベンヤミン「この道、一方通行」p138


2014.5.17 717 『白ツツジの花の咲く』

05 18, 2014 | 日記2014

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・肌寒い一日。白ツツジの花の咲く庭。

・付箋。

【たしかにその社会(先住民の〈一〉の原理に浸食されていない世界)は、〈一〉の原理に身をゆだねることで物質的な発達をとげてきた西欧文明にくらべれば、貧しいと言うこともできるでしょう。ところが、物質的な貧しさとひきかえに、この社会は人間の魂に崇高さをあたえることができました。対称性の論理によって働く流動的無意識の語る声に耳を傾けて生きることを、この人々は大切だと考えました。言いかえれば、現生人類である自分たちの本性の生まれきたる源泉の語り出すものに忠実であることで、先住民たちは「人間」であり続けようとしてきたのだとも、言えるでしょう。】 中沢新一「カイエソバージュ5 対称性人類学」 p.111より。

2014.5.16 716 『道を歩いてゆく者だけが』

05 16, 2014 | 日記2014

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・トイレの床が水浸し。配管から水漏れ。自力で修理しようとして作業途中タンク内のオーバーフロー管を折ってしまう。途方に暮れる。落ち込んで中断。いろいろ調べて、なんとかなりそうだったので、ホームセンターで買い出し。帰宅して、気合い入れなおして作業。なんとか修理完了。ガッツポーズ。吠える。

・今日の付箋。

【街道の放つ力は、そこを歩いてゆくのか、その上を飛行機で飛ぶのかで異なる。同様に、文章の放つ力は、それを書き写すのか、たんに読むのかで異なる。空を飛ぶ者が目にするのは、道が風景のなかをうねうねと進んでゆく姿だけであって、彼にとってその道は、周囲の地形と同じ法則にしたがって伸び拡がっている。道を歩いてゆく者だけが、その道の発揮している支配力を身をもって知る。】p.17 ベンヤミン「この道、一方通行」より。

2014.5.15 715 『彼らの生涯をつうじて仕事が貫かれてゆく断章群の重さに比べれば』

05 16, 2014 | 日記2014

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・今日の付箋。

【何かを産み出そうとする信念など不毛である。 「殿方用」】p.10

【偉大なる人物たちにとって、彼らの生涯をつうじて仕事が貫かれてゆく断章群の重さに比べれば、完成された作品などは軽い。—— 「標準時計」】p.11

ベンヤミン「この道、一方通行」より。

2014.5.14 714 『街路樹のハナミズキの下には』

05 14, 2014 | 日記2014

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・街路樹のハナミズキの下には、花びら(ガク)が落ちて。風が強い。目当ての古本屋は定休日だった。散歩ならず散輪。たらたらと自転車に乗りながら街並みを鑑賞。コーヒーを飲みながら本を読む。店が学校帰りの高校生で溢れて店を出る。まだ風は強い。

・今日の付箋。中沢新一「カイエソバージュ5 対称性人類学」より。

【いずれにしても、現生人類の言語はただの「体系(システム)」としては作動していない、かならずシステムの動きには無意識が強い影響をおよぼしている、ということです。こういうことはおそらくネアンデルタール人の心にはおこらなかったのではないでしょうか。】p80

2014.5.13 713 『いちいちおもしろい』

05 13, 2014 | 日記2014

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・ラジオを聞きながら。押し入れの壁のペンキ塗り。オイル塗り。棚をつくる。少しずつ。

・スーパーで買い物。レジ袋を三円で買わず。持参した袋につめる。初めてか。いちいちおもしろい。

・ギターを弾く。不思議なもので、音楽以外のことばかり必死にやっていると、いざ音楽に向き合った時に、グンと進んだりする。表現は「〜だけ」を考えていればできるものでなく、それ以外のものから影響を受けて進む。それは技術のレベルじゃなしに。技術だけでいいのであれば、部活ですむ。

・いつだったか。誰だったか。言った。まず「生きること」。

2014.5.12 712 『無視。だ。無視』

05 12, 2014 | 日記2014

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・風評被害っていうのはどういうものだろうか。故郷っていうのは何をいうのだろうか。すぐにこうだという言葉はでてこない。いや、単に本当に風評被害だったらいい。「本当」がわからないからおそろしいので。「本当のところ」をわからないもの(人間の生み出した人間の理解の範疇を越えた物)を相手にしているのだから。

・風評被害を声だかにいう人たちは、自分のこと(現在の状況)だけじゃなく、孫の孫の世代、インディアンの言葉の「七世代先」の人たちのことをおもっていっているのかだろうか。わからない。

————————————

・昨日か、一昨日か。夕方、車の移動中にラジオで地元の番組をたまたま聞いていて、具合が悪くなった。なんであんなにつまらないのだろう。パーソナリティーが地元の人かどうか知らんけどゲストの音楽に「すんなり入ってきて、誰にでも受け入れられる歌ですね〜」とか絶賛する。仕事だから仕方ないのか、とかおもいながら、いや、この司会の人はそういう音楽がいいものだ、と本当におもっているらしく、げんなりした。そんなものがいいとおもっている人はそれでお互い勝手にやればいいけど、ぼくはただ呆れて、ただ頭を掻きむしる。

・いや、嘘だ。掻きむしりもしない。「へえ〜」とかいうけど。そんなもの無視。だ。無視。

2014.5.11 711 『童神 夢の世界からの贈り物』

05 12, 2014 | 日記2014

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・携帯のラジオアプリを閉じないまま寝てしまって、夜中の三時から流れた沖縄音楽特集を夢と共に聴いた。と書いても、これは事後報告のようなもので、それを実際に体験している自分は、何がなんだかわからず、夢のような、現実のような、、、と書くのも嘘くさい。ただただその体験の最中にいて、気づいたら、涙をダラダラ流しながら寝ていた。寝ていたというか、夢と現実の狭間で。

・ラジオだから映像はないはずなのだけれど、歌っている人が映像として出てきて、マイクをもって歌っている(特に森山良子)。ダラダラ泣きながらはっと目が覚めた時(といっても、半分寝ている状態)はわけがわからず混乱した。

・後で(きちんと起きてから)NHKのホームページを調べて、実際に放送されたもので、ただの夢ではないと一応確認はした。

・「ラジオ深夜便」『にっぽんの歌こころの歌 ジャパニーズ・ポップス:沖縄ポップス 島唄集』
 
 「しまんちゅぬ宝」BIGIN
 「芭蕉布」加藤登紀子
 「さとうきび畑」森山良子
 「安里屋ユンタ」乙女椿
 「てぃんさぐぬ花」我如子より子 吉川忠英
 「童神ー天の子守唄」古謝美佐子
 「島唄」ザ・ブーム
 「花」喜納昌吉とチャンプルーズ


・「童神ー天の子守唄ー」古謝美佐子。多分これでいちばん泣いていたのだとおもう。泣いたとか、おもう、とかそんなの知らずに寝ながら泣いていたのだから、なんともいいようがないけれど、不思議な体験をした。

・美しい体験。夢の世界からの贈り物。凄すぎて、いまだによくわからない。

2014.5.10 710 『左手の一撃』

05 10, 2014 | 日記2014

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・「決定的な打撃はすべて、左手でなされるだろう」。右利きの人間の左手。なのかどうか。日常を支配している論理、右手。そこから逸脱して動く左手。自分の支配から逃れて、別の次元からの。即興的な流れに身を委ねた場所から降りてくる一撃。「私」の知らない「私」からの鉄槌。殴られた「私」はまた別の場所へ進む。

・左手的思考。言語を越えた思考。

・安寧なリズムを逸脱し
 言葉から逸脱し
 根を掻き回す
 左手の一撃 

2014.5.9 709 『植木市を歩いてみる』

05 09, 2014 | 日記2014

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・温泉を独り占め。歌いながら風呂に入る。足踏みしたり、手拍子したり。ソウルバンドのコーラスみたいに。温泉のなかでひとりはしゃぎながら曲をつくる。

・八百屋で買い物をして、コンビニでビールを買って、植木市を歩いてみる。おもったいじょうにおもしろい。

・誰かの。表面をなめらかになぞる心地よいものでなく、心の根を揺らすような、その人の世界の見え方ががらっと変わってしまうような、、、表現。

2014.5.8 708 『藤の花の紫の映える通りを』

05 09, 2014 | 日記2014

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・藤の花の紫の映える通りを歩いた先にあるはずの古い家はいつのまにか取り壊されて月極め駐車場になっていた。

・その土地特有の景観というのがなくなっていって、どこにいっても同じような景色になってしまう。

・なんでもかんでも便利化、大型化。その度に失われていくもの。そこで失われるのは、建物や景観だけでなく、人の中身にもきっと変化をもたらす。

2014.5.7 707 『新たな、飛躍に満ちた関係に置きなおす』

05 07, 2014 | 日記2014

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・ビールをのみながら本をパラパラ読む。家の片付けもだいぶ進んだ。

・今日の引用。ヴァルター・ベンヤミン「この道、一方通行」より。

【——子どもたちは、建物の建築や庭仕事、裁縫や家具作りといった屋内作業の場で生じる屑(くず)に、抗しがたく引きつけられるのを感じる。彼らは、屑として生じる物のうちに、事物の世界が彼らに向けている顔、まさしく彼らだけに向けている顔を認めるのである。それらの屑を用いて彼らは大人たちの作品を真似るのではない。むしろ彼らは、きわめて異なった種類の素材を、遊びのなかで作ったものをつうじて、新たな、飛躍に満ちた関係に置きなおす。そうすることで子どもたちは、自分たちの事物の世界それ自体を、つまり、大きな事物世界のなかの小さな事物世界を自ら作りだすのだ。】p.24,25

2014.5.6 706 『田んぼのシロサギは動かない』

05 07, 2014 | 日記2014

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・本屋の古本コーナーで本を二冊。ジェームス・M・バーダマン「アメリカ南部——大国の内なる異郷」、田中小実昌「香具師の旅」。それからヴァルター・ベンヤミン「この道、一方通行」。

・リンゴの花が風に散る。田んぼのシロサギは動かない。

2014.5.5 705 『決定的な打撃はすべて、左手でなされるだろう』

05 06, 2014 | 日記2014

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・今日の言葉

【このごろは、自分に最初から「できる」ことにこだわることなど、誰にも許されていない。力は即興にこそ宿っている。決定的な打撃はすべて、左手でなされるだろう。】p.16

ヴァルター・ベンヤミン「この道、一方通行」 細見和之訳 みすず書房 

2014.5.4 704 『放り捨てられた長靴のひび割れ』

05 05, 2014 | 日記2014

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・寄る波
 砂は濡れて
 削がれ
 また波がくる
 死への止めどない流れ
 似ていても
 二度現れない
 ちがう形
 近似値


・放り捨てられた長靴のひび割れ
 生まれたての風に揺れる葉
 一秒ずつ音を刻む壁時計
 、、、、、、
 、、、。

2014.5.3 703 『新しい光』

05 04, 2014 | 日記2014

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・灯りと 
 あなたの灯り
 あなたたちの灯り 
 わたしのまえに生きた
 あなたの
 あなたたちの
 灯り

・墓のうえ
 踊る
 女
 新しい光

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