2014.3.30 638 『井の頭公園のいせやにいきたかったけれど』

03 31, 2014 | 日記2014

0

・雨が降る。新幹線で東京へ。井の頭公園のいせやにいきたかったけれど、リニューアルしてだいぶ雰囲気が変わってしまっていてやめた。近くの居酒屋で飲んで、高円寺の稲生座で少太さんのライブをみる。

・「読む」は「読み返す」を前提としたもの。「read」「re-read」。「re-read」すること。大江健三郎がいっていた。

・やはり音楽も言葉も、「やる」以前に「受ける」こと。聴けない人は音楽できない。深く聴く。

2014.3.29 637 『無意識的にやっている自分への監視から、するりと抜けて』

03 29, 2014 | 日記2014

0

・羽生善治は「学問ノススメ」で「例えば定食やのメニューがたくさんあったら、自分が食べたメニューをどうしても(隣の芝は青い的に)これでよかったのか、とか、もっとほかにあったんじゃないか、と思ってしまうけど、メニューが二つだったらそうはならない」といった。現代の情報社会のもつ「選択肢の多さ」という、普通は「自由」と思われているものが、「決断(やりたいことはなにか?)すること、その世界に実際に足を踏み入れてみること」を遠ざける要因になっているのではないか、とか、そんなこと。

 それから「対局は中四日あれば体調も、頭も完璧に整えられるけれど、身体のコンディションが少し悪い時の方が頭は冴える。けれど、それを続けていたら身体がもたない」といっていて、ライブでもそれはあてはまる。二日連続のライブで初日に飲んでしまって、二日目コンディションが悪くてどうしようとおもった時に限って、なにかおもしろいものが降りてきて、結局いままでにないものが現れたりする。これはなんなのだろうか? といつも思う。きっと、「たが」がはずれやすい状態にあるとか、自分への「規制」や「監視」が緩くなっているとか、そんなところなのだろう。例えば「こうやらなければならない」というどこか無意識的にやっている自分への監視から、するりと抜けてしまう。コンディションの悪さによって、逆に。


・羽生善治は、他にもいろいろいってて、今日書いたことより、そっちの方が重要なのだけど、ま、いいや。

・大江健三郎の言葉は、身体に跡が残るかと思うくらいに、ぼくを引っ掻いた。何度も聴こうと思う。

・今年初めて半袖で仕事をした。花と目の下のところが少しヒリヒリする。

あ。また。書き忘れていた。LIVE。

03 28, 2014 | Liveのお知らせ

0

歌います。

■3/31(月)田端 「魔法を信じるかい?」

Open 19:00 Start 20:00 Charge¥2400(ドリ ンク別)

・少太with 高木明(sax)・松沢 春伸

お店のHP
「魔法を信じるかい?」

東京都北区東田端1-7-7 でんビル1F Tel 03-5855-0377

2014.3.28 636 『「自分の身体を通せ」と高橋源一郎はいう』

03 28, 2014 | 日記2014

0

・堀江敏幸(作家。2014.3.18)。樋口祐一(音楽評論家。2014.3.4)。高橋源一郎(作家。2010.7.14)。山下洋輔(ジャズピアニスト。2010.12.7)。朝吹真理子(作家。2011.4.5)。松田美由紀(女優、写真家。2011.12.27)。の順で、「ラジオ版 学問ノススメ」を聴く。

 樋口祐一は聞き始めて「あ、この人たぶんあわない」とすぐ思ったけど、きいてみた。山下洋輔と松田美由紀はBGM。最初に聴いた堀江敏幸がおもしろかった。樋口祐一とちがって「論理的」とかいう言葉を、表現の場で使わない。堀江敏幸、朝吹真理子は論理も計画も遠ざけて、とにかく一行一行書く。たぶん、きっと、筋道たてて、論理的に、なんてことしてない。

 堀江敏幸のインタビューはだいぶ抽象的な部分も多かったけど、感覚的に理解できる。「計画っていうのは、あとからついてくるんですよ」という言葉はおもしろい。意味が破綻している、けど、わかるなあ、という感じ。結局、表現(つくること)の最中にいるときには、全体図など見えず、目の前で起こりつつある何かに全神経を注ぐことだけしかできず、俯瞰の目はもてない。地図もない。

 在り方として、方法として(どう書いていいかわからないけど、そういうやり方)? 。それだけが、その人自身を遠くまで運ぶのだとおもうのだけど、、、。


・震災後の。設問に対する、中間的な選択肢を持たせようとしない雰囲気。単にイエスかノーを求めて、自分と反対の意見の人々を排除しようとする在り方。自主規制。問いに対して、自分の身体を通さず、咀嚼もせず、本当に自分が感じていることを話すのでなく、「なんだか、こっちのほうが正しいっぽい」ということを表明してしまう風潮(自分の意見が多数であると、安心してしまって、そこに落ち着いてしまうような風潮)。

 それらに対して、とにかく「自分の身体を通せ(定型の言葉をただ引用するのではなく、後ろ指さされることもあろうが、自分の考えを表明すること)」と高橋源一郎はいう。自分の身体を通した言葉は、本来もっと多様なはず(一億三千万の「表明の仕方」があるはず)という。だから「もっと好き勝手にいって(言葉を紡いで)いい」という。政治家の言葉がつまらないのは、それらの言葉が、結局「身体」を通さずに語られるものだからだ、という。そうよな〜。


・いろいろ書くことがあった気もするけど、今日は、無理だ。酔うた。

2014.3.27 635 『それから。タモリ。』

03 27, 2014 | 日記2014

0

・百羽をこえる白鳥の落ち穂ひろい。混じる黒はカラス。共々に。せわしなく動く首。——隣の田では。一羽のシロサギの直立不動。口では獲物が揺れている。シロサギは動かない。

・ポッドキャストで「中沢新一」で、検索してみつけた「学問ノススメ ラジオ版」という番組がおもしろい。一本、一時間半程度の番組。仕事中に聴く。まず中沢新一を聴いて、そのあとに「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」に、中沢新一がでてるのを聴いて、そのなかで「高橋源一郎」という名前がでた(親指シフトのワープロの話。今調べてみたら、二人は旧知の仲らしい)ので、今度は(学問の——の)高橋源一郎を聴いて、もう一度、中沢新一を聴いた。どちらも興奮した。感動した、ともいえる。今書きながらもう一度、(学問の——の)中沢新一を聴いているところ。

・最近気づいたのだけど。似てる。ぼくがおもしろいと興味をもつ人たちって。やっぱりどこか共通している。頭いいのに、権威っぽくなくて、見た目がなんとなく弱々しくて、男臭くなくて、それでいて、権威に喧嘩(結構強烈に)を売り、ケラケラ笑う。実際に声を聴いた(ラジオや動画で。実際にあったことのあるのは高橋源一郎だけ)人だと、保坂和志も、高橋源一郎も、今日初めて声を聞いた中沢新一も。それから。タモリ。

2014.3.26 634 『ふきのとう。見つけて。袋にいれる。』

03 26, 2014 | 日記2014

0

・ふきのとう。見つけて。袋にいれる。去年は食べ過ぎて、アレルギーになってしまって、もうこれから先、ふきのとうを食べられないのか、と憂鬱になりながら調べたら、アレルギーの原因は花粉にあるらしい、という情報を去年の時点で知っていたので、今日は開いていない(花の咲いていない)ものを選んで、おひたしにして、鰹節、少量の醤油をかけて、恐る恐る食べる。今のところなんともない。うまいなあ。ふきのとう。

・神話への興味が沸いてきて、中沢新一「カイエソバージュ1 人類最古の哲学」を読んでいる。単純に読み物として、おもしろい。わくわくする。やらなくちゃいけないことが(たぶん)たくさんあるのに、そっちのけで本を読んでしまう。この計画性のなさ。だらしなさ。

・どんな音楽に支えられ、鼓舞されて来たのだろう? と考えた時に、思い出す音楽。——その場を盛り上げてくれる音? 歌詞的に素晴らしいもの? そもそものその人(音楽家)の在り方?

・自分が表現する側に立った時に、考えなければいけないのは、もしくは引き継がなければならないのは、自分の「ひとりの時間」を支えてくれたもの(音楽でも何でも)の「形象」でなく、その根っこにある、単純に「言葉として」バトンできるようなものではない「何か」なんじゃないか、と思う。(結局何もいえてないけど、、、。)

・例えば。表現のジャンルを越えてニーチェは幾度も現れる。     

2014.3.25 633 『「邦」の中の「異邦」』

03 25, 2014 | 日記2014

0

・「邦」の中の「異邦」。「邦」でありながらの「異邦」。内からの、内にいながらにして、異邦。

・「ブルースって何?」という問いに対して「それは十二小節の、、、」なんたらかんたら、と答える奴とは友達になれないだろう、と思う。同様に「小説って何?」といわれて……。

・形式。でなく。それらを為す「何か」。うごめく「何か」。名詞ではなく、動詞!!

・前にも書いたけど、結局「ロック」も「ブルース」も、それを、形式だけで捉えていても、そこに至れなくて、結局それらは「在り方」だから。形をいくら寄せ集めてもそれらにはならない。

・さて。寝よう。

2014.3.24 632 『足枷の名前は。「自由」』

03 24, 2014 | 日記2014

0

・車のなかでギター。汗の滲む顔。わたし、の顔。ひとつの「たが」のはずれる音を聴く。自分のなかの「たが」が切れる音。バチン!!!。自由。束の間の。

・足枷。夢のように突然。ある。あった。テープを切って、繋げた映像みたいに。突然そこにあることに気づく。「自由」というのはその足枷の名前でもある。足枷の名前は。「自由」。ははは。憧れていたものに縛られる。ははは。ハンマーは? あるいはペン。バッテンを描くための。言葉に対しては言葉で、、、。

ーーーーーー

・さて。
 さて。
 新しい場所へ。

 新しい朝だ。
 暗がりから生まれ。
 暗がりを切り裂く光。
 
 新しいわたし。 
 わたしから生まれ。
 わたしを切り裂くもの。

 あるいは先人の爪。

2014.3.23 631 『踊る 女 ひかりを 孕むもの』

03 24, 2014 | 日記2014

0

・暗い
 夜に 
 踊る
 女
 ひかりを 
 孕むもの

・土曜のライブを経て。イメージが飛び散るてまえ。破裂音の少しまえ。あとからあとからうまれでてくるので。いずれ爆発。

・自分にあきてきたところ。ちょうどいい。また何かが変わりそうな予感。
 

2014.3.22 630 『課題がたくさんみつかる』

03 22, 2014 | 日記2014

0

・ライブ。流れのままに。やる。

・F.I.B Jornalさん。

・課題がたくさんみつかる。たくさんみつかる。たくさん、たくさん。ありがたい。

・また進む。ぐっと進む。進め。躓きながら。進め。

2014.3.21 629 『今日はルイ・アームストロングとデューク・エリントン』

03 21, 2014 | 日記2014

0

・今日はルイ・アームストロングとデューク・エリントン二人の「The Great Summit」。

・もっと。もっと。深く聴く。深いところで。

・車から降りた時にふと実感した。自分はどうしようもなく、あきやすい。同時に。どうしようもなく、めんどうくさがり。いや、そんなん知ってるけど。あきやすいのは、自分に対してもで、最近だいぶあきてきている。音楽に関しても。そろそろまた知らない自分を掘り起こしてみましょうか。あきやすいから、自分を更新したくなる、というのもあるけれども。ま、めんどうくさいけど、めんどうなことをやろう。

・明日は久しぶりにライブ。どうなることやら。

ライブ。です。いつも遅い。

03 20, 2014 | Liveのお知らせ

0

VORZ BAR

F.I.B JOURNAL DUO+1 LIVE

3/22(土)

開場19:00
開演21:00

当日2000yen

F.I.B JOURNAL DUO+1
山崎円城(Vo,G)
沼直也(Dr)
Guest
Little Woody(Contrabass)

共演:松沢春伸

2014.3.20 628 『調性知らぬ流浪の軋む地団駄であり』

03 20, 2014 | 日記2014

0

・歌を逸脱する歌。
 歌に留まらず。
 定型のない。
 ながれ。

 同時に。
 舞踏であり。
 泥の中の月であり。
 異国の舟の汽笛であり。
 埃にまみれた名も無き絵であり。
 調性知らぬ流浪の軋む地団駄であり。

 音楽。

——————

・歌を三角形の頂点に据えないこと。

・編成は同じでも、「これは歌だ」と感じるもの。と、「これは音楽だ」と感じるもの。その境。「感じ」を言葉に置き換える努力をしてみる。そして同時に体現する努力。

2014.3.19 627 『自分自身の言語においてよそ者のようであること』

03 19, 2014 | 日記2014

0

・そのままの声で。身体のまま。

・BSで放送していたディランのライブは、「1」とタイトルがついていて、んじゃ、「2」もあるだろうと思いながら、観ていなくて、さっきちらっとみたら、みうらじゅんが出てきて、そのライブは92年のライブだったらしく、はじめに演奏したのが誰なのか知らないけど「ライク・ア・ローリング・ストーン」を演奏していて、コーラスの女の人(途中からメインでうたう)の顔があまりにこわくて(目が飛び出しそうだし、声がやたらでかい)驚きながら、なるほど、ディラン本人は最後の方に出てくるのか? と思った。次は? と思ったらスティービー・ワンダーで驚く。「風に吹かれて」。次は? と思ったらルー・リード。うおっ。と思いながら、移動して、これを書いている。だから、まだルー・リードは聴いていない。

・今日の付箋。ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ「カフカ マイナー文学のために」より。

【偉大で、革命的なのは、マイナーなものだけである。大作家たちのすべての文学を憎むこと。召使と使用人に対するカフカの傾注(プルーストにおいても召使と彼らのことばづかいに対する同様の傾注がある)。もっと興味があるのは、彼に固有の言語が独自なものであり、それが主要な言語であるか、かつてそうであったと仮定して、その言語についてマイナーな使用をする可能性である。自分の言語のなかで異邦人のようであるというのが、カフカの「偉大な水泳選手」の状況である。】「マイナー文学とは何か」p.48

【(原注)「偉大な水泳選手(小説題)」は、おそらくカフカの最も《ベケット的な》テクストのひとつである。《何よりもまず私は、自分がここでは自分の祖国にいるわけではなく、大いに努力したにもかかわらず、ここで話されていることを一語も理解できないということをはっきり申し上げておかねばなりません。》】「マイナー文学とは何か」原注p52

——————

とここまで書いて、【偉大で、革命的なのは、】ではじまる文章(元の文章)を、別の人が、その人個人のブログ内で訳した(のだろう)文章を見つけた。それを、勝手に貼ってみる。

【"Il n'y a de grand, et de révolutionnaire, que le mineur. Haïr toute littérature de maîtres. (...) Mais, ce qui est intéressant encore, c'est la possibilité de faire de sa propre langue, à supposer qu'elle soit unique, qu'elle soit une langue majeure ou l'ait été, un usage mineur. Être dans sa propre langue comme un étranger"
Gilles Deleuze/Félix Guattari "Kafka", Les éditions de minuit, 1975, p.48

(偉大で革新的なのはマイナーなものだけだ。巨匠の文学くそくらえ。特殊な言語であれ、メジャーなあるいはかつてメジャーだった言語であれ、自分自身の言語をマイナーなやり方で使用することができるかどうかが関心事なのだ。自分自身の言語においてよそ者のようであること)】

・こっちの方ががつっとくる。

2014.3.18 627 『第三章 マイナー文学とは何か』

03 18, 2014 | 日記2014

0

・ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ「カフカ マイナー文学のために」。を読む。少しずつ。難解というよりは、ぼくレベルには把握出来ない単語があって、その度に調べながら読み進める。それでもわからない。わからないまま読む。三章から感覚的に反応できる箇所が多くなる。付箋の数が「第三章 マイナー文学とは何か」から一気に増える。グラグラする。

・今日の付箋。ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ「カフカ マイナー文学のために」。より。

【穴を掘る犬、巣穴を作るネズミのように書くのだ。そしてそのためには、彼自身の未開発の地点、彼自身の隠語、彼にとっての第三世界、彼にとっての砂漠を見出さなくてはならない。(略)民衆の文学、周辺の文学を規定させうるものは、大きな言語についてであっても、そのマイナーな行使を内側から作り上げる可能性のみである。】「第三章 マイナー文学とは何か」p.32

【カフカは、ただちにもうひとつの態度を取るか、あるいはむしろそれを創り出すだろう。それは、プラハ・ドイツ語をそれがあるままに、その貧しさもろとも選ぶという態度である。冷静に、常に非領域化の方へとさらに一層進む態度である。語彙が涸渇しているので、それを強度において振動させるのである。言語の純粋に強度的な作用を、あらゆる象徴的使用に対して、あるいは意味作用的な使用に対しても、あるいは単に意味スルモノとしての使用に対しても対立させることである。完全で、フォルムになっていない表現、強度のマチエール的表現に到達することである。

 (この二つの可能な態度については、別の状況においてであるがジョイスとベケットについても言うことができるのではないだろうか。(略)ベケットにおいては英語とフランス語とが用いられている。(略)ベケットは、涸渇と冷静、自ら望んだ貧しさによって進行し、非領域化をもはや強度しか残らないところまで押し進める)】同上 p.33


【どのようにして、自分自身の言語の遊牧民・移民・ジプシーになるか。】同上 p34

——————

・こういう文章に出会うと保坂和志が小説について書いている文章をより感覚的に理解できるようになる気がする。

・「貧しさ」。「強度」。「移民」。

2014.3.17 626 『飛ぶための筋肉を、言葉によって、得る』

03 17, 2014 | 日記2014

0

・今日の付箋。中沢新一「ミクロコスモス1」。

【因果律にもとづく合理的な推論は、そのような原初的で不変な心の働きに制限を加えなければ、十分に自分の能力を発揮できるようにならない。近代科学では、もっぱら思考その面ばかりが前面に出ている。しかし生きた宇宙の全体性をとらえるためには、因果律にもとづく線型的な思考では不十分である。】「人類普遍の学」p215.216

【——グローバリズムはどのような意味においても、そのような「普遍」をあらわしていない。むしろ人類の心に普遍的な能力に制限を加えることによって、グローバリズムは威力を行使しているからである。】同上p217

————————————

【近代というのは、過去の伝統とのつながりを断ち切ろうとする運動であった。(略)その近代というプログラムが、いま行きづまってしまっている。そのために、未来へのヴィジョンがまったく見えないまま漂流をつづけているような不安感が、世界中を覆っている。

 こういうとき人はよく、自分たちの手近な過去へ目を向けようとする。近代の少し前の時代の伝統を取り戻そうとしたり、それが「日本的なもの」の神髄だなどと考えて、力ずくで復活させようとしたりする。しかしそういうタイプの「日本的なもの」に、いくらしがみついてみても、だめなものはだめなのである。そういう思考法じたいが、近代的な思考の仲間なのであって、そこから未来へのヴィジョンが開かれてくる可能性は、まったくない。】「心のトポロジーとしての建築学」p219.220

————————————

・咀嚼する。噛んで。噛んで。飲み込む。飛ぶための筋肉を、言葉によって、得る。食べること。噛むこと。

・わからぬまま噛み砕く。

2014.3.16 625 『ねじれをはらんだまま奇妙な終わり方をすることになる』

03 17, 2014 | 日記2014

0

・今日の付箋。中沢新一「ミクロコスモス1」。

【神話が伝達しようとしているのは、世界は矛盾にみち、そこを首尾一貫した形式論理をもってしては不可能であるという現実認識だ。それを表現するためには、神話の登場人物は前と後でまったく反対の価値をもった行動をおこなったり、項の価値が反転してしまう弁証法の論理にしたがって、はじめと最後ではすっかり役割が入れ替わってしまったり、ねじれをはらんだまま奇妙な終わり方をすることになる。】「哲学の後戸」p189.190

【内宮の神学はあたりをあまねく照らす光の女神の威光や清浄さや完全さや権威について、陰りのない、矛盾を含まない言葉で語り出していた。光自身が光に照らされた世界について語るのであるから、その神学は「トートロジー」として構成されている。トートロジーで語られた神の世界は、一見すると神話の世界に似ているようであるが、実際には対立物のように異質である。神話というのは(1)世界に欠損がある、あるいは(2)完全であるはずの世界にどうして欠損が生じたのか、という二種類の認識からはじまって、世界の本質を矛盾として描きだす思考法である。ところがあまねく光に満ちた世界には、このような神話的指向が発動できる隙がない。トートロジーが弁証法をはじきだしてしまうのだ。】「哲学の後戸」p196

2014.3.15 624 『これらの動詞群の生みだす運動感覚によって』

03 15, 2014 | 日記2014

0

・今日の付箋。

【強いステップで地面を踏みつけることによって、地下に眠っている死者たちを呼び出すのです。音楽に合わせ、地下から立ちあがってくる死霊と一緒に踊りました。舞踏のなかで、生者と死者は一体になっています。】中沢新一「ミクロコスモス1」p.131「超核の神話 岡本太郎について」より。

【技術と芸術が大きく分かれていく分岐点に立もどって、科学技術がつくりだすものを包摂し乗り越えていくことが、芸術の力で可能なのではないか。これは賭けです。この賭けに、これからの芸術が勝利するかどうかは、わかりません。しかし、できるかもしれない。いや、勝利できると、岡本太郎はこの作品で言いたかったのだと思います。ですから、『明日の神話』は「超核」の神話です。】p.141「同上」

【——飛び跳ねる。疾駆する。駿馬を駆る。さっそうと出陣する。あざやかな太刀さばき。陶酔する。茫然自失する。——

 生前の井筒俊彦先生からいただいた書簡を読み直してみて、頻発するこれらの動詞群にあらためて驚く。これらの動詞群の生みだす運動感覚によって、書簡全体が飛びあがったり、放心状態で落下したり、馬を駆って速歩したり、ギャロップしたり、後ろ足で立ちあがったりしている感じがする。躍動感はみなぎり、トランスの感覚が言語の内部からほとばしり出る。井筒先生は若い日に、この文体を駆って、『コーラン』を翻訳された。先生は預言者ムハンマドのなかに、情熱的なシャーマンの体質を直感していたので、その預言者の口をついて出た言葉を集めた語録の翻訳には、このような文体だけがふさわしい、と考えられたのだ。】p.145.146「哲学の後ろ戸」より。

・読んでいていろいろと付箋するのだけど、前後の文脈関係なく言葉として独立させても強い言葉を、をどうしても引用する(してしまう)。そうすると、大抵、言葉が軽くなってしまう。本を読んでいる最中に感じる濃さや、おもしろさは、こういう方法では書くことができない。

・三番めの引用はその章の始まりの文章。この部分が特におもしろい。何がどうおもしろいか、を説明はできないけど。「動詞」の部分。動く文章。

2014.3.14 623 『もっと大きな音楽』

03 15, 2014 | 日記2014

0

今日の付箋。中沢新一『ミクロコスモス1』「孤独な構造主義者の夢想」より。

【詩では、自然のレヴェルに直接つながる音素のレヴェルからはじまって、修辞的なレヴェルにいたるまでが、ひとつの全体性をあたえられている。そのために、情報を伝達する機能が、詩にあっては背後に後退して、自然と文化を一体化した、不思議な美の現象があらわれる。】p.67

【アルチュール・ランボーは詩が都会人の修辞的な遊戯にすぎないものになっている現実を、全力で否定し去ろうとした。彼の詩には色彩があり音楽があり、あらゆる五感がひとつの全体性のなかに、共鳴しあう現実をつくりだしている。自然から切り離された第二レヴェルの文節構造の上に形成される言語芸術としての詩を拒否するために、彼は第一文節、すなわち自然と文化がもっとも直接的に分節される深層に向かい、深いレヴェルの構造のなかで、自然のつくりだすものとが、なだらかな連続性をしめしているような作品を、生みだしてみせたのだった。】p.68

【どんな音楽も、この音楽、その音楽としてはとらえられない「もっと大きな音楽」が存在することを示すためにのみつくられている。個々の作品は自分が個々の作品であることを否定することにおいてのみ存在し、音楽の本質をなしているその時間性は、それを乗り越えていく「ある種の不死性」を開くものとして、時の流れのなかに出現するのである。】p92

2014.3.13 623 『中沢新一「ミクロコスモス1」』

03 14, 2014 | 日記2014

0

・五時には仙台についた。雨。山形より雨。本屋に入る。大きな本屋。大きな本屋は好きだ。本がたくさんある。「たくさん」とか「大きい」というのはそれだけで特別。大きな本屋が好きだ。

・五時というのは、待ち合わせは八時だから、三時間あって、カフェで本を読んだけれど、席が入り口近くだったので、客が入るたび、寒い。

・本は大きな本屋で買った本ではなくて、昨日小さな本屋で見つけた中沢新一「ミクロコスモス1」の文庫。おもしろい。付箋を買ってきておいてよかった。

・五時というのは、(——————)寒い。 という感じは楽しい。

2014.3.12 622 『ただいま七曲目。もういい。イライラする。何に? 「金」のまとわりつきかたに!!』』

03 12, 2014 | 日記2014

0

・敬遠して買っていなかったAmos Leeの(一応の)最新アルバム「Mountains of Sorrow Rivers of Song」を勢いで注文して届いたので、聴いている。思った通り、完全にオーバープロデュースだ。何だこれ。「おれがやりたいのはこれじゃない」といえない場所なのか。それとも、彼も納得の上での音なのか。かっちり決めてる感じがつまらない。この人の「音の遊び方」がとんでもなく凄いのを知っているだけに、、、。

・たとえばディランの最近のアルバムの音数の多さのようなものを狙うのなら、それはそれでいいけど。歌の歌唱、楽器の演奏、その内容より、それ以前の、それらが「音」になっているところの「音」そのものに説得力がない。プロデューサーが変われば、きっとまるっきり違うものになるのだと思うけど。

・ただ今。六曲目。なんだこりゃ。エイモスさん、よく、このプロデュースというか、音でOKだしたな、、、。

・こういうやり方が最近のレコーディングの主流なのか、どうか知らないし、知るつもりも全くないけれど、この音がどこに向けて、誰に向けて、発せられているのか、全くわからない。

・ただいま七曲目。もういい。イライラする。何に? 「金」のまとわりつきかたに!!

2014.3.11 621 『記号化。要約。を。遠ざける』

03 11, 2014 | 日記2014

0

・記号化。要約。を。遠ざける。ひとりひとりの名前。ひとりひとりの生。「名も無きものたちの歌」。

・和尚さんに借りたDVD、Maceo Parker「My First Name Is Maceo」を聴いて。一気に二十代前半の自分が噴出した。メイシオをかけながら、居酒屋で働いていた頃。興奮して。どうしようもない。まだ、フォークも、ブルースも聴いていない頃。曲も書いていない自分。本当に参った。参っている。凄いなあ。自分で曲をつくるようになって、遠ざけていた音楽が、今また故郷を思い出すように、自分の身体にしっかりと刻まれているのを感じる。やっぱり。映像は凄い。映像と共に音楽を体験するのは。凄いし。困る。身体への刻まれ方が、音だけの時と全く違う。いや。困る。

・コーヒー屋で。土曜日にたまたま本屋でみつけて買っていた荒井良二「ぼくの絵本じゃあにい」を読む。スッと読みはじめて、スッと終わった、、、、、。

2014.3.10 620 『思いつくものは何でも壁に投げつけ、壁にくっついたものはすべて発表する』

03 10, 2014 | 日記2014

0

・今日もまたTom Waits『Blue Valentines』。

・今日の付箋。

【「思いつくものは何でも壁に投げつけ、壁にくっついたものはすべて発表する。壁にくっつかなかったものをかき集め、それもすべて発表する」という思いで『セルフ・ポートレイト』は作られている。】湯浅学『ボブ・ディラン ロックの精霊』p.141.142

・8日に引用した同じ本の【自分が新しく作り出したと思ったものは昔どこかで誰かがすでに作ったものであるかもしれない、という認識をボブは新たにした。その中で創作していくこととは、つまり歌を作り歌うことそれ自体が先人の何らかの意志を受け継ぐことになる(なってしまう)のだと思った。】の部分。この()に包まれた文章。(なってしまう)というこの一文。この一文だけで、この文章を書いた人を信頼できる、と感じる。

・音楽評論のことなど全くわからないから、音楽評論家という位置づけにある、湯浅学という人がどういう人なのかわからずのまま読んだけど、この()の置き方はすごいなあ。と、ただ思った。この()のあるなしで、文章がまるっきり変わってくる。それを上手く説明することはできそうにないけれど。

・田んぼの畔道の雪が溶ける。のを目にする。最高気温は二月に戻ったかのように低いけれど、それでも太陽が照れば、真冬日でも雪は溶けるもの。——などと書きながら、今は、また雪が、勢いよく降って、隣の家の屋根はましろに染まっている。

2014.3.9 619 『コロムビアの重役のひとりは、「何を歌っているのかわからないから、歌を取り直せ」と要求し、別の重役は』

03 09, 2014 | 日記2014

0

・今日はトム・ウェイツ「ブルー・バレンタイン」。

・トム・ウェイツを聴きながら、ディランに関する引用。

【衝動的に吐き出すように綴ったら、ノート二十ページほどの長さの物語のような歌詞になり、それを曲にまとめあげたのだとボブは言う。タイトルは「ライク・ア・ローリング・ストーン」。”昔々、きみは美しく着飾って”と始まる奇妙な歌だ。】p.102

【「ライク・ア・ローリング・ストーン」は詩を吟じているような曲だった。コロムビアの重役のひとりは、「何を歌っているのかわからないから、歌を取り直せ」と要求し、別の重役は「わが社に六分間の長さのシングルを出した者はいない」と突っぱねたという。】p.104


2014.3.8 618 『湯浅学「ボブ・ディラン ロックの精霊」』

03 09, 2014 | 日記2014

0

・カフェをまわり本を読む一日。湯浅学「ボブ・ディラン ロックの精霊」(岩波新書)。

・それからタージにて酒。

・今日の引用。

【ボブは歌、ギター・テクニック、曲解釈(編曲術)などを”先輩”から学んだ。ヴァン・ロンクが言うには、ボブは「教えようとすると、できないが、いつの間にか自分のものにしている」タイプであった。さらにヴァン・ロンクは、ボブが「盗むことによってしか新しいものを会得できない人間といえるかもしれない」とも指摘している】p.32

【自分が新しく作り出したと思ったものは昔どこかで誰かがすでに作ったものであるかもしれない、という認識をボブは新たにした。その中で創作していくこととは、つまり歌を作り歌うことそれ自体が先人の何らかの意志を受け継ぐことになる(なってしまう)のだと思った。極論すれば、まったく新しく作り出されたものなど何もないのではないか。少なくとも100年前の人々が露ほども考えつかなかったことから作り出されたものなど、今の世にはない。新しい創造などと思い上がってはいけない。そういう心がまえを得たという。自作の曲が、もし既製の何かに似ていたとしても、気にせず作りつづける。ボブはそう覚悟を決めた、ということなのではなかろうか。】p.59

湯浅学「ボブ・ディラン ロックの精霊」より。

2014.3.7 617 『ライブに「つくる」を取り入れること』

03 08, 2014 | 日記2014

0

・「千と千尋の神隠し」をみる。多分劇場でみて以来だろうから十年以上ぶり。びっくりした。

・意味(の裏読み)とか、筋とか、つじつま、とかそんなところで、ああだこうだいってる人がたくさんいるようだけど、どうでもいい。

・つくること。歌うたいにとって「つくる」こと、というのはどの場面か? 曲をつくるとき? 曲づくりもあるだろうけど、ライブも「つくる」場所といえるのではないか。たとえば絵かきにとってつくることは描く時間の中にあるのだろうけど、歌うたいは曲をつくり終わったあとも、うたうことで「つくる」が継続するというか。ライブを「つくる」場所だとおもっていない人が多いのではないだろうか。ライブに「つくる」を取り入れること。だから曲は完成をしらない。

・あまりに感覚で書いてしまった。しっかり考えてみようと思う。

2014.3.6 616 『過去のない男』

03 06, 2014 | 日記2014

0

・アキ・カウリスマキ「過去のない男」をみる。場面場面。映画ってやっぱり「筋」じゃないんだな、と思い知らされた。歌うたいのおばさまの顔がこわかった(フィンランドでは有名なうたい手らしい)。ひとり、つっこんだり、興奮したり、笑い。初アキ。次は「ル・アーヴルの靴みがき」。

・いや。「過去のない男」にも、筋はあるのだけど(あらすじ、として紹介されるような流れとして、、、)。例えば、同じストーリーを誰か別の監督、役者でとったときには、全然違うものになるのだろう、という。

・それから小津安二郎は「秋刀魚の味」しかみたことがないけど、みようと思う。今日の「過去のない男」と、何日か前にみた「東京家族」を経て。

・今日の言葉。大野一雄ばかりだな、、、。

【フリースタイル。何か表現しようというんじゃなくて、いま、トレーニングしたことは全部忘れてね。ただ立っているだけでもいい。】大野一雄「稽古の言葉」bot

2014.3.5 615 『埃』

03 05, 2014 | 日記2014

0

・雪から雨。太陽はない。ある。けど、ない。There's the sun. but I can"t see the light. 今日も見上げる。目は薄く。空にいたのは二羽の白鳥。二羽は「群れ」というのか。いわないのか。昨日よりずっと低く飛んでいて、とても大きい。

・たまに誰かがいう「日本代表としての誇りを胸に、、、」というのがよくわからなくて、それは一体どういうものなのか、といつも思う。「誇り」が変換ミスで「埃」になってしまって、驚いた。

・今日はビリー・ホリデイ。昨日は久しぶりにマデリン・ペルーを聴いて、ビリー・ホリデイじゃん、と思い、今日は、とういか、今まさに、中村まりもビリーっぽいな、と思った。ところ。

・自分の声をいつも探している。在り方。しっくりくる日は来るものだろうか? ビリー・ホリデイを聴くと何故かいつもそんなことを考える。

2014.3.4 614 『空から声が落ちてくる』

03 04, 2014 | 日記2014

0

・例えば。ひとつの曲のうまれかた。曲というより歌詩の。まず。絵を描く。ラフスケッチ。そこに描かれているのは何か? それを書き出す。今度は言葉で。それは絵から始まるものだから、「視覚」に依る言葉になる。

・忘れていた、自分の好きな曲ばかりを集めたコンピレーションを、iTunesのプレイリストで見つけたのでCDに焼いて、聴いているところ。並べる時の決まりは、その曲が入っている音源の曲順とは違う場所に組み込むこと。アルバムの最後に(あるいは最初に)置かれた曲を、そのままコンピレーションの最後に(あるいは最初に)置いてはいけない。それだと容易な気がするから。酒を呑みながら聴くにはちょうどいい、音の集まり。

・空から声が落ちてくる。鳴き声?。鳴き声。空を見上げながら、顔を振り回して、見つけたのは、白鳥の群れ。その北帰行。セリ田でセリを摘む手を止めて見上げる人間の遥か遠くを、隊を変形させながら北へ向かう白鳥の群れ。隣でKさんが何かを話しかけていたのはわかったけれど、何も聞きとれなかった。

2014.3.3 613 『やがて土そのものになる』

03 03, 2014 | 日記2014

0

・雪の溶けかかる未舗装の道。そこにまた降り舞う雪。風が揺らす田の水。曇り空から注ぐ束の間の光。そしてまた雪と風。水抜きされた田の一画に廃棄された、土に戻りゆくセリの山。工場の煙突から立ち上る煙。踊るように飛び交う二羽のセキレイ。

・瞬間瞬間、死に近づくもの。また別の産まれくるもの。まわり。まわり。まわる。廃棄されたセリの山の鮮やかな緑は、朽ちながら、土色に変わり、やがて土そのものになる。その土の中でまたセリは根を勢いよくひろげて、別の鮮やかな緑が立ち上がる。まわり。まわり。まわる。

・「わたし」は「わたし」だけで始まることはなく。「わたし」は「わたし」だけで終わることもまたない。

Next Page »

RSS
プロフィール

harunobiwonder

Author:harunobiwonder
松沢春伸の日記

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ