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2014.1.3 555 『「個性的なもの」を表明するのが表現者なのだ、みたいな勘違い』

01 03, 2014 | 日記2014

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・セキレイの舞う姿をようやく見た。二羽のセキレイがセリの葉の上で停滞しながらくちばしを動かし、ときおり身体をぶつけるように、交差する。太陽の光が反射するセリ田の上で。「暑い」と声を漏らしながら、見上げた先にあった光景。と、音。

・「世界観」といういい方がある。その言葉自体はわかるのだけど、同時に違和感。「独特の世界観」。いいたいことはわかる。その言葉のどこに違和感を感じるのか? さっきまで見ていたテレビの中で、エンディングをうたう人が出てきて、その人の紹介で、「その独特の世界観でたくさんの人を魅了している」とかいうのだけど、確かに言おうとしていることは分かるのだけど、「世界観」とかを抜きにして、「うた」として何かを感じるか? といわれると、なんにも感じない。身体が全くといっていいほど、反応しない。

 その何にも感じない音楽を垂れ流して聞きながら映像を見ていて思ったのは、同様に「独特の世界観」といわれるような、ディランや、トムウェイツのうたには、「世界観」以前に「うた」としての「何か」がある。これは決定的な違いで、エンディングをうたったその人はおそらくディランにも憧れを抱いてる人なのだろうけれど、彼のうたにはぼくは何も感じない。こんなことを書くのもどうかと思うけれど、思ったことの確認のためにも書く。

 何がいいたいのか? は自分でもわからないけど。日本人って「世界観」をどこか過大に評価するようなところがあって、「個性的なもの」を表明するのが表現者なのだ、みたいな勘違いをしているのではないか、と思う。心を揺さぶり、身体に刻まれるようなものより、中身がスカスカだとしても「世界観」とか「奇抜さ」みたいなものを表明する人が個性的でかっこいい。みたいな。ある意味「世界観信仰」とか「個性至上主義」みたいな。あほくさ、と思う。

 勝手な意見だけれど、ディランも、トムウェイツも、個性を打ち出そうなどとは考えていないのではないだろうか? ディランも初期は民謡のメロディーを借りて自分の詩を乗せてうたっているのだし、今だって、基本はその路線で、オリジナリティを求めているとは思えない所がある(求めていたとしても、それが再重要項目にはあがらないような気がする)。そうであっても、彼はオリジナルだと感じるし、思わせてしまう、そこが彼がおそろしいところ。

 もう一度。何がいいたいのか? わからない。単純に書くと「世界観」だけでどうにかなるほど表現というのは浅くない、というか、「世界観」なんてのは、「ほんの一瞬立ちのぼって消える香り」みたいなもので、それを「前提」に(世界観をだしてやる!)考えていたら、全然現れてこないものなんじゃないか、と思う。

 んん。わからない。何をいいたいのだろう? 結局、ぼくは「世界観」とか「奇抜さ」とか「誰もやっていないことをやりたい」とかいうような勘違いした「個性」を念頭に置いた表現が嫌いだ、ということだ。それだけなのだと思う。とはいえ、実際に「独特の世界観」をもっている、と感じる人たちもいて、そういう本物の人たちに出会えることはおもしろくて、やっぱりそういう人たちが醸し出す「世界観」は、つくろうとしているものというより、「どうやろうとしても、こうなってしまう」という場所にある。そういうものがおもしろい。


・「世界観」とかそんなんを追求するより、まずは表現としての強度を追求する。

・さて。眠ろう。

2014.1.2 554 『異端児の城』

01 02, 2014 | 日記2014

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・「肌に合う(かどうか?)」という言葉って、もろに身体のことをいっていて、書きながら、この言葉の感じは凄いな、と思う。「意味はわからないけど、肌に合う」という言葉はきっと成り立つ。単純にいえば理屈ぬきの「好き? 嫌い?」のこと。分からないけど好き。分からないけど嫌い。感覚。

・かっこよくある必要も、上手くある必要も、綺麗である必要もなく、多数である必要もなく。「まあ、どこかにこれを、肌に合うといってくれる人がいるかもしれないよな」という感じ。そこをちゃんとやる。ぶれない。媚びない。

・けれど。何度も書くけど、初めから何の抵抗もなく受け入れられるものっていうのは、自分の中に残らない。いや、残る。??? どういえばいい? 嫌いだった奴が一番の友達になる、とか、書けば分かり易いけど、あまりに安すぎるたとえだ、、、。

・本当に自分の中に刻まれる何かは、「初めの初めから肌に合うか?」といえばそうではなく、どちらかというと「受け入れ難い」もので、それが徐々に自分の中にしみ込んでいく。「肌そのものを変えてしまう力」を持っている。!!!。

・根を揺らす。

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・今日も青谷明日香『異端児の城』を聴きながら書く。音楽を聴きながら生まれる考えもある。今日はそうやって書いた。

2014.1.1 553 『そこからしか始まらないことがある』

01 01, 2014 | 日記2014

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・今日は朝から雨だった。起きがけに聴こえてくるのが激しい雨の音で、正月の気分にならない。元旦に雨の音で目を覚ます。そんなことがあったろうか? 母親は「嫁にきて三十年、こだな日はないっけな」といった。

・今年初めて聴いた音源は青谷明日香さんの「異端児の城」になった。それを聴きながら書く。日本語の曲を聴いて、違和感なく聴けるのは久しぶりで驚いているところ。けれど、いつもどおり、ぼくは音を伴う言葉を聴き取れない人間なので、違和感なく聴ける、というのも、きっと、言葉ではない部分を感じているのだと思う、のだけど。

・去年の始まりには何を書いたのだろうか? と気になり、今読み返してみた。やはり今年ずっと考えて、課題にしてきたようなことを書いている。別に、それを常に意識しているわけではないのに、振り返れば、考えてる内容は結局、同じじゃねえか、みたいな。でも、それを念頭に置いて、音楽したり、考えてきたのだから、そのぶん進んだのではないかとも思う。それは相変わらず言葉にはならないとしても。

・とにかく。進む。それだけだ。今年の抱負も、目標もない。とにかく。

・誰かを置いてけぼりにするかもしれない。誰かから、あなたの進みたい場所がわからない。といわれるかもしれない。あほ、といわれるかもしれない。安定した足場を手にしろ!! と叫ばれるかもしれない。何か変わったね、といわれるかもしれない。

 それでも、やっぱり、進む他ない。そういう生き方しかできない。いろいろな選択肢があって、その中から選ぶのではなく、ああ、そうか、ぼくはこうやって生きていくのだろうな、という選択の自由のなさ、を実感しながら、それでも思い切り「ガハハ」と笑う。そこからしか始まらないことがある。

・さて。歩きましょう。進みましょう。

2013.12.31 552 『今年体験(観たり、聴いたり)したライブの中の一位』

01 01, 2014 | 日記2013

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・今年体験(観たり、聴いたり)したライブの中の一位。は。やはりNHKラジオ『すっぴん』での保坂和志のインタビューに決定した。音楽じゃないの? なんてことはどうでもいい。熱があり、踏み迷いがあり、逸脱があり、たたかいがあり、笑があり、グルーヴがあり、、、ライブなのです。

・本は、といえば、ジャコメッティ関連だろうか。矢内原伊作『ジャコメッティ』。まだ、読了していないけど。ぼくの中でおっさんが頭を掻きむしりながら創作をしつづけている。

・今まで触れることが出来なかった「何か」。それをほんの一瞬触れることが出来た。けれど、それはまた遠くなる。その繰り返しの日々の中で、その手を伸ばす行為自体が表現なのであって、それが誰に届こうが、届くまいが、褒められようが、けなされようが、そんなことにかまけている時間はない。出来ることは、ただただ日々昨日まで知り得なかった「何か」を知るために、手を伸ばしつづけること。一瞬、その「何か」に触れることができた。その一瞬の感覚のためにひたすら前に前に進む。

・ぼくのライブは今年だいぶ変わったようにおもう。進んだように思う。それは人からの評価によって、そう感じたのではない。自分の感覚。次はもっと。来年はもっと。前に。捨てざるを得ないものを捨て、捨ててはならないものを持ちつづける。ここは大体、「媚び」の問題だが。予定調和や、客に媚びたりや、、、蹴散らして、自分のやることをやる。つまり「振り切れ」の精神だ。

・こどもが遊び踊るように。あるいは。いかれたおっさんの踊りとすら呼べない踊り。それでいい。綺麗、汚いなど外からの評価より、おっさんが、のけ者にされ、蔑まれ、馬鹿にされたとしても、ひたすらその踊りを続けていく、という行為の崇高さ。「振り切れ」の精神はそこにある。

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松沢春伸の日記

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