2013.11.29 520 『苛立ち。昨日の流れをひきずっている』

11 29, 2013 | 日記2013

0

・「綺麗な日本語」というが、「きれい」は変わる。自分がきれいだと思ってつかっている言葉が、少し昔の時代に生きたその時代におけるきれいな言葉を使う人たちがきけば「なんて汚らわしい言葉!?」といわれるだろうことを想像しないという、その乏しさよ。そんなこと少し想像すればわかるだろう。自分の使っている言葉がきれいで、若者たちの使う言葉は汚れていて、なんて、どれだけ人の歴史の中で繰り返してきたことか。言葉は変わる。

・省略言葉をおかしい、と昨日の人はいったが、省略すること、時間をかけないこと、物事を深く考えることなく、時間をかけずに金をまわす、というような流れを生んだのはどの世代なんだよ!? 今の若者は携帯ばかりいじって、けしからん、とかいう。けど、そういう流れにしたのはどの世代だよ!? 今、十代を生きている人間は、それが当たり前になっているから、それにあたりまえに対応しているだけであって、よくよく考えれば必要のない機械を小出しにちらつかせて、金をまわすためだけに、便利さを追求することが幸福であるかのように、そんな社会をつくってきたのはどの世代だよ!? 若者を馬鹿にするのは簡単だが(ここでいう若者はぼくより年下の世代の)、自分の世代(いくら自分が直接的に関わっていないとはいえ)のやってきたこと、その結果を見ろ。少しは考えろ。

・苛立ち。昨日の流れをひきずっている。

・その場のお客の歓声や、拍手を得るために、誰か、その場にいない人を馬鹿にするような、そんなやりかたを「媚びる」っていうんだろう? 呆れる。ああいう人間にはなりたくない。

・今日ラジオに谷川俊太郎がでていた。おもしろかった。ああいう人が、きのう書いた年をとっても、若者を鼓舞する言葉を紡げる人だ。きっと。若い人からの質問に「そんなこと自分で考えろよ。馬鹿」。ここには卑しさがない。上に書いたようなその場にいる客に媚びるために出る言葉ではない。全然違う。全然全然違う。

————————————

・追記(そういえば、何日か前に引用した保坂和志の文章のタイトルが間違っていた。タイトルというか文章の題。訂正したけど、一応書いておく。正しくは「老いることに抗わない」ではなく「私が老人を尊敬する理由」)

2013.11.28 519 『あなた達が若者だったころに体験した、「なんだ、このつまらん大人達は!?」という、その疑問はどこにいったんだ!? 』

11 29, 2013 | 日記2013

0

・ぼくにはやっぱりわからない。今からやって来る「誰か」に向けてなされるものでないものは、、、。反応できない。

・若者に対する。批判はわかる。それはどの時代にもある。あって当然にある。

・けれど。それをネタにして、年を重ねた(この言い方は最大の配慮だ)人たちが笑いあう。ふざけるなよ、と思う。

・そんな言葉では誰の心も動かさない。

・じいさん、ばあさん。と呼ばれる年齢に至っても、若者を鼓舞する言葉を生み出す人たちはいる。少ないかもしれないけどいる。

・同時代の共感を得るための、少しの笑いを生むための、若い世代を危惧するだけ、の言葉。あるいは、より長く生きるための人生論的な、健康指導的な、そんなものを聴いて、若者達の心が震えるか? 興味を持つか? 馬鹿にするなよ。

・「今の若者は、、、」とかいう人達は大抵、、、。ま、いいや。

・なめんなよ。本当に。あなた達が若者だったころに体験した、「なんだ、このつまらん大人達は!?」という、その疑問はどこにいったんだ!?

・誰しもが、年を取るとそういうことを忘れがちだ。自分だって、そういう思いを抱えていたはずなのに。

・ああ。腹が立つ。いや、立たない。どうでもいい。やるべきことをやる。それだけだ。

2013.11.27 518 『媚びなければ失う、たくさんの出会いもあるだろう。が、、、』

11 27, 2013 | 日記2013

0

・遠くへ。静かな声で。叫ぶ。静かな声で、小さな声で叫ぶ。喚く。矛盾? していない。

・媚びず。媚びる誘惑に媚びず。

・その場の反応の良さ。ということにも媚びない。遠くへ。遠くへ。

・恐いこと。だが。その恐さを受け入れて。いなす。「おれのやることはそれじゃない」と。いなす。自分を。

・媚びなければ失う、たくさんの出会いもあるだろう。が、、、。媚びないことで、媚びずにい続けることで得る希少な出会いもある。

・Vorz Barでこないだ聴かせてもらったトム・ウェイツの最近発売したライブアルバム(七十年代の)があまりに凄くて、その場でAmazonに注文したのが届いた。ので聴いている。こりゃ、参る。

2013.11.26 517 『目を逸らさず』

11 26, 2013 | 日記2013

0

・もっと。見据える。やらねばならないこと。目を逸らさず。

・今日の付箋。

【すべてを歪曲する恐るべきブルジョワ根性、これと戦うこと、いつどこでも、いかなる代価を払っても。革命のために】 一九三四年頃 ジャコメッティ『エクリ』 p275より。

2013.11.25 516 『社会が老人に対してすべきことは———』

11 26, 2013 | 日記2013

0

・二日酔いで身体が弱っているようなとき。世界が近く感じる。「私」とか「自分」というものが薄れるからなのだろうか。木々も、風も、陽光も。自分がその「一部」であることを、強烈に実感する。いや、実感するという以前の感覚。その中に「ただある」。

・今日の付箋。

【老人となった人たちにもかつては、いまの高校生や大学生が自分に感じているのと同じパワーがあった。それがない人間なんているわけがない。みんなそれぞれの中にあるパワーをなんとかうまく飼い馴らして、それを効率優先の社会の中での社会性に変形して、出世したり金儲けをしたりしていた。

 老人とはそういう力の社会から退いた人たちのことで、社会が老人に対してすべきことは「老人として、どういう役割があるか」ということを考えることなんかではなくて、その人が最盛期に持っていたパワーに対して敬意を持つことなんじゃないか。ただそれだけでじゅうぶんだ。】 保坂和志『人生を感じる時間』 p112 「私が老人を尊敬する理由」の一部より。

2013.11.24 515 『レノンじゃないが。想像しよう。少しでも』

11 24, 2013 | 日記2013

0

・おもいがけない三日間のボーズバー修行も終わり。身体にまたいろいろと刻み。歩いていける。

・また今日も朝まで呑んで、電車を待つ。駅まで歩いて、数多くの人たちとすれ違いながら、「それぞれがそれぞれの人生をいきているんだよなあ」と言葉にすれば当たり前のことが、強烈に、降り掛かってきて、何かが溢れだしそうになった。お互い、名前もしらない人たちのそれぞれのその時。

・レノンじゃないが。想像しよう。少しでも。名前もしらない誰かの。何かは変わる。少しでも。

2011.11.23 514 『深く潜らなければならない。』

11 24, 2013 | 日記2013

0

・国分町で働いていたころに、毎日通っていたアーケードもだいぶ様子が変わり、そのことにも驚いたけど、何より本屋が出来ていたとは。

【アイデアとは魚のようなものだ。
 小さな魚をつかまえるなら、
 浅瀬にいればいい。
 でも大きな魚をつかまえるには、
 深く潜らなければならない。】 

 デイヴィッド・リンチ『大きな魚をつかまえよう』より。

2013.11.22 513 『急遽。今日もライブになった。フラフラだけど』

11 22, 2013 | 日記2013

0

・急遽。今日もライブになった。フラフラだけど。弱った身体からは何が出て来るのだろうか。

・本を(このあいだ買った文庫本一冊だけだが)持ってきている。まだ序盤(文庫本になっての再読)で、付箋がたっぷり。

【どう考えても、いま目の前にあるこの社会は、人を奴隷的な労働に縛りつけるように全てが働いている。私は小説家だが小説家さえも、自分が書きたいことを書きたいように書いているのではなく、多くの小説家は学校の教室で模範答案を書くように書いているようにみえる。】

【人が生きる場所は、悲しみや苦しみがゼロの社会なのではなく、悲しみや苦しみがあることを前提としたうえで、それを共有する社会なのではないかと私は思う。】

保坂和志『人生を感じる時間』 文庫版まえがき、より。

2013・11・21 512 『今日はこれからライブだ』

11 21, 2013 | 日記2013

0
今日はこれからライブだ。電車に乗っている。駅のカフェでレジの人に「どんな音楽をやっているんですか?」と聞かれたけど、なんて答えればいいのかわからず「ええと」。

うまい言葉は見つからないが、これからも多分見つからないだろうし、見つけるつもりもない。

言葉で説明できる音楽なんて、そもそもやる必要がないのだから。

「聴きにきて」。やっぱりそれしかない。動画であっても、そこで感じうることなんて、たかが知れている。

・越えてゆけ。越えてゆけ。越えてゆけ。

2013.11.20 511 『あの〜、ひつ、ぼくが書くことが世界にとって必要だから書くんだよ』

11 20, 2013 | 日記2013

0

・どうでもいいけど。フェイスブックという場所で、呑みながら書いては、だめだな。

・繋ぐ。その繋ぎ方はそれぞれの「身体」を通すわけだから、それぞれの形になる。重要な何か、は形の違いでは語れない。

・家に着いたら、Amazonのマーケットプレイスで注文していた矢内原伊作『ジャコメッティ』が届いていた。

・今日の引用。

【自分がおもしろいから、書くんじゃないんだよね、あの〜、ひつ、ぼくが書くことが世界にとって必要だから書くんだよ】 録音したラジオより。

・温泉に入ったわけではなかったけど、温泉の駐車場に車を停めて、毛布にくるまり、昼寝をした。車の屋根を雨が叩いて、初めは気になりもしたけど、いつのまにか寝た。目覚ましが鳴る。ガラスは曇っている。カフェに向かう。エクリを読む。言葉をノートに書こうとする。ペンがない。店員にペンを借りる。ピカチュウのボールペン。身体の大きなスウェット姿の女がトイレに入る。——————

・今日はさっさと寝る、ことにする。

『恩送り』

11 19, 2013 | 日記2013

0

日記とは別に。

————————————

今日ラジオで。

「林業の分野で、ちゃんと考えている人たちは、その植えた木々の五十年後、百年後、自分がいなくなった世界を見据えて植林している。それは凄いことだと思うんです。」
といっていたけど。

凄いも何も、そういうことでしょう。
そう思わないで、表現(歌を歌ったり)している人がいるだろうか?

(いや、いるかもしれない、自分が売れればいいとか、自分の名を残したいとか、そんな奴らのことを相手にしている暇はない)

自分の表現が残る(五十年後、百年後)ことなんてどうでもいい。
本当にどうでもいい。
そんなこと。

(もしそういうことがしたいのなら、「成り上がり」とかいって、歌を商売に、金としてしかみないような人たちを見習ったほうがいい)

「恩返し」ではなく「恩送り」という言葉がある。らしい。
先人から受けとった恩は、直接その人たちに返すのでなく。
後から来る誰かに返すのだ。ということらしい。

音楽をやる人は、音楽を聴く人。聴いてきた人。だ。
自分が聴いてきた音楽に敬意を持っている。

表現するということは。
その自分が敬意を払う人たちの大事な部分を引き継ぐこと。多分そういうことだ。いや、きっと。

「受けとった者は、それを別の誰かに繋がなければならない」
そういうことを考えずに表現している人がいるだろうか?

フェイスブックというものの使い方がいまだにわからないけど、こういう場所で、今の現状を、「おいおい。今の社会の在り方っておかしいんじゃないの?」と、馬鹿げた現状をシェアする人たちの在り方。「こんなことしていたら、五十年後、百年後に生きるこども達はどうなるんだよ?」と本気で考えてシェアする人々。

そういう人達のもつ、ひとりひとりでいえば小さいかもしれないけど、そういう言葉たち。そういう「小さなうた」。

インディアン達は「七世代先」のこども達のことを考えて「今」の決定をしている。というのをどこかで読んだ。

繋ぐ。繋ぐ。繋ぐ。

2013.11.19 510 『歩いても、歩いても。終わりはない』

11 19, 2013 | 日記2013

0

歩いて行かなければならない。
歩き続けなければならない。

一歩ごとにまた踏み迷い。
どこへ向けて足を運んでいるのか、わからないとしても。
目的地がどこか(そもそもそんなものがあったのだろうか)、その先に何があるのか、わからないとしても。

「私は(が)何処へ行き着くのか?」 
という「問い」自体に興味がなくなりつつある。

重要なのは。
「私は(が)何処へ行き着くのか?」ではなく。
「この足音はそれを聴いた誰かの歩みを勇気づけるだろうか」。
その足音の強度(あるいは灯火の揺らめきの)。

————————————

・「受けとった者は、それを別の誰かに繋がなければならない。」のだ。きっと。

・歩いても、歩いても。終わりはない。

・宛のない祈り。終われないうた。

2013.11.18 509 『なんだ、じゃ、どうでもいいんじゃねえか、馬鹿野郎』

11 18, 2013 | 日記2013

0

・昨夜のタージライブには今年果樹園で一緒に働いた仲間たちが来てくれて、六人で、年齢も幅広く。何もきいていなかったので、びっくりした。

・「びっくりした」とはいう。けど、けど、というか、実際驚くのだけど、ぼくには「この人に聴いてもらえたら」という人が何人かいて(それは実際に会ったことのない人たちだけど)、その人たちが何かのはずみで、ぼくのライブを聴きに、観にくる、というような驚くべき自体が起こったとしてもいいように、心の準備をしている。

 なにを書いているかわからないが、要はぼくの敬愛している誰かが急に前触れも無く、聴きにきたとしても、いつもどおりの演奏ができるように(ここでいう「いつも通り」というのは、発表会的なものではなく、いつも通り、ライブの最中で踏み迷いながら「その場で繰り出していく演奏をする」ということ)、いつもどおり媚びないように、強度を保つ、ことを準備している。


・だから、びっくりするけど、しない。

・何を書いているのだろう、わからない。「この人に観てもらいたい」という誰かはいる。その人に褒めてもらいたい、とかではない。というか、こわい。おそろしい。本当に。できることなら、本当はその人たちにはみてもらいたくない。こわいから。その人たちに「おまえ、なにやってんの?」とかいわれたら、崩れ落ちるかもしれない。

 けど、そんなこといっていてもしょうがない。だから、そういう恐ろしい場面がいつきてもいいように、イメージをしてはいる。が、結局のところ舞台に立ってしまえば、そんなことすらどうでもよくなって、ぼくは、ぼくの出来ること、あるいは出来もしないのにやってしまうこと、に集中して、踊るようにやるのだから、そんなことすら関係なくなる。なんだ、じゃ、どうでもいいんじゃねえか、馬鹿野郎。


・おそろしいけど、そういう時はいつか来るだろう。だからといって、その人たちに媚びたらいかん。逆にその人たちの尻を叩いてやろう、くらいでいい。今日は(今日も?)何を書いているのか? わからん。ま、いい。寝る。

2013.11.17 508 『試みること、それが一切だ。  おお、何たる不思議のわざか。』

11 18, 2013 | 日記2013

0

・ライブ前にココアを飲みながら本を読む。あるいは演奏する曲を考えてみたりする(こちらのほうはあまり意味が無い)。隣の席に座った大学生の女二人が彼氏だか遊び相手だか知らないけど、男の話をしていて「男って、、、、、、」とひとりがいいはじめて、こちらを気にしたのか、少し小さな声で「おとこってさ〜、追いかけられると逃げるっていうじゃ〜ん。」といい直した。ぼくはグラスのビールを注文する。

・今日の引用。

【そんなものみな大したことでない。
 絵画も、彫刻も、デッサンも、
 文章、はたまた文学も、そんなものはみな
 それぞれ意味があっても
 それ以上のものでない。
 試みること、それが一切だ。
 おお、何たる不思議のわざか。】 ジャコメッティ『エクリ』 p174

2013.11.16 507 『きょうね〜、パパかえってくるの〜、それでね〜、ゆどうふするの〜』

11 16, 2013 | 日記2013

0

・ひとつは、ほとんどリズムによって運ばれていくもの。もう一方の、リズムは崩れ、リズムなど無いに等しく、歌声によって言葉をどれだけ遠くへ届けることができるか。という、二つの離れたことのようにみえる曲を、最近は(特に意識しているわけではなく)つくったり演奏している。

・人間のリズムは一定でなく、時間も流れが変わる。文章や、踊りや、語りに、リズム、抑揚、があるように歌にだってそれはある。あっていいはずだ。「リズムがキープされていることが正しい」なんて誰がいったのだろう? メトロノームを傍らに置いて、針の揺れに囚われながら演奏するだなんて!!!! 考えられない。狂ってしまうよ。

・リズムを一定の流れに合わせるのではなく、身体にあわせること。

・カフェでコーヒーを飲みながら本を読んでいたら、隣に二人の女の子とそのお母さんらしき三人が隣の席に座って、しばらくすると、おじいちゃんとおばあちゃんと、お母さんの妹か姉らしき人が赤ん坊を抱いてやってきて、その妹か姉らしい人に向かって、女の子のおねえちゃんの方が「きょうね〜、パパかえってくるの〜、それでね〜、ゆどうふするの〜」と嬉しそうに報告しているのを聞いて、おもわず笑ってしまった。

・とても。とてもいい。「ゆどうふ」という言葉が女の子から出てくるのがいいし、「今日は湯豆腐よ」と、こども達にいったのだろうお母さんの感じもいいし、「湯豆腐」がパパの帰ってくるときの「スペシャルな晩餐」のメニューだということもいい。今日一番の場面。すばらしい。感動した。

2013.11.15 506 『「ぼそっ」とこぼれ落ちた本当のつぶやきってのは大体』

11 16, 2013 | 日記2013

0

【作者という生徒が読者という先生に褒められるように書く。その一方、読者という生徒が作者という先生の意図を斟酌してそれにすすんで従う。ほとんどすべての作者と読者はこの、生徒根性の中で書いて読む。】 保坂和志bot

・短文でしか投稿できないことのおもしろさ。名言集のようなものは嫌いだけど、本で触れてきた言葉をもう一度短文によって提示されると、言葉の身体に刻まれる感じが違ったりして、だから、そうか、名言集みたいなものはあるのか。

・つぶやき。はつぶやきなのだから、「誰か」特定の他者に向けて発せられるものでないのだろうし、別に「意味」を共有できるような内容でなくてもいいわけで、「ぼそっ」とこぼれ落ちた本当のつぶやきってのは大体そんなものだろう。そういうものを読みたい。「なにを言ってんの? この人」みたいな。(最初の引用はbotだからそうはならないけど)

2013.11.14 505 『ラジオ? それってライブ? とかいう疑問なんてどうでもいい』

11 14, 2013 | 日記2013

0

・また、このあいだ録音したラジオを聴いて笑っている。まず感じたのは、水道橋博士のまじめさ。「はずれているようで」結局「はずれていない」。「はずれる」ことを一生懸命やっている、という感じで、それは結局「はずれていない」ということ。

・「今年聴いたライブのナンバーワンは?」という質問(自分のでなく、聴いたものとして)があったとして、このラジオの録音は、きっと上位に入るだろう。というか、一位かもしれない。「え? ラジオ? それってライブ?」とかいう疑問なんてどうでもいい。本当にどうでもいい。ジャンルとして音楽ではないけど、ここにあるのは、ぼくの考える「ライブ」だ。というか、音楽だけがライブをやるのではない。ジャンルとして音楽であっても、全然「ライブ」でもなんでもなく、単に「発表会」になってしまっているものがたくさんあるじゃないか。

・録音したラジオを聴きながら書いているから、また感じたことを書くけど。博士はまじめだなあ。まじめというか。なんというか。

———————————————————————————

・あるひとつのイメージ。のメモ。——————鉄弦。スチール弦。が画面の左端から、右端へ渡っている。その弦に錆びれたランタンが、ひとつ明りを灯してつるしてある。——————という映像としての。映像というより写真のような区切られたイメージ。が、風呂に浸かっている時ふいに浮かんできて。そのメモ。

・今日。は。いろいろなイメージがやってきた。抱えきれない。残しきれない。書ききれない。———音楽として、言葉として、画として、、、。仕事帰りに河原の駐車場にいた時に。誰もいない、川の流れと、風の音と、身体震わせる冷気と。そして、その中にあるギターと歌。川の流れとともにやってきて、ぼくの前を通り、そのまま流れと共に過ぎていくような。溢れるもの。

2013.11.13 504 『どちらだか私にはわかりません』

11 14, 2013 | 日記2013

0

・風呂に入りながら独り言。それで興奮した。けれど、その内容を忘れてしまった。それが重要なものなら、もう一度やって来るだろうから別にいい。来ないなら来ないでいい。

【私にとって現実は決して芸術品を作るための口実ではなかった。そうではなく、芸術は、私が見るものを私自身がよりよく理解するのに必要な手段なのです。従って私の芸術概念についての私の立場は全く伝統的な立場です。】 p149

【私は何かを作るために仕事をしているのか、それとも私が作りたいと思ったものを何故私が作り得ないかを知るために仕事をしているのか、どちらだか私にはわかりません。】 p150

ジャコメッティ『エクリ』 「私の芸術の意図」より。

2013.11.12 503 『別の大地へ。それから水をたっぷりあげること』

11 12, 2013 | 日記2013

0

・何故かわからないが。思い出している。看板の文字を。古川のレゲエバーでのライブの帰りに、今まで通ったことのない(細い山道で、走りながらもう二度と通りたくないと思うような)道を通って山形に入る。県境を越えてしばらく走ると「母袋(もたい)」という土地名の入った青い看板があって、それをみて「すごいなあ」と思ったのを、今思い出している。「母袋」は、字そのまま「子宮」のことだろう。きっと。

 どこだったろう? と思って調べると尾花沢だった。尾花沢に限らずいろいろな場所に「母袋〜」という地名があるらしい。それで、「もたいまさこ」も「母袋」かと、おもったら違った。


・たまに思う。「長文失礼します」みたいに断りをいれて、文章を書く人がいるけど、結局、一、二分もあれば読み終わるような長さで、それくらいの長さのものでいちいち「長くてすいません」とか(相手に対する気遣いなのかはしらないが)いう人たちは、本とか読まないのだろうか? どうでもいいけど。

—————————————————————

・【踊り。野蛮な踊り】。洗練とは遠い。その対極にある。もうひとつの美しさ。

・グラグラ揺さぶる。根付いて離れない根っこを。揺さぶる。そして別の大地へ。それから水をたっぷりあげること。

・葉を相手にするのでなく。

2013.11.11 502 『読み返しなど、せず眠ろう』

11 12, 2013 | 日記2013

0

・特別な何かを形にするのではなく、日々の、これまでもあった日々の、これからも続いていくだろう日々の、その一点が形になる。形に残そうとして形になるのでなく、たまたまその日のその場面の行為が形として、残る。だから、残そう、という行為自体も日々の中にある。という、立ち位置で、それをやりたい。

・たまたま形として残ったものが全てではもちろんなく、その前後の日々、ただの日々。それが感じられるものにしなければ、なんだか形として残ったもの、それ自体も嘘くさくなる。「形として残そうとして残しました」というような、嘘めいたものになる。

・と書きながら、今、お湯割りをこぼした。派手にジーンズにこぼした。右足にお湯割りの温度。飛び上がって、「うわあ」と、いう言葉は、でてこなかった。じっと、これを書く。酔っているということだ。右足にこぼれたお湯割りは、少しずつ冷たくなっていく。

・今日はTaiken堂の手伝いで、そして呑んできた。打ち上げで隣に座った女性とは全然話したことがなく、今大学に通って一人暮らしをしている息子さんの話をたくさん聞いた。送り出す側の葛藤というか。とてもいい時間だった。

・雪が降った。大粒の雪だった。

・勢い。読み返しなど、せず眠ろう。

2013.11.10 501 『爆ぜる。散らばる。歪む』

11 10, 2013 | 日記2013

0

・ジャコメッティ『エクリ』冒頭。「終わりなきエクリチュール」という題のジャック・デュパンという人が寄せた文章にひたすら感動している。詩人らしいが現在購入できる本はすくないようだ。

・爆ぜる。散らばる。歪む。形を成さない。それらをそのまま。

・いい、だの、悪い、だの、そんな評価に振り回されていたら見失う。核を。どちらも、どちらでもいい。

2013.11.9 500 『街の景色とボサボサ頭の男』

11 09, 2013 | 日記2013

0

【また、今日、年の初めの日に、僕は書こうとしている。一週間前からほとんどこの文章のことだけを考えている。だが一日一日と、言葉を見つけ、文を組み立て、全体に辿りつく難しさが増してゆく。昨日は激しい怒りに駆られて心の中で泣いていた。僕の表現方法のまったくの不足、重さを欠いた大雑把な文章、言いたいことを少しも言ってくれないこの文章を前にして。だが出口を見つけ出すようにしなければならない】 ジャコメッティ『エクリ』 p12

・バスの中でジャコメッティを読んでいる。

・窓ガラスには、車内の灯りで、外の景色と車内の景色が混じり合い、街の灯りとボサボサ頭の男。あちらとこちら。ひとつ。

2013.11.8 499 『品種でいえば、そのほっぺたは「フジ」の色だった』

11 08, 2013 | 日記2013

0

・【ぼくは、オブジェ、彫刻、デッサンにおいてのみ(多分絵においても)自分を実現することができる。そして詩においてはずっとまずくしかできない。他のものでは全然だめだ。 一九三一/三二年頃】 ジャコメッティ『エクリ』 p210より。

・「ちょっと待って、牛乳切れてっかも。」「ああ。」「あ、だいじょぶだ。」「うん。」「ブラックは飲まねんだ?」「いや、いつもはブラックだよ。」「何でいっつもカフェラテなの?」「朝めし食ってこないから。」「胃にやさしく?」「んだね、まあ、そんな感じ。、、、、、、。んじゃ、どうも。」「ありがとうございました〜」

・「リンゴのようなほっぺた」という言葉を初めにいった人の気持ちがわかるようなほっぺたをした中学生の女の子が、朝の冷たい空気の中、ヘルメットをかぶって自転車に乗って、コンビニでカフェラテを飲み終えて駐車場を出ようとするぼくの車の前を通り過ぎていく。品種でいえば、そのほっぺたは「フジ」の色だった。

2013.11.7 498 『これから必要なのはそういう言葉じゃない』

11 08, 2013 | 日記2013

0

・カンフル剤的な。一瞬の興奮。を与えるような言葉。に熱狂しないようになる。これから必要なのはそういう言葉じゃない。

・何もない。何もない「ゆえに」満ちている。もある。

・岡村靖幸「ぶーしゃかLoop」が頭から離れず、「ぶう。ぶーしゃからか、ぶう。」「た、たぶん二十三さ〜い」とか、歌いながら仕事する。じいちゃん先輩たちはそんなぼくを放っておく。雨の日。

2013.11.6 497 『ジャニスが届いたので聴いている』

11 06, 2013 | 日記2013

0

・ジャニスが届いたので聴いている。「I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!」。

・単純に聴いてこなかった、というより、(知らなかったというわけではもちろんなく)どちらかというと敬遠していた感じだった。それにも関わらずそういう音に例えられる、ということがおもしろい。歌を聴いた誰かが「あなた、これを聴いてるでしょ?」と質問して「いや、全然」みたいに。

・この人も多分、自分が、どううたっているのか? が、わからない、というか、よりまし的というか、巫女的というか、そういう体質だったのだろうな、という気がする。それが薬物の多量摂取という理由に限らず、たぶん、体質的に。

・「自分」をさらけだす、というより、「自分」を越えた何かを憑依させる。憧れの黒人さんたちに近づこうとして、技術ではなく、その中身、フィーリングを宿すために。例えば、「踊り」の起源の「踊り子」のように。「言葉」以前の「舞い」。のような。

———————————————————

・いや。いや。違う。違う。上に書いたようなものでない。多分。もともとのもの(体質的)じゃないから、この人の歌はあるいみ「痛さ」をともなって感覚されるのじゃないだろうか(本来の自分ができること以上のことをやろうとしている、というか、、、。だから、そこがかっこいい、というか、、、)。ジャニスはあまりにそれ(うたっている中で降りてくる自分を越えた何か)に身体を委ね過ぎている。「自分」というものすらも、その憑依させた何かに食べられてしまっているように感じる。もしくは、そうしないと、降りて来ないもの(自分を消滅、食べさせることによってうまれてくるもの)を相手にしている。

———————————————————

・書いていて、何を書いているかわからなくなってしまったが、「何を書いているかわからない文章を書かせる何か」がジャニスの音楽にはある、ということだ、きっと。このうたにあるのは単に「心地よさ」だけではない。だから誰かの心に住み着くのだとおもう。

2013.11.5 496 『赤みがかった空気の層の中に細長い月』

11 06, 2013 | 日記2013

0

・山の黒。の上に濃い青の層。その上の赤みがかった空気の層の中に細長い月。が寝ている。

・一枚の画。それを歌詞として書いてみる。とか。そういうのもある。場面場面、細部の集積。

・歌詞も。いろんなものをよく聞いてみると、目から入るもの、光景を書いているものというのが結構少ない。

・ただ心情をうたえば歌詞になる。というものではない。というか、そもそも歌詞はこういうもので、こうでなければならない、なんて決まりはない。ないのに、それっぽいことに乗っかっているだけだ。

『「わたし」の「わたし」を外す。「わたし」の「わたし」を脱ぐ』

11 04, 2013 | Liveのお知らせ

0

11/17(日) ビトLive at Bar Tarji
出演 ビト / 松沢春伸
Open 19:00 Start 19:30 Charge ¥1500(ドリンク別)

Bar Tarji

「わたし」の「わたし」を外す。「わたし」の「わたし」を脱ぐ。「わたし」が表現したいのは「わたし」の「中身」ではない。「わたし」を通して音と成る「、、、、、、」だ。

それが何かは、もちろん知らん。

2013.11.4 495 『「こども」の中の「こども」が死ぬ』

11 04, 2013 | 日記2013

0

・今朝。夢を見た。はっきりとした夢だった。衝撃を受けて(寝ながらにして)、はっと起きて、メモ程度に書き残そうとしたが、その情景が全然書けない。

・体育館の隅で、五歳くらいの男の子がピアノを弾いて、同い年くらいの女の子がその隣に座ってリズムをとっていた。とても軽快でそれは本当に自由な演奏だった。その後、別の曲を要求した大人たちの言葉を受けて、その男の子のピアノが崩れていく。「ごめん、もっと好きなように、自由にやろう」というと、笑顔が戻って、、、。目覚めた。

・今朝、起きがけに書いたものの中から。唯一。引用。

【大人側の言語がこどもを殺す。それがインストールされることで、こどもはもはや自由に踊ることができなくなり、そこで「こども」は終了する。「こども」の中の「こども」が死ぬ。】

—————————

・録画していたNHKの番組。舞踏家、田中泯のベーコンを踊る(タイトルはうろ覚え)をみて、すっかりあてられてしまった一日だった。

・最近ジャニス・ジョプリンに例えられることがあって、驚く。とはいえ、それをいってくれたのは二人だけ。けれど、その二人とも「この人おもしろいな」と思える人で、ぼくは、ジャニスをちゃんと聴いてこなかったので、それで、気になって昨日Amazonに一枚注文した。なにがどうなって、そう例えられるのかを、ぼくは感じとれるだろうか?

2013.11.3 494 『それがどれだけ小さな足音だとしても』

11 03, 2013 | 日記2013

0

・地鳴り。が起こる。鳴らせる。もっと鳴らせる。野球に限らず。だ。

・楽天球団が創設された当時、球場からすぐ近くの居酒屋で働いていた。あれから九年たつのか。そうか。店内が楽天カラーに染まった日々。二人でバタバタと店を回して。あれから九年。まだライブの経験もなく、自作の曲もなく。

・ここから。それぞれの。またそれぞれの。彼らは彼らの。わたしはわたしの。足をそれぞれ踏みしめて。鳴らす。届くかどうか。それは問題でなく。鳴らす。鳴らしつづける。それがどれだけ小さな足音だとしても。

2013.11.2 493 『「冷めてしまうまえに食べよう」』

11 03, 2013 | 日記2013

0

・ラジオのインタビュー録音を大きなスピーカーで聴くとすごくおもしろい。ことを初めて知った。話す人の内容にもよるだろうが、あれはライブだった。

・東屋でいっぱいやろう、ということになって、コンビニで酒と紙コップとつまみを買って店員のタカハシさんに「お湯もらっていいすか?」ときくと「なんぼでもどうぞ」といって、紙コップにお湯を注いで、東屋にいったら誰かが寝袋で寝ていたので、仕方なくベンチに座ってワンカップ焼酎を紙コップ四つに分けて「コンビニでお湯もらってお湯割りつくるってすごいね」と皆でゲラゲラ笑いながら、朝方の冷たい空気にさらされたおでんを「冷めてしまうまえに食べよう」といって食べた。

・灰色の猫がこちらをじっと見ていて、「あ、にゃんこ、おいで〜」と声をかけると猫はスッとどこかへいった。大きな黒い犬を連れた五十代くらいの女性が引っ張られるように歩いていく。白髪のスーツの男が脇を通り過ぎたので「おはようございます」というとぼそっと「オハヨウゴザイマス」といった。「やめなって、あれ市長だよ」というから「あ、あれが市長? ま、あいさつ返すくらいだから、ま、許す」。空いた紙コップ。

Next Page »

RSS
プロフィール

harunobiwonder

Author:harunobiwonder
松沢春伸の日記

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ