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2013.9.29 459 『砂漠に蛇がひとつ。砂を這って行く』

09 29, 2013 | 日記2013

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・砂漠に蛇がひとつ。砂を這って行く。蛇行線。砂に残る蛇の軌跡。風がそれを消し去る。だから蛇の行く跡は残らない。蛇は行く。ただ這い行く。

・言葉が止む。そこから始まる。何か。

・昨日ラジオで。加古隆(ピアニスト、作曲家)のインタビュー。の再放送。彼は「引き出しがたくさんあるんですね?」という質問に対して「曲をつくる時には、その引き出しをあてにしてはいけない」というようなことをいっていた。何かを生み出す時はストックから都合のいいものを出してきて、付け足しして、、、と、そういうものでは駄目だ、というようなこと。初めの一歩は何もない所から、「生み出す」のであって、引き出しを活用できるのはその後の話、というようなことをいっていて、そうだよな、と思った。

・多分、なんでもそうだ。音楽に限らず。「今、既に、手元にあるもの」をこねくり回しても何も生まれない。生まれないというか、「生む」というのは、そもそもそういうことではないのだろう。

・ラジオを聴いていて「加古隆」という音をどこかできいたとおもい、それが保坂和志の文章の中ではなかったか? というところまではいったのだけど、それがどの文章なのかは思い出せない。
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2013.9.28 458 『しかし、ぼくは、それは逆だと思うんだ』

09 29, 2013 | 日記2013

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・今日の引用。

【——ところで話は違ってくるが、クリエーションの問題。衝動とかエネルギーがあるから作品をつくることができるんだと誰でも思っているらしい。しかし、ぼくは、それは逆だと思うんだ。つくるからエネルギーがわき上がり、衝動が確認される。そうなんですよ。

 よく講演会なんかで質問が出るんです。岡本さんは絵だけじゃなく彫刻やモニュメントや大きな作品をつくるし、本も書くし、エネルギッシュですねえ、そういうエネルギーがあるから作品をつくれるんですかと。そうじゃなくて、作品をつくる時点、その瞬間において衝動が起こりエネルギーが盛り上がるんだ、という返事をするとびっくりしたような顔するけどね。

 とかく何かもとがあって、それが働いてこうなる、とそんな順番で考えちゃうんだ。条件じゃあなくてアクションが前提だ。まさに逆で、つくるという動作から瞬間にエネルギーと情熱が燃え上がる。】 『ピカソ ピカソ講義』 岡本太郎 宗左近 より。

・そうだよな。やっぱり岡本太郎という名前を与えられた「彼」は、「岡本太郎」に「なった」のだ。とおもう。

2013.9.27 457 『お互い「さっき挨拶したよな」というような顔で見合わせて』

09 28, 2013 | 日記2013

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・昨日は河原。今日は駐車場。ギター。うた。指も見えない夜の中。うたう。弾く。つくる。

・小学生。低学年。が自転車にのって、横を通り過ぎる時に「こんにちは〜」というので、返す。いった方角からその子が五分とたたず戻ってきて、お互い「さっき挨拶したよな」というような顔で見合わせて、ぼくが「どうも、こんにちは〜」と笑いながらしかけると、頭を少し下げて、笑いながら「お仕事がんばってください」と彼がいう。それから自転車で通り過ぎる。完全にぼくの負け。こんな子いるのね。

・ドアを開けて女が外に出てくると、その老犬は尻尾を振ってよろこびくるくるとまわった。信号待ちで見える光景。

2013.9.26 456 『ああいうの。笑う。自分で』

09 26, 2013 | 日記2013

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・ジョニ・ミッチェルの十枚組。を買う。届いたので、聴いている。

・カレン・ダルトン、ニーナ・シモン、(ジョニ・ミッチェル)。という三傑になるのか。という予感(「()」というのは、まだちゃんと聴いていないから。「ブルー」はだいぶ前に聴いていたけど、その時はあまり反応できなかった)。アレサはぼくの三傑には入らないなあ。もちろん凄いのだけど。あ、、、ビリーもいるなあ。ランキングなど考えたことなかった。おもいつく二人をあげた。すぐに思いつくのだから、やっぱり好きだということだろう。

・眠い。非常に眠い。寝る。

・一昨日書いた日記を読み返してしまう。そして笑う。ああいうの。笑う。自分で。

『それらは、声に、うたに、音楽に、足音に、なる』

09 25, 2013 | Liveのお知らせ

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ライブです。 

10/6(日)仙台 居酒BAR 夢人
Start 20:00 Charge¥1000(ドリンク別) 共演 少太

居酒Bar 夢人

なにがうまれる?
なにがうまれない?
澄ます。
掴まえる。

それらは、声に、うたに、音楽に、足音に、なる。

2013.9.25 455 『内臓から、星座から、舞踊から読みとることにほかならない』

09 25, 2013 | 日記2013

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・「自由帳」というものにどれだけ自由に書けるか。真っ白な紙に。何も「自由帳」に限らない。どこでもいい。あらゆる、に。——ほら、「打算」が顔をだす。「いいね」といわれたいとか、「褒められたい」とか、「認めさせたい」とか、、、その瞬間筆がとられる。振り払おう、とする。それでまた筆がとられる。子供にはもどれない。それでは、どこにゆこう? 

・「自由帳」という名前もすごいものだ。自由を強いられたら自由でない。

・もしくは、そこまで計算して「自由帳」と名前をつけたのか。「ほら、ほら、自由に書いてみろよ」と。

・今日の引用。

・【「まったく書かれなかったものを読む」。この読み方が最古の読み方である。つまりそれは、すべての言語以前の読み方であり、内臓から、星座から、舞踊から読みとることにほかならない。】 ヴァルター・ベンヤミンbot より。

2013.9.24 454 『わたしは見ていない』

09 25, 2013 | 日記2013

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・それをやった人間の名も、そのうち消えて、意味も消える。「何か」だけ。

・ベッドからカーテンの隙間にみえる窓の少しをじっと見つめる目。ガラスについた汚れ。それから、目線はベッドの上に抜け落ちた髪の毛にうつる。外では絶えず虫の鳴く。暗闇へ。目が閉じられた。夢をみる。

・店内で牛丼をほおばる男。髪はぼさぼさで、眼鏡をしている。白いシャツをきて、黒い革靴を履いている。その店内の光景を、店の面した道路を走る車の中から、わたしは見ていない。

2013.9.23 453 『小説の外部からではなく、内部から宣言しようとした』

09 24, 2013 | 日記2013

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・今日の引用。

・【最初は三回ほど連載して終わらせるつもりだったんです。ところが、三回目を書いたとたんに、この小説は大失敗したと思ってしまった。もうこれは失敗だ、と。それでどうしようかと考えたときに、この作品が失敗作なんだってことを、小説の外部からではなく、内部から宣言しようとした。】 ―小説の楽しみ 小島信夫botより。

・いやいやこれは凄い。

2013.9.22 452 『簡単な言葉の今までにない配列』

09 23, 2013 | 日記2013

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・簡単な言葉。だけで遠くへ運ぶ。簡単な言葉の今までにない配列。によって。

・泣きながら目覚めた夢を、わすれまい、とおもいながらも、もう既に、輪郭はぼやけて、隣にいたこどもの名前も思い出せない。ぼくはずっとその子供を追っ手から守ろうとしていた、ということは覚えているけれど。

・「それはとても小さな声。だから、澄ます」。その訓練をする。

・「全然違う。ぼくはそこにはいない。あなたはいつも、自分のなかに既にあるサンプルで誰かを計ろうとする。それではいつまでたっても何もみえない、聴こえない」

2013.9.21 451 『ツイード』

09 22, 2013 | 日記2013

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・立川談春。「らくだ」を体験する。

・となりに座ったおばさんは、たぶん会場で一番頻繁に笑う人だった。ゲラゲラとでなく、こまめに、甲高い声を出す。そこは笑う場所か、とおもうような場面でもあまりに笑うので、「笑う機械」か、とおもった。靴を脱ぎ、五本指の絵柄の入った靴下を履いていた。たまに足の指が動く。精密な機械だ、とおもった。靴下の絵柄が何なのか、最後までわからなかった。

・「ツイード」という単語が出るまで。どれだけ時間がかかっただろう。その間に、夜は朝になり、黒い犬が尻尾をふって通り過ぎ、笑い声は響き、酒は空になる。

2013.9.20 450 『こぼれた声ひとつ  小さな舟になって』

09 21, 2013 | 日記2013

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・ここではない別の場所 
 名前も知らない場所へと  
 手の鳴る方へ
 鐘の鳴る方へ

・こぼれた声ひとつ
 小さな舟になって
 誰かのもとへ
 流れていく

・鼻先をじりじりと
 焼く太陽があつい
 親指をカリカリと 
 蚊に刺されてかゆい

2013.9.19 449 『「お金をもらっているのだから、客に喜ばれるようなもの」なんていうのは、居酒屋にでも任せておけばいい』

09 20, 2013 | 日記2013

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・あらゆる場所に。自由帳に、壁に、地面に。あふるるを描く。意図、のようなものを振り払い、身体の動くまま描く。「伝える」さえもそこにはいらない。

・ぼくのライブが今後どういうものになっていくのか。を予想してもしょうがないが、上に書いたもののようになる予感はある。

・落書きをみせつける。

・媚びない。(これはテーマというより気質の問題)

・「お金をもらっているのだから、客に喜ばれるようなもの」なんていうのは、居酒屋にでも任せておけばいいのであって、そんなことを悠々とこえていくものをこそやる。表現というものはそんな「仕事帰りのビールのうまさ」を与えて済むような、心地よさだけで終わるような、ものではない。

2013.9.18 448 『「心意気」のようなものが』

09 18, 2013 | 日記2013

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・たまにテレビにでてくる若くして金持ちになった人たち(生まれながらじゃない、ネット世代の成金)。いつも思うのは、なんで、ああいう人たちは金を持つと、あからさまに「金もってる人」っぽい遊びしかしないのだろうか? いい車に乗って、いい女を連れて、いい酒を呑んで(あ、違う。「いい」のでなくて、「高い」「金のかかる」というだけだ、、、)というようなことしかやらないのか。

 そういうのはテレビやなんかで「植え付けられた」金持ちのイメージであって。それしか出来ない、という想像力の乏しさよ。つまらない。そういう「既存のイメージ」の中でしか、「自分は金持ちだ」ということを知らしめることができない、というのはあまりに、、、。ま、いいや。


・前にも書いたけど、それは音楽でも一緒で、一番分かり易いのは「ロック」だけど、「ロック」という言葉からイメージされうるものをどれだけ身にまとっていても、行動しても、歌っても、それがもう既に「存在しているイメージ」の中でしかやっていないものをみて、そこにぼくは「ロック」を全然感じない。形から入って、芯にせまることはあるにしても、既存のイメージにそってやることは全然ロックじゃない。「既存」を「逸脱」していこうとする「心意気」のようなものが「ロック」の源泉のように思う。

・別にどうでもいいのだけど、たまに「はあ!?」といいたくなることがあるので書く。

・同様に、社会に対して、直接的に、声だかに「まちがっている」を、叫ぶだけの行為が「たたかっている」ともぼくは思えない。

2013.9.17 447 『日記として書きはじめてからちょうど一年』

09 18, 2013 | 日記2013

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・日記として書きはじめてからちょうど一年。一年毎日日記を書くような人間になるとは、、、。

・赤とんぼの赤が深くなりはじめる。数日前よりずっと赤い。

・【ひとが「あらいいわね」なんて言うのは、「どうでもいいわね」と言っているのと同じなんだよ。】 岡本太郎 bot より。

2013.9.16 446 『小説を読んだから、小説を書くのです』

09 16, 2013 | 日記2013

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・一日かけて、棚作り、壁塗り、掃除。をする。ラジオを聞きながら。肌がペンキまみれになっても気にならない。そういう質。

・本もCDも別の場所に置いているのを合わせると、棚が全然足りない。売る、という選択肢はそもそもない。

・トム・ウェイツをタージに貸したので、聴くものがない。聴こえてくる音、で過ごしてみる。

・何となく書こうというものがあって、でも、眠いのでやめる。明日になって忘れていれば、それはそれまでのことだ。

・今日の琴線。

・【以前、作家の後藤明生さんが、なぜ小説を書くのかと問われて、「小説を読んだから、小説を書くのです」と答えていました。ぼくも、ある作品から小説的な気分を受けて書くことはあります。世界文学の作家だと、その相手は決まっています。カフカとベケット。】―「小説の楽しみ」。 Twitter 小島信夫botより。

2013.9.15 445 『フェイスブックに溢れているのはほとんど全て』

09 15, 2013 | 日記2013

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・もう既に眠い。

・今日はセリ田の代かきをして、畔のわきに波板を設置する作業。土砂降りの中。

・少しずつ、棚やらを自作しながら、部屋の掃除。本棚の隣にCDのラックを作ろうとおもって、手元にあった木材で、笑点をみながら作業。メシをたべて、音楽も聴かず、テレビもつけず、切った材料を紙ヤスリで磨く。虫の音。ヤスリと木材の擦れる音。音楽もいらない。映像もいらない。ただ、ひたすらに何かの作業をしている、というそういう時にしかやってこない何かがある。そういう時間が必要。BGMにもくだらないテレビにも邪魔されず、「しん」とした時間。


・写真のことについて考えている。焦点のこと。大体の写真は「とろう」という対象があって、それにむけてピントが合わせられるのだけど、、、。と書いて、書こうとしていることをうまく自分でも掴めていない。

 どこにも焦点を合わせることが出来ず、その写真のどこからも「意図」というものを感じられない写真。そういうものに今興味がある。

 誰かを写そう。場所を写そう。etc、、、。フェイスブックに溢れているのはほとんど全て、何かに向けて焦点が設定されている写真で、それはもちろん、共有するためのものだからそういうものになるのは仕方ない。ぼくが思っているのは「写真をとる」ということの根っこに関わることと思う。それをいますぐに誰かと共有できる言葉にすることは出来ない。


・と書いたけど、実はそういう写真を撮る人の写真をたまにみている。というか、その人の写真をみて、そういうことを考えた。その人の写真には対象と呼べるもの、シャッターを押す人間の「意図」のようなもの、が感じられず、人が何気なく歩いている時に、ふと何かに焦点を合わせる、その一歩手前の景色、というかそういうものが写っている。そのことがぼくにはとてもおもしろい。

2013.9.14 444 『「壁あて」と「独り言」の両方。それが「うたうたう行為」』

09 14, 2013 | 日記2013

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・「自分は少数派だ」、と感傷に浸り、あるいはどこか悦に浸り、「この世はおかしい」、なんて感受性の強いこどもなら誰でもいえるようなことをいってる場合じゃないです。そんなこといちいち書かずとも前提なのだし。その先をやる。のであって。その先へ向かう言葉をこそ書かなければいけない。あるいは音楽を。と、書いたここまでも、「始まり」の前であって、いちいち言葉にしなくてもいい。本来ならば。

・車の中で目覚め、考えを巡らす。シャッターの中で、部屋にあがらず、あえて車に寝る。だから、朝であろうが、暗い。その中で、考えを巡らす。考える、というのでなく、巡らす。浮かんできたものに、そのままつき合う。能動というより受動。

・そこで、感じたのは、ぼくはあまりに、自分の感じていること、考えていること、考えたいこと、を、誰とも、直に向き合って、話したり、共有したり、していない、共有しようとしていないんじゃないか。ということ。酒を呑む場所ではますますそういうことを話さなくなる。「ぼくはどこで、誰と、それらを共有していただろう?」 と考えると、驚くことに、ほとんどしていない。

・けれど、ぼくが発することじゃなしに、受けとることだったら、これまでもずっとやってきたのだ。誰かのぼくと同じように小さな、ほとんど対象を持たない独り言のような、ものたちを、受けとってきた。そして、それらに生きる勇気をもらいつづけてきた。

・今日の朝、そういうことをはっきりと実感してしまった時には本当に愕然とした、というか、そうか、、、とも思ったけど、ま、そんなものだろう。だからどうしたというのか。

・「壁あて(自分の身体との対話)」「独りごと(自分との討論会)」がぼくにとって、遠くに、遠くにいる誰かに、宛もない手紙を届ける最善の方法なのだ。ぼくにとってはそれが。

・「壁あて」と「独り言」の両方。それが「うたうたう行為」。

・生きていくために。

2013.9.13 443 『サンドウィッチを食べている。もう夜中だというのに』

09 14, 2013 | 日記2013

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・今日もセリ屋。重労働。汗だくだく。

・タージにのみにいく。いった。トムウェイツ「オーファンズ」をもって。オーファンズはLPだとプレミアがついてしまって、七万円とか、そんな値段になってしまっているから、タージにはなくて、それで、しょうた兄も聴いていなかったので、もっていった。店でかけると、印象が違うし、何より、トムウェイツは邪魔をする。「邪魔をする」と書くとき、ぼくは褒め言葉だけれど、それは上手く伝わらないだろう。そんなことはどうでもいい。とにかく、その時間の中でいろんなことを考えた。それを言葉にするつもりは今はない。

・しょうた兄が「かして」というので、CDを置いてきた。

・それで、今、車の中でこれを書いている。麦茶を飲みながら、サンドウィッチを食べている。もう夜中だというのに。さて、そろそろ眠ろう。

・楳図かずお「愛の奇跡」が凄い。

・もう寝る。

2013.9.12 442 『誰がそんな作業を想像するだろう? スーパーに並ぶ袋に入った商品としての「セリ」をみて』

09 12, 2013 | 日記2013

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・セリ屋の手伝い。をする。

・人の背丈ほどのセリが横たわる。きけば、上にのびていたのが、風とかそんなんで倒れるらしい。稲が倒れるのと一緒でしょう。それを鎌で刈る。刈ったものを、三十センチほどに切る。これは昔ながらの道具でワラを切るのに使われていたものらしいけど、名前を忘れた。それを木枠に山積みにして、水をたっぷりとかける。これは、腐るのを防ぐためらしい。水分を切らすといけない。ということで、こまめに山積みになった細切れのセリに水をやる。

・それを一週間ほどおいて、節から芽がでたら、田んぼにまく。要するに細切れにされたセリがそのまま苗になる。というのも、セリは茎をそのへんにばらまいただけで根付いて、また芽吹く。生命力の強い植物。

・だなんて、わかっているように書いたものの、作業を通して、驚くことがおおくて、いちいち感動している。セリ屋のじいさんばあさんにとっては当たり前のことだろうけど、初めてそれを知る人間はそれだけでいちいちおもしろい。

・誰がそんな作業を想像するだろう? スーパーに並ぶ袋に入った商品としての「セリ」をみて。

・うたをうたう人間はそのどちら側にいなくてはならないだろう? 

2013.9.11 441 『落語にとって「自分」というのは何か?』

09 12, 2013 | 日記2013

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・「わたしは真悟」に続いて「漂流教室」を読んだ。書いた時期もあるかもしれないけど、自分に残るのは「わたしは真悟」。何故か? を説明できるほど、ぼくには言葉がない。他に何冊か楳図かずおを買っているので、次はそれを読む。

・今日は落語の手伝いをしたけど、落語にとって「自分」というのは何か? 型と呼べるものがあって、それからはみ出した所に現れるのが「自分」なのか。どうか。元にある台詞をそのまま口に出すだけでは「笑い」はうまれない。受け継がれてきたものと、それを通す「自分」の身体の問題。

・今日は打ち上げで酒を呑んだので、よくわからないまま書いているけど、ここで書こうとしていることは、重要かもしれないという感じはあって、でも、酔っているので、それが言葉にならない。

・何にせよ、権威的になったものはつまらない。というか、権威に憧れている人間が、それを手にしたときにやる表現の空っぽさ、はひどい。まわりがもてはやすからたちが悪い。「お前つまんないよ」という人間がいない、というのはつまらない。

・誤解されるとわるいので書くけど、今日の落語の人はそういう人ではない。違う。ただ、そういうものに触発されて感じた、ことを書いている。だけ。

2013.9.10 440 『そういうものとは違う場所にぼくは歩こうとしている。らしい』

09 10, 2013 | 日記2013

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・演奏者が自分の演奏を全て「知っている」「コントロールしている」と考えるのは間違いなのだろう。

・自分自身も「何故か」はわからず、わからずのまま、「それ」は「生れ落ちた」。

・これらの言葉は「考え」というのもではなく、どちらかというと「実感」。演奏をつづけていくなかでわかったこと。

・人が「自分を表現する」という時の「自分」。それがもうどういうものか、そこに固執する必要があるのか、がわからなくなりつつある。

・「自分を表現する」。勉強のできる、利口な中学生の弁論大会みたいな、そんな類いでは「表現」はない。自分の意見を、考えを、表明する、だなんて小さなことでは「表現」はない。いや、表現という言葉がそういう意味で使われていようが別にかまわないが、ぼくの中のそれはそんなものではない。表現という言葉で弱ければ、芸術といったっていい。

・「自分」を表現する。そういうものとは違う場所にぼくは歩こうとしている。らしい。

2013.9.9 439 『聴いたことのないうたが自分の口から溢れてくるのだから』

09 09, 2013 | 日記2013

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・片付けが一向にすすまない部屋にトム・ウェイツ「オーファンズ」の一枚目。が響く。

・トム・ウェイツ。いつもおもうのだけど、彼を唯一無二として扱うのはわからんでもないのだけど、曲ということに関していえば、ほとんどカバーに近い(歌詩に関しては言葉がわからないのでなんともいえないが。酔いどれ詩人と呼ばれるのだから、詩として凄いのかもしれないけど、そういうのは正直ぼくにはわからない)。

 彼がすごいのは、「そうであるにも関わらず」、圧倒的に突出している(どう聴いてもトム・ウェイツにしか聴こえない)ということで、それは本当に凄い。デビュー前の弾き語りの音源だって、曲のつくりがオリジナリティーに溢れている、というわけではない。どちらかといえば耳に馴染みのある、トラディショナル的、借り物のようなメロディーにも関わらず、もうそこにトム・ウェイツはいる。迷っている、何かを模索している印象はあるけれど。

 なにせ、彼の前にはディランが走っているし、彼はディランの曲をずっと店で客の前でうたっていたのだし。あまりにでかい壁が目の前にあって、「オレにやるべきことは、あるのだろうか? 残されているのだろうか?」という問いはあっただろうし。

 それでも、彼は彼になった。彼は「トム・ウェイツ」になった。憧れだったディランが「密かに憧れてるヒーロー」と呼ぶ「トム・ウェイツ」になった。それに至った。自分で。


・と、書いて、曲はすすむ。Amazonに注文していて、届いていたのだけど、聴いていなかった。Amazonじゃなかったかもしれない。もうなくて、他のサイトで注文したのかもしれない。日本版の「オーファンズ」。三枚組の一枚目。これはとても好き。とても好きだ。最高。まず、音の録り方がいい。のだとおもう。いい、というのはいい音で録る。ということでなくて、「こういう雰囲気で録りたい」という音をちゃんと狙って録っているということとで、それは、いいマイクを使うということではないし、多くのマイクを使うことでもない。ましてや、編集の上手さでもない。

・なんだか、久々日記らしくなった。ような気がする。今この場で、ここにあるものを書く。そんなもの。

・最近しきりに思うのは、ギターが伴奏のためのものではなくなってきている。ということ。これは感覚なので、共有するための言葉を見つけることができないけど。「わたし」が弾いているにも関わらず、ギターはギターで「わたし」に囚われることなく音を奏でて、歌はそれに影響を受けながら、あるいは影響を与えながら、紡がれていく。もう「わたし」というのがどこにあるのかわからなくなる。というのも、自分でも聴いたことのないギターの音色が自分からうまれてくるし、聴いたことのないうたが自分の口から溢れてくるのだから。

2013.9.8 438 『「それ」がぼくの身体を通して音楽として翻訳された』

09 09, 2013 | 日記2013

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・昨夜。の演奏で、一瞬とんでもないのが出てきて、正直自分で驚いた。けれど、「それ」はどこかからやってきた、降りてきたのであって、「それ」がぼくの身体を通して音楽として翻訳された。だからそれはやっぱりよりましの世界なのだ。あの瞬間を体験してしまったら、音楽はやめられない。

・古川ジャマイカンレストラン&バー「カラバシュ」での演奏。いい夜だった。ライチカフェ夫妻と息子さん(四歳)と打ち上げ。いやあ、いい夜だった。

・楳図かずお「わたしは真悟」。凄すぎて絶句。

2013.9.7 437 『小さく呟かれる自分への言葉』

09 07, 2013 | 日記2013

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・古川は雨。コンビニの駐車場。半袖では少し肌寒い。コンビニの女の店員が本の陳列棚の整理をしている。タイヤ止めに傘をさして煙草を吸う男が座っている。と書く間に男は立ち上がり、車の前を通って店に入っていく。

・「歩いても 歩いても」という曲はメッセージソングのつもりはない。全然ない。あの曲は独り言のようなもの。小さく呟かれる自分への言葉。

・たとえば。夜。静かな月明かりのした。あるいは街の雑踏の中。ひとり。ふと、こぼれ落ちる。そんな言葉。言葉を向ける相手はいない。ただひとり。小さく揺れる火を。感じる。みる。聴く。静かに握られる手。そして少し笑う。そしてまた歩く。どこかで誰かが同じように。

2013.9.6 436 『それは「よりまし」の世界』

09 06, 2013 | 日記2013

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・書こうとおもっていたことがある。といっても、ぼんやりとしたもので、もちろん形にはなっていない。何かというと、歌は、自分の表現というより、その場に影響されて生まれるものではないか、とかそんな疑問。疑問というか、実感。鳴子のステージに立って、遠くの山脈に目をやりながら、うたう行為。自分の中から生まれたものを表現しているのではなくて、その光景の中にいることで、うたを「もらっている」というような感覚。

・と、書いても全然言葉にならない。ならない、のをわかって書くのだから、それはいいにしても、今ここで書くには少し時間が足りない。ので。また、別に。

・この「感じ」を言葉にしようとしても、ほとんど共有できない、とおもう。が、それは、どうでもいい。ここにあるのはそれを自身で確認するための言葉なのだから。

・書き足し。最初に書いたものは、そこにいるお客さんに(たとえば、客ののり、とかレスポンスとか、そんなことに)影響されるということでは、「全然」ない。どちらかというと、風景の側。猫の側。

・それは「よりまし」の世界。

2013.9.5 435 『みんながそれぞれ、やんわり、それぞれのやることをやっている』

09 05, 2013 | 日記2013

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・先週土曜日は鳴子での郷鳴祭。会場では、子供たちが遊んで、浴衣姿の温泉客がいて、地元の人たちがいて、そして少し離れた通りには猫たちがいる。出番前に、車の陰で立ち小便をしながら、上をみる(山の斜面に街があるから、上をみるとそこには別の通りがある)と階段で猫が二匹寝ていて、その猫の脇を女が階段を上っていて、こちらの真正面を向く。ま、いいや、とおもいながら小便をつづける。

・大きな祭りではないし、というか別に、大きくしよう、だなんてつもりもないだろうし、あのくらいの規模でしか出せないものをわかっていて、地元の人たちが、自分たち自身が楽しめる、おもしろい、とおもえるようなものをやろう、という気持ちを感じるので、それがおもしろいのだろうし、その「感じ」は初回から変わってなくて、回を重ねて、いろいろな変化があったとしても、その部分は変わらないのだろうな、というのは、祭りの中にいておもうし、片付けのあとの打ち上げで、みんなと話をしながらそう思う。だって、みんな、やんわりしているのだもの。気負い、とかなくて、「今日よがったよねえ」というような。

・そこにはぼくの嫌いな「統率」的なものがない。だから居心地がいいのだとおもう。統率がない、とかいうと、失礼かもしれないけど、勘違いしてる居酒屋の朝礼ののりというか。ああいう、人が集まるとなりがちな、押し付けがましい「やろうぜ感」がない。みんながそれぞれ、やんわり、それぞれのやることをやっている。

・「やろうぜ感」って本当に嫌い。自然に起こったのならまだしも、意図的に「やろうぜ感」をだしてる団体には、近づきたくない。

・ライブの反省というか、別に反省なんてしないけど、どうも、ドラムの音が後ろからの生音にしかきこえなくて、散漫な感じになってしまった。ぼくはリズムを感じたい。のだ。

 ライブ後にドラムのしゅんちゃんに「それは、モニターのドラムをあげてもらえばいいんですよ」と冷たくいわれてしまって、その後に「PAの人が『音どうですか?』って聞いてたじゃないですか〜」と、いわれて、「そのとき春さんPAさんに、『わかりません』って、いっちゃったじゃないですか〜」と、いわれて、「その時に、モニターのドラムをもっと上げてほしいっていえばよかったんですよ〜」といわれて、しょぼんと、「そうか、、、」といった。

 そういう音の出し方、PA的なものに関してはまったくわからないので、「わかりません」といってしまうのだけど、それもそういうわけにはいかないな、と今回おもった。反省はしない、けど。余計なことに気を使わない。くらいには勉強、というか、準備をしようか。気は演奏に使うのであって、その前の段階でつまずいてはいられない。

2013.9.4 434 『それら、は、ぼくの、見える、見えない、に関わらず「ある」』

09 04, 2013 | 日記2013

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・テクニック、なんてものでどうにかなるほど「表現」というものは小さくはない。歌も然り。言葉も然り。高橋源一郎のいっていることは表現の根っこの部分を語っているから、「小説」という言葉を「音楽」に替えてもそのまま読むことができる。

 「小説の書き方は自分自身で探す他ない(ということは音楽のかきかた、うたのうたい方、その他、、、ということ)」のであって、「そんなことだったらいちいち本にするな。私はもっと方法や、テクニックについて知りたいんだ」というような人間をそもそも「彼ら(彼、でなく、彼ら、、、)」は相手にしていないし、そういう人たちは、きっと何もできない。根っこから勘違いしている。そんなところには「『何も』ない」。

・震えるような感動。はないけれど、「そうだよね」「それでいいんだよね」と読みながら思い、その言葉たちに背中を押される気がして、そして、それで、十分だ。

・何日かぶりに、窓から夜空を眺めている。目で見えるあかりは電柱のてっぺんに取り付けられた街路灯だけで、星も月も窓からは見えない。とはいっても、見えないというだけで、それら、は、ぼくの、見える、見えない、に関わらず「ある」。

2013.9.3 433 『別の生きものによって吸収されるのを、静かに待ちつづける』

09 04, 2013 | 日記2013

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・付箋。高橋源一郎「一億三千万人のための小説教室」より。

【繰り返し、繰り返し、書き写したら、その次は、その文章で、それを書いた人の視線で世界を見てください。それを書いた人の感覚で世界を歩き、触ってください。

 もし、それが、あなたにとって必要なものであるなら、その、他人のものである感覚や、視線も、少しずつ自分の中に吸収され、自分の感覚や視線と混じり合い、新しい感覚や視線に変化していくでしょう。

 もし、それが、あなたにとって必要なものでないとしたら、それは、その土地に根をはることができなかった植物のように、やがて枯れていくでしょう。

 しかし、枯れた植物は、ただ死ぬのでありません。分解し、無数の構成要素となって、その土地の奥深く、沁み透り、別の生きものによって吸収されるのを、静かに待ちつづけるのです。】 p125、126


【ふたりは、毎日、静かに暮らしながら、人生と小説について考える。なぜなら、小説家の仕事とは、人生と小説について考えることで、それ以外にはないからです。】 p163

2013.9.2 432 『それを読む以前のようには、世界を見ることができなくなるような、そんなことば』

09 02, 2013 | 日記2013

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・付箋。高橋源一郎『一億三千万人のたの小説教室』より。

【小島信夫の場合、小説も評論も同じ文章です。おそらく、彼は、同じ文章で、手紙を書き、それから、しゃべったりもするのではないでしょうか。要するに、生きること、が、そのまま小説になっているのです。】 p140

【詩でも、戯曲でも、評論でもない、また、いわゆるふつうの小説でもないのに、こころを揺さぶり、それを読む以前のようには、世界を見ることができなくなるような、そんなことば。それもまた、わたしは、やっぱり、小説と呼びたくなるのです。】 p175

2013.9.1 431 『深夜にそっと、彼の勇敢な先祖のひとりがそうであったように』

09 02, 2013 | 日記2013

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・付箋。

・小説というものは、たとえば、広大な平原にぽつんと浮かぶ小さな集落から抜け出す少年、のようなものではないでしょうか。

 それがどれほど居心地のいい場所であっても、見晴らしのいい、小高い丘に座って、遥か遠くの地平線のあたりを眺めていると、なんだか、からだの奥底からつき動かされるような衝動にかられる。それは、ここではないどこか、へ行きたいという衝動です。

 やがて、少年は、その集落を、夜中に、ひとりこっそりと出ていきます。そして、新しい集落を、その広大な平原のどこかに作る。だが、やがて時がたつと、また新しい少年がその集落から、深夜にそっと、彼の勇敢な先祖のひとりがそうであったように、抜け出してゆくのです。 

 高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』p16「少し長いまえがき」より。

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松沢春伸の日記

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