2013.6.30 その2 369 『小さな小さな、それでいて充たされている日々を』

06 30, 2013 | 日記2013

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・部屋を通り抜ける風が心地よい。感動するほど心地よい。

・だいぶ久しぶりにコンポのコンセントを入れて音楽を聴いている。だいぶ音楽を聴いていなかった。畑の中に溢れる鳥の声や、葉の風に揺れる音で充足していた。日々。コンポの電源を入れて、中に何が入っているのかみたらディアンジェロのファーストだったので笑って、そんな雰囲気ではなくて、近くにあったレイラモンターニュのインディーズ時代の音源をかける。いい夜だ。レイラモンターニュという名前を出したのは初めてかもしれない。けれど。大好き。

・小さな虫がパソコンの灯りに誘われてとまっている。その一匹の虫の動きを眺めながら書く。ちょこちょこと動く小さな虫を見ながら書いて、そして、音楽を聴く。いい夜だ。

・多くを求めず、大きなことを求めず、「今ここにある」小さなことに「これで十分じゃないかよ、、、」と小さく思う。そんな時間があればいい。そんな時間を積み重ねることが出来たなら本当にそれでいい。小さなうたを歌える日々を。

・虫がもう一匹増えた。パソコンの画面上を二匹の小さな虫が駆け回る。それでいい。これでいい。大げさな「何か」を求めるのでなく、小さな小さな、それでいて充たされている日々を。

・日記を書き終えてから、気分がいいのでもう一つ書く。何度でもいい。書きたいだけ。書く。自由帳。真っ白。

・、、、早いけど、そろそろ眠ろう。明日もまたサクランボを収穫する。のだ。肌寒い空気の中。

2013.6.30 368 『酔い日記』

06 30, 2013 | 日記2013

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・まだ外は暗くない。鳥たちは鳴いている。洗濯機はまわっている。三時で仕事を終えて、現在六時半をすぎた頃。ぼくは呑んでいる。収穫したキュウリとナスの漬け物で。明日も早い。だから早く呑んで、早く寝る。

・だいぶ軟弱になってしまった左手の指のはら。明らかにこうして、距離が感触としてわかる。ギターとの距離。ぷにぷにになってやがる。

・とはいえ、書けば書くぶんだけ、文章は上手くなるかもしれないけど、一向に本質に向かわないこともある、というのと同じで、ギターだけを触って、ぼくがやりたいことの真ん中にいけるということもない。ギターを触らないことのいいわけではなくて、こうして、音楽以外の何かにまみれる日々の中で、考えを巡らすことで、かえって、音楽が自由になることもある。ギターや歌が、練習を経なくとも成長することがある。けれど、日々の歌や、ギターとの対話はやっぱり必要。いいわけ。だな、こりゃ。

・「それってパーマ?」ときかれて「天パ」とこたえる。ぼくの髪はくるくるしている。嫌いではない。どちらかといえば気に入っている。

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・と書いて、部屋に移動してもまだ外は暗くない。風に揺れる桜の枝。酔い日記。

2013.6.29 367 『酒と本』

06 29, 2013 | 日記2013

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・庭の桜の実を鳥たちが食べにやってくる。去年から剪定をしていない桜の木は今までにない枝ぶりで、というか、伸ばしっぱなしというか、けれどそのぶん今年は花芽がたくさん付いて、花も咲き、実もなった。いろんな種類の鳥たちがやってきて、桜の実をついばみ、どこかへ飛び立っていく。家の屋根の隙間に何代にも渡って巣作りをしている雀たちも、桜の実を食べているようで、巣の下の地面には桜の種がいくつか落ちていた。

・サクランボの収穫作業の最盛期。四時前には車に乗り込む日々。朝早く、太陽が照りだす前の涼しい時間帯に収穫を済ませないと、実が熱をもって、柔らかい状態になってしまう。肌寒い空気の中収穫をしながら、ぼくは、庭にやってくる鳥たちのように、桜の実ではなくサクランボをついばむ。食べるというより、ついばむ、に近い気がする。こそこそと素早く。口をとがらせて。

・「えー、何に金つかってるの?」と聞かれて「酒と本」とこたえた。あまりにもすぐに出てきたので、自分でもびっくりしたけど、おそらく実際に計算してもそんなところだとおもう。

2013.6.28 366 『看護婦は「大変ですね」といった』

06 28, 2013 | 日記2013

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・名前を呼ばれ、おかあさんに抱えられてこどもが入ってくる。耳鼻咽喉科の診察はこどもにはつらいものがあって、大抵泣く。そのこどもも、耳か、鼻かをぐりぐりとやられて泣いた。おかあさんに抱えられながら「パパ〜」と泣き叫んでいる。

・「二、三日前からたんのきれが悪くなって」といったのは、おそらく六十くらいの男で、「じゃ、抗生剤と、いつもの咳止めを出しておきますから」と医者はいって、一分もたたないうちに診察は終わった。

・「こないだ小児科に連れていったんですけど、どう説明してもこの症状には抗生剤は必要ないといわれて、それで、信用できなかったので、こちらにきました」と女の子を連れた母親は、医者に話して、数分間やりとりをし、抗生剤を処方してもらった。その母親が診察室を出たあと、医者は「医者も患者に合わせなくちゃいけない時代だね」と看護婦にいった。看護婦は「大変ですね」といった。

・左腕に点滴の針を刺して、右手を目のうえに乗せて眠ろうとするぼくは、いろんな音が聞こえてきて眠れない。というか、初めは眠ろうとしたけれど、聞こえてくる音の方に気がいってしまったので、眠らなかった。

2013.6.27 365 『その変化に突き放されてしまわないように、「対応」すること』

06 27, 2013 | 日記2013

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・診察待ちの椅子に座って、本を読む。腰の曲がったばあさんが、診察を終え、ゆっくりゆっくり歩き、ぼくの前の席に座る。隣に座る三十四才の男は「二十世紀少年」を本棚から取って読み始めた。外はいつのまにか雨が降っている。

・最高温度が三十度を越すようなこの季節も、朝四時の空気はまだひんやりしていて、この気温の差がなければ、果実は色づいてくれない。いくら、品種改良されていて、人間の手なしにはうまく育たないとはいえ、だからといって、実の成り方(多い、少ない)や、果実の色づきの良さ、ということを全てコントロールできるわけではない。天候の変化を敏感に感じ取りながら、その変化に突き放されてしまわないように、「対応」すること、しかできない。

・「自然」をわかる。把握。などと、人間がいくらいったところで、いつもそれを越えてくる。

・人生で一番髪が長い。明日になれば、明日が一番長い。別に何の計画もない。

2013.6.26 360 『わたしも、名前だけはわたしだ』

06 26, 2013 | 日記2013

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・昨日収穫してヘタとりしていた梅。を梅酒に。ブランデー。泡盛。砂糖は友人に教えてもらった、甜菜糖を。使用。

・夜に溶ける煙。形を留めず。名前だけは煙だ。わたしも、名前だけはわたしだ。

・「考える」のではなく、それ(作品)に「考えを強いられる」もの。そういう強度をもつ作品との出会い。

2013.6.25 359 『大きな白い月。四時の光景』

06 25, 2013 | 日記2013

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・最近よく夢をみる。目覚ましをとめて、二度寝にはいるときにでなくて、夜中の眠りの最中によく夢をみる。それだけ眠りが浅いということなのか。

・布団に男と女が寝ている。わたしはこの男でも女でもない。横に赤ん坊が寝ている。わたしはその子を「——ちゃん」と呼んで、抱きしめる。こどもは小さな男の子のようだ(少し大きくなって、もう赤ん坊ではない)。ぼくが呼びかけると、笑って応えてくれる。ぼくはその子を抱きしめながら、ほおずりをして、泣いている。目が覚める。

・太陽の光の生まれるころ。その反対の空に月があった。大きな白い月。四時の光景。

・朝早くのラジオ、ここ二日ほどはNHKを聞いて、昨日は美輪明宏のインタビューというか、公開対談というか。その中の「文化と戦争」に関してのところがおもしろかった。内容、といわれても、書けない。今日は盲目の、、、なんという人で、なにをしている人かわからないけど、盲目の人の卓球というのは、ピンポン球にガラガラと音のなるものが入っていて、玉はネットの上でなく、下をくぐすらしい。盲目の人の卓球は二次元ということで、だから、、、何を感じたのか忘れたけど、、、。

2013.6.24 358 『それらに包まれて、眠る』

06 24, 2013 | 日記2013

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・まだ八時を少しまわる。三分の一。そんな時間にして、眠い。重力がおかしなことになっている。ように、身体は重たい。にも関わらず、指は軽快に動いてしまう。指は、ぼくを置いていってしまう。ぼくは狂った重力につぶされて、けれど、指だけは何かを書こうと、誰か別の人間の意識を借りるように、動いている。

・昨日は月の大きい夜だったらしい。誰かにいちいち「何とか」と名づけられないと、人は月を見ないようになったのだろうか。もの珍しさ。ばかり。

・ツバメがよく飛んでいる公園は、ゲートボール用にラインが引いてあるけれど、その場所で、誰かがゲートボールをしているのを、いまだに一度も見たことはなく、それは、サクランボや、リンゴや、ブドウがある、いわゆる果樹農地にある公園で、ぼくはだいたいその公園で昼食をとって、昼寝をしたり、それが朝だとしたら、ギターを弾いたり、「ポロポロ」を読んだりする。八重桜の木は小さいけれど、隣のイチョウの木は大きくて、昼にもなると、イチョウの木が影をつくってくれて、そこに車を停める。公園の隣には川が流れていて、風も吹く、ので、涼しくて、それらに包まれて、眠る。

2013.6.23 357 『それはジャンプというより、風に飛ばされたように』

06 24, 2013 | 日記2013

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・前日になにを書いたのかまったく覚えていない日が数日続いている。眠りのほんのすこし手前。で書いているのか。

・一メートルほどに成長したゴーヤにようやく雌花らしいものが見える。花(が咲くだろう場所)へいたる茎は、雄花のひょろひょろさとは違って、ゴーヤです、という主張を感じる。

・生まれたばかりの小さな緑色のバッタがプランターの隅にとまって、それから、ジャンプした。それはジャンプというより、風に飛ばされたようにも見えたけれど、バッタはジャンプして、芝生の上に降りた。

・カマキリも生まれたばかりで、ナスの葉の上でじっと鎌を閉じて、何かをまっているようだけど、何をまっているのかぼくにはわからない。カマキリではないから。カマキリがああしている時は、何かをまっているのか、そういうものではなく、ただああしていることがカマキリなのか。

2013.6.22 356 『小さな声でうたわれる、うた』

06 22, 2013 | 日記2013

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・二十年以上もほったらかしにしていた、一応、砂場としてつくられた場所を、野菜作りの場所に変えることができないものか、と、掘り起こしてみたけれど、結局、砂はほんの十センチ程度しかしかれていなくて、そのしたからは大きな石がゴロゴロとあらわれて、だから、耕すことはあきらめて、木枠をつくって、盛り土にすることにした。なんといったか、それを、、、。調べてみる、と「レイズドベッド」。だいたいの材料をこないだいった大きなホームセンターで調達。いれる土を別のホームセンターでかって、庭で材料をのこぎりできって、これは、ビールを飲みながら。だ。それから、ビス止めをして、防腐剤を塗る。今日の作業はここまで。キュウリを三本収穫した。

・ゴーヤの花がしおれて、茎が折れてしまって、けれど、それは、雄花だったらしく、それを知って、安心しながらも、どこかに雌花が、そのつぼみがないものか、探すけれど、全くみあたらない。雄花のつぼみは数をふやしてきた。まだ、雌花の咲くような状態ではないのだろう。

・テレビの中で、ミュージカルのうたは「感情が高まって、話す、叫ぶ、を超して起こる、のがうた」ということらしい。ぼくのすきなうた、というのは、叫ぶ以前の、話す以前の、感情の高ぶる以前の、小さな小さな、うた。小さな声でうたわれる、うただ。

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・目と書くことのリンク。をもっと。書こう。見えているものの描写。を。

2013.6.21 355 『いる、いらない、もそうだし、好き、嫌い、もそうだし、それが以前よりもずっと、あざやかに出る』

06 21, 2013 | 日記2013

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・大きなホームセンターのわくわくさは凄い。田舎の大きさだから、これがもっと大きかったら、もっと凄いのだろう。帰れなくなる。早く終わった仕事帰りに寄って、それで、疲れた。テーブルの脚。折りたたみの、ちょうど良い長さのがあったので、買って、適当な板につける。これは、車に常備するやつ。

 売り場で、それを見つけて、わくわくして、それで、売り場の床に直に座って、あぐらをかいて、高さを確かめながら「いいなあ」とかおもって、多分売り場の人には「変な人」とおもわれたのだろうけれど、そんなのはどうでもよくて、そういうことを本当に「どうでもいい」と気にしなくなってきている自分に「いいぞ」とおもったりもするけれど、別にそんなことはどうでもいい。

 ちょうどいい高さとか、ちょうどいいサイズ、とかそんなことに凄くこだわるようになった。これはここ最近のことで、なぜそういう風になったのかは、よくわからない。

 こだわる。ようになる。というのは多分、少し年を重ねないと出来ないことかもしれない。だって、そんなこと、テーブルの高さだの、Tシャツのサイズだの、よくよくわかってなくとも選んでいたのだもの。こだわるのが、いいとか、わるいとか、わからないけど、こだわるというのは、今のぼくにとっては大事なことで、いる、いらない、もそうだし、好き、嫌い、もそうだし、それが以前よりもずっと、あざやかに出る。

 「こんな歌のどこがいんだよ、馬鹿野郎」とかある。よ、そりゃ。聴けば、聴くほど、でる。読めば、読むほど、出る。それでいい、としかいまはいえないし、そういう傾向はこれからもっと濃くでる。はずだ。「選ぶ」のだから。「選ばなくてはいけない」という、そういう時代(?)なのだし。いろいろなものを。


・一応箇条書き風に書こうとしているから、こうして、二つ目の「・」を打ってみるものの、書きたいことも、書きながら生まれてくるものも何もない。などと、こうして書いてみる。というか、ほんとうにそうだから、どうしようもない。

・毎日、二つでは寂しいし。三つくらい「・」があったほうがいいかな? などと、考えているけれど、そんなこと別にどうでもいいのだ。これは、「ぼく」の日記であって、「読む人」のための日記じゃない。と、そもそも、こうして書くことが、「読む人」を意識したりしている、ということが、馬鹿馬鹿しくて、だから、これを振りほどいて、どこか別の場所を探す、というのは、いつまでもつきまとう課題なのだろう、とおもう。それは、書くことだけでなく、うたうこと、だってそう。

2013.6.20 354 『朝焼けをうけて光る朝露』

06 21, 2013 | 日記2013

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・朝焼けをうけて光る朝露。を、纏った草むら。を、かきわけてゆっくり歩いていく白猫。

・足をのぼってくるアリを払って、囮に米粒をすこし離れた場所におく。作戦は成功した。とおもっていると、また一匹のぼってくるのでまた払う。そういう昼ご飯。

・キュウリがネットの上まで到達した。摘心して横に広げる。ゴーヤの花はしおれて、他に花はまだみえない。

2013.6.19 353 『降り続く雨のせいか。そうでない。か。しらん』

06 19, 2013 | 日記2013

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・ゴーヤの最初の花が咲いた。最初といっても、本当に最初の花になるはずだったものは、誤って折ってしまったので、二番花なのだけど。頼りないひょろひょろとした茎の先に黄色の花が咲いている。キュウリは本当にどんどん成長して、苗を定植してからまだ三週間ほどだけれど、ぼくより大きい。とおもう。たぶん。いまは夜で部屋にいるので確認できないけど。もう少ししたら、摘心する。ちいさなキュウリがたくさんある。どうやら、失敗はしていないらしい。

・枝豆の苗。は、雨降りのなか、ちゃんと立っていて、葉っぱはしおれているところもあるけれど、大丈夫そう。ということにしている。おもっている。おもうことしかできない。

・サクランボは。種類によって、収穫の時期は微妙にずれる。主力品種の「佐藤錦」はたぶん、今週末くらいから収穫が始まる。だろう。今はまだ、黄色と赤。これから、ぐっと赤く色づく。だろう。日に日に変わる、色。

・眠い。頭も働かない。降り続く雨のせいか。そうでない。か。しらん。

2013.6.18 352 『ひとりでやってる。よ』

06 18, 2013 | 日記2013

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・枝豆の苗をもらっていたので、植えた。もらってすぐ植えればよかったのだけど、ポットの苗ではなくて、根しかない状態で、だから少し弱っていて、ちゃんと根付いてくれるかどうか、わからない。ゴーヤの花はまだ咲かないけど、咲きつつはある。花びらの白い色が緑の先にすこしみえるから。

・今日の朝収穫したキュウリを辛子漬けにして夜に食べる。大きいやつは、薄く切って、小さいのはそのまま。まるごと。かじる。うまい。

・どうしても、わからないことがある。誰かが「あいつはあつい奴だ」とかいうときの「あつい」という感覚。大抵そういわれる人をみると、具合がわるくなる。どこかのNPO団体とか、朝礼のうるさい居酒屋の奴らとか、他いろいろ。

 なんでああいう人たちは「集まりたがる」のか。気持ちが悪い。居酒屋の叫ぶ朝礼というか、なんというのか知らないけれど、あれほど気持ち悪い光景はない。たまにテレビでやっていたりすると、本当に気持ちが悪くなる。ま、そこにいる人たちは、あれがいいとおもってやっているんだろうけど、、、。「あつい」という感覚はまだわかるとして。なぜ、群がるのか、はわからない。ひとりでやれよ、とおもう。ほんとうにすごい人は、ひとりでやってる。よ。


・こんなことをかくのもくだらない。寝よ。

2013.6.17 その2 351 『、、、、、、、、、、、、、』

06 17, 2013 | 日記2013

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なにをしている? どこにむかっている? そっち、ではない、ちがう。そこにいけ。そこにいけ、そこにいけ、そこにいけ。どこに? そこだ、わかっているのだろう? そこだ、おまえのすすむばしょ。そのなかへ、すすんでそのなかへ、つまずけ、ふめ、あしを、ばたばたと、ふめ、とどかない、あしおと、ああ、ちがう、そうでなく、ただ、はいる、もんを、くぐる、すてる、すてて、はいる、いや、それもちがう、まずはいる、もんばんはことばをもたない、ただみているだけ、そのもんは、だれの? わたしの、ただわたしの。ふるえるあしですすめ、そのもんをこえて、ゆけ、ふるえるあしで、すすむ、わたしのかおは、それでもわらっている。

2013.6.17 350 『細長いそれはあった』

06 17, 2013 | 日記2013

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・田中小実昌『ポロポロ』収録、「魚撃ち」の冒頭の。

【軍曹殿は下駄をぬぐと、岩の上に腹ばいになり、銃をかまえた。その大きな岩は、くの字にまがった川のながれのなかにつきでていた。ふたつならんだ下駄のむこうに、軍曹殿の足の裏がある。しろくて、肉の厚い足の裏だが、皮はかたくない。】

・ここだけでとてもおもしろい。

・昨日、ゴーヤにようやく花が咲いて、咲いて、というより、咲きそうで、触ったら、ポリっとおれてしまって、落ち込んだ。ゴーヤの花は花に至るまでの茎(?)がとても細い。細くて、長い。今日の夕方に、他に花芽がないか確認したけれど、花弁は確認できなかったけど、細長いそれはあった。明日あたり咲くのかもしれない。

2013.6.16 349 『そもそもの「歓び」に至れない』

06 16, 2013 | 日記2013

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・サッカー。日本、ブラジル戦をみて、日本のサッカーって、「仕事」だな、とおもった。

・どのジャンルでもそうなのかもしれない、日本。は。「金」と、「客」から解放されずに、そもそもの「歓び」に至れない。

・それってものすごく重要なこと、とおもう。本当に。

・いちいち「日本」とかそんなのどうでもいい。「代表」とかも別にいい。そのフィールドに立っている人間がそれぞれ歓びを感じながらプレーしているのを見ることが出来たならそれでいい。それが見れない。見えない。

2013.6.15 348 『本、か、となる。あとは、酒か、となる』

06 15, 2013 | 日記2013

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・『ポロポロ』収録の「岩塩の袋」を読む。畑に仕事開始の一時間前に到着して。それで読んだ。三十分ほどで読み終わって、ギターを弾く。それから、サクランボの葉っぱとりをする。

・葉っぱとりをしながら、いろんなことを考えていたようにもおもうけど、それこそ摘んだ葉っぱが地面にはらはら落ちて他の葉っぱと見分けがつかなくなるように、それらの考えともいえないようなものたちは、いつのまにかどこかにいってしまって、見分けがつかないし、ひとつひとつに題名のつくようなしろものでもない。ただ、浮かんで、はらりと消える。余韻はあるのかもしれない。葉が積もって土を隠す。

・携帯の機種変更をしたときにもらった商品券が届いて、なにを買おうか、と考えてみても、考えるというか、ぱっと思い浮かぶのは、という程度のものだけど、本、か、となる。あとは、酒か、となる。他になにかあっただろうか。まあ、CD。くらいはおもいつくものの、あとはどうだろう。この貧相な物欲に自分ですこし呆れる気もするけれど、ぱっと思いつくのがそれくらいしか、本当にないのだから、それはどうしようもない。とおもう。

・それとは別に、本棚が欲しい。おおきな、壁面収納のような本棚。いつだったかつくった本棚は、もういっぱいで、前後に二列並べているので、奥にならんでいるタイトルが見づらい。それに、もういっぱいになって、あふれていて、机の上にも置かなくちゃならない、から、ごちゃごちゃしている。だから、おおきな本棚がほしい。別に、つくってもいいのだけれど。

2013.6.14 347 『ボトルごと冷凍庫へ。そして氷。もちろんソーダは冷やして』

06 14, 2013 | 日記2013

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・田中小実昌『ポロポロ』の「北川はぼくに」を読む。自分の感じているこういう「おもしろさ」を誰かにコトバとして伝えること、は難しい。というか、別にそんな必要がそもそもあるのか、どうか。でもそれは「ぼくはこんなものをおもしろいとおもいます」ということ(結局、いいたいのは自分のこと)をいいたいのではなく、その対象の作品のおもしろさを、ただ伝えたいのだ、けど、どうもそれはうまくいかない。

・食事の最中は「ホワイトホース」のソーダ割りを。ここのところずっと、もう数ヶ月飲んでいる。といっても、二、三ヶ月か? どうだろう。わからない。二ヶ月くらいにはなるか。

 ストレートやロックで飲んでも旨いとはおもえず、もう次は買わないや、とおもって、なんとなくソーダ割りにしたら旨くて、それ以来、食事中の酒はそれになっている。たまに、ストレートで試すと、やっぱり旨くはかんじない。なんだかわからないけど、相性というものはあるらしい。ボトルごと冷凍庫へ。そして氷。もちろんソーダは冷やして。


・蚊に刺されるのが嫌だったので、去年買った、赤色のパッケージの蚊取り線香を取り出して、これは、普通の蚊取り線香より強力らしくて、蠅にもいける、というもので、それの両端に火をつけて、それで、その線香の煙に包まれながら、キュウリの子づるの摘心をしたり、ゴーヤの葉がこみあっていたので、葉をとったり、水をやったりして、これはビールを飲みながらやった。

 今年はもう蚊に十カ所以上刺されたけれど、今日は強力な赤色の線香のおかげで、一カ所も刺されなかったから、気分がいい。二株目のキュウリの一番果と、二番果、それと、一株目の三番果が大きくなっていたので収穫した。

2013.6.13 346 『ポロポロ』

06 13, 2013 | 日記2013

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・Amazonに注文していた本が二冊。昨日届いて読んでいる。田中小実昌「ポロポロ」。おもろ。裏表紙に書いてある「物語化を拒否する」というコトバ。すごい。読むのが遅かった。

・けど、遅いも早いもあるのか。反応できた時に会う。合う。過去の自分では反応できていないかもしれないこと、もの、コトバ、表現、人。いろいろある。そら、いろいろある。

・野菜作りだって、そう。このタイミングでなければ、やっていない。だろうし。

・子供が野良犬、猫をひろってきて、「絶対に面倒みるから」と親にいって飼うことを許されて、結局親が面倒見ることになる。というのが最近ようやくわかってきた。といったところで、飼い犬の散歩もたまにしかしなかった自分の言い訳になるのかもしれないけど、今のぼくにもし子供がいて、その子が、拾ってきた生き物の面倒をみることを放ること、も、なんとなくわかるような気がするし、一方、ぼくがその分面倒をみるだろう、ということも想像できるような気がする。ということ。なんでか、はよくわからない。けど。

2013.6.12 345 『同時にそこに在る』

06 12, 2013 | 日記2013

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・わたしは指揮者です。わたしは、わたしの指揮で演奏する演奏家でもあります。そして、わたしは、タクトの動きに依りながら演奏を続ける演奏家としてのわたしを聴いている観客でもあるのです。それは同時的に在って、どれが本当というわけでなく、どれも、全て、本当のわたしです。同時にそこに在るのです。

・牛乳。の栓を久々に開けた。飲むためでなく。野菜についたアブラムシを退治するために。霧吹きを買ってきて、牛乳を詰める。噴射。その間にも蚊に刺される。ひどく痒い。

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・目が覚める。机の上に顔をうずめて寝ていた。ようだ。眠い。眠ろう。

2013.6.11 344 『世の中のことは、たいてい便宜的なことだけど、小説は便宜的なものではない』

06 11, 2013 | 日記2013

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・過去の付箋。『田中小実昌 エッセイコレクション5 コトバ(ちくま文庫)』より。

【小説でも雑文でも、ぼくは題名をつけないで、編集者にわたす。ニホンの作家の九割以上は、題名ができてから、小説を書きだすという。そういった作家たちは、題名はたいへんにだいじなことだろう。だいたい、なにを書くかきまってないで、小説を書きだす作家はいないようだ。つまり、ほとんどの作家はテーマをもって書いている。

 (略)でも、題名がないと、他の作品と区別がつかないで混乱する、と編集者たちは言う。だけど、そんな便宜的なことで、題名をつけられてはたまらない。世の中のことは、たいてい便宜的なことだけど、小説は便宜的なものではない。どうして、小説に題名がなければいけないのか、ぼくはごく素朴な疑問をずっともっていた。しかし、だれもそれにこたえてくれない。

 絵も題名があるのが、もとはふつうだった。しかし、いまは題名がない絵はいくらでもある。ほかと区別するためだったら、無意味な記号をつければいい。題名が意味をもつのが、ぼくはきらいなのだ。たいていぼくは意味のない小説を書いている。そんな小説に意味ありげな題名がつくなんて、くりかえすが、たいへんにじゃまになる。

 題名だけを見ないで、書いたもののはじめからしまいまで、とにかく目をとおしてほしい。そしたら、ああ、これは題名なんかいらないものだな、とわかるだろう。絵は絵であって、その絵がなにを意味しているのか、なんてことは、だれもおもわない。そんな絵にへたな題名をつけると、じゃまになるのだ。小説も題名がないのがふつう、というときがかならずやってくる。だって、ぼくみたいな小説書きは、ニホン以外にはたくさんいるはずだ】 「題名はない」 p47,48より。


【ぼくはニホンで生まれ、ニホンで育った。だから、ニホンのことはわからない、と言えば、けげんにおもう方があるかもしれないが、じつはそんなものなのだ。ニホンについて、はっきり定義したり、すらすらこたえられる人は、ニホンを客観化し対象として、自分の外に見ている、つまり外人だろう】 「わからなくなるたのしみ」 p52より。


・キュウリの一番果を収穫した。ついで、といって、二番果も。少し小さいうちに収穫するということらしい。ゴーヤはまだ花が咲かない。

2013.6.10 343 『抗う術としての即興。「考え」以前の指の動き。頭で考える、でなく、指の思考』

06 10, 2013 | 日記2013

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・真っ白。自由帳。自由といえど、ほんとうに何にも囚われずに書けるものか。真っ白。が広がっているのだから、本来ならば何を書いてもいいはずなのに。知らず知らず、自分自身にかかる規制。かける規制。

・岡本太郎が「ぼくの絵を、デタラメというが、それじゃあ、本当にデタラメな絵を描いてごらんよ。」という時の「本当のデタラメ」の難しさ。

・自由に、デタラメにやっているつもりで、何かに規制されて、いる。だから、自由はその先にしかない。本当のものは。がんじがらめになって、規制をかけられ、そういう枷があること、それに縛られていること、を実感しながら、喘ぎながら、それでも、それを解こうとするたたかい。

・なんでこんなことを書いたのか、書いてしまったあとになっては、わかるはずもない。ただ、眠気が襲ってきていて、それに対抗するように、指を動かしている、ということ。

・抗う術としての即興。「考え」以前の指の動き。頭で考える、でなく、指の思考。これすらもどこか規制されている。踊れ。

2013.6.9 342 『とはいっても葉だってキュウリだ。実の部分だけが「キュウリ」ではない。』

06 10, 2013 | 日記2013

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・本も読まず、音楽も聴かず、身体を酷使する。日々。こうしているうちに別の流れに(気づかないうちに)引きずり込まれて(気づかないまま)遠くまで運ばれていく。のだろうか。

・キュウリは、キュウリと呼べる形になってきた。とはいっても葉だってキュウリだ。実の部分だけが「キュウリ」ではない。

・一番長く日光が当たる場所に植えてあるキュウリの株の成長がやはりはやい。ゴーヤは節なりのものではなかったようで(買った店にはその表記がされてなかった)、親づるを伸ばし続けるより、子づる、孫づるを伸ばさなければ実がならないということで、親づるは本当は本葉が五枚くらいのところで摘心するらしいのだけど、もう既に十枚以上になっていたから、適当な長さで摘心した。ナスはツル性のものに比べたら成長はおそいものの、ゆっくりと確実に花の数を増やしてくれている。

 ゆっくり眺めたいのだけれど、どうやら蚊が本格的に活動を開始したようで、それは縞蚊なのだけど、困る。野菜を観察しながら、蚊の動きにも注意をはらう。刺してみろこの野郎、と思いながらも、どうしても野菜に集中してしまって、その隙にやられてしまう。腫れる。

2013.6.8 341 『そして「自分」からの逸脱』

06 08, 2013 | 日記2013

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・トム・ウェイツのトム・ウェイツ性。作品の変遷。作品の善し悪し、など他人の評価をはねのける姿勢。視線。そして「自分」からの逸脱。

・言語化されたものに関してはわからない。けれど、必ずしも言葉を必要としない表現に触れるときには、ぼくは身体のほうを信じる。受けるものとして。それが歓んでいるかどうか。

・後付けの言葉(説明)によって、「おもしろさ」がわかるものなんて、どうでもいい。そういうものに人は振り回されすぎる。

・網戸を通して入るひんやりした風。音としてやってくるのは、近所の犬の鳴き声と、田んぼのカエルの鳴き声と、車が通りを走る音。目。からはランタンの灯り。と白い画面に足されていく文字。

2013.6.7 340 『山猿たちの咆哮』

06 07, 2013 | 日記2013

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・日々触れていなければ離れる。「何か」はそれに触れている時間、その中にしかない。それについて考え、思いを巡らすことは出来る。けど、それだけでは「何か」に触れることは出来ない。

・人間の目は一部の視界が欠けても脳の働きで虚像をつくり、実際には欠けていて見えないはずのものも、周りの景色に同化させて見えているように見せる(認識させる)らしい。視界が欠けていることに気づかない。それは失明するまで続く。

・何かが欠けている。それが見えない。見ないように補正する。「欠けている」ことを認識させない。気づかなければ。続く。死ぬまで。

・山猿たちの咆哮。雄叫びが、起こる。景色を一変させるような響き。それに対して人間は、せいぜい鉄砲を撃ち鳴らすぐらいしか出来ない。あの空気を切り裂くような雄叫びをあげること。は出来ない。

2013.6.6 339 『小松菜のおひたしも食べている。トマトはもうない』

06 06, 2013 | 日記2013

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・日陰を求めて八重桜の木の影で昼食をとり、眠ろう、と思う。横になって目をつむる。ちょうどカラスが八重桜の隣のイチョウの木に停まって、三十秒に一度くらい、鳴く。眠い。カラスが鳴く。のが聴こえる。カラスが鳴く。のが、、、

・ハンドル。だけを両手にもっているが、車はない。夜だ。塀の高い家が建ち並ぶ通りを左にハンドルをきって曲がる。途端にぼくの身体は舞い上がって、右奥のマンションの五階にある一室に吸い込まれるように、飛ぶ。「ああ」といいながら、ハンドルを握りしめて飛ぶぼくの身体をマンションの五階のベランダでスナイパーが銃をかまえて狙っていて、見事に撃ち抜く。スヌーズ機能のベルが鳴る。

・リンチの「ストレイト・ストーリー」で鹿をひき殺した女を思い出している。ぼくは今、ところてんを食べながら、ビールをゆっくりと飲んでいる。小松菜のおひたしも食べている。トマトはもうない。

・仕事帰りに野菜に水やりをしながらビールを飲む。痒い。加田。いや、蚊だ。そういえば、昨日も刺された。今日も随分と刺された。悔しいので、野菜より、自分の露出した肌を見つめて、一匹叩き殺した。チクッとしたので、肘を見るとまた別のがいるので、叩いた。つぶれた蚊は赤くなかった。血を吸った蚊を叩くと赤い。車の天井は蚊を叩いた跡が残っていて、五カ所くらいある。何年も前のことだから、今はもう赤くはない。それは海辺で、買ったばかりの車で車中泊した時。だった。

2013.6.5 338 『そこに残ったまだ「白い」部分。「結果的に」そうなった、という形』

06 06, 2013 | 日記2013

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・「自分」を壊しにかかってくるような、それまで安定していたと感じる大地にひびをいれ、崩壊させてしまうような表現に触れることを、どこかで望んでいて、それをおもしろいと思う。一方で、「いい言葉」と感じるものにしか反応しない人は、「自分」を壊されるような「予感」があるものには触れない。「いい言葉」程度で大地は揺らがない。

・「これだ」より「これではない」の集まり。「形」が「ある」のでなく、紙を黒く塗りつぶしていって、そこに残ったまだ「白い」部分。「結果的に」そうなった、という形。

・手紙が届く。宛名はない。わたしは小さな声でうたう。遠くへ。このうたにも宛などない。あるのはただうただけ。

2013.6.4 337 『自分のなかにいろいろな人がいる。ただし多数決に従おうとはしませんよ、議長としてね』

06 05, 2013 | 日記2013

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・仕事帰りに車の中で、歌をくちずさむ。鳥肌が立つ。たまにある。それで、なんなのだろう、と思う。単純に「心」とか「身体」とかいってみるとしたら、それは身体の方が受け取っている。

・人間以前、言語以前の頃の名残なのだろうか。

・過去の付箋。

【もともと僕はものを書いている時に、自分ひとりで書いているという感じがもてないんですよ。自分のなかにいろいろな人がいる。ただし多数決に従おうとはしませんよ、議長としてね(笑)。(古井由吉)】 佐々木中「この熾烈なる無力を」—対談 古井由吉×佐々木中 p218より。

2013.6.3 336 『虎猫が道路を横切って、庭先へと』

06 03, 2013 | 日記2013

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・虎猫が道路を横切って、庭先へと歩いていく、その口に何かを加えて、こちらに顔を向けると、それはネズミで、凄い。

・車を運転していて、横切る猫を見て、スピードを緩める。誰かの家に入っていく猫は茶虎で、何かを咥えながらぼくの方を見た。口に挟まれてだらりとしているそれは、よく見るとネズミで、「うお、ネズミだ」といいながら、ギアを二速にいれて、車を発進させる。サクランボの畑に水をまくために。

・わたしは獲物をくわえて、いつもの寝床に向かっている。何かが近づいてきて、止まる。わたしはそれを見る。「うお、ネズミだ」いう音が、響く。その音が何を意味するのか、「わたし」にはわからない。わたしは、口に加えた獲物の感触を牙を通して感じながら、ただ、寝床へと向かっている。

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・キュウリとゴーヤ。のためにネットを買ってきて張る。うまくからんでくれるだろうか。今日も、夕方だけど、デデポポが鳴いた。ぼくにとってこれほど、「音」と、「誰か」が結びついている記憶はなくて、本当にデデポポが鳴くたびに、ぼくはじいちゃんを思い出す。

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松沢春伸の日記

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