2013.4.30 301 『要は「筋」に頼らずに、「強度」によって進ませるということ』

04 30, 2013 | 日記2013

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・最近よく思う。曲は何で終わる必要があるのだろうか? 終わる必要はないのではないか? ぼくはよくライブに来た人から「終わりそうで終わらないよね」といわれる。そこでは「そうだね」と笑って答えるけれど、「終わる必要はないんじゃないか」と思う。大真面目に思う。

 ぼくの場合、ライブは曲を発表するのでなく、その日の演奏の中でその曲のまだ知らない部分を見つけたりすることが歓びで、だから、毎度うたいながら曲が変わってしまったりする。それで、その曲を歌いながら演奏しながら、考えながら、迷いながら進んでみる。そうすると、ふと何かがやってきて、ほんの一瞬、うたや、ギターを掠めるように消える。ぼくはそれを捉えて、現す。うたや、ギターで。

 その瞬間がやってくるには、ある程度の時間がかかることもあるし、かからないこともあるし、どれだけ時間を費やしても何一つやって来ないこともある。そうはいっても、ただダラダラと演奏をつづけているだけ(ただやってくるのを待っている、という受け身の状態)では、その何かは絶対にやって来ない。こちらから、しかけながら、迷いながらも、破綻することを怖がらずに、進めた時にだけそれはやって来る。

 曲の終わりをあらかじめ設定してしまっていると、こういうことが出来なくなってしまう。ぼくは。だから、終わらなくてもいい。緊張感のある演奏ならば。その緊張感を弛緩させずに続けていけるのならば、そのほうがずっとおもしろいと思う。要は「筋」に頼らずに、「強度」によって進ませるということ。


・いつまでも終わらない曲を聴いて客は飽きないのか? という考えもあるけれど、ぼくがもしそういう演奏(どこに行き着くのだろう? とドキドキしながら聴けるような演奏)を聴きにくる客の立場だとしたら、ぼくはおもしろくて仕方ないと思う。演奏する側の人間も客もどこに行き着くか分からないというのを共有しながら、進んでいく演奏。切り開く音楽。自分自身に出来るかどうか、わからないが、そういうことが一つの指針ではある。

2013.4.29 300 『出来る限り本は本屋で買いたい』

04 29, 2013 | 日記2013

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・アナウンスで目を覚ました。仙台へもどってしまう直前だった。人はそれほど深く眠るものらしい。

・ライブ前に駅前の本屋によって、探していた本を買った。山形の本屋の規模では置いていない本だけど、仙台駅前だとやっぱり置いてある。大きな本屋で本を探す時間はなかなかいいもの。出来る限り本は本屋で買いたい。

・ニーナシモンのレコードをAmazonで注文していて届いていた。家のプレーヤーが壊れているので、今度Tarjiに行く時にもっていってかけてもらおう。

2013.4.28 299 『それを頼りにまた歩く。遠くへ』

04 28, 2013 | 日記2013

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・庭の桜の花に蜂がやってきた。風に揺れる枝。すこしづつ散り、舞う花びら。

・遊ぶ。こと。遊びながら賭けること。知らない場所へ運ばれる。子供は歩いていく。

・素振りの最中に瞬間的に訪れる「何か」。それを頼りにまた歩く。遠くへ。

2013.4.27 その2 298 『うたうたいは、うたうしかないからうたうのだ』

04 28, 2013 | 日記2013

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・言葉にならない。言葉になった瞬間に嘘くさくなる。上手に言葉にすればするほど、その曲にあった「何か」は殺されていく。ぼくは喋れない。全然喋れない。唄うたいはうたうもので、喋るためにそこにいるのではない。喋るのが上手い人を見ると「そんなのいいからうたえよ」と思う。

・「説明」でうたの全てが、成り立ちが「わかる」のであれば、うたう必要がない。うたうたいは、うたうしかないからうたうのだ。

・ボブマーリーはうたうことを選んだ。喋ることじゃなしに。

・ディランはうたったんだ。

・ニーナシモンはうたったんだ。

・誰かは絵を描き。誰かはうたをうたい。誰かは踊り。誰かは言葉を紡ぎ。

・うたうことが、他の言葉で説明がつくなら、うたなどいらない。そうではないから、それを知っているから、誰かはうたい、誰かはそのうたを聴きに足を運ぶ。

・うたえばいい。客を喜ばせるための言葉より、うたうべきだ。そのために、うたうために、ぼくらはその舞台に立つんでしょう? 

・怖さから逃げるために人は喋る。うたうことから逃げて、喋る。

・自分へ向けて、、、。

2013.4.27 297 『それは「日々」の中の一つの「日」であって、点のようなもの』

04 27, 2013 | 日記2013

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・仕事帰り、河原に寄って、うたう。この場所が一番好きだ。いろんな場所を探してふらふらと。してみるけど。ここが一番好きだ。もっと好きになれる場所もたくさんあるんだろう。そこかしこに。それに出会いたい。

・思った。曲の単位は一曲だけど、一曲として歌わなければならない、なんて決まりはない。曲を分散させる。曲を最初から、最後まで演奏して一曲が終わりでなく。「切り絵」のように、貼る。

・決まり事なんてものは、「決まり事」と思われているだけのことで、だから、ただの決まり事でしかない。別にそこから「ひょい」と外れてもいいし、壊してもいい。「そこから出るな!」なんて命令された覚えなどないよ。

 けれど、命令されてもいないのに、なんだかその「罠にはまってしまう」ということがある。だから、それをその都度取り払う。ガム噛みながら、うたを口ずさみながら、そこから出ればいい。だけ。


・思った。「日々のうた」は、「ライブ」の為にうたわれるのではない。目標や、目的があって、例えば「何ヶ月か後に発表会があるから、そのために練習している」というのでは全然ない。違う。だから、ぼくの日々のうたは「ライブがあるからそのために歌う」なんて方向を持たない。全然違う。とはいっても、ライブ前には一応調整のようなことはするけれど。

 日々のうたは、日々のうた、だ。それらはどこにも行き着かない。ただ、そうするほかないから、うたうだけ。そうとしかしようがないから、うたうだけ。そういう風になってしまった。という他にいいようがない。だからライブは特別じゃなく、特殊(人前にでるというような)ではあるけれども、それは「日々」の中の一つの「日」であって、点のようなものでしかない。


・と書いておいて、本当にそう在れているか? でも、思うところは本当にそうなんだ。

2013.4.26 296 『そこまで必要としてねえよ』

04 26, 2013 | 日記2013

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・草むしりの最中にはいろんなことが、浮かんで、沈む。便利さの追求によって奪われたもの。便利さ、は本当に私たちに必要なものだったのか。一時間を一分に。草むしりを除草剤に。便利になろうが、どうだろうが、変わることのないものもある。

 ぼくは結局、一人で、書いては棄て、書いては棄て、という曲作りしかできない。本を読むにしたって、ぼくの代わりに誰かが読んでくれるわけではない。そこに「便利さ」や「時短」などといったものの入り込む余地はない。あるのは「時間をかけることを(たとえ、そこでつくられた「何か」を棄てる結果になることがわかっていても)惜しまない」あるいは「それを惜しんでいては何も始まらない」ということ、か。

 便利さのなかで、「こうすることが出来るようになった」ということがあるとしても、それは「そうでなければならない」ではもちろんなくて、「そんなの要らねえよ」という選択肢もある。パソコンで曲をつくれる時代かもしれないが、全ての人がそれを選択するわけではない。それは選べばいい。本来「使う」べきものに、「使われて」しまっていたら、もっといえば「使わなければ」などと気圧されていたら、本当にどうしようもない。選ぶ。こと。


・こんな時代だからこそ選ぶ。要らんものに要らんという。「そこまで必要としてねえよ」。と。

・やっと音楽を聴きたくなってきた。相も変わらず、ニーナ・シモン。は昨日聴いたのだ。今日はサム・クック「Night Beat」。をなんとなく。

2013.4.25 295 『春の月の軌道。夕暮れ時の満月。の高さ』

04 26, 2013 | 日記2013

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・春の月の軌道。夕暮れ時の満月。の高さ。桜越しに見える月。遠く揺れる街灯りの上の静かな月。写真におさめようとしても何も写らない。移らない。

・ギターと共に歌う。徐々に何処か遠くへ運ばれていく。開かれていた感覚は狭まり、指先と弦の擦れる場所、声の加減、へと。目は閉じられ。演奏しながら、来たるべきを音を探し、手探りで、進む。徐々に何処か遠くへ。目を開け、ギターを手放せば、「日常」に戻る。余韻。

2013.4.24 294 『あなた方は我々を「雲」とひとくくりにします。が。ね。けれども、私たちは、それぞれがそれぞれなのです』

04 24, 2013 | 日記2013

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・夕食前に高橋悠治「きっかけの音楽」最初の項を読んだ。一つも付箋を貼れなかった。というのは、書かれた文章の全部が音楽のようで、「わかる」「わからない」などということとはほど遠い場所に、その言葉(音楽)によって運ばれたみたいに、ただ読んでしまったから。付箋を貼る暇がなかった。というか、もし貼るとしたら一行一行全てに貼らざるをえないような。とはいっても「なるほど」とか「わかる」という理由から張る付箋ではなくて、いっていることの数パーセントも理解出来ていないのだけれど、それでも、何故か引寄せられてしまう。という種類の。わからないものをわからないままに読む。という感覚をひさしぶりに体験している。

・窓の下のほうに顔をやる。と、隠れていた月が在る。雲がある。雲がはやい。「雲」とひとくくりにする。「人」とひとくくりにする。似たようなものか。「人」の方が、「身体」という「境」がある分、「人」と「私」や「あなた」を分け易い? 雲側の言い分を聞けば、同じようなことをいうかもしれない。「あなた方は我々を『雲』とひとくくりにします。が。ね。けれども、私たちは、それぞれがそれぞれなのです。『雲』とくくられた瞬間に、名前も何も無くなってしまうのですけれど。も。ね。」

・昨日音楽から離れているわけではなく、、、と書いたけれど、単純に離れていたらしい。その分、昨夜は音楽を聴き過ぎてしまって、今朝起きるのに苦労した。素振りの時間。を。

・最近FC2のページの反応がおそくて腹が立つ。これはぼくだけなのか。そうでないのか。広告を消したからか。何でもかんでも金に結びつけやがって。この野郎。

2013.4.23 293 『このうたには私たちはいない』

04 23, 2013 | 日記2013

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・手袋の隙間から土が入り込んで。車のハンドルを握る手は土で汚れている、、、、、、汚れている? 土にまみれた手は「汚れて」いるのか? 書いておいて、自分で「あほ」と自分にいう。

・手を土埃だらけにしない人間に、日々、手を土埃まみれにして生きている人間のうたが歌えるだろうか? 太陽の、風の、土の、雨の、暖かさや、冷たさや、厳しさ、に、触れていない人間が、もし、何となくそういうものを言葉として書いたとする。けれど、日々それらに触れている人間は、その言葉に触れて「嘘だ」というだろう。「このうたには私たちはいない」。と。

・どうであれ。「生きることだ」と、誰かがいった。いってないだろうか? いや、たくさんの人がいっただろう。おそらくは。だって、そういうことじゃないか。それを忘れて(あるいは知らずに)「表現」もなにもない。

・最近また全然音楽を聴いていない。と、今気づいた。音楽から離れているというより、ただ「聴く」ということをしていない。それでも、土曜日にタージに呑みにいった時には、ディランと、カレン・ダルトンの音楽には身体が反応した。あと、数枚のレコードに。こういう状態がいいとか、悪いとか、そんな風には思わなくて、リズムや、流れだろう。

2013.4.22 292 『寝に入る少し手前のイメージの膨らみ』

04 22, 2013 | 日記2013

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・深呼吸する。ロウソクを見つめる。火の色を言葉で書こうと思ってみても、なにも言葉が出ない。この言葉の乏しさ。愕然とする感じ。のままではいられない。ので、練習する。の。

・がくっと頭が垂れた衝撃で目を覚ます。寝ていた。まだ、九時を過ぎたばかり。

・すらすら書いていたつもりが、それは夢だった。寝に入る少し手前のイメージの膨らみ。あれを日常的に書けたなら、おもしろいだろうに、、、。

・眠ろう。

2013.4.21 291 『ならば、こわいと感じる方に足を出す他ない』

04 21, 2013 | 日記2013

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・「スケッチ」。言葉による。そこに見えるもの。そこに聴こえるもの。の。——今までとは別の練習法。

・ペットボトルの炭酸水のふたを開けて一口。机に置かれたペットボトルの中で泡が勢いよく立ち上がる。——それから一分ほど。泡の動きは鈍くなった。微かに泡の弾ける音が聞こえる。ここでメーカーズマークを一口。散文の位置、いや、「三分の一」の打ち間違い。三分の一ほど残ったバーボンの瓶。「原産国:アメリカ合衆国 原材料:モルト、グレーン」の文字。ここで炭酸を一口。また泡が少し音を立てる。

・練習は。今、出来ることの範囲で上手く「こなす」ことではない。今の自分に見えない、聴こえない、できない、ことをするために日々を費やす。ならば、こわいと感じる方に足を出す他ない。練習に限らず。だけど。

2013.4.20 290 『「名もない日々」の中から』

04 21, 2013 | 日記2013

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・届くだろうか
 誰かの夜に
 届くだろうか  
 誰かの迷いに
 あてない日々に
 舞い踊る影の
 足音は

・名が残ることなく、知られることもなく。それでも自分たちの日々の中。進む。いずれ「過去」と呼ばれるものたち。その中の一人。として、それを忘れてはならない。

・「名を残そう」と。ある意味恐怖にかられたように、メディアに取り上げられることを望む人たち。その根にあるものは(行動を支えるものは)「知られたい」という思いより「名もなく過去になる」ことへの怖れのほうじゃないか。と、ふと思う。

・けれど。うたはどこから「はじまる」のだろうか。どこに「起こる」だろうか。「名を残す」などという場所からではなく、「名もない日々」の中から。

2013.4.19 289 『騒ぐだけならだれでも出来る』

04 19, 2013 | 日記2013

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・今日は寒い。夕方はもっと寒い。公園から出てくる男の子たちが自転車でがんがん通り過ぎる。ぼくは車の中。半袖の子もいる。「おいおい」と思う。「寒いだろう?」。いやいや、彼らはグランドでサッカーをして汗を流していたんだよ、松沢さん。あんたみたいに車の中で、ただ本を読んでいるだけじゃないんだ。動かない人は寒い。動いてりゃ暑い。そういうもんだよ、松沢さん。

・今日はいろんなことが頭をよぎったけど、ことごとく通り過ぎていった。定着することなく。もったいないか、どうでもいいか、は知らない。

・「社会」というもの対して、本当に地に足付けながら「は?」といえるようになるには時間がかかるように思う。三十という歳はいろんな意味で別れ道かもしれない。中学や高校で、大人に向けて「は?」といっていた人たちのほとんどが、彼らが「は?」と牙を剥けていた大人の一員になっている。などと、書かれて苛立つ気持ちがあるのならば、示せばいい。大人になってからのたたかいが本当だろう。騒ぐだけならだれでも出来る。

『つまり重要なのは日々のほうにある』

04 19, 2013 | Liveのお知らせ

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ライブのお知らせ。
まずは。

4/28 (日) 仙台Vorz Bar
open:19:00  start:21:00  admission:1,000yen + Drink Order 必須

Vorz Bar Hp

次は。

5/4(土) 東京Cafe Banda
19:00~
松沢春伸(弾き語り) from山形
20:00~
木村洋一(ハングドラム/カフォン) from福島
mc1000yen

Cafe Banda Blog

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日々うたわれるうたの延長。素振りの延長。壁あての延長。のうた。を置いてくる。だけ。つまり重要なのは日々のほうにある。

2013.4.18 288 『スネた』

04 19, 2013 | 日記2013

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・夕食を食べながら、録りためていた「探偵ナイトスクープ」をみて、妻と二十三年以上会話していない(妻は話しかける。けれど、夫はそれに一切応じない。子供とは普通に話す)六十歳近い男の、会話をしない、その理由が「子供が出来てから、妻が自分の相手をしてくれなくなって、スネた」という「スネた」が凄すぎて、かわいくて、ビックリして吹き出した。その後の展開にも参った。

・何日かぶりに外に出てギターを弾きながら歌う。適当に歌う中、最近つくった曲に感覚が騒ぐ。「共感を得る」のではなく「共有できる」かもしれない。「ぼくのもの(うた)」ではなく「あなたのもの(うた)」と呼べるかもしれない。そんなうた。「名もなきもののうた」。

2013.4.17 287 『レゲエがあの場所で生まれたのは、それが生まれる場所だったからだ』

04 18, 2013 | 日記2013

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・言葉にできそうなものばかりに触れていると、言葉などであらわしようのない光景の中、「自分」も「自然」も「世界」も、その「区切り」や「境界線」も全部溶けてしまうようなあの瞬間を体感したい。と望むようになってくるのか。そういう人たちの気持ちが、今、少しわかる。

・例えば登山家や冒険家の目に映っただろう光景。

・そういう特別な場所でなくとも、何が「見え」、何が「聴こえ」るか。自分の生きている環境。それを取り巻く景色や、音。そういう情報(インプット)によって、外に出されるもの(アウトプット、広い意味での表現)が違うのは当然で、レゲエがあの場所で生まれたのは、それが生まれる場所だったからだ。現代のように、世界の音楽を「それが生まれた場所」を知らずとも聴けるという環境が本当にいいといえるかどうか? などといっていてもしょうがなく、ぼくたちは既にそういう場所にいる。問題はその先だ。

・「自我」なんてものは大して強固なものではなく、「場所」から与えられるものを受容して、そのつど変化していく程度のものじゃないのか。ボブ・マーリーがいなけりゃ、レゲエが生まれることはなかったとしても、もし彼が別の場所に生まれていたら、彼だってレゲエを知らなかった。

2013.4.16 286 『ひとりずつの「日々」に戻った時の勇気に』

04 16, 2013 | 日記2013

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・夜。ひとりこうして書きつづけること。ギターを弾き歌うこと。それらは、行き着く場所や、目的を持たない。だから「最終的には何処にいきたいの?」とか「結局何がしたいの?」という質問は、それらの行為に対して意味を持たない。そういう質問は結局のところ「金」に毒されている。「ただただ」。それ以外にない。そういう日々を重ねていく。

・何処かで誰かもまた、自分なりの「素振り」の日々を重ねている。誰かが今夜も。何処かで今夜も。

・昨晩は「いい夜だ〜」と何回口にしただろう。数少ない友人のなかの友人と、ゲラゲラ笑いながら呑む酒。その場所での笑顔や、笑い声や、決して言葉にしない迷いや、、、たくさんのことが、お互いの、ひとりずつの「日々」に戻った時の勇気になる。

2013.4.15 285 『といってくれる人間が少しでもいること』

04 15, 2013 | 日記2013

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・「例えばさ、金はたくさんもらえるけど、やりたいこと、やんなんくちゃいけないことに向き合う時間が減るような状態(仕事)と、金なんてないけど、そのぶんやらなくちゃいけないことに時間を割けるような仕事、どっちがいいのだろうね?」という質問がでた時に、迷うことなく、「金がなくとも、やりたいこととか、やらなくちゃいけない、と思っていることをやったほうがいいよ」といってくれる人間が少しでもいること。

・数など少なくとも、そういう人間が周りにいること。

・昨日も書いたけど、素振りの時間が無くなるようなことをやっていたら、音楽はどんどん離れていく。

・酔うた。いい夜だった。

2013.4.14 284 『彼が「放棄する」のでなく、「それ」のほうが「遠ざかっていく」』

04 15, 2013 | 日記2013

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・今日の付箋。

【過去を振り返る時、二種類の特別な時間がある。一つは、運命の構図をさとる時だ。その日ぐらしの、その時々の問題につきあたり、先の知れない試行錯誤で切りぬけてきた年月が、その時、これ以外にはありえなかったものとして、あざやかな図式におさまってしまう。この構図の中心に位置して、すべてが見とおせたと、一瞬おもう。】「高橋悠治コレクション1970年代」p239。


・素振りの時間。を離れると、「それ」はどんどん遠くなる。日々の忙しさに連れられて「それ」はどんどん離れていく。おそらく、何かを志した人の、その何かとの距離が決定的に離れてしまうのは、素振りをしなくなるからだろう。ある日突然思い立ったように放棄するというよりは、「それ」は日々すこしづつ遠ざかっていく。彼が「放棄する」のでなく、「それ」のほうが「遠ざかっていく」。

2013.4.13 283 『その人がすごく、すごく、志の輔さんのことを一生懸命に話すから』

04 13, 2013 | 日記2013

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・地元の落語愛好会の集まりに参加して、呑んで、その集まりの中心となっている人は立川志の輔の大学の後輩で、だからその繋がりもあって、志の輔さんは来てくれるようになったらしいのだけど、その人と話をしていて、ぼくは音楽の話をして、その人は志の輔さんの大学時代の話とか、落語との向き合い方の話とかをしてくれて、その話を聞いて感動して、それと同時に、その人がすごく、すごく、志の輔さんのことを一生懸命に話すから、志の輔さんという人は、誰かがすごく、すごく(その場に本人がいなくとも)一生懸命に志の輔さんの話をしたくなる人なのだろうな、と思った。

・参加するものの、ぼくは落語のことはわからない。けど、凄いなあ、と思うのは別にジャンルなど関係ない。

・呑み終わって、家に帰り着いて、戸を閉めた時に見えた星にまた感動して見入る。酔った足で立ち止まる。

2013.4.12 282 『マンサクの花、アセビの花が咲いている。フキノトウは』

04 13, 2013 | 日記2013

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・庭の解体作業。庭石をどけ、灯籠を分解し、木を吊り、更地に。庭木は譲り受け移植した。

・きぐっつぁん(きくちさん)が「つくんのはじかんかがっけっど、こわすのな、あっっっというまだもね〜。いや〜いや」といった。本当にその通りだ。あっという間だ。

・何日もかけてつくってきた曲を初めから書き直すときも、それに似てあっという間だ。出来るだけ潔く「ポイ」と棄てなければならない。

・マンサクの花、アセビの花が咲いている。フキノトウはもう随分と大きくなった。桜の花芽も随分と膨らんできた。開花はもうすぐだろうか。

2013.4.11 281 『光の方はかれの作業をじっとみつめている』

04 11, 2013 | 日記2013

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・今日の付箋。高橋悠治「高橋悠治コレクション1970年代」より。

【——(略)苦行のおわりにふいにさしこんでくる光があるとしたら、それは作業にとりかかったときから、そこにあったのだ。モグラがほった土にうずくまるように、自分のつくったものにさえぎられて、かれがその光をみないあいだも、光の方はかれの作業をじっとみつめている】

・竹垣作りのあと、駅前駐車場の雪がこいを外す。風が冷たかったり、日が射したり、つかみどころのない天気(つかみどころのある天気などあるのか?)で、ネックウォーマーをつけたり、外したりを繰り返す。まぶたや、頬がヒリヒリするのは、紫外線のせいだろう。

・母が小さかった頃。天気予報というものがどれほど正確だったのか、をぼくは知らない。母の父は、天気予報に頼らず、毎朝、空を眺めて「今日は雨が降るから、傘をもっていけ」と、娘に伝えたらしい。その判断が当時の天気予報より遥かに当たっていて、誰一人傘を持たずに登校した学校の帰りには、雨が降ったらしい。

 これは今の時代では驚くことかもしれないが、天気予報などがない時代には、人間はもっと天気の移り変わりに敏感だったはずだ。その他の動物たちと同様とまではいかなくとも、少なくとも今よりは。

 人は空を見つめなくなった。太陽や、雲や、風の流れなどに身体を預けることを忘れ始めている。


・便利さもいいけど、それによって、感覚が鈍化することも忘れたらいかんな、と思う。

・雨の音だと思っていたが、窓を開けるとそれは風の音だった。風を聴きながら、酒を呑む。


2013.4.10 280 『この表現の非個人性がかがやきだす』

04 10, 2013 | 日記2013

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・今日の付箋。高橋悠治「高橋悠治コレクション 1970年代」より。

【みえないものをきくためには、たちどまらなければならない。人間はひとつの穴で、そこをとおして、みえないものの声が一度にふきあげる。

 きくというのは受動的な状態ではない。外に耳をむけて、すべての音をききとろうとすると、自分の位置に極端に敏感になる。外へひろがるほど、内へ集中する。それは積極的な反省行為だ。

 音のイメージは、きく行為をさまたげる。きくのをやめると、音はそれぞれの位置におさまって、まとまったかたちをつくる。イメージの認識でくぎられ、つくったイメージをこわす「きく」行為でさきへすすむ、往復運動。】p200〜201。


【ソローは、日記のなかに、いくつかのスケッチをのこしている。それらは、手にふれた材料——たとえば道ばたの棒など——でいそいでえがかれた線であり、書のように抽象化されている。それは日記のなかでは、特徴のない説明図として「よまれる」。文章からきりはなしてみると、この表現の非個人性がかがやきだす。それはえがく行為を意識することなく一気になされた手の運動であり、自己表現や、えがかれた対象との比較は問題にならない。】同。p208。

2013.4.9 279 その2 『ただただ』

04 09, 2013 | 日記2013

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・読んでもらいたい。この言葉が誰に届くか。届く人数などどうでもいい。ただただ。

◆◇◆試行錯誤に漂う11◆◇◆ 「みすず」2013年4月号 『素振りについて』

2013.4.9 278 『誰かにとって、素通りできるものが、別の誰かにとっては』

04 09, 2013 | 日記2013

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・立ち枯れしたもみじの木を、のこぎりやチェンソーで切り倒す作業をする我々を、おばあさんは椅子に座りながら、ガラス越しに見つめている。ぼくが見ているもみじ。おばあさんが見ているもみじ。我々はもみじという物体を、おばあさんは、切り倒されていくもみじと共に流れた「時間」を見ているのかもしれない。

・誰かにとって、素通りできるものが、別の誰かにとっては、たまらなく愛おしいものであるだろう。

・大通り沿いの白モクレンの花が咲いていた。交通量が多く暖かいのかもしれない。庭木として植えてあるモクレンはまだ咲かない。

2013.4.8 その2 277 『泥にまみれる生活の。歌』

04 08, 2013 | 日記2013

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・今宵。風冷たい。何故か、それが心地よい。車の車庫に入る音がうるさい。邪魔とさえ思えてしまう。自然というものの人間が一部として、この音を邪魔と感じてしまうのは、それと「自然」とを切り離しているからなのか。今は、風を聴きたい。

・インターネットラジオのブラジルジャズを聴いている。ここには、コルトレーンの音にある精神性のようなものは薄い。それが悪いということではない。むしろ好きだ。ここにあるのは風の音のように聴こえる。人間の表現するものは、多分、やっぱり、その人間の生きる環境、気候、目の前にあふれるもの、にくるまれて、「文化的表現」というものになるのか、、、。自然の一部として。

・今日、駐車場で、思いつきに委ねながら一曲つくった。それは、セリの仕事をしている時の体験が元になっていて、そういう自分の「生活」を「書く」というような曲をつくったことがなかったので新鮮だった。リズムも「揉み手リズム」のようなもの。これは、生活のリズム。体験した「仕事」の「作業」のリズム。「僕ら」の「歌」。精神性よりも、土に根ざした、泥にまみれる生活の。歌。

・こういう曲をもっと書きたい。

2013.4.8 276 『「私は知らない」ということを、私は知らない、、、、、、』

04 08, 2013 | 日記2013

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・風に吹かれて
 ばあさんが
 橋の上を
 歩いていく
 なびく長い髪を
 夕日が覆って
 綺麗だ


・ばあさんも。全体も。美しい。——部分の連なり。

・音楽に触れている人間が書く、言葉のリズム。というのはある。気がする。けれど、それを膝カックン的に壊すこともある。リズム感のある文章もいいけど、リズムが変わったり、淀んだり、つまづいたりする文章も「音として」おもしろい。上の文章の上手くルートのコードに戻って来れないような感じ。リズムがつまづく感じ。ま、後付けだけど。

・「私は知らない」ということを、私は知らない、、、、、、

2013.4.7 275 『楽譜を必要とするような社会には、即興のそだつ場はないのだ』

04 07, 2013 | 日記2013

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・今日の付箋。

【よみかきができ、楽譜で音楽をまなぶようになれば、即興能力やひびきへの注意力がおとろえることは、民謡のうたい手やジャズの演奏家をみればよくわかる。では、文字をわすれ、楽譜をはなれて訓練をつめば、うしなわれた能力はもどってくるか?

 ことは、そんなに単純ではない。それは一度おぼえたものは、なかなかわすれられないというようなことではなく、即興能力も楽譜とおなじように文化的表現であり、必要に応じて発展するものである。楽譜をよむから即興できないのではなく、楽譜を必要とするような社会には、即興のそだつ場はないのだ。】「高橋悠治コレクション1970年代」p187。 

・あまりに付箋が多いので、単純に今日読んだ部分から。

2013.4.6 274 『戻らないほうがいい』

04 06, 2013 | 日記2013

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・外は風。歌うように吹く風。と思ったら、それは公民館から聞こえてくる、カラオケだ。

・戻らないほうがいい。ということらしい。戻れない。戻ったとしても、「自分はもうそこにはいない」という思いを感じるだけ。そう感じているにも関わらず、それをつづけていくことは出来ない。それでも、そこに留まるとすれば偽るしかない。誰に対して? 自分に。自分を。無駄だ。

・初めのうちは「戻るのもわるくない」なんて、感じるかもしれないけど、そんなことより「無理だ」と思って離れた、その時の自分の「感じ」のほうを信じた方がいい、ということらしい。どうも、ぼくには「戻る」ことは向かないらしい。——対、人。

・今は、本当の強風。聞こえる音も風の音。

2013.4.5 273 『ぼくのいない世界で』

04 05, 2013 | 日記2013

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・ぼくのいない世界で
 鳥たちは歌うだろう

 ぼくのいない世界で
 子供たちは笑うだろう
 
 ぼくのいない世界で
 誰かが言葉を灯すだろう

 ぼくのいない世界で
 誰かが、、、

 出来損ないの橋は今日も夢をみる
 微笑みながら今日も夢をみる

 繋がって 
 繋がって
 

・「橋」。繋ぐものであり、繋がりの途中であり。渡すものであり、渡されるものであり。

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Author:harunobiwonder
松沢春伸の日記

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