戯れ言の箇条書き・146 11.30 「異境から辺境から生まれてくる。もの。」

11 30, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・今日はMarvin Gayeの一位をとったやつばかりを集めたアルバム。安かったからアマゾンで買った。そういえば、しばらくマーヴィンさんきいていなかった。

・図書館にいって見つけた、エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」を読み始める。これは、おもしろい。なんじゃこりゃ。ごりごりの小説家には一生かかっても書けないだろうな、こういうの、、、。書く気もないだろうけれど。

・異境から辺境から生まれてくる。もの。というかいつだって何かが生まれてくるのは異境、辺境だったのではないか。ブルースにしろ何にしろ。それは土地としての、だけではなく権力、体制という構図から見ての異境、辺境でもある。のか?

・だから表現やるなら東京へ、のような考えは社会に上手く絡めとられて踊らされている。踊っているつもりが、踊らされている。別にどうでもいいけど。

ありふれた日々の中のひとつの点

11 29, 2012 | Liveのお知らせ

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12/1(土) VORZ BAR
start:21:00 
admission:1,000yen + Drink Order

VORZ BAR

12/2(日) 居酒Bar夢人

出演 池田浩 / 松沢春伸
start:20:30 
ライブチャージ 1000円(ドリンク別)

居酒Bar夢人

特別はことはなく、日々の日々うたわれる歌のように、、、。
そういう風にやろうと、思っているけれど、それがどうなるのかはわからない、わかるつもりもない。

戯れ言の箇条書き・145 11.29 「『大地自体』が浮遊している、とはなかなか考えつかないことだけれど」

11 29, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・異様なものを「異様なもの」という説明を抜きにして語る、こと。夢を「夢です」と語らないこと。言葉がぐらつく。言葉を使う「わたし」がぐらつく。それらは「方法」のその外にある。

・浮遊感。実際には浮遊していずに、「大地」に足をはりつけている。その「大地自体」が浮遊している、とはなかなか考えつかないことだけれど、、、。

・誰かとすぐさま共有出来ないものをかいて「これは共有できないかもしれないけれど」と断り書きを書くこと。それは読む側を馬鹿にしていることに繋がる。そういうことをぼくはやっていた。結局それはたちの悪い物乞い。のように思う。

・今日は音楽は無し。頭のなかを言葉が駆け巡る。

・寒さが増す。それに慣れてきたはずの身体も追いつけない。それはもっと増す。ついていこうと思う。最近鼻づまりがひどく、季節的なものか、何なのか、わからないけれど、ひどくて、頭が回らないような感じをずっとひきずっていて、なんとなくボーっとしていたのかもしれない。していないかもしれない。冬眠に入る動物が多い中で、人間だけがそれを免れて活発に動けるようにできているとはどうしても思えないのだけれど、どうなのだろう。

戯れ言の箇条書き・144 11.28 「いや、それは今まで小説と呼ばれていたものに過ぎません」

11 28, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・ある短編小説を読んでぐらぐらと揺らいでいる。読者の「わかる」「わからない」を最初から念頭に入れていないように思う。「わかる」「わからない」のどちらもひとつの基準に過ぎなくて、そこを飛び越している。

・こういう作品に接すると「まじめ」とは何か、を思う。まじめというとどうしても枠の中でおさまって、結局その域を出ていけないような人と思ってしまうところがあるけれど、こういう作家はそんな人間以上にまじめなのだきっと。まじめだから、やることをしっかり見据えているから、その結果既成の価値観をぶっ壊す。壊すことにまじめ、というより、つまらないことをつまらないということにまじめ、というか、「それじゃない! こっちだ」ということにまじめ、とか、、、。とにかく「形式」に対してまじめなのではなく、、、。結果壁は崩壊する。床が抜ける。この突き抜け方。凄い。

・岐路、岐路、岐路。

・「これが小説です」「いや、それは今まで小説と呼ばれていたものに過ぎません」。

・こういう小説を読むと、客に向かって「手拍子」を要求して、大団円の中で客とやり取りしながら歌うことがライブだと思っているような人間のライブがやっぱりつまらなくてしょうがない。ということをあらためて思う。ああいうのは魂にかすりもしない。かすりもしない。。。

・前にもいったかもしれないけれど、客を「楽しませる」ということが一番だと思っているような表現(店でも何でも)は客を馬鹿にしていないだろうか? 前にいっただろうか。前にいっていないだろうか。どちらでもいいけど、楽しんでもらうということは別に最上のことではない。これは感覚的な話で言葉にするには冷製さが必要になるけれど、いまのところその冷静さをぼくはもっていない。馬鹿にしているという言葉に違和感があるならば、「低く見積もっている」というか、客というものを「自分の範疇で捉えられるもの」として扱っているというか、、、。ある人のライブをみて「あ、この人はこういうことをやれば客が楽しんで、満足していると思っているんだろうな」と感じた。馬鹿にすんなよ、と思う。「おもしろさ」は、「楽しさ」をくるむ。だから「楽しい=おもしろい」ではない。「楽しい。即ち、つまらない」でもありうる。

戯れ言の箇条書き・143 11.27 「眠そうな眼。おやすみ」

11 27, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・リンゴの木。雪をまとって。葉に積もった雪。顔に落ちる。運搬車の下にくるまる猫。警戒心は薄れたのかしら。わたしが鳴くと猫も鳴く。小屋の二階に猫はのぼり。鳴く。わたしも鳴く。眠そうな眼。おやすみ。

・本当に十年ぶりくらいでJaheim(ジャヒーム)のデビューアルバム「Ghetto Love」を聴いている。こういう選び方は珍しい。見つけてしまったから、の興味。クレジットを見たら2001年で、おそらく発売してすぐ買ったからそのまま十一年前のことなのだろう。その頃の視覚としての記憶がよみがえってくる。「音楽」が呼び起こす「映像」としての記憶。これも聴いた。だいぶ。

・アマゾンで本を注文する。本屋をまわっても見つからなかったのであきらめてアマゾンで。出来れば本屋で買えればいいのだけれど。田舎では難しいか、、、。

・口ずさめるものだ、十年以上前に聴いていた曲も。

・刻まれている。意識など置いてけぼりにして。身体が覚えている。そういうもの。

・次はスモーキー・ロビンソン。

戯れ言の箇条書き・142 11.26 「夢を見る以上に夢を見ているような異様な光景」

11 26, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・片側二車線の道路を走っている。遠く、前方に白い「何か」が揺れている。それは道路の真ん中の車線上をこちら側に向かって揺れながら近づいてくる。毛色の白い迷い鳥か、あるいは風に揺れるビニール袋か、またあるいは、局所に降り注いだ雪なのか、、、。そう考えている間にもその「何か」ははっきりと姿をあらわして、それは白い日傘をさし、白い服を着て歩く青白い顔をした一人の女だった。女が一人、道路の真ん中をこちら側へ向けて歩いてくる。

 時速六十キロから七十キロで車が走る道路(もっと速度を上げて走る車もいる)の真ん中をその女は歩いている。時に蛇行しながら、時に反対側の車線に移りながら。女の存在に気づいた車たちは急ブレーキをかけて、驚き、夢でも見るかのように眺め、そのまましばらくサイドミラーで日傘をさしながら歩く女の様を確認しながらやがてまたアクセルを踏み、女とは逆の方へ向け去っていく。夢を見る以上に夢を見ているような異様な光景。日常に入り込む「異物」その際立ち。その異様さ。


・これは夢でも何でもなく、おととい実際に見た光景で、こわかった。一度通り過ぎて、もう一度戻り、声をかけながら、警官が到着するまで並走した。ぼくが連絡した頃にはもうすでに何件かの通報があったらしい。

・今日の音楽は、、、Leon Redbone「Whistling In The Wind」。

戯れ言の箇条書き・141 11.25 「今日『朝トラ』をした。『朝トラ』とはつまり」

11 26, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・今日「朝トラ」をした。「朝トラ」とはつまり「朝寅」であり、「朝一で『男はつらいよ』を観る」ということ。

・軋みの音。のなかにこそ。

・夢の記述から夢だということの説明を抜いてもそれはそれで成立するのではないか、と。文章として破綻しているものでもそれはそれでいい、と。

・日常の光景に、あるいは音に「異物」が入り込んでくるときのその存在の際立ち。

戯れ言の箇条書き・140 11.24 「血はほとんど流れない」

11 24, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・四本の巨大なもみじの木。の真っ赤な葉が風に吹かれ舞い落ちてくるのを見上げている。全ての葉が枝から離れ地面はもみじ色に染まる。まもなくほうきを抱えた四人の女が四方から現れて、一面を染めるもみじの葉を掃き初めてしまう。「待って、もうすこし見せてくれないだろうか」というと「これが私たちの仕事です」といってほうきをせっせと動かし続ける。諦めて腰をおろし足下の落ち葉を手でかき分けると袋が出てきて中を見ると車のカギが入っている。名前が書いてある。写真も入っている。周りには人だかりが出来て「これはあいつだ、ほら」と誰かがいう。すると別の誰かが「いや違うそいつではない」。「ぼくが届ける」というと「何処に?」と皆がいう。「じゃ交番に」というと「どうやってこの場所から出ていくつもりだ?」というから「自転車で」というと皆は声を上げて笑い始める。自転車に乗ろうとしてもどこにも自転車は見当たらず、交番の場所も見当がつかない。笑い声が聞こえて振り返るとスーツを着た三人組の男たちが車の中からこちらを見て笑っている。ぼくは腹が立って車に歩み寄り「交番はどこだ!?」ときくと三人は質問に応えることなくクスクスと笑っている。「交番まで連れていけ」というと運転席の大きな男は、後ろに座る小さな男と、もう一人の顔の整った男に顔で合図をして運転を始める。その場所を出ると見たこともない都会の大通りで、車はその通りを走っている——

 交差点のこちら側に立っている。あちら側に渡りたい。風が悪魔のように暴れ、人が叫びながら、あるいは笑いながら縦横無尽に飛ばされ、転がされている。反対側に辿り着くとそこはBarの入り口でその前にはスペースがありそのスペースにはテーブルが置かれ数人が話しながらビールを飲んでいる。ぼくは床屋の息子の隣に座ってテーブルの上の小皿に入った皮の剥かれたオレンジに手を伸ばし食べる。自分の体に目をやると、手や足にガラス片がいくつか刺さっていてそれらを抜く。血はほとんど流れない。Barの扉が開き中からおばあさんが出てきて床屋の息子が「この人が店主、これ以上の店はないよ」といって、おばあさんは「じいさんの形見の店さ」という。「おいで」というおばあさんについていくとそこにはおじいさんが生前つくったらしい木工の作品が並んでいて「テーブル」と書かれたそれはテーブルには全く見えずただのごつごつした木の固まりにしか見えない——

 ぼくは檻の中にいる。床屋の息子が「大丈夫。あいつはいい奴だから」といって出ていくとゴリラと人間の中間のような生き物が入ってきてぼくを背中の方から抱え仰向けに横になった。体温、匂いまで感じる。怖いとは感じない。ぼくらはしばらくその状態で会話をし、それからその生き物は檻から出ていった。檻の外にいた女の尻を触りながら。


・夢の記述。ゴリラと人間の中間のような生き物との会話が思い出せない。

・夢の記述は現在形で書いている。過去形を使うと夢の感じが出ない気がするからなのか。夢を見ている時はその場その場にただ翻弄されているように動いているのだから、過去形では書けないのかな、と思う。振り返って、こんな夢を見ました。という文章ならば過去形で書けるのかもしれないけれど、夢の中にいる時のそのままを書こうとするとどうしても過去形では書けない。

戯れ言の箇条書き・139 11.23 「新曲『恩知らず』です」

11 23, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・The Bandのセカンドアルバムが聴きたかったけれど、見あたらずファースト「Music From BIg Pink」を。もう一度探すとセカンドアルバムが見つかったけれど、まずはこのままファースト。終われば次。

・泥まみれになりながら、土を掘り起こし、雨まみれになりながら、パイプを組み立てる。知らないことをまたひとつ覚える。何かを覚えるたび、別な何かを無くしたりしないように。

・四時半にもなれば既に外は暗くなって、ライトを点けずに車を運転することは出来ない。ラジオから「今週の一曲、中島みゆきさんの新曲『恩知らず』です」。という声を聞くとボリュームを上げる。今週は毎日、四時四十分過ぎに流れてくる中島みゆきの「恩知らず」にのり、身体を揺らし、真似をして、ひとりで笑いながら車を走らせる。その後「こんばんわ、『シミ』です」と高田純次があいさつして「でた、顔シリーズ! こんにちは」と河合美智子があいさつして「高田純次の毎日がパラダイス」が始まる。それが終わって、五時の時報が鳴る何分後かにいつも家に到着する。

・時間は経過して、The Bandセカンドアルバム突入。やっぱり好き。

戯れ言の箇条書き・138 11.22 「ポケットを探ると手紙が出てくる。女は笑った——」

11 22, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・学校のグラウンドで野球部のぼくらはノックを受けている。監督が打ったボールは大きく逸れて頭上を越え、校舎の近くまで転がり後輩の一人がそのボールをとりに走っていく。監督が「お前らトラック運転できるか?」という。ぼくらは「できない」という。大きな大きな銀色の貨物室を携えたトラックが目の前に二台縦に並んで、ちょうどヌンチャクのように鎖で繋がれている。二台の大きな大きなトラックはいきなりドリフトのような動きを始め、そのままトラックは旋回し始める(セカンドとライトの間くらいで)。やがて竜巻のようになる。ぼくらは「ヤバい逃げろ」という。回転をあげ過ぎた二台のトラックは弾け飛ぶようにグランドの隅(ライトの奥の方)に停めてある別のトラックに衝突し爆発した。衝撃で山が崩れ、それをみて僕らは校舎の方に逃げる。校舎の方からは水が洪水のように溢れ、流れてきて、足を水に浸けながらぼくらは走り、校舎に入ると「皆逃げろ!!」と叫びながら階段をのぼる。

 三階の教室には多くの人が集まっていて、食事というか宴会をしている。窓からは光が射している。部員と監督もいる。「トラックを運転していたのは監督ですか?」ときくと「しらない、記憶が無い」という。「夢かと思った」と部員にいうと全員「おれもそう思った」という。「夢じゃないよね?」ときくと全員「夢じゃない」という。手にはお菓子とお茶。酒を飲んでいる人もいる。突然、女がぼくの膝の上に股がるように座る。見覚えのある顔をしている。けれど名前がわからない。女は「あの子に伝えてくれた?」というから「え?」というと「あの手紙に書いたじゃないの」というからポケットを探ると手紙が出てくる。女は笑った——————


・夢の記述。起きてすぐ、寝ぼけながら書き留めた。いまだにはっきり感触がある。他にもいくつか断片的に夢を見る。それもはっきり覚えている。

・今日はさっきまでビリー・ホリデイとレスター・ヤングの競演のアルバム「A Musical Romance」。今はウィリー・ネルソンとレオン・ラッセルの競演のアルバム「One For The Road」を流しながら書いている。

・朝。寒さ、と眠気との闘い。ほぼ負ける。七勝八敗なんてぎりぎりでなく、全敗というくらいに。その分夢を見る。携帯めざましのスヌーズ機能のせいで、、、。

戯れ言の箇条書き・137 11.21 「声を枯らしながら歌ったのだ。あのプリンスが」

11 21, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・山際に目をやると白い。のがわかる。「ここ」で降っていない雪が「あちら」では降っている。畑には雪が降ったろうか。畑に近くなると、向かい側からやってくる車の屋根には雪。畑に着くと、そこはちょうど雪が降った場所と、降らない場所の境のようで、そのはっきりとした境界線上に車を停めているのがおもしろく、ギターをちろちろと弾き始めると、一気に雲が動き、そして雪が降り始めた。今年の初雪、というか今年に入っても雪は降っていたのだから初雪というのかどうか、なんてことはどうでもいいか。初雪。

・小物入れがひっくり返って、整理したらライブのチケットが出てきて、それは2002.11.22のZepp仙台でのPRINCE(プリンス)のライブチケットだった。一階の立ち見で12000円。ちょうど、レインボーチルドレン名義でアルバムを発表した頃で、それにあわせてのワールドツアーだった。

 自分の記憶では、そのライブは二十二、三歳くらいの頃だと思っていたのだけれど、ちょうど十年前だから、まだ十九歳だった! え? と思う。そのころプリンス聴いていたんだっけ? どうやら自分の記憶の仕方と、実際の年齢にはだいぶズレがあるらしい。それはこのことに限らず他にしてもそうなのだろう。ライブは凄かった。十九歳の男が一人でプリンスのライブに行くのは勇気がいったけれど、おもしろかった。一階は立ち見だからごちゃごちゃしていて、ぼくの目の前では、三人の若い女性たちが、ミッキーマウスの手の着ぐるみ? を手につけてそれを振りながらキャーキャー騒いでいてそれを見ているのが楽しかった。「プリンスにもこういうファンがつくんだ、、、」と思った。

 ライブが終わっても拍手が止まず、しばらくすると、プリンスがギターを抱えて一人で出てきて、弾き語りで歌った。あれはかっこ良かった。声を枯らしながら歌ったのだ。あのプリンスが。凄かった。なんでも、そういうことはしない人らしく、それを通訳か誰かがいっていた。そうか、あれはもう十年前なのか。


・その頃から、何か進んでいるのだろうか。進んでいるつもりで、実は同じ場所で足踏みしているだけなのではないか。わからない。わかれない。もどかしい。もどかしくもない。真ん中に。真ん中に。思いだけでも抱く、前に。前に。わからない。わかれない。ま、いい。

戯れ言の箇条書き・136 11.20 「いい月でございますね。それじゃ、ごめんなすって」

11 20, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・仕事というのは、金ということ以上にリズムキープのためにあるのだということを確認する。「こなす」という言葉を嫌う時期もあったし、いまだにあまり馴染めてはいないけれど、昨日と変わらないような今日、今日と変わらないような明日、その中でふと去来する何かに出会うことの出来る瞬間、それはある意味「こなす」こと、日々をただ日々として紡いでいくことの中にあるのではないか、と思ったりもする。

・なんでこんなことを書くのかといえば、今日は仕事が悪天候のために休みになって、そのうえ気になることがあって、ずっとパソコンをいじっていて、パソコンをいじっている時間(文章を書くとかそういう時間でなく)というのはなんと空っぽなのだろうと思い知ったから。

 「無駄」と呼ばれる時間は嫌いじゃない。でもただただパソコンでどうでもいいようなことを目で追っているだけの時間は(その最中はどうでもいいと思えない、ということがまた厄介だが)本当の意味で空っぽ。それだったら、ギターをにぎっているにもかかわらず何も弾かず、うたわず、ただ時間を過ごすことの方がずっと濃い時間。何も手を動かさなくとも、何かを考えたりしているのだから。

 こんな風に思えるのは日記を付けたりしているからだろう。そこにリズムらしいものが生まれてしまったから。そうでなければ、もっと、本当の意味での空っぽな時間に埋没してしまってるだろうと思う。そういう時間は本当にやらなきゃいけないことから目を逸らして「逃避」するにはちょうどいいかもしれない。とはいえ空っぽなのだから、何も生まれない。


・男はつらいよ第四十作「寅次郎サラダ記念日」を観る。

・家の門を出たところで「は〜、いい月でございますね。それじゃ、ごめんなすって」と寅さんはいった。今、ちょうど雲のくぼみから半月に近い月が見える。寅さんの見た月はどんな形をしていたのだろうか。

戯れ言の箇条書き・135 11.19 「色は『多』から『単』へと移行し、そして雪は降る」

11 19, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・山の色の変化を感じ取る。特に意識を向けずに見た山の色の変化に気づくほどだから、よほど昨日の風は強く、葉を散らしたのだろう。目で受け取る色彩はこれからまたどんどん変わっていく。黄色や、赤や、というありきたりな言葉では表せない目で受け取る色たち。「色」という言葉を無くした目にあの光景はどう映るのだろう、、、。色は「多」から「単」へと移行し、そして雪は降る。何度も経験しているはずのこのサイクルを新鮮な驚きとともに迎えられることのおもしろさ。ある友達は今、経験したことの無い「自然と向き合う仕事」をしている。彼女は「今まで何をやっていたんだろうと思った」といった。

・蛙を起こしてしまった。冬眠中の蛙はひどく動きが遅い。そりゃそうか。冬眠するとはそういうことなのだから。パイプハウスの修繕で土をスコップで掘る。堀跡に出来た土壁を蛙が這う。のろい、呪いを受けたようにのろい。起こしてすまない、蛙さん。

・雨の音。ここ最近雨が続く。冬の入り口には、こんなにも雨が降るものだったろうか? 記憶を辿ってみても何も思い出せない。

・例えば日々書く日記のように、例えば日々うたうことのように、日々何かを続けること、には何か大きな目標や目的があってそれに向かってやっている、わけではない。それを続けていれば「健康になれますよ」「もっと文章が上手くなりますよ」とか、隠居したじいさんばあさんを相手に商売する新聞広告の「講座」的な、何かしら目に見える「目的」「効果」があって、それを得たいから続けているのではない。そうじゃなく、ただただやっている、というだけで、そのただただやっている、やり続けている、という無目的な行為に没頭するということの方がおもしろいと思えるし、「目的よりも行為そのもの」と思ったりもする。それは以前書いた「作品」というものを「発表」するということに興味を持てず、ただひたすら書き続けた人間、の感覚に近い。

戯れ言の箇条書き・134 11.18 「ということで今日はそれ以外何もない」

11 18, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・ホームセンターに寄り、パイプの下見。車の寝床を窮屈にならない程度にあげる。そのイメージをつくる。

・そればかりが頭に溢れて他のことが手につかない。家に着いてからも、車の中にとどまり、イメージを溢れさせる。暗くなってしまってもランタンを点け、ラジオを聞きながらの妄想。まとまらない。ギターを寝床の下に収納することができて、寝床が荷物にあふれることなく眠ることが出来ればそれでいい。

・ということで今日はそれ以外何もない。

戯れ言の箇条書き・133 11.17 「というか、しないと、この小説家に置きざりにされる」

11 17, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・何かが聞こえる。 鳴き声? どこから? 空? 鳥か? これは、、、、、、白鳥だ! 見上げると一列になって南へ向かう群れ、十九羽。二羽目だけが少し列からズレている。サクランボのビニールハウスの修繕をするぼくはちょうどパイプにあがって作業していたから、上方の視界を遮るものは何もなく、白鳥の横断を眺めることが出来た。寒々しい朝。まだやる気も起きない仕事始めの時間帯での「ハッ」とする出会い。

・今日はディアンジェロのLIVE盤。デビュー前のライブ(デビューアルバムは完成していて、そのお披露目のような)だったんじゃないかという記憶。これもだいぶ聴いた。

・小島信夫の文章の異様。例えばレンタルビデオ店にいった時にDVDの宣伝文句として書かれてある「衝撃の結末!!」「予測のつかない展開!!」というような言葉が馬鹿馬鹿しく思えるほど(それらは結局あらかじめ脚本の段階で結末が決まっているわけであって、製作陣はどのような「オチ」にしよう、と練っているのだから、、、)どこに連れて行かれるのかわからない。というより、書いている本人がどこに向かうのかわかっていない!

 「漂う」ことを作者本人と共有する。ということをこれほどまでに見せつけられるものを体験したことがない。だって、最初はエッセイのように始まったものが、途中から、「これは長く書こうと思う」というように書かれて、結局小説になってしまう! これは、、、壊し屋だ。既成概念の、枠の、、、。(まだ最後まで読んでいないし、むしろ序盤だけれど、「オチ」に向かって集約されていくようなつまらないもの、そんな「予定調和」を許すものでないことは序盤で理解する。というか、しないと、この小説家に置きざりにされる、、、。)


・高橋悠治の言葉。わかる、わからない、を越えてただただ読む。こんな言葉を紡ぐ人がいるんだ、という驚き。

戯れ言の箇条書き・132 11.16 「本当は『あれは何だ!?』が感覚に近い」

11 16, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・図書館。というところにほぼ初めていく。いったことがあるのかもしれない。でも記憶にない。ましてや本を「借りる」ことなど。本が読みたい、読みたい本が高い、金がない、図書館。という流れ。

 「すいません、すいません!」と声が聞こえて振り返るとカウンターの男はぼくに呼びかけているらしく、「鞄類は持ち込み禁止なのでロッカーにお願いします」「ノートとかは? 書きたいんだけど」「ロッカーの中に透明の袋が入っているのでそれに入れ替えてください」「なるほど、どうも」。

 県立図書館だったので、読みたい本はほぼあった。棚に並んでいないものも、別の場所に保管してあるらしく、それらの本も貸し出し可能だった。ソファーに座って小島信夫「美濃」を陽光にまどろみながら、何時間か読み、昼を過ぎたところで腹が減って、飯を食べようと思い、図書館を出ることにして、本棚に無い本を取ってきてもらって、登録し、三冊借りてきた。小島信夫「美濃」。高橋悠治「音の静寂 静寂の音」。サミュエル・ベケット「モロイ」。


・その後、先日いった城跡の公園に車を停め、飯を食べ、眠り、本を読み、ギターを弾く。という休日。

・今宵の月は凄い。道路端に車を停めて月をみる。「月」という言葉があるから「今宵の月は凄い」などと簡単にいえるけれど、本当は「あれは何だ!?」が感覚に近い。

戯れ言の箇条書き・131 11.15 「半端はできない。振り切れ、針を。振り切れるまで、、、。」

11 15, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・仕事の帰り道、ぼくの前を軽トラが走っていて、それは幌付きだった。これいいなあ、と後ろをついていって、急に「これ住めるべ」と思った。そうなると気になって仕方がなくなって、二車線になると同時に脇へつけると赤信号で止まったからジロジロと眺めた。また妄想が膨らむ。対策をしっかりやれば、全気候対応できるような気がする。今乗っているのが軽バンだからそれでいいはいいけれど、こっちのほうがおもしろいんじゃないかと思って、帰って調べるとやっぱりいるんだな、そういう強者が、、、。軽トラでキャンプしたり旅したりしてる人がいる。これはおもしろそう。軽トラのキャンピングカーがあるのは知ってるけれど、そうじゃない。幌だ、幌。妄想。妄想。

・昨日の夜CMで流れていた曲を聞いて「ん?」と思って調べたらやっぱり中村まりだった。車のCMだったろうか? 何年か前に知って、CDも一枚持っていて、英語で曲を書いているのもあって(ぼくのようにえせ英語ではなくちゃんとしたやつで)別に愛聴しているとかではないけれど、たまに思い出したりすると聞いていて、CMでその声が流れてきたから「ん?」と思った。ああいう人の音楽がいろんな場所で取り上げられているのを聞くと「へー」と思う(いい意味で)。

・誰かの表現に接して「これは売れないよな〜」というのは賛辞であって、それは「凄い!! 、、、けどこれは一般受けしないだろうな〜」とそういう意味。もちろんそれ以前につまらなすぎて「これは、、、」というものもあるけれど、ぼくがにやけながら「これは売れないよな〜」といったとしたらそれは賛辞の方で、「こんな風にすればもっと受け入れられるだろう(受け入れられやすいだろう)」「こうすれば皆に納得してもらえそうだ」という誘惑に、創作の中で、あるいは実際に人前で発表する場で迷いながら、ブレながら、それでも「いやいや、自分がやりたいのはそこじゃない、やるべきはそこじゃない」という場所に留まっていられる人たちがいる。はず。少ないかもしれないし、売れないだろうし、、、でもいると思う。それはジャンルを越えて。でも別に売れないことがいいといってるわけじゃない。それは全然違うこと。

・ここまで書いて、中断。

・久しぶりにThe Wood Brothers「Ways Not To Lose」を聴いているところ。こないだギリアン・ウェルチの時も書いたけれど、こういう音で録音するというのは、常に音楽について考えていないと出来ない、、、違う?。 じゃ、どう書けばいい? 音楽を「やる」以前に「聴く」人でないとできない、、、これも違うか? 最近は音楽を聴かずに音楽をやりたいという人がいて、そういう人たちには出来ない、というか、、、違うか? 、、、、、、いちばん考えていることに近いのは「聴くことを愛する人間が、なんだかんだで、やる側にまわってしまった」という種類の人間たちが奏でる音。という感じ、、、これも、違うか?

・本当にそれ以外やれることがないんだろうな、というような人たち。その何かを、好きでたまらなく、憧れてたまらなく、それ以外のことが手につかないような人間たち。そうあるならば、半端はできない。振り切れ、針を。振り切れるまで、、、。

戯れ言の箇条書き・130 11.14 「まるで日記のような曲」

11 14, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・何年かぶりにいった公園の木々の色づきがあまりに綺麗(陳腐か)で、それらの見える場所に車を停めギターを弾く。目から入る情報とギターの弾き方や曲の作りかたがリンクするのかどうかわからないけれど、気持ちがいい、というのは確かな感触。

・その時間で適当に弾いていたものを家に帰って映画「ハンター」を観た後に完成させようと思って完成させる。前に書いた短い曲。まるで日記のような曲。明日であれば、あるいは昨日では書けなかったか、全く違う形になったか、それはわからないけれど。

・「Pina」について書こうと思っても書けそうにないから書かない。三度観て今日返した。「何か」が感触として自分の中にあるのはわかるけれど、それに言葉を当てはめることができそうにない。

戯れ言の箇条書き・129 11.13 「ジャンルをこえて『異』というものにしか興味をもてない」

11 13, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・まだ紅葉していないサクランボの葉も触れると、はらり、枝から離れた。蛙たちも真夏のころに見せる鮮やかな緑色から土色へとその色を変えて冬眠の準備は進んでいるよう。人間たちは、といえばせわしなくサクランボのハウスの解体作業におわれている。

 隣の畑のおばあちゃんがやってきて挨拶をすると「だいごんおがりすぎてぬがんねや〜(大根が大きく育ち過ぎて抜けない)」というから手伝おうかと思うと、おばあちゃんはなんということなく「すっ」と大きな大根を引き抜いた。何本か大根を収穫すると持ってきた肥料袋のような頑丈な作りのビニールにそれらを入れて帰っていった。

 帰りに車を走らせていると、軒下に大根や柿を干している家を見かけるようになった。干し柿は強い酒にあう、と思う。あとイチジクの甘く煮たやつなんかも。


・独り立つ女の美しさ。と、ある人の姿をみて思う。うたう。まう。おどる。かなでる。、、、独り。

・そういえば、地元の落語愛好会の手伝いをするようになって、それこそ何回か、何人かでしかないけれど、きいて、打ち上げでみえるその人の人間性みたいなものを含めて印象に残っているのは三遊亭兼好さんなんだな。何でかといわれてもわからないけれど、もちろん落語フリークでもないから詳しいことはわからないし、別にわかるつもりもないけれど、なんでなのか。

 とおもって、Wikipedia頼みで調べてみたら、落語を始めたのが遅く、始めた頃には妻も子供もいたらしく、サラリーマンから落語家に転向したらしく、入門も(師匠は好楽さんらしい)何度も断られて(妻子持ちということで。というか師匠の選び方もたまたま会ったからのようなもので)何回目かでようやく弟子入りを認められて、そもそも落語を聞くようになったきっかけが仕事が昼におわるから、暇で、寄席に通うようになって、、、。という感じでそれを読んでなるほど、と思った。

 要はそのジャンルにおいて「異端」なのだ。「異物」。ジャンルをこえて「異」というものにしか興味をもてないのはぼくの気質なのだと思う。

戯れ言の箇条書き・128 11.12 「クレイジーを喜べ」

11 12, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・振り切れ。と昨日書いたこと。針の触れ方。振れ幅。異常さ。狂気。更新。知らない自分。舞台。恥じらい。捨てる。放り投げる。突き抜ける、、、、、、

・と書いていたら秀さんから電話があって「1日Vorz Barでライブだよね? 2日うちでライブしない?」といわれたので「やります」といった。勢いで。久しぶりの2日連続ライブ。次の日があるから切り上げる、ということができない人間にとっての課題。このやり取りを忘れてしまうといけないので日記に書く。ということで2日は夢人でライブ。フラメンコギターの人がくるということです。

・クラプトンに興味が持てないのは「振り切れ」ていないからではないか? と自分ながらに疑問として思う。

・どんなジャンルでもいい。音楽でも、文章でも、踊りでも、演じることでも、「静かな振り切れ方」で構わないから、そういうものを感じ取れるものに触れていたい。「ハッ」とするもの(と書くと簡単に伝わってしまうから、それもつまらないけど、、、)。

・例えば「頭大丈夫?」と聞かれて「おれに聞くな」というようなこと。、、、と書いて自分で笑う。笑ってしまう。そういうことか。おもしろい。自分が聞かれているのに「おれにわかるわけがないだろ」と怒るような人間。そういう人間が誰かを遠くへ連れて行く。技術に囚われて出来ることの範囲でしかやらない人間には「たくさんのフォロワー」がつくかもしれないけれど、そういう人間についていったところで扉は開かない。だから、振り切れろ、と自分にいう。クレイジーを喜べ。

・「飽きるよ、やっぱり飽きるよ、自分に。ということとの闘いなのね」というのは誰がいったわけでもなく、独り言で自分がいったのだった。今。

戯れ言の箇条書き・127 11.11 「『もっとクレイジーに』とその女はいった」

11 11, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・岡本太郎は絵を一枚も売らなかった。と以前書いた。作品を金に換算させない。そんなものに干渉されるのを拒み、それ以前の衝動で描いた。彼の家は1920年代にパリでくらせるほどだから裕福だったのだろうし、岡本太郎が岡本太郎として生きる決意をするための重要な時期に「金」の心配がいらなかった、ということはやっぱり無視できないことだけれど。

・音楽をやっている人間が全員、プロに憧れ、売れたい、有名になりたいと思っているものだと思っている人を相手に話をするのは疲れる。

・「金を生まなければ、その行為は『趣味』の域を出ない」というのであれば岡本太郎もゴッホもカフカも、彼らのやっていたことは「趣味」だということになってしまう。馬鹿馬鹿しい。

・迎合して、屈服して、妥協して、誰にでも受け入れられるようなくだらないものをつくるのでなく、遠くの誰かへの祈りのようなものを。

・自分がやりたいと思っていることに関しては妥協できないという思い、と、世間体のよさ、は反比例するように思う。つまり、やりたいことを妥協せずにやろうという姿勢を強くすればする分だけ、社会の側から観れば「馬鹿」といわれる。生きれば生きるほど生まれる「亀裂」「軋轢」。

・「もっとクレイジーに」とその女はいった。

・振り切れ。振り切れ。振り切れ。クレイジー。クレイジー。クレイジー。

戯れ言の箇条書き・126 11.10 「犬に噛まれるおっさん&湘南ナンバーのおっさん」

11 11, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・右手に白いビニール袋をぶら下げたおっさんと白い犬。ビニールの揺れ方でその中に糞が入っているのが分かる。おっさんが近づいてきて話しかけられる。その白い犬は北海道犬で、もともとは熊狩りの犬らしい。「んだがらよ、人になつくような犬でないんだ。俺もよ、いまだによ、たまに噛まれんもの」という。ぼくは地元の落語愛好会の手伝いで駐車場の整理をしている。だから青く光る棒状のライトを持っていて、それを振ると犬はビクッとして後ずさりした。たまに犬に噛まれるそのおっさんは「おっ、みだごとないものだがら、びっくりするんだな〜」といって、もう一度振ってみると犬は威嚇するように牙を出しながらまた少し下がった。「ごめん、ごめん、でも俺熊でないがら噛まねでな」とぼくが犬にいうと、犬に噛まれるおっさんは「んだ、この人は俳優さんだがら」とわけのわからないことをいって散歩に戻った。

・今度は湘南ナンバーの車で会場にきたおっさんに話しかけられる。「どこからきたんですか?」というと「町内」とおっさんがいう。「湘南ナンバー?」「そう、金がなくて変えられない」。ナンバー交換をするにはその場所に行かないとだめらしく、山形で手続きをすると代行料かなんかで二万五千円くらいかかるらしい。別の車がきたから誘導するぼくに、湘南ナンバーのおっさんは「ディーラーに頼んでも最低二万はかかるっていわれてよ」と話しかけるから「へー」といいいながら青いライトを振る。誘導が終わったぼくに湘南ナンバーのおっさんは「失業中なのに二万五千円は出せねえ」といって会場に入っていった。

戯れ言の箇条書き・125 11.9 「『凌ぐ』という気分」

11 09, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・太陽の光が降る中に降る雨。混乱する。北を向けば虹。途切れることなくそれは虹で、りんごを数コンテナ分もいでいる間に消えた。

・一日中降る雨に集中をそがれる。カッパの袖から入り込む雨。その冷たさ。カッパのフードで遮られる視界。手袋は雨がしみ込んで、夕方になる頃には手の動きが不自由になる。「凌ぐ」という気分。頭はまともに回るはずもない。

・ストーブの上にのせていたやかんのお湯が沸く。ゆっくり、ゆっくり時間をかけて沸く。

・書くという行為の「書くという行為の中でしかうまれない何かとの出会い」のすごさ。おもしろさ。書いた文が次の文を呼び起こす。次の地平。

戯れ言の箇条書き・124 11.8 「あんなもの『ただのカラオケ』じゃないか」

11 08, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・こないだいったところと別のレンタルビデオ店で「Pina」発見。準新作。借りてくる。まだ見てないけれど、見た後もそれらしく言葉でまとめることなんて出来ないのだろうという予想。そういう時でもがんばって言葉にしようとするほうがいいのか。言語以前に留まっておくべきなのか。言葉にしようとすると陳腐になってしまいそう。言葉にする、というのはそういうことが出来る人に任せておこう。それ以前に留まっていよう。

・先日譲ってもらったトヨトミのレインボーストーブの旧型(三十年近く前に発売されたもので廃盤)を掃除して、海外のネット通販で替芯を注文(純正はもう製造していないらしく)していたものが届き交換して、順調に部屋を暖めてくれている。ファンストーブがあまり好きでなく、メンテナンスが面倒ではあるけれどこういう単純な作りのストーブは好き。ランタンでいうところのホヤの部分がガラスなので炎が見えて(文字通りレインボー色に光る)明るく、部屋の灯りはこのストーブだけで十分。いい灯り。机の上にはランタン。だから部屋の灯りは全部灯油で統一された。心地いい。後ろでNina Simoneが歌っている。

・Nina Simoneのアルバム「To Love Somebody」一枚にディランのカバー曲が三曲ほど入っていて、どれもすごい。今朝七時前の情報番組で女性のカバーシンガー特集(カバーを中心に歌っているのかわからんけど)というか、そういう女性シンガーたちが流行っている、と取り上げられていて、けれど見てると、あんなもの「ただのカラオケ」じゃないか、と思う。ニーナ・シモンを聴くと「カバー」とは? と考える。解体し、組み直す。

戯れ言の箇条書き・123 11.7 「本日二度目の箇条書き。ああ、寝るタイミングをなくした、、、。」

11 07, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・本日二度目の箇条書き。

・ぎゃー、わー、といいながら笑っている。NIna SimoneのセットCDが届いていたらしく、聴いている。困った。すごい。こんなにすごかったっけ、、、。まず、ディランのカバー「I Shall Be Released」をかけてみて、、、のけぞる。もう寝よう、と思っていたのにこれは眠れない。大音量で聴きたい。あまり、興奮するとよくないから今は何処かにいった「Sings The Blues」を聴く。これも、わー!!となる。眠れない。

・落ち着いたことに。して、決まっているライブのお知らせ。

・12月1日はVorz Barで松沢春伸ライブ。12月23日はBar Tarjiの忘年会ライブ。詳細はまた後で。

・ああ、寝るタイミングをなくした、、、。

戯れ言の箇条書き・122 11.7 「右側のポケットがワンカップ型に膨らんで」

11 07, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・朝コンビニでコーヒーを買って車でギターを弾いていたら、じいさんが右手に日本酒のワンカップを持って店の裏にやってきて目が合って(店の裏側のほうに駐車していたから)、気まずそうにしながらもっと奥手の方に消えていった。戻ってくると、右手にワンカップはなく、よく見るとズボンの右側のポケットがワンカップ型に膨らんでいた。朝からワンカップとはなかなかやるな。しかも服装からして仕事前という感じ。やりおるな、じいさんよ。コンビニの裏でこそこそワンカップ。やるな〜、じいさんよ。

・車にはいつも畳が敷いてあってそれで十分どこでも眠れるのだけれど、荷物が多くなるとどうしても窮屈になってしまって、だから底上げして、そこに荷物、ギターを入れられるようにして、上でゆったりと眠れるようにしようかと画策中。こういうのをああでもない、こうでもないと考えているのはワクワクする。ホームセンターにいくとワクワクして困るのだけれど、やっぱりあそこは楽しい。大きければ、大きいほど楽しい。見たこともない資材や工具が置いてあって、それをどう使ったらおもしろいだろうかと考えるとワクワクしてしょうがない。旅車の改装計画中。どこでもいけるように。

・日記なのだからもっとササッと書けるようになれば、とは思う。日記を付け始めるようになってから何故か曲作りも同時に日課になって、それは一日のサイクルがある程度決まっているから、ということなのか。とはいっても進み具合が順調だということもなく。どちらかというと進まない。でも、一日中ずっと曲のことが頭にある。

 いままでは、一年の中で曲作りにあてる時期と、それを自分の中で消化していく時期と、ライブ、のように別れていたけれど、今はそんな感じがしない。それでも時間が足りないようにも感じる。ただ怠けているのだろうか。

 削れるとしたらどの時間だろう。飯? 睡眠? 仕事? 酒? 仕事が候補にあがるということに「は?」と思う人がいるのかもしれないけれど、仕事なんて削ろうと思えば削れる。ただ、実行する人があまりいないだけで、、、。酒はどうか。いけるだろうか。いけるだろう。飯はどうか、これは酒とも繋がるか。

 酒を飲むとどうしても意識が散漫になる。それでおもしろいことが出てくることがあっても、、、。睡眠は、、、。気合いで起きて机に向かおうとはするけれど。それから、書いたり、曲をつくったりアウトプットの時間が増えると、どうしても「読む」「聴く」という「受け」に費やす時間が少なくなる。

・雲が犬の顔に見える。と書いてもう一度見たら、もうその雲がない。風がとても強い。夜。

戯れ言の箇条書き・121 11.6 「いっていいのかわからないけれど、別にいいや」

11 06, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・降る降る雨は降る。の中を園主の家の雪がこい。久しぶりの雪がこい。もともと仕事としてやっていたことだけれど、身体が忘れているんじゃないか、という不安。大丈夫、身体は忘れていません。

 ライブという場所は身体に委ねるところ。頭じゃなく。「どうやろう」とか、そういう「意図」を越えて表現するところ。歌詞を覚えているだろうか、コードを覚えているだろうか、そんなつまらないことは全部「身体」に任せる。大丈夫、と。あれだけ身体に刻んだんだから大丈夫、と。あとは考えたからといってどうなることでもない。身体に任せる。

 というより、歌詞、コードを忘れたり、間違える、多くの人がそれをミスというけれど、それよりもっと大事にしなくちゃいけないことはあるんじゃないかと思う。

 身体はそれ以上「もっと」を要求してくる。その「衝動」に身を任せる(というと本当に分裂のように思われるのだろうか、頭は、というのが適当かどうか、頭が命令をだしているのだから頭だ、というのはあまり納得がいかないけれど、やっぱり『意図』を越えたところの身体、というのがいいだろうか、スポーツ選手の一瞬の判断は意識ではなく、身体に刻まれた訓練の成果だとかそんなこと)。


・今日の文章はしつこい。書いていて分かる。何故かといえば、少し酔っているから。

・ついさっき電話で友達と話をした。その中でぼくは「野外フェスとかで、会う人たちが(演者、聞き手含めて)どういう音楽を聞いてきたのか気になってきくと、古い音を全くをきいていない人もいて『仲間内の音楽』ばかりきいている」という話をした。ぼくにはそういうのがわからない。

 辿って辿って行き着くところはどこなんだろう? という聴き方にならない、というのがわからない。音楽を聴くことに夢中になる人間はそういうところにいくのだろうと思っていた。本当に音楽を聴こうとすると、どうしても遡らざるを得ない。それは音楽以外の表現でも同じこと。

 小説だって、今同じ時代に生きている人間の中で売れている人しか読まないような書き手(そんな人がいるかわからないが、音楽に関しては「いる」ということなのだろう)の書くものなんか読みたくない。同世代の表現(売れている、あるいは売れていないけれど知られている)ばかりに触れている演者の音はああいうものになるのか、と実感する。こんなこといっていいのかわからないけれど、別にいいや。


・と書いていたら、その友達からメールが来た。「どうも電話では上手く間が取れない」と。そういわれてもぼくは電話の方がいい。もっといえば会って話せた方がいい。アナログのアナログのアナログでいい。便利なものを使える人間に馬鹿にされてもぼくはそれでいい。なんだか、もう、既にフェイスブックに飽きたもの。

戯れ言の箇条書き・120 11.5 「地面はまるで墓のように冷たい」

11 05, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・一年前であれば絶対に書けなかっただろう曲を書けるようになる、あるいは書こうとしているのを実感することの歓び。これからどういう場所に向かうことになるものか。わかっていたらつまらない。翻弄されよう運命のひとひねり。

・「あなたはこの鎖から逃れられない」と誰かがいう。街に灯りがともる。月に向かって矢が放たれる。膝は折れ地面に跪く。土の匂いをとらえる鼻。頬は泥にまみれ、地面はまるで墓のように冷たい。

・「男はつらいよ」第39作を観る。

戯れ言の箇条書き・119 11.4 「気まぐれな猫みたいにどこかにいってしまう」

11 05, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・うた。うたは気まぐれな猫みたいにどこかにいってしまうから、ぼくはその猫を追っかけていく。近づくとまた離れてしまうけど、完全に見えない場所にいってしまうわけではなく、ぼくより少し先でこちらを見て座っている。今度は触らせてくれるだろうと近づくとまた離れてしまう。——うたをうたうというのはそういう状態になることで、だからぼくは「うた」を「猫」を統制できる立場にない。ぼくはただただ翻弄されて、でもそれに食らいついていこうとしている。

・日記だから、パソコンがなくたってノートがあるのだから書ける。ということでノートに書いている。あとでパソコンに入力する。

・布団の中で書いている。何の音も聞こえない。ペンがノートの上を走る音だけ。そして頭が痛い。少太さんとあずまやで飲んだワインが効いたようだ。

戯れ言の箇条書き・118 11.3 「今日は大収穫だべ〜」

11 03, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・一雨降れば、その度に寒さは厳しくなってニット帽をかぶりパーカの上にヤッケを着ても朝の畑は足りないくらいだった。Hさんは昨日買った980円の靴にもう水が浸みてるようだ、と靴の裏をぼくに見せ「このへんからもれっだみだいなんだな〜。親方(ぼく)だったら、こういうどぎ、店さいいにいぐが?」というから「どうだべ、でもいったほうがいんでない」といった後、適当に答えてしまった、と少し思って、Hさんは「もう少し様子みでみっかな」といった。風がとても強くリンゴが風で落とされてしまったのが予想できたから、「今日は大収穫だべ〜」といってHさんは嬉しそうにリンゴを拾いに畑を見回りにいった。

・季節の変わり目に対する身体の「対応」「切り替え」が年々遅くなっていると感じるのは、それが年を重ねるということなのか、ただ準備の不足ということなのか。それとも錯覚か。

・ここのところずっと作曲中のような状態になっている。一曲を完成させてから次へという方法が苦手で、何曲も並列でつくる。そのうちまた別の曲が浮かんできて、だから散らかりっぱなし。困ったものだ。

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