戯れ言の箇条書き・38 「たまらなくすばらしいと思った。」

06 30, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・風向きは刻一刻と変わる。今宵もまた月見酒。隣の家の犬は声が出なくなる病気にかかったらしく、吠えてはいるが、咳きこんでいるよう。私は窓枠に腰をかけ、足を半分外に出しながら、こうして文字を打っている。また今日も何も書くことは見当たらない。キーボードを打ち間違えては消し、また文字を打ち、を繰り返している。今日考えたことはいったいなんだったろうか? それさえも忘れてしまっているが、何か書くべきことがあって書き出したものは大抵つまらないものになってしまう、ということが書くということのこわいところで、なるべく書くことのないままに書こうというのはライブというのものの自分なりの捉え方だから、やっぱりそれがいい。

・誰かが歌った「闘う君の歌を闘わない奴らは笑うだろう」という歌のすごいところは、あるいはこわいところは、聞く側の人間のほとんどが自分が「闘わない奴らは笑うだろう」という時の「闘わない奴ら」に入っているとは思いもせず、自分への応援歌だと思ってしまうところで……というめんどくさい解釈は置いておくとして、「闘う」とは?

・と書くと、思い出すのは「読む人が本を選ぶのではなく、本が読む人を選んでいるのだ」という言葉で、それは本当にそうで、私たちはそれを「選んでいる」と思いながらも、実はそうではなく表現されたものに選ばれていることもあって、そこで淘汰されている。ということもやはりある。受け取る側の人間の資質や、その人が求めている何か。

・辞書に書かれている内容がその言葉の持つ唯一の意味だと思わないこと。それは大事で元々ある言葉に自分なりの意味を、解釈を与えていくこと。「ライブ」という言葉をパソコン内蔵の辞書で調べたら——〘名•形動〙《生(なま)の、実況の、の意》1ラジオ•テレビなどの録音•録画でない放送。生放送。2生演奏。「―の出演者」「―盤」——と出てきたけれど、そうじゃない。大事なことはそうじゃない。そこに自分なりの意味を与えることであってそれが考えるということだと思う。友達が「ライブとは生だということだ」と言ったが、それだけではつまらない。私が考える「ライブ」は違う意味を持つ。だから、毎度自分のライブで、もしくは誰かのライブをみて、これは「ライブ」と呼べるのだろうかということを真剣に考えてしまうけれど、自分が考える「ライブ」に少しでも近づけることをいつも願いながら歌いたいと思っている。それを今、簡潔には語れないけれど。

・畑の間に膝を抱えて並んで座り一服するおばあちゃんがふたり。その頭にかぶった手ぬぐいがかわいらしく、顔に刻まれた皺が美しく、曲がった腰がながいながい時間を物語る。その光景が今日のベストショット。たまらなくすばらしいと思った。

戯れ言の箇条書き・37 「高校生の時に夢に出てきた人がかわいくて」

06 28, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・「100」迷って成果「0」。「100」思い悩んで成果「0」。けれどその試行錯誤だけが「1」を産む。

・拾われる人生。も悪くない。ただただ自分がこうやってみたい。こういう人に私もなりたい。こういう人たちに自分も混ざりたい。その人たちが「見たよう」に世界を見てみたい。そう思いながら続けていくこと。誰に伝わらなくとも。それでも、その声はきっと遠くの誰かに届くと信じながら……。その結果、誰かに拾ってもらえるような生き方をこれまでもしてきたし、これからもしていくだろうと思う。

・このあいだ見た夢に出てきた女の人があんまり素敵で、あれは誰なのだろうと思う。そういえば、高校生の時に夢に出てきた人がかわいくて、そしたらその人が登校の電車に乗っていて、少しの間恋をしていたことをつられて思い出した。馬鹿だな、と思うけれど、なんだかそういうことはある。

・夜風を受けながら、月を見ながらウイスキーを飲んでいたりすると、なぜこんなにも月夜に惹かれるのだろうか、と思えてくるが、きっとそれは前世がオオカミだったなんて美しい話ではなく、さしずめ月に吠えるオオカミをみて、ゆらゆら揺れている柳の木であったのだろうなどという適当な話はどうでもよくて、これほど心地よい酒はない。朝の光の中では生まれてこないであろう「何か」がここにはきっとあって、だからいろんな歌、詩、舞い、が生まれてきたのだろうという話もどうでもよく、と書いているうちに終着点が見えなくなってきて、どこで「。」を打てばいいのかわからなくなってくるが、こうやってその場で打ちながら生まれ出てくる言葉にはきっと「今この場所」でしか出会うことが出来なくて、今こうしてキーボードを叩かなければもう二度と出会えない。そういうものだけがおもしろいと思える。

・そういうわけで明日もサクランボをもいでは、それを選別し、暑さにあえいでビールを欲しては、飲み過ぎて、月を拝んで眠るのだろうか。そういうことの最中に考えた全てのことが私をどこか遠くへ連れて行ってくれると信じつつ……。

戯れ言の箇条書き・36 「何度でも言う『それでもやるのだ』」

06 26, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・道化。道化。道化。あなたは演じているのか? それを誰も知り得ない。ああ、道化、道化、道化。

・サクランボ一色で録音も中断せざるを得なく、だいぶ久しぶりに録音した音を聴いてみた。誰かの評価などどうでもよく、これは……。びっくりした、自分で。評価など本当にどうでもいい。

・「あなたの代わりはいないんだよ」という言葉。代わりなどいくらでもいる。表現をしている(つもりではいます)とそれを痛感させられる。私の前にほとんど全てのことは既に「成されて」いる。これ以上表現すべきことなどあるのか? という自問。それを実感できない人は舞台に上がれない。それでもやるのだ。やり尽くされていて、私に出来うる新しいことなどないことをわかっていても、それでもやるのだ。それでもやるのです。「あなたの代わりはいない」などという言葉をもらわないと生きていけないなんていうのは、生きることを馬鹿にしている。

・何度でも言う「それでもやるのだ」

戯れ言箇条書き・35 「何かを始めたときは基本的にだぼだぼなもの」

06 25, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・石巻の友達のおばあちゃんからその友達が野球を始めました、とのメールが来て、友達の写真が添付されてきた。今年の3月11日にその日を一緒に過ごした友達で、その時は渡波小学校のグランドでサッカーボールを蹴ったりしていたものだから、サッカーをやるものだとばかり思っていて、そのメールには驚いてしまったけれど、なんだか、そのだぼだぼのユニフォームがすごくかっこいいと思った。何かを始めたときは基本的にだぼだぼなもので、次第にそれが身体にあうようになっていく。あの小学校のグランドで野球をしている彼の姿を想像すると私もがんばろうと思う。

・誰かが「人助けをするという概念を救おうとはしても、実際にそこにいる人間を救おうとしていないじゃないか」と本当に核をつく発言をしたが、本当にそういうことだと思い知らされる。「『人助け』という概念を救おうとしてはいるが、実際に人間を救おうとしていない」これは真剣に考えなければならないことでしょう。石巻にいてそういうことを本当に思い知らされた。石巻で出会った友達が共通して「こいつは嫌いだ」と思う人間は、みんな、そういう「概念」だけを救おうとしていて他人の家に土足であがりそれを「人助け」と呼ぶような人間だった。

・以前インディアンのことを書いたけれど、それは彼らが人間の手に負えないような代物を、それを造れる知識があったとしても造らないだろうという思いから。七世代後に生きる子供たちのことを真剣に考えることが出来るならば、こんな馬鹿なことにはなるはずがないのだから。

・やっと月を見る余裕がでてきた。体力的に。とはいっても今日は月も見えず、星も少ししか見えないけれど……。

・この写真すごい。メキシコに行きたい。
http://lockerz.com/s/219658543

戯れ言の箇条書き・34 「その脇で野良猫が大きなあくびをした。」

06 20, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・私のうたは愛のうたです。とその男は言った。それは世界の中心で叫ばれるような代物ではなく、むしろどこか世界の片隅で呟かれるような、そんな小さな愛のうたです。あるいは、と男が言った。遠くの友に闘いの継続を告げる鐘の音です。その脇で野良猫が大きなあくびをした。

・人がおもしろいというものを、人が感動したというものを、一ミリもおもしろい、と、感動したと、思えない自分の感性に驚く。というか、それを信じている。

・重要なのはお金を生むことが出来るかどうかではなく、本物であるかどうかであって、プロだからといって本物だとは限らない、なんてことをいちいち説明するまでもなく、じゃあ本物って何さ? という質問にはもっと興味がない。

・台風が過ぎて一安心した。というのも、今サクランボ農家のお手伝いをしているからで、ハウスにビニールをかけることやら、ハウスそのものを修繕することやら、とにかくいろいろなことに関わらせてもらっていて、サクランボをつくって、売ることがこんなに大変なことなのか、と痛感している。何をするにしても大変なのだけれど、やらないとわからないというのは、まあわかる。「いい奴」っていうのは結局のところ、そういう、その人たちがかけてきた時間を、誰かが何かを生むことに費やしてきた時間を(それを経験したことがなくても)想像することが出来る人間じゃないかと思う。「実感」などできるはずがないけれど、それでも、「想像しよう」とする。そこには敬意がある。

戯れ言の箇条書き・33 「こんな立派なエスカレーターあったかな?」

06 19, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・願うより歩け 始まりの夜には 
 ひとつその足を進めるたび 
 ひとつの新しい音色
 ひとつの新しい世界
 願うより歩け 始まりの夜には……

・お金なんてものが絡まなくても、やり続けるとか、やり続けるほかないとか、病的であるとか、どうやってもそのこと以外考えられないとか、身体から継続をせまられるものとか、そういうものこそを求めるべきだと思う。

・自分は幸せものだと感じるとき。自分には上に書いたような「そういうもの」があると心の底から実感できたとき。

・他人と共有できない自分だけの言葉、自分の身体性がそのまま表出してきたような言葉、それをこそ大事にすべきだと思うし、そういう言葉は「共感」こそ生まないかもしれないが、もっと重要なものを生む。

・日曜日仙台に飲みにいって、例によって朝まで飲んで、八時の仙山線にどうにかこうにかたどり着き乗ったのはいいけれど、到着して、エスカレーターを上っている時に山形駅にこんな立派なエスカレーターあったかな? と上りきった時にそこが仙台駅だということに気がついて結局寝過ごしすぎて、仙台に戻ってきていた。結局二時過ぎに家に着いて、まあ本当に疲れた。今度は車掌を巻き込んで、起こしてもらおうと思います。

戯れ言の箇条書き・32 「あれこそライブですね]

06 06, 2012 | 日記.戯れ言2012

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・ボーズバー六周年ライブ本当におもしろかった。あれこそライブですね。なんだか変な自分も出てきたけれど、あれはライブならではでしょうし、ああいうのはおもしろい。あの場所、あの時、あそこでしか現れてこないものがあって、そこに自分が混ざれたことが本当に嬉しい。

・いろんなこと、いろんな出会いにありがとう。を、言います。

・どうもありがとう。

・今日はTwitterからの引用を…。

・大人になってから言えとか、売れてから言えとか、他に言うことのない馬鹿は言う。わかるやつは言えばいい。誰が耳を傾けなくとも。既成事実で黙らされなきゃわからない馬鹿にはどうせわからない。馬鹿にわかられる無理をして無駄に時間を使うこともない。——山下澄人。5月24日

・保坂和志がスナックで「栄光に向って走る、あの列車に乗っていこう 。裸足のままで飛び出して、あの列車に乗っていこう」と絶叫した。——山下澄人。6月3日

・描いている時はよくわからないけれど描き上ってみると意外とつまらないと思う感覚はいつも同じだ。満足することなど一度もない。だから次の絵を描こうと思うのだ。次に描いても同じ気分を味わうことがわかっているというのに。——横尾忠則。5月15日

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松沢春伸の日記

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