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戯言の個条書き・8

12 29, 2011 | 戯れ言2011

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・本ばかり読んで、ギターを触って、歌う。そんな繰り返しで日々は過ぎていきます。前に進む、その一歩というものは、多分そういう歌にもならないような溢れた日々の試行錯誤の中にこそ生まれるのではないだろうか。蛙たちも雪積もる落ち葉の下に隠れて、春を待っているところ。人間だって自然の一部なのだから、春を待つ準備はあるでしょう。雪の降り積もる土地に生まれたのなら――。

・こないだ高校の同級生と立川志の輔落語会でばったりあって、その友達がこのブログを見て「ブログ見て気になっていた『小説の誕生』買ってしまったよ。おもしろそうだけれど難しそうだな。じっくり読むよ」とメールをくれた。こういうのは本当に嬉しく思う。本当に大事に読んでいる本を、人に薦めるのは難しい。それは、誰にも教えたくないというわけではなくて、僕がおもしろいと思えるようなものを紹介しても、大多数の人がおもしろいと思えるかどうかわからないからだ。――と、言っていても仕方がないので、少しずつおもしろいと思えるようなものを紹介していきたいと思う。それで、だれかが興味をもってくれたら、それは本当に嬉しいことだから。

・音楽でも本でも、大体流行っているものや、売れているものは面白いと思えないが、それは流行っているものに手を出すのが嫌いということではなくて、聴いても、読んでもちっとも面白いと感じない、というだけのことで、もし「いいもの」であれば流行り云々に関わらず聴くし、読みます。でも結局つまらないものばかりで、こんな流れに惑わされているわけにはいかないよなとは思う。

・佐々木中の「アナレクタ 3」を読んだあと、1と2も買って読んだ。保坂和志との対談はゲラゲラと笑ってしまった。活字になっても保坂和志の異質さはちゃんと表れていて、やっぱりこの人「変な人だな」といい意味で思う。僕は音楽にしても、本にしても基本的に繋がりでしか聴かないし、読まない。音楽に関しては、誰も周りにおなじような音楽に興味がある人がいなくて、高校生の頃からずっと、日本版のCDを買って、解説を読めば、その人がどういう音楽を聴いて育ったのかわかるから、それを辿ってまた買って……という風にして一人でこつこつ聴き漁っていった。本にしても同じでおもしろいと思えたなら、その人が何を読んで育ち、今何を読んでいるのか、そうやってしか広がらない。だから基本的に流行り物に手を出す必要がない。というのも、辿れば辿るほど、それは今よりずっと前に演奏された音楽になるわけだし、本になるわけだから。今は中井久夫「世に棲む患者」を読んでいるところ。
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戯言の個条書き・7

12 15, 2011 | 戯れ言2011

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・なんだかずっと、体調の悪さを引きずっていて、このままではライブも大変だと思って、お医者さんへ行って薬をもらってきた。その帰りに本屋に寄ったら、佐々木中の「アナレクタ3 砕かれた大地に、ひとつの場処を」を見つけて買ってきた。この本屋さんのオネエさんはいつも愛想が悪くて、言葉は丁寧なのだけれど(マニュアルだから当然か)「ありがとうございました」といい終わる前にそっぽを向いてどっかにいってしまうから、最後の「――ました」あたりがあまり聞こえない。以前別の本屋で、僕の前に並んだ髪のぼさぼさなお兄さんがレジで精算を終えたときに、レジの女性に向かって「ここの店は無愛想すぎていつも気分が悪くなるんだよ!!」と言ってスタスタと帰っていった。僕はそういう人が好きだから、心の中で「いいぞ、お兄さん!」と思ったけれど、レジの人たちはそんなことあんまり気にしないのだろう、と思う。というのはどうでもいいが、お医者さんに「おとなしくしていなさい」と言われたから、今日もおとなしく買ってきた本を読んでいる。佐々木中と磯崎憲一郎の対談のところまでしか読めていないのだが、ここにはとんでもなく重要なことがたくさん書いてあって、ドキドキしながら、ワクワクしながら、グラグラしながら、叫びたくなりそうな衝動を抑えつつ、興奮して読んだ。

・いつも書いていて思うけれど、これは個条書きと呼べるのか、と思う。書き始めたら勢いが止まらなくなってしまって、どうしようもないのだが。まあいいか。

・石巻での活動、そして外仕事ということもあって、今年の夏にはこんがり焼けていた皮膚も鏡を見るともうすっかり白くなっていて、時間の経過を感じたりする。大体いつも顔や腕ばかり日焼けしてしまって、他の部分が真っ白だから、人前で裸になったりするのがはずかしくて、海に行くのも躊躇しがちだけれど、今年はそれが嫌で、暇をみつけてはTシャツを脱ぎ、ズボンの裾をまくりあげて、なるべく全身を均一に焼けるよう努力した。とはいっても、仕事の休み時間になるたびに、いそいそと服を脱ぎ始め、横になり、たまにひっくり返って太陽に背を向ける後輩を見て「なんだこいつは……」と先輩方は思ったに違いないが……。

・音楽ばかりを聴いていれば音楽が出来るなんてことはない。ということは言うまでもないが、考えるというのは、頭でと思っているかもしれませんが、そうでもなくて、身体で考えるということもありうるわけで、「身体を忘れてはいけない、身体で考える」ということをだいぶ前にメモしていたことを今、思い出した。何で思い出したかというとこれからサッカーを見るからだ。まさしく身体レベルでの思考をそこに見ることが出来る。一流のもの、こういうものを見るたびに、音楽を聴いているだけでは起こりえない何かを発見することができる。それは、ただ音楽を聴いて、音楽のことだけ考えているよりもずっと音楽に近づくことになると思う。

011.12.15

戯言の個条書き・6

12 14, 2011 | 戯れ言2011

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・レコーディングについていろいろと調べていてなんとなくわかってきたような気がするけれど、やっぱりどうしても苦手な部門だな、という気持ちになるのは仕方のないことだろうか。僕は本当にだらしのない人間で、雑務を片付けなくてはと椅子に座ったとしても、トイレにいったら、その時、頭に浮かんだことが気になってやらなくちゃいけないことを忘れてしまって別のことを始めてしまうような人間だからやらなきゃいけないことが全然先に進まない。そのくせ一度始めるといつまでもやり続けてしまうから尚更なのだ。集中しだしたら本当にメシをたべるのも忘れる。片付けなくちゃいけないことはずっと停滞しているのに、別なことは(曲づくりとか)どんどん進んでいく。といっていてもしょうがないのでがんばります。誰か周りに録音系に強い人がいたら紹介してください。お酒でも飲みながらどうでしょう?

・とかなんとか書きながらキーボードを打っていて、くしゃみをしたら右肩が外れそうになった。僕の肩はどっちもルーズショルダーで、油断すると結構外れそうになるけれど、くしゃみではずれたらもうどうしようもない……。

・北野武のことを考えているわけではない。けれど、最近読んだから、どうしても思考のモデルとしてそうなってしまう。北野武は多分文章から見えてくる人柄が好きなのだ、多分。彼が撮った映画が好きとか、テレビに映るビートたけしが好きとかそういうのではなくて。映画のことで言えば、彼は芸人として売れてから映画を撮っているわけで、なんというか最初からその作品を見る人の数が何万人とか、そういう風に仮定してつくられているはずで、それは別ジャンルで名を知られてからなのだから仕方ないことだと思うけれど、表現するということにおいて最初からそんなに大勢の人を想定できるような作品はまず弱い。というか薄い。それは音楽でもなんでもそうで、百万枚売れる=最低でも百万人の人が聞くのだが、その人数を最初から設定している作品が本当に誰かにとって重要な、大事にしたい表現になっているのかと思うと疑問だ。上手くいえなくてもどかしいが、ここはゆずれない。メジャーデビューするときに売れるものをつくれと言われて苦労する人がいるという話を聞くことがあるけれど、だったらメジャーデビューなんてしなくていいや、と言える人がなんで少ないのだろうか? (始めの初めから有名になりたくてとか、成り上がるとか、そんなことのために表現をしている人達のことは放っておくとしても……。)話が逸れたけれど、何百人も客が入るところでしか、ライブをしない人とか、いくら以上じゃないとしないとかそういう人達もいっぱいいるみたいだけれど、知るか! と思う。僕はそういう人間にはなりたくない。もし僕がそんなことを言い出したとしたら、友達の皆さん僕をぶん殴ってください! ――なんて文章だ、全く。

・この時期になってくると必ずといっていいほど、体調を崩す。昔から、遊び疲れたりすると高熱を出す子供だった。いまでもそれは続いていて疲れがたまってくると、風邪でもなく、インフルエンザでもなくただただ高熱が出る。今はそれの一歩手前のような状態で、この状態で無理したりすると、間違いなく熱が出る。それが経験としてわかる。しかも40度ちかい熱が出るのだ。だから、今日はおとなしく本を読んだ。柴崎友香の「主題歌」。こういう小説をおもしろいと思える人とは友達になれそうな気がするのですが……。

以下、文庫本の帯に書かれていた文章。

――彼女が作ったほんの短い歌は、とてもいい歌だって、わたしにはわかるし、ここにいる人はみんなそう思っていると思う。テレビやラジオで流れたりすることはなくて、誰かにお金を出して買われることもないだろうけれど、彼女の歌が素晴らしくて、ここにいる小田ちゃんの友人たちがこの歌を心からいいと思ったから、それでいいと思った。この歌がここで歌われたことは消えてしまわない、実加は、自分でも不思議なくらいはっきりと強く思った。――「主題歌」より

2011.12.14



戯言の個条書き・5

12 10, 2011 | 戯れ言2011

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・先日書いたビートたけしの本はビートたけし名義ではなくて北野武でした。名前の使い分けというのは、やってる本人にしてみれば重要なことだろうし、訂正します。別に好きでも、嫌いでもないとか書いたけれど、本を読んでるうちに、あれオレこの人のこと凄く好きだな、と思った。思ったというよりは好きだったことを思い出した、というべきかもしれない。最近あんまり北野武の出演してるテレビとか、映画とか見てなかったから忘れていただけなのだろうか? 繊細で、優しくて、真摯で、デリカシーがなくて(本当はあるのでしょうが)、孤独で、スケベで……おもしろい人です。章と章の間に書かれているクマさん(輿水治比古)の文章も素敵です。北野武が愛すべき人であることが伝わってくる。

・八日は立川志の輔さんの落語会があって、ドンブリ亭のスタッフとして参加してきた。凄いと思うのは、「見る」ではなく「観る」、「聞く」ではなく「聴く」の状態にお客さんを持っていってしまうこと。「あてられる」という言葉で伝わるかどうか分からないけれど、どの表現の世界でもさっと通り過ぎることの出来るものと、見る側、聞く側も集中しないと受け取ることの出来ないものがあって、志の輔さんのもつ雰囲気は後者だ。ああいうものに触れると伝統芸能とか、芸術についてもっともっとたくさん考えたくなる。考えるためのいいヒントをもらったような気がする。ああ、落語おもしろい。

・いろんなところからクリスマスソングが流れてくる時期になった。音楽業界の人達なんかは特にこの時期の少し手前からわさわさと忙しく曲作りをしたり、レコーディングをしたりするんだろうな、と思うとなんだか馬鹿馬鹿しくなってくるけれど、まあそれでいいんじゃないでしょうか。前に書いたとおり、そういうことは、それでいいと思える人達に任せておけばいいのだから。もし僕が「それじゃいっちょ僕もクリスマスソングでも書いてみましょかね。」といったら、僕の数少ない仲間達はきっと怒るだろう。僕がそんなことをしたら、僕は皆のことを裏切ってしまうことになる。過去の僕自身も。だからそういうことはやらない。そういうことをやろうとしたら「ふざけんな、馬鹿やろう!!」といってくれるのが友達じゃないかと思う……多分。

2011.12.10

戯言の箇条書き・4

12 08, 2011 | 戯れ言2011

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・ビートたけしの「全思考」という文庫本を本屋で見つけて、なんでかよく分からないけれど買ってしまったから読んでいる。愛人は多いほうがいいに決まっている。一人だと三角関係になって角が立つ。二人だと四角で増えれば増えるほど、角が無くなって丸くなるじゃないか、といったら怒られた。という箇所は笑った。こういうデリカシーの無さはやっぱり面白い。僕もしょっちゅうデリカシーがないと怒られている人間だから応援しています。

・僕は特にビートたけしが好きだとか、嫌いだとかはないけれど、島田しんすけの自分の美学を通して引退します、という去り方よりは、ビートたけしの客が俺のこといらないっていうまではやり続けなくちゃいけないと思っている、とか、桃井かおりの、私はババアになってもその姿をさらし続けるわ、という姿勢のほうがずっとまともだし、かっこいいと思う。

・少し前に美空ひばりの追悼番組(というのだろうか?)をやっていて、いろんな人がカバーしていたけれど見ていられなかった。こういう企画番組を見るたびに、美空ひばりってすごいなあと思うし、出演者も、よくそこに手が出せるなあと思う。差が見えすぎてしまって、見ていられなくなる。関係ないけれど、僕はサムクックが好きで、何でかわからないけれどサムクックを聴くたびに僕は美空ひばりを思い出す。

共感

12 08, 2011 | 戯れ言2011

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共感――求めている表現のレベル。それは共感の次元にはない。自分(受け手)の土台がグラグラと音をたてて揺り動かされるようなものであって、ただ共感するだけでは、その人の世界を少しも動かしはしない。

例えば歌詞に共感しました。という話を聞くが、それは今までの自分(受け手)のもつ世界観で十分達しえる話であって、その人は自分の世界から一歩も外に出ていない。

受け取る人間をそれまでの世界から一歩でも外に連れ出すこと(世界が変わるというのはそういうことではないか)、それを使命の一つとして持っているのが芸術。世界が変わるというのは本当で、それは社会がよくなるとか、戦争がなくなるということではなく、世界の《見え方》世界との《接し方》が変わるのであって、世界とそれを捉える人間の橋渡し、媒介となるのが芸術家の身体(感覚)。

ということは、ただ芸術家が表現していれば、ただそれだけで、受け取る人間の世界の見え方が変わるということではなく、受け取る側の人間の表現されたものに対する強い働きかけが無ければ成立しないということか? そうに違いなくて、岡本太郎がひたすら「芸術ってのは受け手の問題なんだ」というようなことを訴えていたのもきっとそういうことだ。

とりあえず今は多数の人間の共感さえ得るようなものを表現していればそれでいいという人間と、そういう表現に共感してさえいれば、時代に取り残されることはないだろう、と考えている人間、そしてそういう人達をかき集めて経済活動の一環に取り込んでいこうとする人間のことは放っておくしかないようだ。そういったことは彼らに任せておけばよくて、考えなければいけないことは別にある。

と書いておいて思い出すのはやはりこの言葉。

『書物。――およそ書物という書物のすべてを超えた彼方へとわれわれを連れ去ることのないような書物に、何の用があろう?』

書物の部分を音楽でも小説でも芸術全般、何に言い換えてもいい。

2011.12.7

12月3日 VORZ BAR でのライブのこと。

12 07, 2011 | 戯れ言2011

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・先週土曜日のVORZ BARでのライブ。アーケードで信号待ちしている少太さんを見つけて声をかけ、一緒にお店に入ったら、金髪のお兄さんがギターを持っていて、それがRYUDENの龍大さんだとすぐに分かったから、びっくりしてしまって、混乱する頭の中でいろんなことを考えたけれど、それは一瞬で、なんとなく「そうか、今日がその日か」と思った。

お客として通っていた仙台国分町にあるミフィーというお店で僕が働くようになったころ、オーナーの大祐さんから「弟が音楽やっていて今度仙台でライブやるみたいだから行ったほうがいいよ(大祐さんはいつもこういう言い方をするのです。言ってみたら? ではなくて、行ったほうがいいよ、なのだ。行ったらお前の中の何かが変わるよ、というような確信をもっているかのように)」といわれて龍大さんのライブを見に行った頃、僕はただただ悶々としていて、音楽をやるにしても曲なんて全然かけやしないし、ギターもまるで弾けないし、そもそも音楽をやるっていうのは一体なんなんだ? とか思っていた時期だったから、龍大さんのライブをその時期に見れたことは僕にとって一歩前に進むきっかけになったことは間違いない。ライブ後に「英語しゃべれるんですか?」「いや全然、いやでもこれが英語として成り立っていなくてもおれの書く言葉のほうが凄い」みたいな会話をしたのを覚えている。龍大さんを知っている人なら分かると思うけれど、さっきの会話を照れくさそうにしながら喋る。でもお兄さんと一緒でその言葉はぶれない。おもしろい人です。龍大さんのライブを見る前から歌詩を書くなら英語かも、という予感はあったけれど、あの会話があって「いっちょ英語で書いてみますか」と思ったのを覚えているけれど、実際曲が書けるようになったのは、それから何年か経ってからの話で、それは今は夢人を経営している秀さんから「高橋歩がトークライブ仙台でやるから春歌ってみない?」と声をかけてもらえるまで続いたわけだし、今だって曲はすこし書けるようになってきてはいるものの、変わらず悶々と自問の日々は続いています。

それから何度か龍伝(そのころは)のライブを見に行くようになって、ライブ中急に呼ばれて一緒に歌わせてもらったりしたけれど、まだ僕のライブを見てもらったことはなくて、それが先週の土曜日にサプライズとともに実現したわけだから、びっくりしたし、胃がキリキリ痛くなったのも事実だけれど、心の中はなんだか穏やかで「そうか、今日がその日か」と思えた。いつかはそういう日がくるのだから。あとで聞いたらVORZ BARの松田さんが龍大さんにこっそり連絡してくれていたみたいで、少太さんも知っていたらしく「へっへっへ、あいつを皆で驚かしてやろうじゃないか、へっへっへ。」ということだったらしいけれど、見事にやられました。嗚呼、大人はこわい。

ということで先週は龍大さんのほかにも久しぶりに会った友達もいて、なんだか幸せでした。皆さんありがとうございます。何よりも、僕は少太さんと龍大さんをどうにかして会わせたいなと思っていたから、それがかなって嬉しかった。

2011/12/07

最初はいつもどおり戯言の個条書きとして書くつもりでそうタイトルも打っていたのに、思いのほか長くなってしまったし、全く個条書きじゃないじゃないかということで別にしました。こういうのって楽しいです。


戯言の個条書き・3

12 04, 2011 | 戯れ言2011

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・ドラマ「深夜食堂」が好きでDVDを買ってみている。もったいないから一気に見ないで小出しにしつつ。けれどあのエンディング曲は一体なんなんだ!? それまでの雰囲気をいっぺんにぶっ壊してしまう。その曲(いつもとばすから歌い手の名前なんて知らない)が一応主題歌ということになっているらしいが主題歌は誰が聞いても鈴木常吉さんの「思ひで」でしょう。背景にはいろいろな大人の事情があるのでしょうが、こういうところにまで音楽業界の「お金稼ぎ」が絡んでくるとうんざりする。

・本来芸術とお金なんてものは切り離されて考えられるべきで(というか芸術をやる、と決めた人間を創作、表現に向かわせる衝動にお金が入り込む余地なんてないはずだ。芸術に向かわせる何かというのはそんなものとは全然違うところから生まれてくるはずだ。きっと。)お金と関係のない次元で表現されているものにだけ宿っているものが確かにある。そういうものにしか支えることのできない何かがきっとある。

・岡本太郎は死ぬまで自分の作品を一点たりとも売らなかった。お金に換算なんて出来るはずがない。

・映画「Night On Earth」でジム・ジャームッシュはタクシーの運転手にこう言わせている。

――金は必要なものだが、重要ではない――

2011.12.4

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松沢春伸の日記

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