一喜一憂するのです。

04 13, 2010 | 戯れ言2010

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外の空気がとんでもなく冷たい、と窓を開けて思う。
「明日は、春らしくない、寒い一日になります。」と、お天気お姉さんが言っていました。

風が暴れる音を聴いて「外はどうなってるんだ?」なんて夜中に窓の外を気にすることは、今までほとんどなかった。
直接的に、天候に左右されるような仕事をしたことがなかったし。

これはこれで面白い。

でも、まぁ。

多分、人間はもともと、天気に一喜一憂していたはずなんだし。

自然にゃ勝てないなぁ、というのは農家の人ならばごく自然に感じていることなのだし。

これから、荒れますね。
天候に一喜一憂します。

これはこれで面白い。

2010.4.13

つながる、何となく――。

04 12, 2010 | 戯れ言2010

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朝、玄関を閉め、車に乗り込む。
エンジンをかける。

Bright Eyes の音楽が曲の途中から流れ始める。
昨日は仕事帰りにここまで聴いてエンジンを切ったのだ。

「昨日はBright Eyes を聴いて帰ったんだっけ?」

こんなことが僕にとって一番、昨日と今日をつなぐものだったりする。

大体、酔っ払って寝てしまう人間に昨日とか今日とか言われてもよく分からないのです。

2010.4.11

『So, What? ――だから、何だ?』

04 07, 2010 | 戯れ言2010

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ある人のライブを初めて聴きに行ったとき、ライブ後にその人と話すことになって、僕はその人に「とても孤独な音がしました」と伝えたのを今でもはっきりと覚えている。そのひとが覚えているかどうかは分からない。初対面の人に対してかなり失礼なことを言ってしまったと思ってはいるが、なんとなくは伝わった気がする。

その日のライブは「その人」がボーカル&ギター、ベース、ドラムの三人編成なのだけれど、なぜか孤独な音がした。僕にとってその人(バンド)の音を聴くのは音源を含めて初めてだったから、何でこういう印象を持ったのだろうと今でも不思議に思うけれど、確かにそう感じた(それから何年もたったけれど、そういう印象をもった表現者とはそうそう出会っていない)。

今、その人はメジャーのレーベルから音楽を発信しているけれど、どうなんだろう? 彼が書きたいことは本質的に「孤独の中」でしか書けないものだと、僕は思うのだが……。そうである以上、ある程度「売ること」を前提として書かなくてはいけない、ということは……。


 『孤独を放棄したときに売り上げがやってくる。――何かを書いたり、創ったり、表現することは、本質的に「まだ見ぬ者に向かってなのだ」』というのは小説家、保坂和志の言葉だが、今、僕にとってこれほどに響く言葉はない。


初めから大勢(売れるように)に向けて創られたものが、誰かの孤独に響くはずがない。
誰かの孤独に響くのは、その人が孤独のなかで創りあげたものだ。

――もう少しこのことについて書きたいけれど、書きすぎてしまいそうだから、また別の機会に書くことにしようと思う。

と書きつつも、孤独なんて言葉を容易に使うのはかなり気が引ける。
一歩間違えば、とんでもなく安っぽい言葉になってしまうから。

僕は孤独の中にいながらもそれを受け入れて、笑い飛ばせるような人間が創った音楽が好きだ。
Bob DylanやTom WaitsやMiles Davis他いろいろ、とかの「孤独だって? そりゃ、そうだろうよ。だから何だよ」という人間の音楽が好きなのだ。


マイルス・デイビスの言葉でいうところの『So, What?――だから、何だよ』という感覚で在りたい。

あるいは岡本太郎の言葉でいうところの『血を流しながら、にっこりと笑う』なのだ。

追記

本当はこんなこと書きたくないんだけれど、書いてしまったのはそういう時期なのかもしれない。
So,What?

2010.4.7

酔っ払いの戯言

04 01, 2010 | 戯れ言2010

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僕らはほとんど「何も」知っていない。

自分が知っていないことをキーボードを叩いて調べたとしても、以前として僕らはほとんど「何も」知っていない。知ったようなつもりになってはいるが……。

「知る」ということの意味が変わってしまっている。

かつて、「知る」ということは「調べてわかる」ことでなく「体感」することではなかったのだろうか。
「身体に刻み込む」ような事ではなかったのだろうか。

例えば農家の人が「このタイミングで水をあげなくちゃ」とか「この時に収穫しなくちゃ」とかいうのは「感じ」とか「対話」であって、「こうであるから……」というようなマニュアル的なものに促された結果ではない。

コアな例えで言えば、「しめ鯖」をつくるとして、酢締めの感覚は相当な年月をかけてその人だけがわかりうる、感覚だ。

この「感じ」を言葉に変換するのはかなり難しい。マニュアルでなんとかなる問題ではない。
とにかく、年月をかけて自分の身体に染み込ませることしかない。

例えば、僕が生きてきた時間を、簡単に誰かに「分かる」と言われてしまったら、僕はおそらくその人をぶん殴ってしまうだろうと思う。分かってたまるか、と思う。

もう少し。

例えば、目の前で「しめ鯖」ってこういう風につくるんですよね? とインターネットで調べたような、ただの知識をひけらかされたら、しめ鯖をつくっているその人はやっぱりぶん殴るだろう。

――ただ、現代はそういった簡単に誰もが「分かる」「知る」ことのできる事に「価値」を置く時代らしい。
でも、何をするにしても「時間はかかるんだ」ということだけ、少しの怒りと共に強調したい。

曲をつくるにしても、接客をするにしても、しめ鯖をつくるにしても、そこまで至るには「相当な時間」がかかる。つくる側としては、「わかってもらいたい」という気持ちと「簡単に分かられてたまるか」という気持ちが同居している。だから難しい。が、重要なのはその人がかけてきた時間に対する「敬意」だ。

2010.4.1

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松沢春伸の日記

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