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誰かの言葉達・1

10 30, 2009 | 戯れ言2009 

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エリッククラプトン、ブルースコレクションの解説より引用(日本人だったけれど、誰なのかは忘れた)

「――そんな事を言い出したら、すでに棺おけに片足を突っ込んでいる、多くのベテラン黒人ブルースマン達が、全盛期とは比較にならないほど寂しい演奏を聞かせていながら、それを「オリジナル」というだけで満足している事のほうがよほど問題なんじゃないかと思ってしまう。」

追記

クラプトンは別に好きじゃないけれど、解説の文章に惹かれたので書こうとおもう。

岡本太郎のどこが凄いって、いろいろあるけれど、今ここで書くならば、死ぬ前の作品が一番「激しい」ということだと思う。「全盛期」なんて言葉を寄せ付けないくらい前に前に進みつづけた人だ。

ジャンルとしてのブルースとかロックに憧れている人はたくさんいるけれど、「そこにあるものを乗り越えて進んでいく」という姿勢がなければ本当にただただ形骸化していく。

2009.10.29

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Dan Penn あるいは、断片。

10 30, 2009 | 戯れ言2009 

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Dan Pennあるいは、断片。

Dan Penn のライブ盤を聴いている。

断片・1

the dark end of the street(dan penn)という曲は僕にとって忘れられない曲になるだろうと思う。dan penn本人ではなく「ザ・コミットメンツ」という映画でアンドリューストロングが歌っていたのを聴いて僕は何度も泣いた。19才の僕は夜中に一人でビデオをデッキに突っ込んで、ヘッドフォンで聴きながら何度も泣いた。アンドリューストロングの歌う顔はものすごく汚いけれど、こうやって歌っていいんだ、何もキレイに歌う必要はないじゃないかと思ったし、こういう表情でしか歌えない歌があるんだと思った。

断片・2

例えば、僕がこの曲をカバーしたとして、周りからどんな評価を得たとしても、あの時の思いいれがあるから、自分の中では、いつまでも「あの歌」は越えられないんだろうと思う。

2009.10.29

「アウラ」のこと。

10 30, 2009 | 戯れ言2009 

2
今日もまた書くことが見当たらない。じゃ、書くなといわれてしまいそうだけれど、何か書くべきことがあってそれを書き記すのはやっぱりメモでしかなくて、僕がやりたいのは、メモではなくて書きながら何かを生み出すことだ、と前にも書いた。ライブというのが僕にとって発表会じゃない、ということも書いた。

「アウラ」という言葉がある。「崇高な」とか「一回きりの」とか「不気味な」とかいう意味らしい。僕がライブと呼ぶのはこの「アウラ」というものらしい(崇高なは余計だが)。その舞台でしか生み出せない何かを生み出すこと、もう二度と同じことはできないし、やるつもりもない、という姿勢で観衆の前に立つこと。

「用意されていたものを、ただなぞっていく」ようなもの、「練習の成果を見せる」とかいうものはやっぱり発表会でしかない。いろいろな意味でその用意していたものを(自分自身で)裏切っていくこと、もしくは予定などなにもなく、ただただ流れに身を任せることが僕にとってのライブであるらしい。

だから、ライブの告知で、「どうなるか自分でもわかりません」と僕は書くことにしている。まるっきり失敗するかもしれないし、何か今まで出てきたことのないようなものが出てくるかもしれない。どうなるかはわからないけれど、とにかく真っ暗闇に手を差し出すしかないじゃありませんか、と。

ソニーロリンズの「サキソフォンコロッサス」の特に一曲目なんかは「一回性」の極みだ、というように言われるけれど、聴けば納得できるところがある。彼に同じ演奏を求めたところで、彼はもう二度と同じようになんて吹けないだろうし、そうするつもりもないだろう。

2009.10.29

追記

最近の音楽はほとんど重ね録りばかりで、「一回性」なんてものは微塵も感じられない。だから、その音楽、演奏が持つはずの独特の「動き」がない。

無題

10 14, 2009 | 戯れ言2009 

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『無題』

些細でしかたないことの中に「小さな愛」を見出すこと

忘れてはいけない「何か」をもう一度思い起こさせること

世界との「新しい糸」を紡ぐこと

芸術というものに、使命があるのだとしたら
そういうことだと思うのです

世界というものがもし
茹で上がったソウ麺だとしたら

なるべく網目の細かいザルで
水きりをしなければなりません

芸術をするということは
網目の細かいザルになる努力、とでもいえますでしょうか

そうでなければ
世界の全てはこぼれ落ちてしまうでしょうし……

2009.10.14

徒然……。

10 14, 2009 | 戯れ言2009 

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最近は本ばっかり読んでいて、ほとんどアウトプットの作業に取り組んでいない。ブログのための文章も書かなかったし、曲をつくることにもほとんど時間を割かなかった。というか割けなかった。恐ろしく効率の悪いポンコツの機械のようなもので、動き始めるまでにかなりの時間を費やすことになる。

最近はとにかく「インプット週間」のような日々だったし、それはまだ終わっていない。僕にとってのインプットというのは単に「情報を取り込む」ことや「何かしらの問いに対する答えを得る」ことではなく「混沌としているものをより混沌とさせる」ようなことで、僕はそのどろどろしたようなものの中にどっぷりと浸ることになる。

無理に何かを書こうとしてもどうしようもないので、いつも、「その時」がくるのを待つことになるわけだけれど、それがいつになるのかは自分でもわからない。僕はそんな風に悶々した日々(書くべきこと、歌うべきことが見つからないという日々)を過ごしてきて、この年齢になった(十代のころからずっと曲をつくるつもりでいて、やっと一曲完成したのが去年の一月だ)が、それは単純に「遅い」とか「早い」とかいう問題ではないように思う。

書くべきことがあれば書き始めるだろうし、歌うべきことがあれば歌い始めるだろうし、なければ別にこのまま何も残すことがなくてもしょうがないじゃないか、というのが十代のころから僕がずっと思い続けてきたことだ。このまま歌うべきことが一つも見つからなくて一生歌わずに過ごすことになったとしても「それはそれだろう」と思ってきた。

僕は何を書こうとしているのだろう? というか書くことが何も無くて「最近は本ばっかり読んでいて――」と書き始めたのだが……。

どうしようもなく単純な感覚だが、僕には、世間から「遅くして」といわれるような作家や音楽家のことを信頼する傾向があるらしく、それは、表現し始める時期(年齢)の「早さ」がそれほど重要だと思っていないことと、「表現することがないのに無理して何かをでっちあげるくらいだったら、別に何にもしないほうがいいや」と、音楽や、もっといえば表現のことについて考えている悶々としながら過ぎていく時間のほうが、よほど重要なんじゃないかという思いがあるからだ。

やっぱり、僕は何を書こうとしているのだろう? 

とにかく僕はいまこうして悶々と何かを考えているらしいのだけれど、それが形になるにはまだ時間がかかりそうだし、そもそも「それら」が形にされることを僕に対して望んでいるのかどうかもわからないのだが……。

2009.10.14

追記

こんな文章を書くだけでも、なんというか「これはブログ向きなのか?」と思ってしまう。本当に書きたい文章はブログという形態では書ききれないような気がしている。何かしらの方法を考えよう。





うったいます。

10 06, 2009 | Liveのお知らせ

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なんだか久々に誰かの前で歌うことになります。
今回は「千田モンキーズ」との共演になりそうです。

いつもどおりどうなるのやら自分でも分かりません。
よろしくお願いします。

at Bar Tarji

10/31(土)
DEEP BLUE LIVE
出演 DEEP BLUE / 少太 / 松沢春伸
Open 19:30 Start 20:00 1500円(ドリンク別)

 山形市七日町2丁目-7-28
 YT二丁目ビル1F
 TEL 023-623-3944

Bar Tarji homepage
http://www17.ocn.ne.jp/~tarji/index.html


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