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Diane Birch のこと。

08 31, 2009 | 戯れ言2009 

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Diane Birchのこと。

先週の日曜日からか、ここのところずっとDiane Birch(ダイアン・バーチ)のbible belt(バイブル・ベルト)ばっかり聴いている。
キャロル・キングやローラ・ニーロの再来と呼ばれているらしい人のデビューアルバム。

CD屋さんで試聴して、即「あ、買わなきゃ」と思って買ったのだが、新譜でそんな買い方(何の予備知識もない状態で純粋に音楽に惚れる)をしたのはAmos Lee のデビューアルバム(2005)以来のような気がする。確かではないけれど。

僕が好きな音楽人とか、小説を書いている人とかに共通するのは基本的には「純粋な受け手(それもかなり熱心な)」だということ。純粋なリスナーであり、純粋な読者であるということ。

だからまず、音楽とか小説に対する「敬意」がある。最近では、その「敬意」がその人の中で育つより先に(あるいはそんなものまったく関係ないように)、有名になりたいとかいう理由で「表現(と呼んでいいのだろうか)」を始める人が余りに多すぎるために、つまらない「商品」でその世界が溢れてしまう。

僕も、もともと自分で表現するなんていう大それた事を出来る人間ではなくて、生粋のリスナー体質だから、いいものに出会えることをいつも楽しみにしているし、出会えたときは本当にうれしくなる。今回は素直に楽しんでいます。

途中からいらない文章が続いたような気がする。というか、ダイアン・バーチのことなんかさっぱり書かれていない。でも、今こうして書いている間にも流しているくらいだから、やっぱり気に入ってるんだろうな。

2009.8.31

《追記》

Diane Birchのことを書いていて……。

Diane Birchのことを書いていて、以前からずっと感じていたことを思い出した。愛聴盤と自分の中の一番になるものの違いのこと。

今回のDiane Birch は確かに愛聴盤になるに違いないけれど、愛聴盤が自分の中で「一番」になることってほとんどない。僕にとって、本当に支えになる音楽や言葉はどうしても「孤独」とか「痛さ」が伴うもので、僕自身が自分の「地下室」まで降りていかなければ感受できないようなものだ。

愛聴盤はもっと、のほほんと聴ける(本でも一緒で読んでいて楽しい本はたくさんある)。

自分にとって本当に必要だと思える人は「楽しさ」よりも「行動」のきっかけ(心がうずく感じ)を与えてくれるような人で、でも、そういう人は少ないし、大体遠くにいる。――というのに少し似ているのかな。似てないかも。

まあ、でもどっちも必要なんだよな、と思う。

2009.8.31

《追記・2》

たとえ頻繁に聴かなくても、ずっと心に残っているもの。
そんな音楽、言葉、人。

2009.8.31
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年齢を越えて言葉を共有すること。 と追記。

08 13, 2009 | 戯れ言2009 

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『年齢を越えて言葉を共有すること』


2007.3.20 火曜日。

仕事が休みなので、テレビを見ながら酒を飲んでいた。
CMに入る前の何秒かのコマを見て何故かは分からないのだけれど、急に泣きそうになってしまってびっくりした。だからこうしてすぐにメモしているわけなのだが……。

あるバラエティー番組の中で、田原総一郎がアンガールズと一緒に、田原の母校を訪ねるシーンだった。
ちょうど、その日はその高校の卒業式で、田原がサプライズゲストとして卒業生に向けて話をした。

「若いうちはたくさん失敗していい。失敗が全部肥やしになる」
と田原が語った後に、女子生徒の一人が涙ぐんでいるのが映り、そのままCMに入った。

そのシーンを見て急に目頭が熱くなってしまった。
田原が生徒達に語りかけた言葉が特に印象的だったわけではない。どこにでもありそうな言葉だし、言ってしまえばあまりに、くさい。いや、確かに少しも恥ずかしい表情をすることなく堂々と熱く語りかけることが出来る大人はそういないだろうから、その光景を見ることだけでもぐっと来てしまうのだが……。

なんと言えばいいのか自分でも分からないが、涙ぐんでいた女子生徒はあの場で、田原の言葉を確かに受け止めていた。72歳の田原の言葉が18歳の女子生徒と共有された、というシーンを見てびっくりというか、嬉しくなってしまったのではないかと振り返って思っているところだ。

2007.3.21

追記 「何かを共有すること」

今は2009.8.13 木曜日。
自分が書いた文章を読み返して感じたことなのだけれど、「何か」を共有するために、誰かは文章を書いたり、歌ったり、描いたり、演じたりしているのではないかと思う。

共有するということは、おばさんが集まって「そう、そう、そうなのよねえ」とかそういうレベルの「共感」の話ではなくて、もっともっと深く、井戸の底にあるようなものなのだと思うが、それを言葉にしようとしても上手くいえないからもどかしい。

何かを書いたり、歌ったりというのはあくまで独りきりの作業(?)であって、それはどこまでいっても独りきりの作業なのだけれど、それは「誰か」に向けられていたりする。

「孤独」という言葉を使うのは簡単だし、かっこつけのような気がしてあまり使いたくないけれど、どこまでいっても「孤独」な人間はやっぱりいて、でも彼らが本当に求めるのは、やっぱり「共有」なのだと思う。どこかに共有できる人間がいるはずだ、という思いが無かったら、本当にきつい。

そうでなければ、カフカは自分の書いた小説を友達に「焼いてくれ」と言う前に、自分で焼いてしまえばいいはずだし、ニーチェだって文章なんか書かなくたっていいはずではないか(書くという行為で初めて生成されるものがあったとしても……)。結局は原稿が焼かれることはなかったし、彼らの言葉は今でも残っている。

どうしようもなく独りぼっちの人間が書き記した文章や、音楽や、何かを時代を超えて誰かが共有している。なんというか、すごいよな、と思う。

話は飛ぶが(酔っ払っているんだもの、そりゃ飛びます)岡本太郎や保坂和志に出会えたときは本当に嬉しかった、嬉しいという言葉では語りきれないのだろうけれど、今のところそうとしか言葉に出来ない。出会えたとはいっても、実際には一度も会ったことはないのだけれど、とにかく、「何か」を共有することで、時代を越えて、場所を越えて、勇気を与え合うことだって出来るはずだ。だからぼくは、こうして文章を書いたり、歌ったりしているのだけれど、それらはまだ出会ったことのない「誰か」に向けられていたりするわけで……。

2009.8.13

追記の追記

今日はほとんど二日酔いの状態で仕事にいって、水を飲みたいのに、その現場の水があまりにも鉄くさくて飲めなかったので、干からびた椎茸のような状態でこうしてビールを飲んでいるもんだから、かなりフランフランになっている。ほとんど何を書きたいのか分からんようになってしまいました。まあ、いつものことなのだけれど……。

2009.8.13




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松沢春伸の日記

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