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2013.12.31 552 『今年体験(観たり、聴いたり)したライブの中の一位』

01 01, 2014 | 日記2013

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・今年体験(観たり、聴いたり)したライブの中の一位。は。やはりNHKラジオ『すっぴん』での保坂和志のインタビューに決定した。音楽じゃないの? なんてことはどうでもいい。熱があり、踏み迷いがあり、逸脱があり、たたかいがあり、笑があり、グルーヴがあり、、、ライブなのです。

・本は、といえば、ジャコメッティ関連だろうか。矢内原伊作『ジャコメッティ』。まだ、読了していないけど。ぼくの中でおっさんが頭を掻きむしりながら創作をしつづけている。

・今まで触れることが出来なかった「何か」。それをほんの一瞬触れることが出来た。けれど、それはまた遠くなる。その繰り返しの日々の中で、その手を伸ばす行為自体が表現なのであって、それが誰に届こうが、届くまいが、褒められようが、けなされようが、そんなことにかまけている時間はない。出来ることは、ただただ日々昨日まで知り得なかった「何か」を知るために、手を伸ばしつづけること。一瞬、その「何か」に触れることができた。その一瞬の感覚のためにひたすら前に前に進む。

・ぼくのライブは今年だいぶ変わったようにおもう。進んだように思う。それは人からの評価によって、そう感じたのではない。自分の感覚。次はもっと。来年はもっと。前に。捨てざるを得ないものを捨て、捨ててはならないものを持ちつづける。ここは大体、「媚び」の問題だが。予定調和や、客に媚びたりや、、、蹴散らして、自分のやることをやる。つまり「振り切れ」の精神だ。

・こどもが遊び踊るように。あるいは。いかれたおっさんの踊りとすら呼べない踊り。それでいい。綺麗、汚いなど外からの評価より、おっさんが、のけ者にされ、蔑まれ、馬鹿にされたとしても、ひたすらその踊りを続けていく、という行為の崇高さ。「振り切れ」の精神はそこにある。
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2013.12.30 551 『昨夜はVorz Barにて今年のライブ納め』

12 31, 2013 | 日記2013

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・昨夜はVorz Barにて今年のライブ納め。青谷明日香さん、カツシさんと。

・十代からの友達の友達が岩手から来てくれて、話をする。しばらく会っていないその友達もどうやら元気でやっているようで。

・ドラムのカツシさんとは初めて演奏するけど、別にリハも遊ぶ程度で終わらせて本番に入ったが、やはりその方がおもしろい。演奏者自身が、どう進んでいくのかわからない状態から逃げないで、その場その場で切り開いて進んでいく、その感じ。これが聴いてる人に伝わるどうか、はそれほど問題ではなく(感じる人は感じてくれているだろう)、演奏する側がそういう状態をおもしろいと思えるか、それを体現できるか、そっち。

・やはりぼくはどう転ぶかわからんものがおもしろい。例えば今後いろいろな人と演奏することになるかもしれないが、最初から最後まできっちり決まってないとやりたくない、という人とは一緒にやれないだろう。とおもう。ま、そういう人は初めからぼくに興味をもたないだろうけど。

・打ち上げ後、ボーズバーで仮眠して、八時の電車に乗り山形に戻る。今回は乗り過ごしもしない。セリ屋から連絡が入って、どうも順調にすすんでいないらしく手伝いにいった。

2013.12.29 550 『やってることの価値を注目度とか知名度みたいな数で測らずに』

12 30, 2013 | 日記2013

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・仙台に向かう電車の中でディランの東京公演のチケットを購入。

・今日の付箋。パラパラとめくって。

【やってることの価値を注目度とか知名度みたいな数で測らずに、質で測れるような活動がどれだけ続けられるかっていうようなことかな。】 保坂和志『考える練習』 p48

2013.12.28 549 『人間たちの思いなど届くはずもなく、吹雪く』

12 29, 2013 | 日記2013

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・雪が降り。時に小休止。「この程度で済んでくれれば」などという人間たちの思いなど届くはずもなく、吹雪く。気持ちが萎えてしまうような時間帯に、ふいに現れる太陽。その瞬間世界が変わる。

・いいとか。悪いとか。すぐに評価をする言葉が見つからないもの。見た人が「今わたしの中で起こっているもの、これはどういう感情で、どう言葉にすればいいのだろう?」と迷うような表現。

・感動した。という言葉は、その感じに近いのかもしれないと思う。「どんな言葉にすればいいのか、よくわからないけど、わたしの中の何かが揺さぶられた、これを誰かに今伝えるとしたら、『感動した』という言葉になるのかな」みたいな。

・けれど、これも怪しいもんで、筋書き通りの視聴者を泣かせるためにつくられた映画をみたり、本を読んで人がいうときの「感動した」は、何か違う、から、難しい。映画のCMでやたら「感動しました」と声を張り上げている人がたくさんでてくる映画は、観ないでおこう、と思ってしまう。

・そうか。書いていて思ったけど、最初のほうは、言葉が見つからず「感動というほかない」状態なのだから、感動させるテンプレートにいいように乗せられて「感動した!」と声を張り上げたりできない状態なのだ、きっと。静かに「自分の中に起こっている何か」と向き合う。それらは静かに静かに身体に刻まれる。「感動した。泣いた。ああ、すっきりした」というのと全然違って。

2013.12.27 548 『ジャンルなど軽々と越えて飛び火する』

12 27, 2013 | 日記2013

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・久しぶりに、夜に音楽を聴きながら。久しぶりというより、何日かぶり、それだけの日数のはずだけれど、ここ数日のバタバタさがそう感じさせるのか。今日はトム・ウェイツ。

・日曜日のタージのライブで、そういえば、大学生とジャコメッティの話をしたなあ、と思い出した。美術を専攻している学生と話をした(ひとりは彫刻を専攻していてジャコメッティの本を読んでいたから)。彼らがどういうものに影響を受けて、あるいは影響を受けずに創作したり、学んだりするのだろうか? に興味がある。のではなく、実は別に興味がない。

 何かを共有できることは、嬉しいことだけれど、、、嬉しいけれど、同時に、どうでもいい。は? 何をいっているのだろう? 

 語りあうことは刺激を生むけど、その受けた刺激は創作に向かうべき刺激であって、語るためのものではない。語り合ったあとは、それぞれが、それぞれの向き合うべき時間と向き合う、というそのための「語る」時間。「語る」ために「語る」のではない。それはそういうのが好きな野郎どもに任せておけばいい。

 だから、ぼくは彼らと何かを共有できることに興味があるというより、彼らはぼくに何を見せてくれるのだろうか? ということを思う。語る、ことでなしに。


・本当に凄い力をもっている「何か」はジャンルなど軽々と越えて飛び火する。音楽に影響されて、小説を書いたり、小説に影響されて、哲学したり、哲学に影響されて、舞い踊り、描き、そしてまた、、、。書く、描く、歌う、舞う、思考、、、、、、。

・ストレッチをしている。筋肉痛。強張っている筋肉をほぐさないと。 

・鳥の鳴き声がしたので、見上げるとヒヨドリだった。そして十羽ほどの白鳥がV字を崩しながら飛んでいくのをみた。まだセキレイはやってこない。

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