2017.3.11 1318 『「ぼく」から「ぼくら」へと』

03 11, 2017 | 日記2017

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・3月11日。山形出身の絵本作家、荒井良二がNHKラジオのインタビューで、震災以降の東北での活動を経て、自分に起きた変化を問われて、「特にはないですけれど、でも、『ぼく』から『ぼくら』へと人称が変わった」と答えていて、それがよくわかった。

2017.3.10 1317 『三月も十日、雪が降る』

03 10, 2017 | 日記2017

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・イタリアの映画「人生、ここにあり!」を。途中の彼、は、「ふっ」と降りてしまったが、それでも、そこで、そこにきて「本当」を生きたのか。

・三月も十日、雪が降る。雪の止む少しの合間、ふと光が射すと、南に向けて停めた車の中は暑くなって、パーカーを脱いでギターを続ける。弦を擦る指の腹は青緑。誰に聞かれることもなく、ただこの場所、この瞬間に響く音。書かれては、線を引かれる言葉たち。ウェブ上に公開されるようなものではなく、一年が終われば本棚の隅にそっとしまわれる日記のように歌を紡いでいけたら。

2017.3.8 1316 『寓話集』

03 08, 2017 | 日記2017

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・先週タージに呑みに行ったときに少太さんがカフカの「寓話」の話をしてきて、その中の「巣穴」がおもしろくて、と笑いながらいうので、家にあったはずと帰って探したけれど本棚になくて、次の日に、八文字屋にいってもう一度買った、「短編集」と「寓話集」と割と最近出た別の編者訳者の「ポケットマスターピース」。

・今日喫茶店に、十二日のタージでのライブのチラシを持って行って(どこかの店に自分のライブのチラシを自分で配るなんてことを初めてしたのではないか)コーヒーを飲みながら、カフカの「寓話集」を読んだら、読んだらというか何年かぶりに読み直したら、異常におもしろくて驚いた、いろいろを経て、そういう場所にきたらしい、自分自身が。

2017.2.28 1315 『黄色が溢れつつ』

02 28, 2017 | 日記2017

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・そこかしこに春の——春の、春の何だ? 「春の息吹」などといってみると嘘くさい、人は持ち合わせている言葉でしかその何かを表現しようがないのかもしれないが、それを破ろうと言葉を尽くすのが言葉と生きる人で、自分の中に既に存在する言葉で自然を表し得ると考える人はそこには至れない。言葉に錯誤する。

・チーズをつまみに酒を呑みながら「そこかしこに春の気配が」という言葉で書き始めようとするが、嘘くさくなってやめる。文章は文章を書き始めるまでどこに至るかはわからないし、始めたら始めたで、どこにいくかわからないもの。

・ようやく山形の梅の蕾も膨らんできた、モクレンの蕾も、サンシュユの蕾はそれを包んでいるもの(あれはなんというのかガクか)から花の黄色が溢れつつある。

2017.2.23 1314 『今日は雪だった。雨だったか。雨だった。』

02 23, 2017 | 日記2017

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・今日は雪だった。雨だったか。雨だった。今こうして夜にその日の天気を書こうと思っても、よく思い出せない。今日猫は来なかった、昨日は車庫のシャッターを開けると、その音に反応してしれっとトラが入って来たので餌を出すと車の下に隠れながら餌を食べて玄関から出て行った、ちびトラと呼んでいた昨年の春に生まれたその猫はもう立派に、立派すぎるほどに丸々と大きくなって、誰かがいろんな所で餌をあげているのだろう、最近顔を見せてくれないから少し心配だった、もうちびトラではなく、トラ、二代目トラ、明日は来るだろうか?

・「音楽で世界は変えられない」と政治の世界に参入していく人もいる、あなたのいう「世界」はどの世界だろうか? といっても仕方がない。それはその人のたたかいだから。昨年末に観た「この世界の片隅に」という映画で示されたそれとは別のたたかいの表現を彼ら(彼らをフォローする人たち)はたたかいと認識するだろうか? どんな世界に包まれていようとそこで生きる人々の日常が在る、小さな日々が在る、小さな笑いが在る。これまで音楽は「日常」というものを本気で描いただろうか、「反——」を声高らかに歌うことがこれまでのたたかいであったかもしれないが、そうではない別のたたかいの在り方、ここ数年考えているのはそういうことだ。

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松沢春伸の日記

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