線路下にトランペットが鳴り響く。

06 16, 2010 | 戯れ言2010

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昨日の夜は、線路と、川が十字に交わるような場所で寝た。
だからといって、悪魔に魂を売り渡して得られるような、ギターのテクニックなどを授かるはずもなく。

カップラーメンを食べるために沸かしたお湯の後ろでトランペットの音が聴こえました。

川の音や、蛙の鳴き声や、草のわさわさという音や、雨が降り出しそうなにおいを嗅いでいるうちに感じたことは、何十年も昔に、同じように旅をしていた人達も、同じような音を聴いていたのだろうな、ということでした。

おそらくウディ・ガスリーなんかもおんなじように、川の音を聴いていたのでしょう。

何十年もの時間が経ったとしても、川はそこに流れていて、風が吹いて、草は揺れるのだろうと思います。

そんな些細なことに心を揺さぶられる人間が何十年か後にもいるのだろうと思う……し、いて欲しいと願う。

2010.6.16

久々にキーボードを打ったりしてみる。

06 08, 2010 | 戯れ言2010

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最近、車中泊をしているということもあって、「ぱそこん」と縁遠くなっている。

川原で寝て、鳥の鳴き声で目を覚ます。
そんな日々です。

眠りにつくころに、地元の警官がやってきて、職務質問をされて、荷物を漁られて、いらいらして、ギターを弾いて、そんで眠る、というような日々です。

鳥というのは、鳴き声、というか歌(ウタ)で自分の存在をアピールするらしくて、最近はウグイスが盛んに鳴いて(泣いて)いる。

自分より上手く鳴く鳥には自分の縄張りをあけわたすらしい。だからこそ、必死に鳴いているのです。

人間における、いい歌を歌う人に対しての無条件の敬意というのは、こういうところからきているのではないかな、とも思うのですがどうでしょうか。

政治のことはからっきしわからないし、わかりたいという気持ちもわかないですが、政治よりも、ダイレクトに人間に響くものがあるはずだと思っています。

そうでなければ、音楽なんてものは無くなっていてもおかしくないはずですし……。

ころころと、総理が変わったとしても、ころころと変わらない何かはきっとあるはずです。



追記 1

今の音楽の形態がどうであれ(CDが売れる、売れないとかの話ではなく、それが、ダウンロードという方式に変わったとしても音楽が必要だとされていることに変わりは無い)人間が音楽を求めていることに変わりはないと思う。

音楽というのはそれほどまでに「根源的」なのだと思う。

追記 2

「鳴く」を「泣く」と書いたのは、以前ある人に、「人が歌うというのは、泣くことと一緒だ」と言われたからだ。



一喜一憂するのです。

04 13, 2010 | 戯れ言2010

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外の空気がとんでもなく冷たい、と窓を開けて思う。
「明日は、春らしくない、寒い一日になります。」と、お天気お姉さんが言っていました。

風が暴れる音を聴いて「外はどうなってるんだ?」なんて夜中に窓の外を気にすることは、今までほとんどなかった。
直接的に、天候に左右されるような仕事をしたことがなかったし。

これはこれで面白い。

でも、まぁ。

多分、人間はもともと、天気に一喜一憂していたはずなんだし。

自然にゃ勝てないなぁ、というのは農家の人ならばごく自然に感じていることなのだし。

これから、荒れますね。
天候に一喜一憂します。

これはこれで面白い。

2010.4.13

つながる、何となく――。

04 12, 2010 | 戯れ言2010

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朝、玄関を閉め、車に乗り込む。
エンジンをかける。

Bright Eyes の音楽が曲の途中から流れ始める。
昨日は仕事帰りにここまで聴いてエンジンを切ったのだ。

「昨日はBright Eyes を聴いて帰ったんだっけ?」

こんなことが僕にとって一番、昨日と今日をつなぐものだったりする。

大体、酔っ払って寝てしまう人間に昨日とか今日とか言われてもよく分からないのです。

2010.4.11

『So, What? ――だから、何だ?』

04 07, 2010 | 戯れ言2010

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ある人のライブを初めて聴きに行ったとき、ライブ後にその人と話すことになって、僕はその人に「とても孤独な音がしました」と伝えたのを今でもはっきりと覚えている。そのひとが覚えているかどうかは分からない。初対面の人に対してかなり失礼なことを言ってしまったと思ってはいるが、なんとなくは伝わった気がする。

その日のライブは「その人」がボーカル&ギター、ベース、ドラムの三人編成なのだけれど、なぜか孤独な音がした。僕にとってその人(バンド)の音を聴くのは音源を含めて初めてだったから、何でこういう印象を持ったのだろうと今でも不思議に思うけれど、確かにそう感じた(それから何年もたったけれど、そういう印象をもった表現者とはそうそう出会っていない)。

今、その人はメジャーのレーベルから音楽を発信しているけれど、どうなんだろう? 彼が書きたいことは本質的に「孤独の中」でしか書けないものだと、僕は思うのだが……。そうである以上、ある程度「売ること」を前提として書かなくてはいけない、ということは……。


 『孤独を放棄したときに売り上げがやってくる。――何かを書いたり、創ったり、表現することは、本質的に「まだ見ぬ者に向かってなのだ」』というのは小説家、保坂和志の言葉だが、今、僕にとってこれほどに響く言葉はない。


初めから大勢(売れるように)に向けて創られたものが、誰かの孤独に響くはずがない。
誰かの孤独に響くのは、その人が孤独のなかで創りあげたものだ。

――もう少しこのことについて書きたいけれど、書きすぎてしまいそうだから、また別の機会に書くことにしようと思う。

と書きつつも、孤独なんて言葉を容易に使うのはかなり気が引ける。
一歩間違えば、とんでもなく安っぽい言葉になってしまうから。

僕は孤独の中にいながらもそれを受け入れて、笑い飛ばせるような人間が創った音楽が好きだ。
Bob DylanやTom WaitsやMiles Davis他いろいろ、とかの「孤独だって? そりゃ、そうだろうよ。だから何だよ」という人間の音楽が好きなのだ。


マイルス・デイビスの言葉でいうところの『So, What?――だから、何だよ』という感覚で在りたい。

あるいは岡本太郎の言葉でいうところの『血を流しながら、にっこりと笑う』なのだ。

追記

本当はこんなこと書きたくないんだけれど、書いてしまったのはそういう時期なのかもしれない。
So,What?

2010.4.7

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